NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.149


 The-Kingの新作「ブラッド・レッド・ブルゾン」と「fホール・パンツ」の斬新なアイディアに脳ミソに電流が走った七鉄! お陰様で普段よりもオツムも冴え渡り、忘れかけていたロック史上の「ある大事件」まで思い出してしまったぞ! 諸君は冴えたオツムでサクッ!とお買物に励むようにな!
 事の起こりは最近のイギリスさんでの、ちょっとしたデヴィッド・ボウイのブームじゃ。 英米のロックニュースをコマ目にチェックしておると、結成/デビュー50周年のビートルズ、ストーンズ以上にボウイのニュースが登場しておる。 名盤「ジギー・スターダスト」の発表40周年のスペシャル・エディション
(またこの手の商売かよ!)発表とか、写真展開催とか、ファンの好きな曲投票企画とか(AKBと発想は同じじゃねーか!)、握手会とかってこれは冗談! まるで反隠居宣言をしているボウイを引っ張り出さんばかりの過熱ぶりじゃ。
 
 わしがデヴィッド・ボウイに初めて興味を持ったのは1975年。 当時のロックシーンは、我々オールド・ロック・ファンにとって記憶に留め置くべき「ある大事件」の真っ最中であり、その“真打ち”がデヴィッド・ボウイだったのじゃ。 諸君は多分知らんじゃろうな。 いまだにマスコミに語られることは少ないからの〜。 今回は語られざる「ある大事件」を紐解いてしんぜよう。

 「ある大事件」とは何か? それは大物のブリティッシュ・ロッカーたちがこぞって大幅なサウンド・チェンジを図り、アメリカン・マーケット進出を目指した事じゃ。 なんでそんな事態になったのか? 「アメリカで売れなきゃメシ食えない。 サケ飲めない。 オクスリ買えない。 こりゃ〜大問題!」ってワケでもなかろうが、実際に1970年代に入ってアメリカでアルバムがトップ10入り出来たブリティッシュ・ロッカーは、ストーンズ、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョン、ピンク・フロイドぐらい。 それもチャート上位に長期間ランクされ、レコードだけでガッポリ!とアメリカンドルを儲けていたのはエルトン・ジョンとツェッペリンだけだったじゃ。
 それではブリティッシュ・ロッカーたちがアメリカン・ドルを狙ってどのような方向転換をしたのかを紹介するぞ。 作品の数が多いのから出来るだけ簡潔に書いたんで、諸君も流し読み感覚のお気軽スタイルで読んでくれ〜。  



デヴィッド・ボウイ・プチ・ブームが呼び覚ました、懐かしき“大事件”!?
時は1974/5年、大物ブリティッシュ・ロッカーが図ったアメリカ進出の実態



■ プロローグ ■

 まずは、ブリティッシュ・ロック不毛の地になっておったアメリカのロックシーンのおさらいじゃ。 1970年代になるとアメリカのミュージック・シーンは、自国のロッカー優先主義となり、ブリティッシュ勢には触手を伸ばさなくなったんじゃ。 優秀なアメリカン・ロッカー/ミュージシャンの数が増えたからじゃよ。 1960年代にビートルズやストーンズらのイギリスからの外来種に散々荒稼ぎされていただけに、「もうブリティッシュは要りません」ってなっても当然じゃ。 更にアメリカの聴衆が再びシングル・ヒットを望む傾向が強くなり、アルバム志向を強めるブリティッシュ勢はお呼びじゃなくなった。 AKBちゃんや嵐くんがおるのに、KARAちゃんや東方神起くんを優遇する現在の日本の芸能界とは・・・って、これはハナシがダイブ違うか!?

