NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.147

 まずは、The-King2012年度オープンカラーシャツ第二弾はしかとゲットしたろうな! ヨロシイ。 型はノーマルじゃが、着心地と風合いはスペシャル!! それが分かってこそ、The-King提供のロック・アイテムの限りない“深み”ってモンを身にまとう資格を取得したってもんじゃよ。 思い切り胸を張ってヨロシイぞ、諸君!
 では“深み”つながりってコトで、今回はベーシストについてのオハナシをかましてしんぜよう。 ヴォーカリストやギタリストばっかり目がいっておるのは、真のロックファンとは言えんな。 ロック・サウンドの深みってのはベーシストが握っておることを、諸君なら重々承知しておるじゃろうな!
 まあ本題に入る前にだな、諸君よ、ちょっと少年時代を思い出してくれ。 ロック・ミュージック体験のごくごく初期の段階においてだな、「ベースって何だ?」って思った記憶はないか? それはやがて「ギターは弦が6本で、ベースってのは4本なのか」となり、ほんの少しだけベーシストという存在を気にかけるようになったんではないか?
 わしなんかノーテンキ・パー小僧じゃったから「ベースってぇ、どうして要るんだあ?」とまで思ったもんじゃよ。 わしらの少年時代の家庭用ステレオは、サウンドの立体感に乏しく、ご近所からの大苦情覚悟の大音量で聴かないとベースの音なんてクリアに聞こえなかったからのお。 っつうかメインの情報収集は小さなラジオだったんじゃぞ。 だからベースの音に敏感に反応出来る感性を持った者も極めて少なかったもんじゃ。 余程の飛び抜けたハンサム・ガイでもない限り、ベーシストってのはバンドメンバーの中で関心を寄せられるのはもっとも遅く、注目度がもっとも低いのが相場じゃった。 唯一の例外はポール・マッカートニーという大スターじゃたが、それもヴォーカリスト、作詞作曲者としての絶大な評価が先にあったからじゃ。 ポールの存在ですらもベーシストの立場向上には大して繋がらんかった。
  
 ベーシストへの注目度が俄然上がってきたのは、1960年代末期じゃな。 PAという巨大音量装置が登場してきて、ライブの演奏力がバンドの命運を左右する時代になったからじゃ。 ベースが下手っぴぃ〜だとバンドプレイにならんからのお〜。 こうした環境の変化、市場の変化に即座に順応して劇的な変貌を遂げるのがロックという音楽の特色であり、優れたギタリストとともに、優れたベーシストも続々と登場してきたもんじゃ。 まさに「ベーシスト夜明けの時代」じゃ。
 当時を冷静に振り返ってみると、知名度の高かったベーシストの大半は当然のごとくビッグバンドのベーシスト。 “あのバンド”のベーシストだから〜ってことじゃな。 反対にバンドから切り離された個人的な位置においても話題になるような超個性的なベーシストは決して多くはなく、だからこそ、その一人一人のインパクトは強烈じゃった。
 しかし「ベーシスト夜明けの時代」の超個性的ベーシストの大概はまだ殿堂入りしておらんのじゃな。 ロック・ミュージックにおけるベースという楽器の根本的な役割を考えると、それも致し方ないのかもしれん・・・って好々爺(物分かりのいいジジイ)ぶってどうする! 「ロックの殿堂」も既に世論、常識論から外れた鑑識眼でもって殿堂入りロッカーをセレクトする時代に入っておるんじゃから、ベーシストというもっとも脚光を浴びにくい、シブイ男の仕事に徹した連中をだな、時代毎とか、ジャンル毎とかで括って何人かまとめて表彰したらどうなんじゃい!ってのがわしの提案。 ってことで、70年代の超個性的ベーシストを推挙することにした!
  

