ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.138

 2012年 A HAPPY NEW YEAR !  今年もThe-King並びにこの七鉄をよろしくじゃ! 年末からお正月にかけて、わしはかつて旅の道中で知り合い、お里帰り中の友人とよく飲んでおった。 彼はロンドン帰りでな。 しかも羨ましいことに帰国直前に、ロンドンのキングス・ストリートでテリー・オニールという有名な写真家の展覧会に行った自慢話を聞かされた! テリー・オニールといえば、映画界、ロック界のセレブたちを誰よりも上品に撮影することで名高い写真家じゃ。 そんな展覧会がクリスマス&ニューイヤー・シーズンにあわせて開催されるとは、やっぱり欧米は違うのお〜と少々溜息が出てしもうた。 またそんな土産話持参で一時帰国できる友人が羨ましい〜。 そんなきっかけもあって久しぶりにロッカーとその写真について思いを馳せる新年の幕開けとなった。 

 ロック史を振り返ってみると、有名なカメラマンっていうのは「徹底的随行型カメラマン」か「ロック門外漢型カメラマン」かの両極端なタイプに大別出来ると思う。 「徹底的随行型」とは、ロッカーの公私に亘ってぴったりと張り付き、あたかもロッカーの顔のシワのひとつひとつまで、撮影してしまうようなタイプじゃ。 一方「ロック門外漢型」とは、元々ロックなんてもんには知識も興味もぜ〜んぜん無かったが、被写体となったロッカーに美意識をかき立てられてしまい、その結果として希有なショットを成立させてしまうタイプじゃ。 カメラマンとしては前者は一種の「報道家」、後者は「芸術家」と定義出来るかもしれんが、どっこい!そんな定義だけではくくり切れない魅力溢れるショットを残した者だけが我々ロックファンの心の中にその名を刻しておるのじゃ
 今回はロッカーの音楽やファッションと同等といえるほど、我々のロックライフを彩ってくれた数々のロック写真を残してくれた名カメラマンを紹介してみたい。 彼らの活躍があったからこそ、ロックスターたちはどんどん垢ぬけしていき、それと比例してファンの数も膨れ上がっていったことで、悪魔の音楽と言われたロックは市民権を得るためにステップを昇っていくことができたのじゃ。 そしてThe-Kingアイテムを筆頭とする様々な歴史的なロック・ファッション、ロック・アイテムのリニューアル・ヴァージョンもまた、名カメラマンの名ショットが重要な参考マテリアルになって現代に蘇っておるのじゃ!
  (写真上=テリー・オニール撮影のビートルズ、右は同じくローリング・ストーンズ)

ロック・ジャーナリズムを牽引した、歴史的名カメラマン・セレクション


■ テリー・オニール ■


 まず冒頭でご紹介したこの方から。 テリー氏は典型的な「ロック門外漢型」じゃ。 元々ロンドン・ヒースロー空港の宣伝部かなんかがお仕事場。 空港内のロビーで眠っとる人をたまたま撮影したら、それが何と!政府の高官じゃったってことで有名になったらしい。 やがてヨーロッパのセレブたちの撮影を担うようになり、ついには1960年代中期にイギリスで巻き起こった、ロックとファッションとが合体した大ブーム「スゥインギング・ロンドン」の内幕の撮影を許可されるという異例!の出世を遂げることになったんじゃ。
 「超一流には超一流にしかないオーラがある」と言ったかどうかは知らんが、テリー氏の被写体はいわゆる超一流ばっかり。 当時のロックならビートルズとストーンズ。 後にデヴィッド・ボウイ、エリック・クラプトン。 映画ならオードリー・ヘップバーン、ブリジッド・バルドーなんか。 奥様も大女優のフェイ・ダナウェイじゃ。
 概してヨーロッパ系のアーティストたちがお好みのようであり、彼のショットは「人物写真」と言うよりも、被写体自体を一個の芸術品としてとらえたような“静止美”に溢れておる。 それは躍動美に主眼が置かれたロック写真に見慣れたファンには一種の衝撃じゃったな。 わしは彼の写真の真価が理解出来るようになるまでは結構時間がかかったもんじゃ。 ロッカーといえども、やはりセレブには憧れが強いらしく、テリー・オニールの被写体に選ばれることがロック界での大きなステイタスだった時代もあった。 
(左上写真=フランク・シナトラ、右=エリック・クラプトン)
 余談じゃが、ポール・マッカートニーの亡き前妻リンダは元々カメラマンであり、テリー・オニールの熱烈な傾倒者。彼女が生前残した唯一の作品集「60’s(シックスティーズ) 伝説のロック・アーティスト」は、見事なまでにテリー・イズムじゃった。 隠れたロック写真集の名作じゃ。



