NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM Vol.143


 前回は2012年ロックの殿堂りリストに新加入した、ドノヴァンとローラ・ニーロについて紹介した。 そしてその付記として、既に誰もが納得するロッカーたちのほとんどは殿堂入りしているだけに、今後は非演奏者部門においてより幅広いジャンルからの殿堂入りセレクトが成されるべきだとさせてもろうた。 ロックの歴史を創ってきたのは、偉大なるロッカー、レコード会社、プロデューサーというサウンドやレコード盤の制作によりダイレクトに携わってきた者だけにあらずだからじゃ。 ファッション業界関係者、カメラマン、各種デザイナー、マネージャー等、多彩な才能を持つ者たちがタッグを組むことによって「ロック」は今日まで継承されてきたのじゃ。
 この際じゃ。 「ロックの殿堂」運営本部が本腰を入れて「非演奏者部門」の充実を図る前に、このわしが先にやってしまうことにしたぞ! まず何はともあれ、ロック・ファッションにおいて偉大なる功績を果たした人物をノミネートしよう。 衣替えのこの季節、The-Kingからウルトラ級の新作爆弾! ブルゾン8連打がかまされよったし、ロック・ファッションにスポットライトを当てる格好のタイミングじゃしな。 

 ロックとファッションというのはいわば運命共同体じゃ。 天下をとったロッカーはほぼ例外なく個性的なファッションをまとっており、ファンは音楽と同様に贔屓のロッカーのファッションも同時に熱狂してきたのじゃ。 そこが他の音楽ジャンルとは決定的に異なる、ロック・ミュージック独自の黄金律なのじゃ。
 ごく稀にファッションだけが異様に注目されるロッカーもいるし、それもまたロック界特有のご愛敬ってもんであり、とにかくロックあってのファッション、ファッションあってのロックであり、ロックファッション業界の偉人もまた、ビッグロッカーと同等の歴史的評価を与えられて然るべきなのじゃ!  
 「ロックの殿堂」本部のおエライさんたちよ。 分かっとるんか、アンタラ! The-Kingを即殿堂りさせよ!っつうわしの本音はまだ控えておくが、ファッション業界人を選ばずして「ロック殿堂」と名乗るなかれ! これからわしがかます持論を、両目ひんむいてよぉ〜く読むようにな! では「ロックの殿堂」に新しい歴史を刻むために語らせてもらおう!


ロック殿堂入りノミネート・リスト第1弾!
ロックン・ローラーのイメージを昇華、改革させた
偉大なるファッション・デザイナーたち
 

■オジー・クラーク & セリア・バートウェル■
   〜時代が狂喜乱舞したロック・ドリーム・ファッションの創始者


 ロックがもたらした「第一期ファッション革命」は、言うまでもない!我らがThe-Kingが現代に継承しておる「フィフティーズ・ロック・ファッション」じゃ。 エルヴィスの登場とともにアメリカで一気に花開き、ちょいと遅れてイギリスでは「エドワーディアン」「テッズ・ファッション」になって晴れてご登場じゃ! ここら辺の話は長大に切り込んでいきたいのじゃが、今回はちとテーマの趣向が違うので控えさせていただく。
 そして「第二期ファッション革命」は、1964〜5年におきた「スゥインギング・ロンドン」じゃ。 ロッカーズもモッズもキンキーも、ぜ〜んぶ飲み込んでしまって大爆発した一大ロック&ファッション・ブームじゃった。 その「スゥインギング・ロンドン」のファッション部門における絶対的なリーダーが新進デザイナーのオジー・クラークとその奥方セリア・バートウェルじゃ。
 この二人の何が凄いって、彼らが作り出したファッションを着ることによって、ロッカーが格段に垢抜けして、新しいロッカーのとしての不滅のパブリック・イメージを作り上げてしまったことじゃ。 当時のロックシーンの両雄じゃったビートルズとローリング・ストーンズの歴史を振り返ると一目瞭然じゃ。 それまでのロックンロール小僧風情が、あっという間に王者の風格をたたえるようになったのじゃ。 
 