ロック殿堂入りノミネート・リスト第3弾!
ベーシストの新しい在り方を示唆した、70年代のスーパー・ベーシストたち



■ プロローグ ■

 60年代の末期に登場して、バンドとともにビッグネームとなったベーシストを列記してみよう。 イギリス勢ではジャック・ブルース(クリーム)、ジョン・ポール・ジョーンズ(レッド・ツェッペリン)、ギーザー・バトラー (ブラック・サバス)、ロジャー・グローバー(ディープ・パープル)、ロジャー・ウォータース(ピンク・フロイド)等。 アメリカ勢ではメル・サッチャー(グランド・ファンク)、フェリックス・パパラルディ(マウンテン)、ベリー・オークリー(オールマン・ブラザースバンド)、リック・ダンコ(ザ・バンド)あたりじゃろう。
 みんな揃いも揃って最初は“職人づら”じゃったが、バンド内では独特の存在感を放っておったな。 ベーシストと言えば“縁の下の力持ち”って表現される事が多いが、彼らはバンドサウンドを強引にハイテンションまで引っ張り上げるクレーン車みたいな、豪快でエエ仕事をしておったよ。
 その反面、それ以前にデビューしたビッグバンド、例えばストーンズ、ザ・フー、キンクス、ゼム、アニマルズ、ヤードバーズ、スモール・フェイセスらのベーシストたちは影が薄かったのお〜。 この事実だけ見ても、ロックが60年代末期を境として別次元へとスケールアップしたってのがよく分かるな。 やがて時代が70年代に入るとロックの多様化が加速度を増すと同時に、より一層異彩を放つベーシストが登場してくることになるのじゃ。


■ ジェリー・シェフ ■
  〜“キング”の最後の輝きを演出した、華麗なる職人


 とにもかくにも、わしとしてはこのお方が殿堂入りしておらんことは、どーにも納得がいかん!というか我慢ならんゾ!! エルヴィスの1970年代の“ラスヴェガス時代”のライブを支えた最重要プレイヤーではないか!!! あの時代のエルヴィスのライブが、金に糸目をつけずに飾り立てた単なる大がかりなエンターテイメント・ショーに終わらず、アメリカン・ルーツ・ミュージックに根差した懐の深いソングリストを成立させたのは、このお方がいたからなんじゃ。
 有名なエピソードに、エルヴィスがライブのリハーサルでしきりにブルースをやりたがっていた時、そのエルヴィスの姿勢を「音楽的後退」と感じたジェリーが次々と様々なタイプのサウンドのベースラインを弾いてみせ、ついにはケイジャンまで披露するとエルヴィスが興奮した!ってのがあるな。 この一件以来エルヴィスはジェリーに全幅の信頼を寄せ、ライブでのメンバー紹介では「フェンダーベースのジェリーです。 今日は何をやってくれるのでしょうか?」と語るようになったんじゃよな。
 このコーナーの140回目でも書かせてもらったが、ジェリーはドアーズのラストアルバムでも素晴らしい仕事して、ドアーズの目指したガレージ・ロック・サウンドの復活を実現させておる。 奇しくも、エルヴィスとジム・モリスン(ドアーズ)というアメリカン・ロック界の至宝二人の最後の輝きをジェリーはガッチリと支えておるのじゃ。
 「ロックの殿堂」には「サイドマン」という表彰部門がある。 いわゆるセッションミュージシャンを讃える部門じゃが、今まで11人が選ばれており、その中にはスコッティ・ムーアやジェームス・バートンがおる。 その中にぜひともジェリー・シェフを加えて頂きたいものじゃ! 


■ マーティン・ターナー(ウイッシュボーン・アッシュ) ■
  〜ロック少年が恋い焦がれた!?ミスター・サンダーバード!!


 わしが生まれて初めて「なんてカッコええ〜ベーシストなんじゃ!」って、ロック雑誌のグラビアを見てシビレタお方じゃ! わしが騒いだお蔭で、わしを取り巻く女学生どもは(よく言うぜ!)、み〜んなマーティン・ファンになった! ってことは懐かしい思い出じゃが、とにかくマスクよし。 スタイルよし。 ファッションよし。 更にサンダーバード・ベースのロング・ボディがもう死ぬほど似合っておったビジュアル抜群のベーシストじゃったな〜。 まさにロック界のアラン・ドロンじゃった。
 わしはマーティン見たさに、それまで聞いたことのなかった彼のバンド、ウィッシュボーン・アッシュの日本公演に行ったもんじゃ。 そん時のライブで、女の子たちがオキニのロックスターに向かって金切り声を上げる気持ちがわしは初めて分かった! 動くマーティンを目にした時、胸の底から得体の知れない熱いものがこみあげてきて叫ばずにはいられなかったことを昨日のように覚えておる。 まあ本当に叫んでおったら、警備員につまみ出されて、一晩“署”にブチ込まれておったかもしれん!・・・なんかアホみたいなハナシになってきたが、マーティン・ターナーは音楽性もまたグレイトだったのじゃぞ。

