ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.137


2012年はジミ・ヘンドリックス生誕70周年
その偉大過ぎる音楽世界を知るための基礎講座 
Volume 1


「僕にもいいフレーズがある。 ジェフにもいいフレーズがある。 
でも二人が束になってもジミには勝てない」
 by エリック・クラプトン

「ジミはツェッペリンを褒めてくれたんだぜ。 
 信じられなかったよ」 
by ジミー・ペイジ

「オレとジミにはひとつだけ共通点がある。 次に何をやるか
誰も分からないってことだ」 
by マイルス・デイビス


 ロックンロール・コートの四連打! シ・ビ・レ・マ・シ・タなあ〜The-King殿。 もうこれでロッカーとしてのウインター・ファッションはカンペキじゃ! 大寒波でも大雪でも何でも来やがれ〜ってんだ。 あとはこのコーナーで2011年の〆にあたり、何をかますかじゃ。 あ〜したグレイトなブツをかまされた後じゃと、早々には相応しい超ビッグなネタってのは見つからんもんじゃが、そうなるとやはり“これ”でいくしかないじゃろう。 というか、そうしないとロックの神様からドツかれてしまいそうじゃな。 来年は永遠のギター・キングであるジミ・ヘンドリックの生誕70周年。 エルヴィスと並ぶこのロック史上最大の偉人について、歳月の節目を前にしてロックライターのはしくれとしては何かを語っておかんと、無事に年越しして「70周年」なる2012年を迎えられないような気がしてのお〜。

 正直申すとだな、わしは今までジミ・ヘンドリックスについて、あんまり書いたことがないんじゃ。 つうか“書けない”んじゃよ。 あの凄まじい音楽をわし自身の言葉で表現することがどうしても出来ないんじゃ。 諸君の中にもおるじゃろう?「ジミヘンってスゲーのは分かるけど、何がどうスゲーのかワケワカラン」って方が。 わしもまったく同じじゃ。 まさか、どっかのプロ野球球団の新監督みたいに「熱いぜ!ジミヘン!!」なんて言ったら、脳ミソ足りないことを暴露するようなもんじゃ!?
 でも居直ってしまえば、ジミ・ヘンドリックスについて正鵠を射た解説文って、日本人が書いたものではあんまりお見受けしたことがないぞ。 しかも音楽評論家よりも同業者からの専門的なコメントが多くて、リスナーには何だかよく判らないものが多かったな。 だからなのか、キング・オブ・デルタブルースのロバート・ジョンソンと同様に、ジミ・ヘンドリックスの存在は、こと日本においてはいまだに実質は超カルト・ギタリストじゃよ。
 こうした状況を前にしてわしが語れることとは、まずジミ・ヘンドリックスに対するこびり付いてしまった「負の固定観念」を、薄皮をはがすように丁寧に取り除いていくことだけじゃ。 そうやって僅かながらも「ジミ・ヘンドリックスの真実」へと諸君をご案内することじゃ。 おぼろげながら「真実」の一端でも見えて来たならば嬉しい。 先述した通り、その先の「真実」はどうしてもわしの乏しい筆力では書けないので、諸君一人ひとりが自由にジミ・ヘンドリックスを感じ取ってほしい。 願わくば、それが「新しい音楽との幸運な出会い」になることを!



■■ ジミ・ヘンドリックスに対する先入観払拭編 ■■

■ Point-1 ジミは断じてヤク中ではないぞバカモノ! 

 
 何がバカモノ!なのかよぉ分からんが、何故だか最初にそうかましておきたいのじゃ。 60年代後半サイケデリックの時代に活躍したミュージシャンを十把一絡げに「ヤク中」として、とりわけジミをその代表格にしたがる風潮が今も強いことにモノ申しておきたいのじゃ、どうしても。 そうした誤解こそがジミのサウンドを理解する上での最大の障害になっておるからじゃ。
 その昔ジミを好きになれないロックファンはよく言っておった。 「スゴイスゴイっつったって、所詮ドラッグ・ミュージックだろう?」とな。 もちろんあの時代に活躍した連中の大半はドラッグ体験者ではあるが、後世に残る優れた功績を残した者は皆が早めにドラッグとは手を切っておる。 特にジミの場合、それはライブ映像を見れば一目瞭然じゃ! 目は決してトンではおらんし、アクションも計算されたものであり、何よりもギタープレイと真摯に向き合っておるのがよぉ〜く分かる!
 
 
■ Point-2 その存在、登場は決して突然変異ではない!