 オジー・クラーク&セリア・バートウェル夫妻。 彼らはあらゆる意味でファッション業界の真の革命児じゃった。 まず彼らは、貴族や軍人のセレブ・ファッションが“上からマリコ”、じゃなくて、下界(庶民レベル)に降りてきてブームになるっつう流行ファッションの通例にとらわれることなく、自分たちで発掘、デザインしたテキスタイル(マテリアル)と独自のカッティングテクニックによって、前例のない独創的なファッションを続々と世に送り出した最初のファッショイン・デザイナーと言えるじゃろう。 既成ファッションから大きく逸脱し、自由なオシャレ・スピリッツを爆発させた彼らのファッション・センスは、まずイギリスのロッカーやヨーロッパの映画俳優(女優)たちの間で大絶賛され、ロックと映画の世界に瞬く間に新しい美意識、創造精神を焚きつけることになり、それにファンが熱狂して「スゥインギング・ロンドン」という一大ムーブメントに発展したのじゃ。 ロックの激しい多様化に「オジー&セリア・ブランド」はまさに運命的にフィットしたのじゃ。

 彼らの作品の真骨頂は、徹頭徹尾自由であること! レディース・デザインのメンズへの改良、正装着(スーツ)のカジュアル化、服地以外のテキスタイルの転用なんてレベルは当たり前。 この世に存在するテキスタイルをすべてファッションにしてしまうようなアナーキー性と着用する者の品性を俄然グレードアップさせるエレガンス性が同居した革新的なファッションじゃった。 またオジーの大胆なカッティング・デザインは小柄で華奢なイギリス人の体型シルエットをスケールアップさせたことも大人気の要因じゃったらしい。
 やがてその評判はアメリカに渡り、折からのヒッピー&ドラッグ・ムーブメントと合体して、まさに世界規模でファッション業界に大自由主義時代をもたらすことになったのじゃ。 ファッション史上の巨匠の一人、イブ・サンローランをして、オジー&セリアの作品が己のセンスを磨く最大の教科書だったと言わしめておる。

 現在彼らに関する詳しい翻訳書籍や日本語サイトが見当たらないので真相は明らかではないが、恐らくデビューする以前に世界各地を旅して多彩な民族衣装のパターンを収得してきたに違いない。 そうとしか思えないほどの無限のパターンと応用力がほとばしる万華鏡のようなファッションじゃ。 
 また自らの作品の発表会においては、幻想的なイルミネーションとダイナミックな音楽を導入して現代のファッションショウのパターンってもんを完成させたのも彼らだったのじゃ。 ちなみに最初の音楽担当者は、当時オジーの運転手であり、後にピンク・フロイドのギタリストとなるデイブ・ギルモアじゃった。


 まずはロックという特殊な世界で大ブレークしたオジー&セリアのファッションじゃが、以降はセレブ界、それもレディース部門でファッション界の話題を独占し続けることになるのじゃ。 レディースの方が爆発的な市場があり儲かるからのお。 
 
メンズにおいては、当時の超一流ロッカー専門デザイナーとしてその名を馳せることになる。 大のお得意様はミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ブライアン・ジョーンズ、ジョージ・ハリスン、ジミ・ヘンドリックス(彼らの奥様、恋人もまた然り)ら枚挙にいとまがない!
 写真で見る通り、オジー・クラークは相当のイケメンじゃ。 彼自身がモデルになっても充分に通用するような容姿であり、豪華絢爛たる顧客、レディースデザインにも優れてモテまくりの私生活。 ファッション・デザイナーを目指す世の男性の憧れの的だったのであ〜る。 またセリア・バートウェルはオジーが亡くなった1996年以降も活躍を続けており、今もなお世の女性が夢中になる優雅で独創的なテキスタイルを元にした作品を発表し続けておるようじゃ。 わしからも表彰状を贈っておこう! 



■ マルコム・マクラーレン&ヴィヴィアン・ウエストウッド ■
    〜“良いことをするのは退屈だけど、悪いことをするのは楽しいのよ!”


 ニューヨーク・ドールズ、セックス・ピストルズというアメリカとイギリスとをそれぞれ代表するパンクロックバンドを世に送り出したことで名高いマルコム・マクラーレン。 しかしロック史においてそれと同等以上に讃えられるべき功績は、パンク・ファッションという、現代のストリート・ファッションの原型ともいうべきアバンギャルドなファッションを生み出したことかもしれんな!
 オジー・クラーク&セリア・バートウェルのファッションブームがひと段落した1970年代初頭、マルコムはロンドンで「LET IT ROCK」という小さなブティックを開店。 ここでは何とテッズ・ファッションを取り扱っていたのじゃ。 ロックシーンがロンゲとパンタロンジーンズとロンドンブーツで塗りつぶされておった時に、あえてテッズ! ロック・ファッションの原点が「フィフティーズ・ファッション」にあるという揺るがぬ哲学なんじゃろうな。 やがて「LET IT ROCK」は「SEX」と名前を変え、今度はボンテージ・ファッションのブティックに変身! この変わり身の落差もスゴイ! ニューヨークではパンクの帝王ニューヨーク・ドールズをマネージングしていただけに、ロックとロック・ファッションがその後より過激になっていくのをいち早く察知していたに違いない。