 まだ映像の少ない時代だったので、レコードだけを聞いた評論家たちはデビュー当初のマーティンを「ロック界初の6弦ベースプレイヤーか!?」と讃えておった。 4弦ベースではやり切れんような驚愕のテクニックに聞こえたんじゃろう。 確かに4弦ベースで可能な全音域を越えてしまったかのようなレンジの広いベースラインじゃった。
 わしにとっては弦の本数なんざは関係なくて
(ここら辺のイーカゲンさが長生きの秘訣!?)、スローテンポの美曲が多かった楽曲の底辺でゆったりとワルツの様に優雅に唸っておるマーティンのベースに聞き惚れておった。 上空で儚く消えていく水蒸気の様なヴォーカルもまた逸品じゃったな。 ウィッシュボーン・アッシュはツインギターとコーラスとのアンサンブルが売りの「ロック版室内楽」とでも言うべき情緒があったが、マーティンはその楽団のいわば指揮者じゃった。


■ ゲイリー・セイン(ユーライア・ヒープ) ■
  〜“もうひとつの”メロディーを奏でていた、ロック史上最強の異彩ベーシスト

 
 好き嫌いは別として、ロック・ベーシスト史上もっとも突拍子もない!ベースを弾いていたのが、この人! うまく表現でけんが、ギターが奏でるメロディとは別個のメロディをベースでやっちゃっているのじゃよ。 常識的なベースラインなど弾くことのなかった極めて“かっ飛んだ!”ベーシストじゃった。
 イントロから暴れだすのは朝飯前であり、ギターソロの最中でも平気で別メロをやるのもへっちゃら! コーダ(最終楽章)でも、終わらせてたまるか!って唸りまくるパターンも多かった。 それが裏メロのレベルではないから恐れ入る。 わしの知人のギタリストが言っておった。 「“こんなベーシスト”と一緒に出来ねえよ」と。 
 まあ友人のご意見も分かるような気もするが、その“こんなベーシスト”と一緒にやったバンドがユーライア・ヒープ。 活動歴40年を越えるイギリスのハードロックバンドの老舗じゃが、彼らは70年代の真ん中あたりの3〜4年間だけはアメリカでウケた。 その最盛期のベーシストがこのゲイリー・セインじゃった。 奇想天外なゲイリーのベースを聞くためだけにレコードを買い、コンサートに出かけたファンも結構いたそうで、何を隠そう、このわしもその一人じゃったな。

 ステージでベースを弾くスタイルもまた独特じゃった。 ヘッドを高くかざし、右ひじをたたんで手首を直角に曲げて指を垂直におろすんじゃな。 目鼻立ちのくっきりしたマスクと洗いざらしで綿飴の様な長髪も相まって、完全にこの人独自のビジュアルスタイルってのを確立しておったな〜。
 残念ながら1975年にステージ上で感電事故に見舞われて再起不能となってバンドから解雇。 同年暮、失意のうちにドラッグで命を落としてしもうた。 奥様は日本人じゃったらしいが、誰にも看取られない孤独死だったそうじゃ。 
 ちなみにゲイリー・セインの後釜としてユーライア・ヒープに迎えられたベーシスト、ジョン・ウェットン(前キング・クリムゾン)もまたロック史上に残る名ベーシストじゃ。 しかしゲイリーの後では分が悪いというか、インパクトがあまりにも希薄でな。 現にステージではブーイングじゃったらしいゾ。 またゲイリー同様に、ジョンもまたステージで感電事故にあっており、「ゲイリー・セインの呪いじゃあ〜」と噂されたもんじゃよ。
 ジョンはアルバム2枚でユーライア・ヒープを脱退した後、超絶技巧バンドのUKを結成するんじゃが、それはゲイリー・セインの幻影、呪いとの闘いに決着をつけるようなアクションにも思えたな。