■アルフレッド ワートハイマー&エド・ボンジャ
 言わずと知れた!エルヴィスの写真集で超有名なお二人。 アルフレッドは「ロック門外漢型」で作品はエルヴィス・メジャーデビュー直後の「エルヴィス・プレスリー21歳の肖像」。 対するエドは「徹底的随行型」で作品はエルヴィス大黄金期の「ビバ!エルヴィス」。 カメラマンとしてのタイプも、作品の真価もまったく両極端なこの二人、優劣を云々するのはくだらんことじゃな! エルヴィスを扱った写真集は多々あるものの、記録としての資料的な価値、写真としての芸術性、膨大なファンの願望を叶えるエンターテイメント性、時代背景まで捉えた複合価値など、写真集の存在意義の全てをクリアしてあまりあるのはやはりこの2冊じゃろうな。
 アルフレッド氏は「撮影を指示されるまで、エルヴィスにもロックにも興味がなかった」と語っておるが、それってホンマかいな!? やがて世界を震撼させる若きキング・オブ・ロックンロールの比類なき魅力が、アルフレッド氏のカメラマンとしての才能を引き出した!ってとこか。 「エルヴィス・プレスリー21歳の肖像」は、日本では1981年に「エルヴィス、21歳―私はひとりの若者を撮った」のタイトルで初めてお目見えしたが、本国アメリカでは相当数の写真が既に発表されていたに違いない。 特にオフショットの多彩で自然なアングルは素晴らしく、70年代に発表されておった他のロッカーのオフショットなんかは、アルフレッド・アングルのコピーが実に多いのじゃ。 ロッカーの写真、アングルの先駆的ショットばかりじゃ!
 
 一方エド氏じゃが、パーカー大佐の近親者でありコンサート・マネージャーでもあったな。 「ええかエドやん、ぎょうさん写真撮っときい〜! んでもって、あとでガッツリ儲けるんじゃい!」ってな指示が大佐から当然あったじゃろう。 「ビバ!エルヴィス」のてんこ盛り、闘魂盛り状態にはちょっと・・・。 
 じゃが、ステージでの全身ショットはまさにキング・オブ・ロックンロール! 同時期、ロック界はコンサートが巨大化してイベント性が派手になり、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンらのビッグロッカーたちはまるで「超巨大なヒーロー」みたいな売り出され方で、それに相応しいショットも数多くあった。 じゃがエルヴィスのコレを見たら、他はちゃんちゃらオコチャマじゃったわい! ジャンプスーツが似合うのはこの世でエルヴィスだけ。ジャンプスーツのエルヴィスを撮って然るべきはエド・ボンジャだけ! そう言わせるだけの絶世のアングルの数々じゃ。


■ヘンリー・ディルツ、ジム・マーシャル&ボブ・グルーエン 
 
 ロックサウンドとロッカーのファッションが激しく変貌を遂げたのは、PAがお目見えし、ドラッグが広まり、ジミ・ヘンドリックスが登場した60年代後半じゃ。 ポップス(&ポップスター)との境界線がはっきりと引かれ、ロックンロールとロック・ファッションは西側諸国における最新鋭のアートになったわけじゃ。
 そして俄然垢ぬけてクールになった若きロッカーたちの姿を撮影しまくって、我々ファンにロックの世界への憧憬と幻想を駆り立てたカメラマンがこの3人じゃ。 60年代後半から70年代いっぱいまでのロック関連の写真は、彼らの独壇場じゃったな。 実際、カッコええ〜っつってシビレタ写真のほとんどは彼らの手による写真じゃったよ。 では3人の横顔を紹介しておこう。

 まずヘンリー・ディルツ。 元々はモダン・フォーク・カルテットなるフォーク・ロックバンドのメンバーじゃったが、やがて趣味で撮影していたロッカーの写真が話題を呼ぶことになり、カメラマンに転身。 ウッドストックやモンタレー・ポップ・フェスティバルの公式カメラマンに抜擢された後、ドアーズの作品「モリソン・ホテル」の撮影で一躍名を上げ、一気にロックシーンの内側に食い込みに成功! 彼が撮影したジャケット写真の名作は数知れず! またオフショットのさりげないポーズからロッカーの実像を表現する名手じゃったので、数多くのロッカーから“Buddy”(親友、相棒の意味)と呼ばれて信頼されておった。 現在二ューヨークのソーホーで「モリソン・ホテル・ギャラリー」というロック写真専門のギャラリーを経営しており、他のフォトグラファーと組んで、貴重な作品をこれでもか!と発表する特別展示会は毎回ファン垂涎じゃ。 一時期日本での「モリソン・ホテル・ギャラリー」の常設館のオープンが噂されて期待に胸を膨らませたものじゃが、残念ながらお流れになったようじゃ。