 マルコムのデザイナーとしてのセンスはあまりにも突飛で過激だったために、ファッション作品として生産させることのできる者がロンドンにはおらんかったらしい。 そこに登場して腕を振るったのが奥方のヴィヴィアンじゃ。 ヴィヴィアンはマルコムの先鋭的なデザインを具現化するためのなくてはならぬ存在となり、やがて二人の才能の合体は過激の一途を辿り、ブティックは「LET IT ROCK」から「SEX」になったが、その時の常連がピストルズのジョニー・ライドンじゃった。 ライドンは「LET IT ROCK」時代のテッズ・ファッションもまた好んでおり、デビュー直後にリーゼントにテッズでキメタ貴重なショットも残されておる。
 やがてマルコムはジョニーを中心にピストルズをデビューさせ、その後の凄まじい活躍はご存知の通り。 「SEX」の方はロックファッションとボンテージ・ファッションを合体させたパンク・ファッションに様変わりさせて、その後店名を「セディショナリーズ」、「ワールズ・エンド」とチェンジさせながら ロンドン・パンク・ムーブメントの拠点となっていったのじゃ!

 卑猥な文字が殴り書きされたり、セレブのお顔をおちょくったデザインがプリントされたTシャツ。 破れたジーンズの裂け目からレースをのぞかせたりしていたパンツ。 安全ピンやチェーンを無造作にとりつけたアクセントなどに代表されるように、振り返ってみるとパンク・ファッションとは既成ファッションの破壊プラスアルファ以上でも以下でもなかったと思う。 でも一度出来あがったもの破いたり汚したり茶化したりする一種の冒涜行為というものが、ファッション上でやるとたまらなく楽しい!ってことで若者を洗脳してしまったのがマルコム&ヴィヴィアンだったってわけじゃ。 まさに“パンク”そのものじゃ! 宗教哲学の世界では「全ては常識を疑うことから始まる」「全ての常識とは異端から始まる」と言われておるが、それを地でいったファッション・デザイナーともいえるじゃろう。
 
 パンクブームそのものは2〜3年で下火になったものの、マルコム&ヴィヴィアンの才能はパンクだけでは終わらんかった。 マルコムはマネージャー、プロデューサー(兼ミュージシャン)、映画製作者として多彩な才能を発揮し続けたのじゃ。 奇人変人、反体制詐欺師、観念肥大症などと悪評の絶えない問題児キャラだったが、「やはりマルコムがいなかったらパンクは生まれなかった」とロック界、ファッション界両方からの讃辞もまた絶えない存在じゃ。(2010年逝去)
 一方ヴィヴィアンは、1980年代になるとパンクフレーバーを残しながらイギリスのトラディショナル・ファッションへと深く切り込んでいく作品を生み続けて、徐々にファッション業界の表舞台へと才能を発揮。 やがてパリコレクション、ミラノコレクションといったファッション業界の頂点で堂々と活躍するようになり、ついには大英帝国より、2006年にファッションデザイナーとしての貢献によってデイム (DAME)の称号(“サー”の女性版)を授与されておる。 右の写真じゃが、先頭に立ってモデルを引率するオレンジヘアーのアナーキーなブッ飛んだオバサマはわしのヨメじゃ! ではのうて現代のヴィヴィアンのお姿じゃ!
 なお見出しに使ったフレーズ「良いことをするのは〜」は、マルコムの祖母が幼いマルコムに絶えず言い聞かせていたらしい言葉じゃ。


  ロック・ファッション・デザイナーの先駆者たちが、そろってご夫婦によるチームというのはチト意外じゃが、性別を越え、男女の感性の違いを越えた次元からロック・ファッションが生み出されていたと考えると、なかなか興味深い事実じゃな。 そう言えば、ロック・ファッションの原点ともいうべきテッズ・スタイルの元祖であるイギリスの王様エドワード7世じゃが、その奥様の王妃アレクサンドラもまた当時の女性ファッション・リーダーだったのじゃよ。 
 美しい髪を軽くカールして垂らしたり、髪を結い上げるのが流行すれば、宝石をちりばめたチョーカーをしたり、晩年に杖の代わりにパラソルを使用したり、それらは全て女性ファッションのオシャレ・アイコンとして庶民の話題になっておったそうな。 エドワード7世に負けず劣らずのオシャレっぷりじゃ。 お二人の夫婦仲はあまりよろしくなかったそうじゃが、ファッションという話題において知られざる精神交遊をしておったんじゃろうな〜。 
 こうやって起源を探ってみても、ロック・ファッションとは男性と女性とのコラボレーションが軸になっておるようじゃな。 それは既成のファッション概念を取っ払った自由な感性から生み出されるっちゅうことなんじゃろう。 
 そして現代でも、我々はそれを身近で享受出来ておるな! そう、The-Kingじゃ! えっ? The-Kingのボスに隠し妻がいたのか!?ってあのな〜そーいうオハナシをしとるのではない! The-Kingブランドが受け継いでおる「ロックファッション伝統の自由の精神」を受け止めて羽織れ!っちゅうことじゃ。 よろしいな、では新作ブルゾン8連発のお買物モードに戻るように!!
 