■ボズ・バレル ■
  〜若くしてヴィンテージ・ロッカーの風格を湛えた、ロック界初のフレットレス・ベーシスト


 フレットレス・ベースの代名詞はジャズ界の巨人、ジャコ・パストリアス! じゃが、その雑魚(おっと変換ミス)じゃなくて、ジャコよりも早く聴衆の面前でフレットレス・ベースを弾きまくっておったのが、このお人じゃ! ロック・サウンドにフレットレス・ベースはフィットしないという定説を覆して、スピーディーなロックからバラードまで縦横無尽に弾きまくっておった達人じゃ。
 ボズはイギリスのプログレ・バンド、キング・クリムゾンにギタリスト兼ヴォーカリストとして招かれたのが実質的なプロデビュー。 そこで急遽二週間だけ特訓してベーシストに転向。 それもフレットレスじゃ! これって都市伝説のようなホラ話ではなくて、様々な証言によると、どうやら真実らしい。 才能のある者は違うの〜。 わしなんか二週間足らずでは指の関節炎でダウンしてヤケ酒!ってのがオチじゃよ
トホホ
 やがてボスは人気ハードロック・バンドのバッド・カンパニーのデビューに参加するのじゃが、そこには天才ボーカリストのポール・ロジャースがおったんで、以降ボズはヴォーカリストの夢も断念してベーシストに専念することに。 これが以降の名声につながったわけじゃ。

 ルックスもまたクール。 当時も今も、カウボーイハット&カントリー風ファッションを着るイギリス人ロッカーはほとんど見当たらないが、これをボズは見事にキメておったことでもインパクトの強いお方じゃった。
 また大の酒好きでな。 起きている間中飲みっぱなしだったらしいが、酒乱の気は一切なし! いいねえ〜ライブでもスタジオでも、ホロ酔い気分でサイコーの仕事をする! わしの永遠の課題じゃのお〜て到底無理じゃ。 ほろ酔い段階で留めるなんて拷問じゃあ〜!
って自分の馬鹿さ加減を晒してどうする・・・。
 確かにいつもリラックスした表情、態度であり、ロッカーにありがちの過度にキメキメじゃないその余裕ある雰囲気が当時としては珍しかった。 「ワンランク上のロッカー」って感じじゃったな。 作詞作曲もほとんどせず、コーラスもやらず、ベース以外は一切担当しない。 ましてや私生活でのスキャンダルもなし。 それでもファンに強烈な印象を残した最たるロック・ベーシストじゃろうな!


■ エピローグ ■

  実はな、プロ、アマ問わず、わしのミュージシャン友達ってのは、どういうわけだかベーシストが多いんじゃよ。 その中の一人がしみじみと語った一言を最後にご紹介しよう。 「ベーシストってのは、バンド内でもっとも役割が限られているけど、その狭い表現の領域の中で、もっと何が出来るか?ってのを実践したヤツだけがバンドをデカクできるんだよ!」と。 う〜ん、ウンチクがあり過ぎるお言葉・・・限られた時間と費用の中で、いかに大酒かっくらうかってことを気にしておる自分が情けない!ってジョーダンかましとる場合ではない!  
 
彼らに感謝したいのは、エルヴィス、ジョン・レノン、ジム・モリスンらのリリカルなヴォーカリストに惹かれ続けるわしのロック・フィーリングに対して、「ロックには別種の味わい方があるんだぜ!」と教示してくれたことじゃよ。 それは物事を後ろから支えることのカッコ良さ!とでも言うべきかのお。 彼らのお蔭で人の何十倍もロックにノメリ込むことが出来たってワケじゃ。 しかし今回の人選は、後ろから支えるというより、時には後ろから主役を食ってしまうようなお方じゃな!
 諸君は知っておるか? The-Kingのボスもセンスのいいベーシストなんじゃよ。(もっともウッド・ベースがお好みじゃし、アコギもええセンスしとる!) そして、優れたロック・アイテムを生み出し、諸君のロックライフを後ろから支えておるグレイトなベーシストってワケじゃ! とこの際だから豪語しておこう! こんなグレイトなバックがあるんだから、あとは人生をバラ色にするのは諸君次第じゃゾ。 安心してお買い物に励むような!! ちなみにわしは、単なる炊きつけ役、ダイナマイト・シャウトしかでけん、The-Kingのサンドイッチマンじゃ〜。 こうなったら「ロック殿堂入りノミネート・リスト」の次回は、ロック界のサンドイッチマン!でキマリじゃな!?