 ジミ・ヘンドリックがデビューした60年代後半は、日本の歴史に例えるならば戦国時代か幕末/明治維新の如く、歴史に残る数多くの名ロッカーが続々と出現した。 その中でもジミ・ヘンドリックスは飛び抜けた才能の持ち主じゃった。 そんなジミのことを人は「宇宙人だ」「狂人だ」「モンスターだ」と、まるで地球に降り立った異星人か核爆弾によって突如巨大化した怪獣かのように評しておった。 まあそれだけ空前絶後のギタリストだったのじゃ。
 しかしそのプレイは“絶対的なオリジナル・スタイル”“完全アヴァンギャルド”ではなくて、ブルース、カントリー、ジャズといったきちんとした下地の上に成立しておる。 実際にオールドロックンロールや先輩ミュージシャンのカヴァー演奏も数多い。 ただし、そのカヴァーのやり方が“原曲の良さを維持しながら、新しいダイナミズムを注入して別の曲に仕立て上げる”っつう、およそ通常の音楽理論や感性では到達できない次元でやり切ってしまうのじゃ。 耳がいいとか、感性が豊かとか、ギターがベラボウに上手いとか、そんなレベルではなくて、音楽の“聞こえ方”が、いや、見えている現実が常人とは違うとしか言いようのないカヴァーの仕方なのじゃ。 かつてボブ・ディランは自らの作品「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」のジミのカヴァーを聞いた時、「この曲の権利の半分は既にジミのものだよ・・・」とタ・メ・イ・キをついたらしい。 


■ Point-3 美曲、名曲を越えた「超曲」こそ真骨頂 
 
 その昔、わしの知人の音楽評論家くんがこんなコトをぬかしておった。 「ジミヘンってさあ、名曲が無いんだよねえ」と。 わしはヤツの後頭部を思いっきりハリセンでひっぱたいてやろうかと思ったもんじゃ。 例えば、エリック・クラプトンには「愛しのレイラ」、ジェフ・ベックには「哀しみの恋人たち」、ジミー・ペイジには「天国への階段」といった、一般大衆受けする美曲がある。 また、リッチ―・ブラックモアには「ハイウェイ・スター」、マイケル・シェンカーには「ロック・ボトム」といった全ハードロックファンを一発でノックアウトする明快なスピード・ソングがある。 日本で人気が爆発するギタリストにはこのどっちかが必要不可欠なんじゃが、確かにジミ・ヘンドリックスにはそれらは無い。 しかし世に言われる「名曲」「美曲」ってのは、いわば優れた音楽商品じゃ。 ジミ・ヘンドリックスの楽曲は商品ではなく、「自由な精神のアイコン」なのじゃ。
 ギターテクは凡人がコピーしたら支離滅裂になった挙句に指10本複雑骨折間違い無し!?のまさに“超絶”の域じゃ。 ギターサウンドは騒音、雑音の洪水と紙一重!? もうギターを弾いているのではなくて、ギターを強姦して絶叫させているといった曲まである。 表現者、芸術家ならば誰もが羨望する、何物にも束縛されない、何人(なんぴと)も到達出来ない、空前絶後の自由奔放なる表現の極みなのじゃ。 要するに、名曲とかスピード・ロックといった範疇を遥かに超越した次元にジミ・ヘンドリックス・サウンドはある。 聴衆をうっとりさせたり、涙させたり、扇動したり出来るのが名曲ならば、ジミの楽曲は「超曲」じゃ!


■ Point-4 粗製乱造だったディスコグラフィーも、今は昔

 
ジミの名声が相応のスケールで日本に伝わるようになったのは1973〜4年代頃。 本人は既にこの世になく、運悪く収録テイクのクオリティが不安定な未発表曲集/ライブ集が乱発されまくり始めた頃じゃった。 遺産乱用、粗製乱造真っ盛りじゃった。 だから随分と多くの初心者が名盤とは言い難い作品を最初につかまされてしまった事は容易に想像出来る。
 当時既にLP1枚2200〜2500円。 今の貨幣価値からすれば数千円ぐらいの高値のブツに満足出来なければ、そりゃ〜その後は無いも同然じゃな。 そして今でもそうしたイメージが根強く、初心者が気軽にトライしにくいようなのじゃ。 しかし現在のラインナップは随分と精査されており、新しい編集盤も完成度が高いものが多い。 デジタル・リマスターのパターンから選曲や曲の配列に至るまで、最善の配慮がなされているものが多い。
 それはロック・ジャケット鑑識家を自負する!?わしから言えば、ジャケットを見れば分かる! ジミ・ヘンドリックスに敬意を表して、その偉大なる遺産を丁寧に取り扱っておる姿勢が滲み出ておるのじゃ。 どっかの無名の画家が描いたヘタクソな肖像画ではなく、使用写真を精査して、魂を蘇らせるような素晴らしいCG技術によるジャケットが多い。 わしが保障しよう!



