ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.139

 年明け間もないこの時期、The-Kingはさっそくイタリアン・カラーシャツというブランドの骨格を成すアイテムの新作を披露してくれたな。 何事も骨格、原点、基本が重要なのじゃ。 気合入っとるなボス! 相変わらずやるべき事のやるべき時期を心得ておるな!!
  さて、骨格、基本といえば、2012年からの3〜4年間というのは、ロックの歴史の原点を形成し、オールドロック・ファンなら絶対にスルー出来ない重要なバンドのセレブレーション・イヤーでもあるな。 そう、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスのイギリスの4大ロックバンドが次々とデビュー50周年を迎えるのじゃ。 最近はご高齢のロッカーも体調管理をしっかりとしており、とても60〜70歳とは思えぬ元気なお姿であるから、50周年という大きな節目の年には必ずや大きなアクションを起こしてくれるに違いないじゃろう! レコード会社先導で作られた程度の悪い編集アルバムなんかも出てしまうじゃろうが、わしらは何よりも現役として活躍してくれる彼らの雄姿を見たいのじゃ!

 今年はビートルズのデビュー50周年じゃ。 まだ日本のマスコミがあんまり騒いでおらんのが不思議じゃが、まずはポール・マッカートニーがさっそく新作を発表しおった。 題して「キス・オン・ザ・ボトム」。 エリック・クラプトンやスティービー・ワンダーが参加したという新曲2曲はさておき、アルバム全体が1930〜40年代、つまりロックンロールが生まれる前に世に出た超オールド・スタンダード・ナンバーのカヴァーで占められておる。 しかも大ヒット曲ではなくて、B級ナンバーばかりじゃ。 聞く前から「爺さんの盆栽づくりみたいなお遊び」と決めつけてかかっておる筋に対して、一発ドツイテやって、派手に全曲解説でもかましてもいいのじゃが、それよりもわしが強調したいのは、このオールド・スタンダードのB級カヴァー集ってのは、色々と調べてみるとロック史上初の試みだったてことじゃ。
 ポール・マッカートニーというミュージシャンは、美しいメロディーの数々によって名声を得ているように言われておる。 まるで大衆迎合主義の権化の様なイメージじゃが、ところがその一方では、ロック史上稀な「先駆者」「発案者」でもあることを、諸君も知らんじゃろうな。 ポールは旺盛な実験意欲、先進意識によってミュージシャン活動を続けてきたと言ってもいいのじゃ。 だから、ビートルズ・デビュー50周年と自身70歳というダブルセレブレーション・イヤーの2012年には必ず“何か”をかますに違いない!と密かに期待しておったが、やはり「ロック史上初!」をやってくれよった。 今回はポール・マッカートニーの衰えぬ先駆者精神に敬意を表して、彼がソロ活動においてロック史に刻してきた「ロック史上初の試み」の幾つかを紹介したい!



ジェームス・ポール・マッカートニー。
“世紀のメロディーメイカー”の名声に隠れた先駆者精神に注目せよ!

■一般的商品性を無視した完全プライベート・アルバム■
 

 
 ロックスターが世間の要求から大きく逸脱して、自由気ままに製作したソロアルバムを発表するなんてのは今では当たり前。 しかしポールは、そんなことは到底許されなかった今から42年も前にそれをやったんじゃ。 ビートルズ解散の直後、1970年4月に発表された初めてのソロ・アルバム「マッカートニー」じゃ。 自前の簡易スタジオにおいて、全ての楽器を一人で演奏。 オーバーダブまで自分でやった完全プライベート・アルバムじゃ。 曲として成立しておるものもあれば、楽器をいじくっているだけの曲もどき、中にはチューニングしているだけ?の効果音みたいなものまで、要するにスタジオで気ままに過ごしておる一部始終を録音しただけのラフ極まりない仕上がりじゃった。 もちろん、楽器のプレイミスなんかへっちゃら!でそのまんま状態。
 カンペキなビートルズ・サウンドに慣れきったファンからは非難轟々。 評論家連中は「スターの傲慢なお遊びアルバム」とコケ降ろしたもんじゃったな。 こういう作品が評価を受けるまで一体何十年かかったじゃろうか。 今では「ブートレッグ的魅力のある作品」「スターのストレス解消作品」「原点回帰作品」なんて評価のされ方をするのじゃろうが、そんな事をいうヤツは1970年当時には世界中で誰一人としていなかったじゃろう。 このわしも、最初に聞いた時はある意味で衝撃じゃったよ。 「これって正規盤か???」。
 苦楽を共にした敬愛するジョン・レノンはオノ・ヨーコさんの許へ。 心血を注いできたビートルズは崩壊。 大親友と生業(なりわい)を続けて失ったロックスターの、悲しみの真っ最中のスタジオ遊び・・・まあポール・マッカートニー信者にしか受け入れられない作品じゃった。 でも後々ライブの定番になる名曲「メイビー・アイム・アメイズド」「エブリーナイト」がしっかり初披露されているのは、さすがじゃ。

