ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.135

 マーティン・スコセッシ−またまたこのアメリカ映画監督の名前がロック・ニュースの中で踊っておる! 現在封切り直後のジョージ・ハリスンのバイオグラフィー・ドキュメント「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」の監督を務めておるのじゃ。 映画監督の巨匠であると同時に、彼の名前は21世紀のロックシーンの中でも度々登場することで、我々ロックファンにも馴染みの深い人物じゃな。 古くは1969年「ウッドストック」、1978年「ザ・バンド/ラスト・ワルツ」。 近年では2003年「ブルース・プロジェクト/フィール・ライク・ゴーイング・ホーム」、04年「ボブ・ディラン/ノー・ディレクション・ホーム」、08年「ローリング・ストーンズ/シャイン・ア・ライト」。 今や彼はビッグ・ロッカーのドキュメント作品の第一人者としての名声を不動にした映画監督と言えるじゃろう。

 純然たる映画作品「ミーンストリート」「タクシードライバー」「グッドフェローズ」「ギャング・オブ・ニューヨーク」をはじめ、わしはスコセッシの作品はほとんど観ておるほどのファンなので、なぜ彼が21世紀になってビッグロッカーの「人生の集大成」となるような作品づくりに欠かせない存在になったのか、わしなりによく分かるのじゃ。
 余談じゃが、わしなりに分からんところは、映画の題材としてロックを取り扱うことには秀でておるのに、ファッションには無頓着ってとこじゃ!? まあアカデミー賞授賞式なんかでは超ハイグレード生地のオフィシャルスーツを着てはおるが・・・ここら辺のセンスはいつの日かThe-Kingファッションを携えてわしがスコセッシを訪問してからじっくりと商談じゃなくて歓談しながらアピールするとしよう。 わしがシルクハットかぶって葉巻くわえてナッソーをキメルと「オウッ!ユー・アー・シカゴ・マフィア!!」って欧米人から言われる
(結構ホントに言われるから、自分でもチト怖い)ので、ギャング映画の権威でもあるスコセッシはソッコーで反応するじゃろう!

 話しを戻すが、スコセッシの作品にはロックの名曲がBGMとして多用されることでも有名じゃが、そのセンスが素晴らしい! またロック・ドキュメント映画の中で出演者のインタビューが頻繁に挿入されるが、引き出したロッカーたちのコメントがこれまた素晴らしい!! そして凡人からギャングに至るまで、彼が描く人物の生き様の“危うさ”と“美しさ”は、ロックン・ローラーの放つ“危うさ”と“美しさ”であり、もうスバラスゥイ〜!!!
 「おいおい、“素晴らしい”ばっかりじゃワカンネーだろうがっ!」とお叱りを受けそうじゃが、ソコントコを知りたい輩は、この先を読んでくれたまえ。 言うなればマーティン・スコセッシという映画監督は「ロックが生まれる場所」を知り抜いておる男なのじゃ。 生まれる場所が分かっておるということは、その先、生き抜いていく場所も方法も、更には最後まで生き残っていくべき姿までも「お見通し」ってことなのじゃ。 わしよりも、いやいやビッグロッカー当人たちよりも、「ロックそのもの」を熟知しておるのがマーティン・スコセッシなのじゃ。 彼の製作した映画でロックというスピリットがその本性をまき散らして躍動する作品をご紹介するので、ロック的視点からこの巨匠の凄みってもんを体験して頂きたい!
 


“ロックンロールの生まれるトコロを知っている男”
巨匠マーティン・スコセッシの「ロック・スピリット映画」セレクション


■ ウッドストック 
(1969年) ■
1969年公開の、ご存知ロック史上に残るロック大野外イベントの実録映画。 制作当時弱冠28歳だったスコセッシはチーフ・エディター(編集責任者)として関わっておる(監督はマイケル・ウォドレー)が、数々の証言により、実質的な監督はスコセッシじゃったらしいぞ。 出演者の多彩な撮影アングルや、このイベントの趣旨(愛と平和と音楽の3日間)をシンボライズしている様な観客のアクションのピックアップ撮影など、映画のキーポイントになる仕掛けのほとんどはマーティンの手腕じゃったらしい。
 同時期に開催された「モンタレー・ポップ・フェス」の実録映画と比較してみると、「ウッドストック」の編集レベルの高さがよく分かる。 後の「ロック映画」の手本になった作品じゃ。  
 わしの懐かしい感想を披露させて頂くとだな、日本でのロードショウ当時、観客があまりにも少なくて、2回目の劇場鑑賞からは酒持参で行って劇場内で一人で盛り上がり、じゃなくてだな、ジャンルの違うミュージシャンを巧みな配列によってライブの興奮に水を差すことなく構成しておるその編集の手腕に驚いた! 後になって分かったが、そのセンスこそ、スコセッシ・マジックだったのじゃ! 
 