 そしてブリティッシュ勢にとって最大の打撃は、憧れのキング・エルヴィスがロッカーというよりも巨大なエンターテイナーとして、アメリカという国家を挙げて世界にアピールされたことじゃ。 「エルヴィスを頂点としたアメリカン・エンターテイメントこそ、世界に平和をもたらすのだ!」というミュージック・ビジネス界全体の絶対的な方針が打ち出されたんじゃ。 現にエルヴィスは1972年6月9日ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデンでの初公演を成功させて、長らくロックを拒絶してきたニューヨークをついに制覇。 更に1973年年初にはTVスペシャル「アロハ・フロム・ハワイ」じゃ。 エルヴィスの快進撃は留まることを知らなかった! 要するに60年代のブリティッシュ勢中心の「多彩なロック文化」は、アメリカン・エンターテイメント事業という巨大なブルドーザーに跡形もなく潰されてしまったのじゃ。 
 ではでは、スタートするぞ。 ブリティッシュ・ロック界の大物が、どうやってアメリカ上陸を果たしたか。 その成功例の一挙公開じゃ! 


■ツェッペリンがアメリカに送りこんだ頼もしき弟分!  〜バッド・カンパニー・ファースト(74年)

 アメリカで大成功していた数少ないブリティッシュ・ロッカー、レッド・ツェッペリンは、巨額の収益を元に自らのレーベル「スワンソング」を設立。 そのレーベル契約第1号者としてアメリカにアピールしたのがバッド・カンパニーじゃ。  元フリー、元モット・ザ・フープル、元キング・クリムゾンっつう、アメリカでの人気はB級だった連中が結集したバッド・カンパニーの作戦とは、絶えて久しい必殺一発録りのシンプルで豪快なロックン・ロール! エルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」「監獄ロック」的なダイナミックなノリを70年代に蘇らせたのである! 
 シングル「キャント・ゲット・イナッフ」、アルバムともに全米トップ3入りの快挙! 「シンプル・イズ・ベスト」「イッツ・オンリー・ロックンロール」ってのはストーンズの代名詞じゃが、そいつを実践した元祖は、彼らバドカンじゃ。 メンバー全員が元々ロック・プレイの職人だったからこそ成しえた荒業だけに、そんじょそこらの連中は真似ができなかったな。 長らくアメリカで無視されていたブリティッシュ勢が反撃ののろしを上げたのはこのアルバムからだった。
 

■ レゲエに揺れる“ゴッド・オブ・ロック”のリラクゼーション 
     〜エリック・クラプトン/461 オーシャン・ブールヴァード(74年) 
  

 火を吹くようなインタープレイで60年代末期のロックシーンに革命を起こしたクラプトンじゃったが、ギタープレイが早熟なら、悟りを開く感性も早熟じゃった。 「ギターの早弾きなんざ、早食い競争みたいなもんだ」と言ったかどうかは知らんが、連続イッキ飲みならわしも負けんゾ! この頃は極端なレイドバックぶり。 ビーチでひなたぼっこしながら聞く音が楽が一番!とばかりに、しっとりとゆったりとヤル音楽に没頭。 レゲエ・フィーリングを全面に押し出したこのアルバム、シングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(ボブ・マーリイーのカヴァー)はともに堂々の全米No.1。 世界にレゲエ・ブームを呼んだ忘れ難き1枚となった!
 ロック・ギタリストとしての凄味を求めるファンには不評どころか、ナメテンノカコラァ〜じゃったが、収録曲の素晴らしさは文句なし! 「レット・イット・グロウ」は日本版「太陽がいっぱい」(TVドラマ)のエンディングテーマにも使われ、わしも感涙した思い出がある。


■ “愛と平和”を封印して臨んだ、ロックンローラー回帰宣言!
               〜ジョン・レノン/心の壁、愛の橋(74年)


 天下の元ビートルズのリーダーも、名曲「イマジン」発表後(71年)はチャートで停滞。 政治メッセージやヨーコ愛の連呼に喜ぶのはレノン狂信者のみ。 「俺の曲はヒットチャートを上がったら死んでしまうんだ」と自虐的な発言もあったのお。 何をやろうとNo.1が当たり前のビートルズ時代の栄光が染みついたジョンには屈辱の日々じゃったろう。
 そこで当時のビッグ・スター、エルトン・ジョンとのコラボを決行。 シングル「真夜中を突っ走れ」の問答無用の軽快なロックン・ロールはジョン・レノン初のシングルNo.1! その勢いで発表したこのアルバムは、政治的メッセージもヨーコ愛もない、ジョン・レノンというロッカーの原型を叩きだし出した1枚となった。 皮肉なことに当時は愛するヨーコさんとは別居状態。 “やけのやんぱち”の捨て身のロック回帰が起死回生の一撃になった! アメリカンナイズしたとは言い難いが、世界中の音楽ファンの心の琴線に触れることのできるジョン・レノン・ミュージックの復活じゃった! ジョンを「世界平和の伝道師」と思いこんでおる日本人よ、このアルバムを聞いて認識を改めよ! 