■■ 初心者に最適の作品2タイトル ■■

では、ジミ・ヘンドリックス初心者に対して、是非ともしゃぶり尽くすぐらいに体験して頂きたいDVDとCDを1枚づつ紹介してしんぜよう。 まずはこの2枚だけで充分じゃ! 

■Point-5 とにもかくにも、モンタレー・ポップフェスティバル!

 まずは映画化された作品「モンタレー・ポップフェスティバル」から入ってくれ! 1967年6月18日に開催された、この歴史的音楽フェスティヴァルのトリとしてジミ・ヘンドリックスは登場! このステージはジミのアメリカでのデビュー戦でもあり、テンションは大爆発! ギターを背中に回して弾くわ、歯で弾くわ、火を付けるわ、ほどなくしてジミをメジャーシーンへ押し上げたスーパー・アクションを余すことなく堪能できるステージじゃ。
 最初は唖然、茫然じゃが、やがてそれはアトラクションではなくて、ギターを極限まで弾きまくるための手段であり、 ギターの方が悲鳴、絶叫を上げているように観えるから恐ろしい! ラストナンバーでライターオイルをブチまけられ、火をつけられたままのギターをステージに叩きつけられるシーンは、ジミヘンにとって用無しになったギターの葬送儀式なのじゃ。 映像作品としては、その他「ウッドストック」「ワイト島フェス」等があるが、終始一貫絶好調なライブ映像はコレじゃ。
 
 蛇足ながら、映画のオープニング特別映像にも度肝を抜かれるぞ! 何処とも知れぬ夜半の裏通りのコンクリート壁の前に、一人の男(画家デニー・デント)が現われる。 足元には数個のバケツが置かれ、色とりどりのインクが盛られておる。 やがて男はものすごいスピードで一心不乱に壁に向かって絵筆をふるい、インクをブチまけ続けるのじゃ。 BGMはジミの「キャン・ユー・シー・ミー」。 一見気が狂ったペイント・アクションのようじゃが、やがて壁のインクはジミ・ヘンドリックの横顔に仕上がっていくのじゃ!


■Point-6 お次はジミの両極端な魅力がつまった「イン・ザ・ウエスト」 ■

 最初にモーレツ!な映像を見た後では、何をおススメするか難しいところじゃが、ジミのプレイそのものにズドン!ときた方にはアルバム「イン・ザ・ウエスト」がよろしかろう。
 アナログ盤A面は「ジョニー・B・グッド〜ラヴァー・マン〜ブルースウェード・シューズ」と、いきなりオールドロックンロールが壮絶なアレンジでブチカマされていくぞ。 フィフティーズ・サウンド好きの諸君はどんな反応をするか! おそらく聞いたこともないようなアレンジに度肝を抜かれることじゃろう。 実際、オリジネーターのチャックベリーやカールのお父さんはコレを聞いて気絶しそうになったってハナシじゃ。
 
 対してB面は壮大なジミヘン・ブルース。 もうジミのサウンドという命綱1本で果てしなき宇宙遊泳をしとるっつうか、壮麗な大山脈の上をダイビングしとるというか、あ〜やっぱりうまく表現でけんな〜。 う〜ん、ブルースという音楽の深〜い懐へとじわりじわりと引き込まれ、もう全身ブルースに愛撫されるがままになるような恍惚感にシビレまくりじゃ。 「リトルウイング」「レッドハウス」「“サージェント・ペパー”のカヴァー」「イギリス国歌」等、収録曲も録音状態も数あるライブ・アルバムの中でも秀逸じゃ。
 近年になって新しい編集盤CDが登場。 未発表ライブテイクが追加収録され、さらに曲の配列もアナログ盤とは大幅に異なっておった。 これではかつてわしが受けた衝撃体験が再現されんとこじゃが、収録曲自体のクオリティはデジタル技術で格段に上がっておることは間違いないな。


 
ふう〜疲れたわい。 たいそうな事は書けない、また書き慣れていないジミ・ヘンドリックスだけに、冷や汗が出る思いじゃ。 まあ批難、嘲笑を覚悟で頑張ってみたが、今回だけでジミ・ヘンドリックス寄稿を止めてしまうのは少々無責任な気もするので、上記2枚以外のおススメ作品等も含めて、来年あらためてテーマを絞ってご紹介したいと思っておる。