■ ラストワルツ (1978年) 

 このコーナーでも度々紹介しておる、大勢のビッグロッカーが駆け付けたザ・バンドの解散コンサートの模様の記録映画じゃ。 スコセッシ自らインタビュアーとなり、メンバーたちからバンドの歴史の陰に眠る数々のエピソード、メンバーそれぞれのルーツや信念などを聞き出しておる。 普通はこういう挿入シーンは、ライブ映像の流れを断ち切ってしまって視聴者からの非難が集中するものじゃが、こと「ラストワルツ」に関してはそうした声がほとんど聞かれんな。 それだけスコセッシがメンバーから引き出したお話の内容が素晴らしいのじゃ。 ロックが“どこから生まれ、何に影響を受けてどのように発展したか”、その全てが語り尽くされておる。 挿入された各メンバーのインタビューと、その前後のライブシーンがお互いに呼応しておることに今も驚きを隠せんな。  中にはエルヴィスへの賛辞もあって、わしゃ〜嬉しいぞ〜♪
 またこれは後日明らかになったことじゃが、実はコンサート開始から程なくしてステージを撮影する3台のカメラの内の2台が壊れてしまい、曲の大半はワンカメだけ(一方向からだけ)で撮影という危機に瀕しながら、それでも映画作品として見苦しくなくまとめあげたスコセッシの編集センスには恐れ入る!


■ ミーン・ストリート(1973年) ■
 スコセッシが少年期まで育ったニューヨークのイタリア系移民居住区を舞台に(?)、大都会の裏側で粗野で逞しく生きていく若者のライフスタイルを「ノンフィクションか!?」と思わせるリアリティで描いた作品。 後にスコセッシの分身ともいうべき存在となるブレイク前のロバート・デ・二ーロが主演じゃが、特別なストーリー性や分かりやすいメッセージ性もなく、商業的には失敗作じゃった。 
 じゃがモデルになった“街の野郎ども”には絶賛されたらしい。 この映画で描かれていた貧しくて薄汚いが、夢を探す若者の持って行き場のないエネルギーが充満しているストリートこそがリアル・ブルースやリアル・ロックを生みだす真の土壌であり、実際に公開からほどなくしてここからブルース・スプリングスティーンを筆頭とするストリート・ロッカーがデビューしておるんじゃから、ヤング・ニューヨーカーのセミ・ドキュメント映画と言ってもええじゃろう。
 この映画を観る度に、わしなんか「日本なんて生ぬるい土壌からロックが生まれるのは到底無理だな・・・」と思ってしまうわな。 ロックファンの諸君、必見の映画じゃぞ。 「国家も社会も家庭も気に入らね―。 ついでに女にもフラレタ。 そんな満たされない思いがロックを生むんだぜ!」なんてイキガッタ、イギリス・パンク式ロック思想なんざチャンチャラおかしいということがよ〜く分かるゾ。


■ タクシードライバー(1976年) ■
 今や名作中の名作として奉られておる作品なんで、ストーリーの詳細は割愛させてもらうが、わしが今まで観た何千、何万の映画の中で、この作品ほど全編に渡ってわしの頭ん中でロックが鳴り響いていた映画はないな! デニーロ扮する主人公のタクシードライバーの日常、心理の変化、生活環境等すべてが「ロックンロール・ライフ」を生み出す熱きマグマだからじゃ。 これが日本人には中々分からないストリート感覚ってヤツなんじゃよ。
 人生ってのは、老若かかわらず、一瞬にしてその日一日がバラ色になったり灰色になったりする瞬間が絶えず交錯する時期というもんがある。 バラ色か灰色かどちらを掴むか、そのスリルを運命的に具現化させるのが“ストリート”ってもんじゃ。 そしてそこには自分だけのロックンロールが絶対的に似合うんじゃよ! 試しにご自宅でDVD鑑賞してみなされ! ひとつひとつのシーンにフィットするロックンロールが頭ん中にフィードバックしてくるぞ! その実、洋楽ロックで歌われる「ストリート」と、「明治通り」や「竹下通り」との違いも分かっとらん輩は、とにもかくにもこの映画じゃよ。 「ロックはオレたちをハッピーにしてくれる特効薬だ」としか思っていない、誠に脳ミソが残念なことになっておるパー太郎どもは、前中日ドラゴンズ落合監督風に言えば「これを観て“勉強しな”」ってトコじゃよ。