 
 
■パンクへ反旗を翻した唯一のオールド・ウエーブ■
 今となっては懐かしいが、70年代末期のロンドン・パンク・ブームは凄まじかった! どいつもこいつもツンツンヘアーに3コードギター。 起きてる者は親でも“使え”!じゃなくて“逆らえ!”。 あ〜やかましかった!(笑) パンクの爆発した直後にはエルヴィスも亡くなったし、ロックは一体どうなっってしまうのかと。
 ほとんどのビッグロッカーたちがこぞって沈黙する中、ポールは意外とも思えるアクションに出た。 パンク連中が「イギリスをぶっ潰せ!」「ロンドンを燃やせ!」とわめいている中、ポールはイギリス愛、ロンドン愛を全面に掲げた作品を発表した。 まずシングル「夢の旅人」でイギリス伝統楽器バグ・パイプを全面にフューチャーした民謡ポップス! さらにアルバム・カヴァーにロンドン名物ビッグベンをあしらった「ロンドン・タウン」を発表。 全編に渡ってイギリスの旧き良きポップスのテイストで完全アンチ・パンク路線を強調。 これがまたイギリスで異例の大ヒットとなって、チャートにおいてクソ生意気なパンク連中を凌駕してしまったのじゃ。 セックス・ピストルズのジョニー・ライドンは、「ケッ!このご時世におとなしくソファーに座って“ポップス”・マッカートニーかよっ」と吐き捨てたらしいが、パンク嫌いじゃった当時のわしにとっては、胸のすくようなポールの大活躍じゃったな。
 あの当時、ストーンズ、ザ・フー、ツェッペリン、バッド・カンパニー、ピンク・フロイドら、イギリスのビッグロッカーはパンクを傍観した反解散状態にあったが、慌てず騒がず、自らの得意技、必殺技で堂々とパンクに立ち向かったのはポール・マッカートニーただ一人じゃった。


■ビッグネームとの定期的な共演■ 

 新作「キス・オン・ザ・ボトム」ではエリック・クラプトンとスティービー・ワンダーが共演しておるが、こうした試みは1982年発表の「タッグ・オブ・ウォー」での同じくスティービー・ワンダーを迎えたのが最初じゃ。 当時は別々のレコード会社に所属してしているビッグネーム同士の共演は契約上難しかったものじゃが、ポールはそのハードルをロック史上初めてクリアしてみせた。 そして以降、マイケル・ジャクソン、エリック・スチュワート(元10CC)、エルビス・コステロと次々と共演。
 一部のファンからは「ポールだけのアルバムを聞きたいのに・・・」という声もあるにはあった。 しかし1980年の年末に精神的な支柱だったジョン・レノンに先立たれたことや、クラシックのソロ・ミュージシャンの多くが継続的な共演によって新境地に到達する事実に触発されて、ポールは共演の必要性を強く意識しながら才能に磨きをかけていったと言われておる。 これもまた最近では珍しくもなんともなく、セールス上の必須事項みたいになっておるが、ポールは純粋に創作上な理由によって定期的な共演という方法論を選んだのじゃ。


■オリジナルを凌駕する神業的なカヴァーのセンス■
  20世紀の最後に当たり、ポールはオールド・ロックン・ロールのカヴァー・アルバム「ラン・デヴィル・ラン」を発表しておる。 ジーン・ヴィンセントの「Blue Jean Bop」、エルヴィスの「All Shook Up」「Party」「I Got Stung」、ヴァイパーズの「No Other Baby」、カール・パーキンスの「Movie Magg」、リッキー・ネルソンの「Lonesome Town」等、どちらかというと通好みの選曲じゃった。