 
■ “宇宙人ロッカー”の緻密なアメリカ侵略作戦
    〜デヴィッド・ボウイ/ヤング・アメリカンズ(75年) 
 

 上記3枚は、まだまだ「ラッキーなアメリカ進出成功劇」とみなされていたようじゃが、このアルバムにはイギリスのミュージック・シーンが騒然となった! 自国の代表的ロッカーが「若いアメリカ人」と名乗り、サウンドもファッションもアメリカ人に成り切ったからじゃ。
 “地球に落ちてきた男”の仮面を被ってグラムロックのトップ・スターになったボウイじゃが、それはイギリスだけのオハナシ。 アメリカでの「ホモセクシャルでいかがわしいロッカー」というレッテルに業を煮やしたのか、計算され尽くしたアメリカンナイズ化を実践。 サウンドは当時全米で吹き荒れていた「フィリー(フィラデルフィア)・ソウル」路線。 録音もフィリー・ソウルの聖地シグマ・スタジオ。 ファッションは、アメリカン・セレブ・スタイル。 ゲスト・プレイヤーにはアメリカで復活したばかりのジョン・レノン! グラムロック時代の名声を捨て去って臨んだ一世一代のアメリカ進出劇じゃったな。 結果は大吉! シングル「フェイム」(ジョン・レノンとの共作)は全米No.1。 アルバムもトップ10入り。 あまりにも露骨過ぎるそのビジネス・スタイルは元々のファンには非難轟々じゃったが、デヴィッド・ボウィの知名度が飛躍的に広がった記念すべき作品じゃ。

 
■ ロック史上最大の突然変異〜フリートウッド・マック/ファンタスティック・マック(75年) 
  

 70〜80年代の彼らの華々しい姿によってファンになった方は、彼らが元々は生真面目なブルースバンドだったって事実を知ったら仰天するじゃろうな。 白人ブルース・バンドに限界を感じていたのか、イギリスの重税に嫌気がさしたのか。 彼らは心機一転とばかりにアメリカのロス移住を決行。 当地で華やかだったカントリー系フォークとコーラス主体のウエストコースト・サウンドをたっぷりと学びとり、まったく別のバンドとして生まれ変わったのがこのアルバムじゃ。 「オーヴァー・マイ・ヘッド」「リアノン」「セイ・ユー・ラヴ・ミー」の3曲がトップ20ヒットになり、このアルバムは全米No.1!
 悪く言えば、その場限りの吹けば飛んでしまいそうなウエストコースト・フィーリングに、彼らはブルースバンド時代に培った真逆の土臭いフィーリングを適度にミックスして、アメリカン・バンド以上のアメリカン・ロックを確立してしまったのじゃ。 ギター主体からコーラス主体。 ホワイトブルースからウエストコースト・サウンドへ。 これほど当然変異で即名声を得たバンドも珍しいじゃろう。 あっぱれ!


■ ギター1本で全米を制覇! 〜ジェフ・ベック/ブロウ・バイ・ブロウ(74年)
 ライバルのジミー・ペイジ率いるツェッペリンに勝てないストレスからか、ジェフは突如へヴィロック路線を放棄。 新境地を模索するべく、当時流行りかけていたフュージョン路線でギター・インストに方向転換したら、これが彼のキャリア史上最大のヒットとなった。 上記のクラプトンとジェフ・ベック、当時のロック・ギタリストの双璧が揃って「まさか!」のロック半放棄宣言に「ブリティッシュ・ロックは終わった・・・」って落胆の声も多かったのお。 「終わった」というよりも「時代が変わった」ってのがわしの実感じゃった。
 この作品の価値はインストゥルメンタル・アルバムの大ヒット作であることじゃ。ジャズ系、サントラ系以外で、ヴォーカル抜きの音楽がアメリカで受け入れられたのは異例であり、それを成し遂げた最初のロッカーがジェフだったのじゃ。