 次にジム・マーシャル。 ロック界で初めて「随行カメラマン」としての権利を獲得したと言われる押しの強いキャラで有名。 四六時中つきまとうカメラマンなんてウザったくて仕方ない!というロッカーの固定観念を吹き飛ばし、「いいからオレに自由に撮らせろ! 必ずオマエをスターにしてやるぜ」と、スターに対してもゼッタイにへーコラしない態度でもって名ショットを数多く残した。 アメリカ最大手の音楽誌「ローリング・ストーン」の優れた表紙写真など、ファインアートとコマーシャルアートとの両方の魅力を兼ね備えたショットばかりじゃ。
 幾多のロッカーと同様、一時期ドラッグ中毒、アルコール中毒になってもうて、何度か生死の境を彷徨った無頼派カメラマンじゃったが、その都度復活してシャッターを切り続けたものの、昨年逝去。

 そしてボブ・グルーエン。 「NEW YORK CITY」とプリントされたTシャツを着たジョン・レノンのあまりにも有名な1枚を撮ったことで、以降ジョン・レノンお抱えカメラマンとなる。 ジム・マーシャルとは正反対の温厚なキャラのようで、3人の中ではもっとも幅広いタイプのロッカーと懇意の様子じゃ。 その為に作品数も膨大じゃ。
 わしはかつての仕事柄、一度ボブちゃんに会い、ボツのショットまで拝見したことがあるが、なんだかロッカーにむけて四六時中ビデオカメラを回しているようなものばかりで、カメラマンとしての腕がいいのか悪いのか、なんだかよく分からんようになったな。 シャッター音の多さで被写体の緊張感や過度のポーズを和らげることのできる、珍しいタイプのカメラマンなのかもしれん。 それもこれも、やはりお人柄なんじゃろうか。 ご本人のお顔も、芸術家というより、世話役人といった感じじゃ。 とかばかり言っておるとカメラマンとしての才能よりも人格によって得したように聞こえてしまうが、わしはそれもまたひとつのアーティストとしての才能だと思っておる。 他のカメラマンが羨むほどの撮影の機会を与えられ、しかも数多くのビッグ・ロッカーのパブリック・イメージを作り上げる作品を残しておるのじゃ。 それをもたらした人格こそ、ボブ・グルーエンの才能というものじゃ。ロカッツなんかも撮影しとるど。 


■番外編〜マイケル・クーパー■
 
余談としてもう一人、若くして夭折した幻の名ロック・カメラマン、マイケル・クーパーもご紹介しておこう。 ビートルズの名作「サージェント・ペパー」のジャケット撮影者として有名じゃ。 ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーら、当時のビッグ・ロッカーの懐に見事に入り込み、正式なフォトセッションではなくて、オフタイムのショットやレコーディング風景のショットなど、彼らの素の部分を美しく、クールに撮りまくっておった。 
 エルヴィスのオフタイム・ショット、アルフレッド・アートハイマーの作品がまだおおっぴらに公表されていなかったこともあり、ロッカーのいわゆるカッコイイ〜オフタイム・ショットで名を上げた最初のカメラマンじゃろう。 前述のヘンリー・ディルツや、ジム・マーシャルは明らかにマイケルの影響を受けているじゃろう。 ただしマイケルのオフショットのスゴサは、ビッグ・ロッカーたるものはオフタイムであっても常人を寄せ付けない様なバリア(オーラではない) を擁しておることを克明にとらえており、やはり彼らが別次元で生きている選ばれし者であることを物語っておった。 その詳細は全世界5000部限定で出版されたオリジナル・プリント写真集「Blinds And Shutters」において拝むことが出来る。 現在amazonで何と80,000円の高値で出品されておる。

 欧米ロッカーの来日公演など珍しく、映像作品も極僅かじゃったわしらの青年時代、我々日本人ファンとロックスターとの距離は限りなく遠かった。 だからこそ、ロックスターの写真1枚は、たとえピンボケしていようとも、その価値はもう絶大だったもんじゃ。
 反対にその弊害とでもいうべきなのは、写真そのものの芸術的完成度とかカメラマンの力量を計る物差しってのが、正直なところ、わしらはの世代はどうも欠如しておる気がするな。 だってゲージュツテキか?なんてことはハナから眼中になかった。 ファッションの細部の細部まで、楽器の弾き方や持ち方、煙草の吸い方、酒の飲み方、女性の抱き寄せ方!などなど、1枚の写真の中から無数の宝探しをやっとったからじゃ。 まあわしらのロック写真の分析力、鑑識力ってもんは、ケーサツの犯罪証拠写真のそれよりも優れていたに違いない! まさに“穴が空くまで”飽きることなくチェックしとったからな〜。 だから、今回ご紹介したカメラマン諸氏には絶大なる感謝の念があるのじゃ。 1枚のレコードと同様に、1枚の写真の価値は限りなく重かったのじゃ〜。
 そして、ロック写真の中に潜む我々にとっての黄金律を今でも探し求め、それを製品として具現化しておる男がおる。 何を隠そう、The-Kingのボスじゃよ。 古いロック写真の中に詰まっておる永遠のロック・スピリッツを現代に再現するべく、ボスは常に膨大なロック写真をチェックしておる。 その熱意、執念が、諸君のロックライフを豊かにするThe-Kingアイテムを生み出しておるのじゃ。 そのことを今一度強調して、2012年冒頭のコラムの〆としたい! 
 