 わしが初めて「ポール・マッカートニー様、参りました!」とひざまづいたというか、ぐうの音も出ないほどノック・アウトされたのは実はこのアルバムだったんじゃ。 これはまったくの私論、個人的な感想なので、どうかご容赦を頂きたいのじゃが、正直なところ、ご容赦を頂きたいのじゃが、正直なところ、オリジナルよりもポール・ヴァージョンの方が断然ええんじゃよ。 そんなことフツーありえるか? まっさらで瑞々しい感性にブチこまれていたはずのオールド・ロックンロールが、オリジナルよりカヴァーの方がええなんつうことが!? これはわしにとっての史上初の大事件じゃったよ。 まあ諸君から袋叩きにあうことは承知じゃが、事実じゃから仕方がない。 ワケ?わしもわからん・・・。 わしがオリジナルを初めてきいた時の感性と、ポールのその時の感性が、偶然にも極めて近かった、としか言いようがない。 考えてみれば、ポール・マッカートニーのロッカーとしての魅力ってのは、あんなスゴイ才能を持った者が、ある時、ある曲、あるフレーズによっては、突然身近に感じて親友のように思える瞬間が訪れるところなのかもしれんな。
 そして、ポールの歌唱力のみならず、演奏もすさまじい。 久しぶりに、わしの大好きなビートルズ時代のトレードマークだったカール・ヘフナーのベースがうなりまくり、ギターのデイヴ・ギルモア(ピンク・フロイド)、ドラムスのイアン・ペイス(ディープ・パープル)らも大暴れ! まさにオールド・ロックンロールのオリジナルを時の彼方へ吹っ飛ばしてしまったような熱演じゃ。


■栄光のビートルズ時代と遜色のないソロ時代の輝き■

 キャリアが長くて現役にこだわるミュージシャンは、概してライブでの懐メロ大会を拒否するものじゃ。 じゃが多くのファンが望んでいるのはかつての大ヒットナンバーなので、彼らは仕方なく初っ端とアンコールを含めた終演間際で2〜3曲づつやってみせたりするもんじゃ。 またライブの途中でのヒット曲の挿入のタイミングなんかにも、みんな一様に苦労しておるようじゃ。
 ところがポールはライブの全編にわたってビートルズ・ナンバーを散りばめ、時には大掛かりなメロディーまでやってみせる。 事前にそのセットリストを見たりすると、「ビートルズ・ナンバー以外では盛り下がってしまうのでは?」とか余計な心配をしてしまうもんじゃ。 しかし実際にライブを体験するとだな、スタートからラストまでただただ盛り上がりっぱなしになるから恐れ入る。 これは一体どういうことなのか?
 要するにビートルズ時代に書かれた名曲も、本質的にはポールが唄いさえすれば他のメンバーは誰でもいいのじゃ。 ビートルズではなくて、ポールの作品なのじゃ。 そして名曲のレベルがビートルズ時代もソロ時代もまったく同じハイテンションであるということなのじゃ。 ビートルズという冠の有無は、一般的な評価には違いが出てくるものの、実質的にはポールの書いた名曲にはビートルズ・フレーバーはもはや必要なし。 まただからこそ、ビートルズ時代の曲も決して「懐メロ」にならないのじゃ。
 こうした過去と現在とを違和感なく混在させ、まるで巻紙に書かれた手紙を読む様にスムーズに展開するライブというのは、わしはポールの他に観たことがない。 そこには演劇のような緻密な計算と仕掛けが間違いなく潜んでおるに違いない。 ポールを讃える称号のひとつに「3分間のマエストロ」(3分間ポップスの巨匠)ってのがあるが、3分間どころか、長時間のライブを指揮できるロックンロール・コンダクター(ロック指揮者)でもあるのじゃ。




七鉄の酔眼雑記
 〜〜我が愛読のNME誌よ、どうした!?