七鉄の酔眼雑記

 スポーツを観て久しぶりに泣いてもうた。 大相撲・旭天鵬の優勝じゃあ〜。 歴代最年長での優勝とか、角界入り20年目の優勝とか、そんなことよりもだな、旭天鵬の付け人や同僚力士までが嬉し涙を流している光景にもらい泣きしてしまったよ、わしは。 千秋楽の当初は日本出身力士の優勝を期待しておったが、そんなありふれた島国根性は吹き飛んでしまい、なんだかこの世の中で「とっても素晴らしい事」が起こったんじゃのお〜っつう深〜い感動を味わったもんじゃ。
 千秋楽当日はわしはあいにく職場におったが、GOOのネット放映はアクセスが多過ぎたのか全然観れなくて、仲間のワンセグを拝借してこっそりと観戦しておった。 こういうことをやっておると職場での評価を落とすだろうなあと思いつつも、感動の涙は止まらんかった。

 旭天鵬という力士について詳しくは知らんが、足が長過ぎる身体のバランスは、どう見ても力士向きではないな。 柔和なお顔も、肉体勝負の世界に生きる男の顔ではないな。 何よりも、37歳というお歳は、とっくに引退していても当然、お相撲さんとしては終わっておる数字じゃ。 でも史上初のモンゴル出身力士として、後輩たちからは常に敬意をもって接しられておるらしい。 あの悪ガキ横綱じゃった朝青龍も、旭天鵬だけには絶対に立会いの張り手をしなかったもんじゃ。

 ひと昔前はアラフォーで活躍する競技者は、「中年の星」「オジサン・ヒーロー」などと、その特異性自体が話題になったもんじゃ。 まあわしなんかは、身体が成長しておらんガキンチョ競技者がぴょんぴょん飛び跳ねて、あっさりとシーンを凌駕しちゃうのを見せられるよりも、熟成された大人のスポーツ技術を堪能する方を好む性質なんで、近年のスポーツ界の競技者寿命が延びてきた傾向は喜ばしいところじゃ。
 でも中年競技者のヒーローには、ほぼ例外なく孤独の影というか、異常なストイシズムというか、周囲の者やファンとは別次元で一人で生きている近寄りがたいバリアに包まれておるもんじゃよ。 わしはサッカーのカズ、阪神タイガースの金本など、40歳を越えても現役にこだわるアスリートの何人かを目の前で見たことがあるが、とてもじゃないが「頑張って下さい」と気軽に声をかけたり肩をたたいたりは出来ない、強固な壁を感じたもんじゃ。 別次元で生きておるということは、他者とはなにものも共有はできないということじゃ。 だから彼らが優勝とかメダル獲得とかの偉業を成し遂げた時も、我々ファンは一緒に喜ぶというよりも、とにもかくにも敬意を表する姿勢になるのじゃ。
 じゃが37歳の旭天鵬の優勝の場合はかなり違ったな。 失礼ながらこれまでは凡庸な成績じゃったということもあるが、側近者からワンセグ観戦しておるわしまでを、優勝の直後に泣かせちゃったのじゃ。 旭天鵬というお方、見た目通りに本当に心やさしき素晴らしい人格者なんじゃろう。 そして、ひょっとしたら、勝負の世界に入ったのは間違いだったのかもしれん。 それでも現役のお相撲さんに固執し続けた人物に、二度とないであろう至福の栄光が舞い込んだのじゃ。 旭天鵬の優勝は、不景気や震災によって、己の行く先をネガティブに考えざるを得ない日本人にとって、ひっそりと訪れた勇気を頂けるハプニングじゃったな。 あめでとう旭天鵬!  

 

GO TO TOP