■ 求めよ、されば救われん!
  〜ロッド・スチュワート/アトランティック・クロッシング(75年) 


 昔っからわしはこの人、あんまり・・・じゃった。 イギリスでは名声を得ていたのに、いつも心ここにあらずのツラをしており、聴衆の反応ばかり気にしておるようなライブ・パフォーマンスもいけすかんかった。 ストイックなイメージが強いブリティッシュ・ロッカーとして“らしくなかった”んじゃな。 極論を言うと「もっとうまい酒を、もっとイイ女を」ってのが滲み出ておった。 
そりゃまあ、わしもそうじゃが・・・。 どうしてもシナトラ、エルヴィス級の名声が欲しかったってことじゃ。
 そんでもって大西洋横断(アメリカ移住)というタイトル通り、デヴィッド・ボウイよりももっとストレートにアメリカ人に成り切り、アメリカ流ビッグエンターテイメント作法をこのアルバムで会得してスーパースターへの階段を駆け上がっていった! 後にライブのハイライトとなる「セイリング」は本作収録じゃ。 元々アメリカからスタートすりゃ良かったんじゃ! 生まれた国が間違っていただけじゃ! それもこれも、圧倒的な歌唱力があったからこそ成しえた大変身じゃ。 何をどう歌わせても天下一品なロッド。 それはイギリス人でありながら「グレイト・アメリカンソングス」をシリーズでかまし続ける21世紀に至っても衰えてはいない!


■ 番外編/慌てる乞食は貰いが少ない!?
   ローリング・ストーンズ/ブラック・アンド・ブルー(76年)

 
 イギリスを代表するロッカーたちの方向転換が相次ぐ中、大御所ストーンズは新作を発表せずに(場つなぎ?でライブ盤1枚発表)「事件」の成り行きを静観。 そして「事件」の動きが止まったのを見計らったかのように1976年に本作を発表。 コレ、ストーンズ史上指折りの問題作じゃぞ! なんで誰も指摘せんのじゃバカモノ!
 だってよー、コレ、上記7枚のアルバムの、いいトコどりじゃぞっ!? それが卑怯だとか失敗だとかは言っとらん。 ストーンズはそういうバンドなんじゃよ、昔っから。 何でもかんでも貪欲に取り込んで自分たち流にしてしまうのじゃ。 そいつをもっとも露骨に旺盛にやったのが本作じゃ。 1974〜75年にロックシーンに何が起こっていたのか、それが丸ごと聞けちゃうんだから、そのずうずうしさに開いた口がふさがらんわい! 「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」なんて定番コピーに騙されちゃいけませんぞ。 彼らほど器用なバンドはおらんよ!

     
■ エピローグ ■
 ブリティッシュの大物たちが、ここまで短期間の内にアメリカン・マーケットへ向かったのは、他には約10年後の「アンプラグド・ブーム」だけじゃ。 しかしこの「大事件」が特別に命名されることもなく忘れ去られてしまったのは何故か。 それはすぐ後にやってきたアメリカのディスコ・ブームとイギリスのパンク・ブームによって吹き飛ばされたからじゃ。
 でも当時の筋金入りロック・ファンは、ディスコがこようがパンクがこようが、コッチの方が遥かに一大事であり、その良し悪しの私論を口角泡を飛ばして長らく交わしたもんじゃった。