 昨年末にアメリカの音楽誌ローリング・ストーン(RS)誌が「偉大なるギタリスト・ベスト100」ってのを発表し、わしも七鉄コラムで取り上げさせてもろうたが、今度は年明け早々、イギリスのニュー・ミュージック・エクスプレス(NME)誌から「もっとも偉大なギターソロ50」てのが発表されたぞ。 おいおい! ミュージシャンでもなく、楽曲でもなく、ギターソロって・・・。 ギターソロってのは楽曲の一部分であり、それだけ聞いても際立ないフレーズだってあるのじゃ。 それをランキングするって、正気かいな?と呆れてしもうたが、やっぱり気にはなるのでチェックはした。 詳細は下記のHPでご確認あれ。 http://www.nme.com/list/50-greatest-guitar-solos/255704/page/5

 ガンズン・ローゼスのナンバーが1位、名前も知らんバンドが4位、ニルヴァーナが6位、チャック・ベリーの「Johnny B. Goode 」が8位って、もうこの時点でワケワカンナイっつうか、50位までチェックする気も失せてきそうじゃな。 エルヴィスのナンバーもなければ、コクラン、ヴィンセントのナンバーもどこまでランクを下っていっても見当たらん・・・ん?・・・ま、まてよぉ〜ギターソロなんてパターンが楽曲の中で定着したのは60年代後半からじゃから、フィフティーズ・ロックがあるはずもないわい!
 上記HPにはランキング表記ごとにギターソロを聞ける動画までリンクされており、しかもご丁寧にギターソロの部分だけ抜粋された編集がほどこされておる。 こんなん観ながらチェックしとったらますます支離滅裂になってくるわい。 誰を対象に、何を基準に投票された結果なのかも、さっぱり分からんようなる。 おかしな比喩かもしれんが、ライオン、トラ、豹、ワニ、シャチ、大蛇、大トカゲ等、陸生、水生を問わずに地球上のあらゆる獰猛な肉食生物の弱肉強食の動画をみせられて、「さあ、どれが一番強いかな〜?」とか問われておるようなもんじゃ。 何だか音楽の本質を分かっていない、一昔前の低レベルな日本の音楽雑誌の企画みたいじゃな。 あんまりにも無意味なんで、一部のマネージメント側からのおまんじゅう(賄賂)でも暗躍しているんじゃないか?とさえ勘ぐってしまったわい。 ローリング・ストーン誌のランキングへの対抗意識から生まれた苦し紛れの企画じゃろう、これは。 NME誌よ、一体どうしたというのだ!

 わしは90年代半ばまではRS誌やらNME誌やら英米のロック誌をようチェックしておった。 イギリス産のロックとアメリカ産のロックには大きな違い、隔たりがあったことと同様に、英米の音楽誌、特にそれぞれの代表であるNME誌とRS誌にも編集方針の列記とした相違点があったもんじゃ。 NME誌はタブロイド版時代のノリというか、ロックシーンにおける日々のニュースの報道に主眼がおかれておった。 「あのロッカーがこの前どこそこであんなもん食っとった」ってな些細な事から、「どうやら新作のレコーディングに入った模様」といった貴重な情報まで、いろんな角度からファンの期待感、想像力を想起させる様なネタが満載じゃった。
 対するRS誌の方は、ロックを新しいアートとして取り扱おうとする姿勢が顕著であり、インタビューにしろ、アルバムレビューにしろ、じっくりと読ませる記事がメインの文化雑誌じゃった。 両紙の特色は長年維持されており、それは単なる編集方針ではなくて、それぞれのロック・ジャーナリズムとしての矜持(自信と誇りの証)じゃったと思う。
 21世紀になってからは、情報のスピードを命としていたNME誌の方は、社会のネット化の煽りを食って従来の存在価値が低下してきて迷路に入り込んでしまったようじゃな。 だからあんな“らしくない”企画を年初にかましてしまうのじゃろう。ランキングHPにアクセスされたFACEBOOKやTWITTERによる世界中からのたくさんのコメントはあたかもそれを証明しておるようじゃ。 自分のオキニのランクが低かったり、ランキングしていないことへの憤りはもとより、「この結果冗談かい?」「こんな曲知らねーぞ」「選んだヤツはここ15年ぐらいのロック聴いてねーだろう」とかなんとか、納得できないというよりも、企画自体を疑問視する声が実に多い。
 わしも一発キョーレツなコメントを送りつけてやりたいところじゃったが、NME誌には公私にわたってかつては大変お世話になったんで、今回はこの場限りで留めておくことにした。


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