七鉄の酔眼雑記 〜英文がもっと読めたらな・・・

 ここんとこ、わしはコラムの中で結構愚痴っとることがある。 「日本語の書籍やサイトが少なくて・・・」というやつ。 これでも、毎回可能な限り調べて、自分の知識や記憶に間違いがないか、また新しい発見はないかとチェックしてから執筆しておるんじゃが、最近は何故か取り組むテーマに関する日本語の情報が足りないんじゃよ。 んで、これが英文ものになるとだな、見つけた数からしたら充分に存在する場合も多い。
 しかし残念ながらわしの英文読解力レベルでは、正確には解読出来んものが多い。 実際のところわしの英語力なんじゃが、会話なら長年の放浪期間で鍛えられた実践経験でなんとかなるが、英文読解力の方はというと、恐らく大学受験レベルには到達しておらんと思う。 数年前じゃったか、姪っ子が大学受験の猛勉強の最中に、一度英語の参考書を見せてもらったことがある。 結果、「英語の文章」であることは分かる、という以外はまったく解読出来なかったもんじゃ。 もっともその参考書は東京大学受験用の超ハイレベルものじゃったが・・・。 それでも音楽新聞の英文ならば、自分の推察も入れてそこそこ読める自信はあるものの、やはり専門書になると、いかにロックものとはいえよお分からんわ〜(涙)。

 そこで痛感しておるんじゃが、やはり外国で生まれた文化を徹底的に知るためには、現地で出版されたもの(洋書)を読みまくらないと、どうしても情報収集力に限界があるな、ということじゃ。 特に小説とは違って、本国で出版されるロック専門書の内で翻訳されるものはほんの一部であり、それも一冊につき3分の2ぐらいの翻訳量じゃ。
 自分のことを「ロック史研究家」などとエラソーに言うつもりはないが、「研究家のはしくれ」ではあるべきじゃ!と言い聞かせておるだけに、もう日本語書籍/サイトだけでは知識欲、研究欲がまったく満たされなくなってきておるんじゃな。 これは実際にすごいストレスじゃ!
 冷静に振り返ってみると、そのストレスはかつても感じていたのかもしれんが、レコード収集という行為で埋め合わせをしていた様な気がするな。 日本人のロックマニアがレコーディングやライブのデータといった数字に異様に強いのも、何だか分かるような気がするのお。 でも「研究者(のはしくれ)」であり続けるためには、わしの場合はいくらレコードを集めて聞きまくっても、知識欲は決して満たされないんじゃよ。 より多くの人の書いた物を読みまくり、それでも満たされない部分を更に追い求めるべきなのじゃ。 その為には日本語翻訳書籍だけでは到底まかないきれないんじゃな。 それを正確に自覚するのがあまりにも遅すぎたなあと猛反省をしとる次第じゃ。
 
 じゃあ、どうするか。 解決策はただひとつ。 もう一度英語を勉強し直して、洋書を読めるだけの英文読解力を身につけるしかないわな。 五十の手習い(四十じゃったかな?)とはいうものの、わしはもう○○歳じゃ。 既に亡くなっておる親父殿は、わしの少年時代から「英語だけはやっておけ!」と言っておったが、もしも今でも健在ならば「いい歳をして何考えてんだアホンダラ! 生涯にわたって人様に迷惑かけないだけの身入りのある事をやれっ!」と一喝するじゃろうか。 いやいやそれ以前に、今さら英語を勉強し直す根性などがわしに残っておるかどうか・・・。 同じようなストレスを感じておる輩は諸君の中にも結構おることじゃろう。 何か妙案をお持ちの方、是非ご伝授頂きたいところじゃが、そんな都合のいい方法は果たしてあるのじゃろうか!?
 


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