七鉄の酔眼雑記 〜おバカな七鉄が風邪ひいた!?

 正月早々チョイとばかりダウン。 風邪をひいてしもうたわな〜。 風邪なんかひくのは実に4年ぶりぐらいじゃよ。 「バカは風邪ひかない!」とからかわれようが、わしは滅多に風邪をひかない事を密かに誇りにしておったもんじゃ。 毎日帰宅後の丁寧なうがいと、おそらくユーラシア大陸放浪期間中に様々な免疫が出来たことがその要因じゃと思う。 ところが年末年始の飲み会も含めて、ほとんど毎日長時間の外出をしていたらついにやられてしもうた。 例年よりも気温も低く、風が強かったせいもあるんじゃろうが、情けない。 実に情けない。 しゃーない。 今年一年の厄払いと考えよう。 何事もポジティブに前向きに考えんとな!
 しかしその昔「風邪やーね」ってCMがあったが、ホンマ風邪って嫌じゃ。 なんつっても酒もメシもマズイ。 かかり始めに常備薬を飲んだので大事には至らんかったものの、久しぶりの服用の風邪薬が効き過ぎて、もう眠くて眠くて仕方ない。 心のどこかで「また近い将来放浪を〜」なんて目論んでおる男が風邪なんてひいてどうする! 喝だ喝!!
 考えてみれば、日本に本帰国以来、少しづつ身体がヤワになってきたわい。 それは老化現象ってものなのかもしれんが、海外への小旅行に出ると、それを痛感するな。 現地の水を飲んだり、和食とはかけ離れた現地料理を大量に食べるとすぐに腹を下してしまう。 日本と気温が激しく違うと、熱い、寒いにかかわわらず、思考能力も行動力も鈍くなって正常に戻るまでに時間を要してしまう。 年々この兆候が顕著なんじゃな。 放浪期間中に心身を鍛えられたはずなのに、最近は放浪以前の完全日本人体質に逆戻りしてしまったようじゃ。 薄々それに勘付いていたところに、今回の風邪じゃ。 認めたくない事実を決定的に突き付けられてしまった。 いかんな〜これでは。 まあ花粉症とか過労によるストレスといった日本人の国民病とはまったく無縁なんで、それは救いじゃがの〜。

 風邪薬のためか、アタマがボワ〜ンとして自室で過ごしていたある時、何故だか突然に若大将の加山雄三さんがエルヴィスに会った時のエピソードを思い出した。 加山さんはエルヴィスがステージを終えた直後に楽屋で会ったらしいのじゃが、エルヴィスはステージで着用していたジャンプスーツを脱ぐことなく、全身汗だくのまま加山さんの訪問に応対していたという。 「着替えていらしたらいかがですか?」と加山さんが気を遣うと、エルヴィスはこう言ったという。 「いやいや、このままでいいんだ。 ステージ終了直後にシャワーを浴びて着替えたりすると、体温が急激に下がって体調を壊してしまう。 急激に上がった体温は徐々に下げていくのがいいんだよ」と。 いつでも世界最高級の食事を摂る事が出来て、最新の医療を受けることのできるエルヴィスほどの人物が、こんなにも細かい体調管理をしているのか!と加山さんは驚いたらしい。 そして「それがプロってもんだ。 プロとは己を知ってコンディションの調整を怠らず、最高の仕事をすること」と言っておった。
 う〜ん。 世界最高級の食事とも医療とも縁のないわしが、いかに放浪で鍛えられたとはいえども、時の流れに任せて体調管理に何の対策を講じていなけりゃ、そりゃあ風邪のひとつやふたつひいてもしょうがないよの〜。 と反省しながら、ジャンプスーツのエルヴィスが踊りまくっておる上記エド・ボンジャの写真集「ビバ!エルヴィス」を久しぶりに拝見! 体調が良かろうが悪かろうが、やはり戻ってくるトコはここか!結局風邪はひいたが、決して悪くはないお正月気分ではあった。 さあ早くいつもの調子を取り戻すぞ!


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