 ジミ・ヘンドリックスはもちろんのこと、自分が敬愛するロックンロール・ヒーローを語ろうとすればするほど、彼らの存在がどんどん大きく、そして遠くに感じてしまうのは、若い頃から現在までまったく変わらんなあ〜。 でもそれが決して絶望感にはならず、だからこそ明日からもロック!永遠にロック!ってなるから不思議じゃ。 きっとThe-Kingのボスも、同じようなフィーリングで日夜ロック・ヒーローたちから感銘を受け、そのエモーションを新作づくりのアイディアとパワーに転化しとるに違いない。 ココで諸君にロックの知識を撒き散らしているだけかもしれんこのわしとはダンチじゃのお〜。 ちったあ見習わないといかんのお〜。
 なにはともあれ、素晴らしい新作で今年を〆て下さったThe-Kingブランド、The-Kingの大応援のついでにわしのコーナーまで覗いてくれた諸君に、心より感謝を申し上げる。 来年もよろしくじゃ!



七鉄の酔眼雑記〜 わしはもう行かないKARA〜!

 いろいろと反対派の騒ぎはあったものの、今年も韓流はやっぱり強かったようじゃな。 まあわしにはぜ〜んぜん関係なかったものの、その韓流余波でチト残念なことが最近あったので書き記しておこう。 
 数ある忘年会のひとつを地元の韓国料理さんでやったんじゃ。 地元密着型の韓国家庭料理の店でな。 ビールに合う数々の小皿料理に魅了されとったからじゃ。 韓国人の友人に言わせると「カンコクノ オフクロノアジ デス」とのことで、週1回は仕事帰りに立ち寄っていたんじゃ。 ところがこの日店に入った瞬間に、いや〜な予感がした。 いつの間にか店内にはKARAちゃんのポスターがいっぱい貼ってあるんじゃよ。 「KARAもだ〜いすきっ!」のファミマのフライドチキンじゃあるめえし、なんじゃこりゃっ?って感じ。
 まてよ〜そういえば都心の韓国料理店でも、同じような現象が多く見られたのお。 店内にKARAちゃん、少女時代ちゃん、T-araちゃんなんかのポスターがやたらと目につく。 お店で働いている韓国の方々にとっては、韓流アイドルちゃんたちは祖国のヒロインじゃし、彼女達の勢いにあやかって売り上げ倍増!を願ってポスターを貼る気持ちは分からんことはない。 なんせNHK紅白歌合戦にまで抜擢されちゃうんだからのお。
 
 ただしだ。 そのポスターの貼り方が呆れてしまうわな。 元々のお店の内装コンセプトを無視して、まるで床の間の掛け軸のようにドデカ・サイズの物を貼ったり、これでもか!と同一の物を波状攻撃のように所狭しと貼りまくるあのセンス、何とかならんかな〜。 なんだか「この印籠ならぬポスターが目に入らぬか!」って感じじゃよ。 まあそういうお店は、ほぼ例外なしにあんまり美味しくない。 今や韓流の聖地となった新大久保界隈を、へラへラしながらうろついとるアホな日本人は分からんじゃろうがな。
 残念なことに、忘年会会場となったわしの地元のお店もやはり・・・。 すっかり当たり前の味になっておった。 ヒロインの勢い、世の中のブームにあやかるのは勝手じゃが、その代わりにお店の個性を置き去りにしてしまうのはどうかと思うぞ。 「ポスター貼っときゃ、料理なんかテキトーでOK。 あとはKARAちゃんの笑顔が料理を美味しくしてくれるKARA〜」とでも思っとんのかアホンダラッ! まして地元密着型の個人経営の飲食店ではないか。 オバサン、オネエサンともに日本語も大変お上手なんで、昨日今日の商売ではないはずじゃぞ。 今までお店の個性に惹かれて贔屓にしていたお得意様を出入り禁止にするようなもんじゃ。
 やっぱりどんな種類のお店でも、内装ってのは扱う商品の質を写しだす鏡じゃな。 流行を安易に平行移入させたお店、またそれにあっさりと満足してしまう者に対しては、やはりこの歳になっても抵抗を感じるわしじゃ。 仕事において、流行をとるか、拘りをとるかってのは非常に難しい選択なんで、流行優先派を否定することはできんが、それまでの拘りなどなかったかのように流行に翻る態度は、顧客をナメテルと思われかねん。 変わり身のやり方にもう少し工夫を、ってとこじゃ。
 ファッションもまた然りじゃよ。 ファッションは着ておる人の生き方を写しだす鏡じゃよ。 特にわしらの様なロックというスピリッツを頑固に貫こうとするものにとっては尚更じゃ。 諸君、来年もブレることなくThe-Kingファッションを愛していこう!



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