 誰が何を欲して、何を企もうと、そんなのは“カラスの勝手”じゃ。 でもな〜エルヴィスに成りたかった? 単純にゼニが欲しかった? マンネリを打破したかった? 大物たちの示し合わせたような豹変ぶりの真相は、やはりファンとしては大いに気になるところじゃった。
 わしはビッグなブリティッシュ・ロッカーのライブを体験する度に実感する。 「こいつら、国をしょってるな」と。 だから「あの大事件」の真相とは、「現代資本主義社会の中心はアメリカだが、その礎を築いたのは我らが大英帝国だ!」という彼らの愛国心がもたらした“アメリカ人絶対エライ”の風潮への誇り高き挑戦状だったのじゃ!と思う。 
「思う」は止めろ。断言せんかい! 
 誇り高き挑戦は美しい! どうか諸君、1970年代の真ん中で起きたブリティッシュ・ロッカーの勇気ある決断を覚えておいてくれ〜。 そして実は身近に「美しきチャレンジャー(挑戦者)」がいることを忘れるなかれ。 その名はThe-King! 諸君に永遠のロッカー魂を叩きこむべく、休むことなく素晴らしき新作を発表するThe-Kingのアクションこそロックン・ロールなのじゃ!既にアメリカ、イギリスはもとより、フランス、イタリア、ドイツ、スペイン、ノルウェー、デンマーク、スゥエーデン、ロシアの熱いファンズが既にThe-Kingの存在に気がつき始めておるぞ!



七鉄の酔眼雑記
  

 このところ折を見てアネキと一緒に両親の遺品整理を行っておる。 先日はわしの大学生時分の家族写真がどっさりと固まりで出てきよったぞ。 ぬおっ! AKBのトモチンも目がハートマークになっちゃうイケメンだった七鉄くん!って何を言わせるバカモノ!! いやいや、15年ほど前にも実家の中の意外な場所から家族写真が多数出てきたことがあり、どうもわしの家族は写真を整理出来ない性質だったようじゃな〜。
 15年前の時は、アネキもわしも大騒ぎ。 「お〜アネキ、昔のお姫様系じゃねーか!」「アンタも結構クールね〜」とか、家族以外は誰も言ってはくれんお世辞を並べてはしゃいだ記憶があるな。 わしのユーラシア大陸放浪が翌月に控えていたので、アネキは「旅の御守り」として家族写真を1枚ピックアップしてくれた。 しかしながら、ある切実な理由から“別人”になりたくて長期放浪を決意していたんで(別に罪を犯したわけではないぞ)、アネキの厚意は丁重にお断りした。

 さてこの度の家族写真発見現場じゃが、アネキは15年前と同様にわしにチャチャをいれながら発掘作業を楽しんでおったが、わしの方はというとだな、何だかキツネにつままれたような気分じゃった。 撮影された時の状況は覚えておるし、写真自体も見た覚えがあるものばかり。 それなのに写真の中の自分が別人に見えてしょうがないのじゃ。 「これは本当にわしなのか・・・」 記憶喪失の患者が「これが昔のあなたですよ」って医者から古い写真を見せられているようじゃった。
 ユーラシア大陸放浪の後、東南アジアで仕事にありつき定住していたある日、「別人なんかになれるわけねーんだ」とミョーに実感したことがあった。 日本の日常生活では到底体験できない強烈な出来事が続いておったが、一喜一憂しとるのは、終生変わることのない自分の素の部分であることに気が付いたからじゃ。 ましてや放浪前に特別な思想教育を受けたわけでもなく、放浪自体に明確な目的意識もなかったんじゃから尚更じゃ。 

 しかしまあ〜この期に及んで、何故に懐かしい写真を前にして自分が別人になったと思えるんじゃろうか。 そういえば、映画やTVドラマなんかでよくあるな。 久しぶりに再会した昔の恋人や別れた奥様から「あなた、すっかり変わっちゃったのね」とため息をつかれるシーンが。 あれは悪く変わってしまったってパターンじゃよな。 今回のわしも、そうなのか。 写真の中の家族から「七鉄よ、すっかり変わってしまったな」って呆れられておるのじゃろうか。 だから過去の自分と現在の自分が同一人物に思えないのか・・・。
 
 この度は1枚だけ写真を持って帰って来た。 別人疑念故に家族4人のショットは遠慮してしまい、代わりにわしにしかなつかなかったメスの黒猫ちゃんとの2ショットにした。 高校生の頃から一人暮らし願望が強かったわしを実家に引き留めていたのは、この黒猫ちゃんの存在じゃった。 わしは本当に別人になったのか。 その答えは、天国に行って久しい黒猫ちゃんが知っている気がしてならない。
  

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