■グッドフェローズ(1990年) ■
 アメリカン・ギャング映画の最高峰、スコセッシの最高傑作ってのが一般論じゃな。 しかしその一方で、ネットブログ等の評論を多数拝読してみると、こと日本では“スコセッシ嫌い”を増やした作品でもあるようじゃな。 何でも「余計なカット、シーンが多くて全体の起承転結が少ない」「BGMがワケワカンナイ」なんだそうじゃ。
 “余計なシーン”とは、登場するギャング(マフィア)の存在をよりリアルにするための何気ない会話、仕草、表情つった仕掛けの多さか? “ワケワンナイBGM”とは、ロックが多用された歌入りのナンバーのことか? そういうことを真顔で言うヤツってのは、映画をアクションものかラブストーリーものしか興味のないカワイソウな方じゃろな!
 この作品のキャッチコピーは、確か「大統領になるよりギャングに憧れた!」じゃった。 ギャングが市民の英雄だった時代が舞台じゃ。 生と死が背中合わせであるギャングの日常とは、常人には窺い知れぬものであり、だからこそ一見取るに足らないキャラクターのディテールの先にギャング特有のストーリーが存在するのじゃよ。 そしてギャングが放つ危険な香りにはロックン・ロールが実にフィットするのじゃ。
 この作品が好きなヤツってのは間違いなくロック好きじゃろうな!とか、スリリングなシーンにはアップテンポの音楽。 ラブシーンにはあま〜い音楽。 怖いシーンにはこわそ〜な音楽。 映画におけるBGMの役割をその程度にしか認識しとらん、スコセッシのセンスが分からんヤツとは友達になりとうない!とか意固地になっておった時もわしにはあったのお。 「愛しのレイラ/デレク&ザ・ドミノス」「ギミー・シェルター/ローリング・ストーンズ」「サンシャイン・ラブ/クリーム」「マイ・ウェイ/シド・ヴィシャス」等ロックの名曲が何ら違和感なく溶け込んでおるのも深〜くうなづけるってもんじゃ。



■ シャイン・ア・ライト(2008年) ■
 
ローリング・ストーンズが2006年に慈善コンサートとして開催した、ニューヨーク・マンハッタンにあるビーコン・シアターでのライブ映画じゃ。 スコセッシはこのライブを18台ものカメラで撮影し、幾多のコマ割りをフューチャーしながら、随所に舞台裏映像、インタビュー、過去の映像も交えて見事に「映画」として作品化に成功しておる。 完璧主義者のミック・ジャガーとは編集作業の段階で気の遠くなるような“論争”があったようじゃが、最終的にライブのダイナミズムを損なうことなく完成させた手腕はさすがじゃ!
 ビーコン・シアターが収容人員2800人という小規模な会場であることから、我々が見慣れたスタジアム・コンサートやその映像作品でのストーンズとは異なる、ヴィンテージ・ロッカーとしての威厳や生に近い迫力が伝わってくるのはもちろんじゃが、はっきり言ってこの映画の中のストーンズの暴れっぷりは、もはや「ローリング・ストーンズという名のイギリス伝統芸能」じゃ。 R&Bとかロックとか、そういうレベルをはるかに超越した、孤高の神聖なる芸能じゃよ。 歌舞伎座や帝国劇場で開催されても異論はない!ような領域に達しておる。 いやいや、冗談抜きに大英図書館の「文化史最重要ファイル」の中に未来永劫に保管しておくべき映像じゃ。 ビール片手に「うぉー!ストーンズはサイコー!!」だけでは決して終わらせない、“ロック版人間国宝”としてのストーンズのプライドに圧倒されるぞ。


★★ 補稿 ★★

◆ リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(2011年) ◆
 まだ観ておらんのじゃが、ジョージ・ハリスンの生涯を詳らかにするドキュメント映画のようじゃな。 詳細はオフィシャル・ホームページ(→)http://gh-movie.jp/を参考下され。
 わしにとってジョージ・ハリスンというロッカーは、未だに正体不明なんじゃ。 ジョージに対する論評も数多く読んだが、心底納得出来たもんはなかったと記憶しとる。 ジョージのルーツは音楽的にはオールド・ロックロールと言われ、チェット・アトキンス、カールのお父さん辺りの影響を受けたプレイは確かに味があってええ。 思想的にはインド哲学なんだそうで、「物質文明における真の人間のあるべき姿」を模索しておったのは歌詞を吟味すればわしにも分からんことはない。
 でも「ひょっとしたらこの人は、ロックンロールにもインド哲学にもそんなにはイレこんでなかったんじゃないか?」と思わざるを得ない不思議な感触の曲が多々あるのじゃよ。 要するに表現者としての揺るぎない骨格がわしには見えてこないんじゃ。 「それはアンタの勘が鈍いだけなんだから、余計なことを探らないでジョージの音楽を楽んでりゃそれでいいだろう! わかってないよな〜ジジイ」とジョージ・マニアからバッシングされそうじゃが、わしはそーいうタイプの聞き手なんじゃよ昔っから、悪いか! そういう作品への接し方が表現者に対する礼儀だと思っとるんでな。
 マーティン・スコセッシのロッカーの描き方にはひとつの確固たる姿勢がある。 それはザ・バンドにしてもディランにしてもストーンズにしても、彼らを神格化はせず、ロックの歴史の中での役割、つまり伝道師としての過去の軌跡と未来の行方を明確にすることじゃ。 じゃからこそ、実体がどうも判然としないジョージ・ハリスンをどうやってロック史の中で価値付けしておるのかがとても楽しみじゃ!


 
 The-Kingの新作ブルゾンに激しく反応してしまい、いいライブが見当たらないからいい映画でも!って躍起になってお出かけ先を探しておってみつけたマーティン・スコセッシと「リヴィング・イン・ザ・・・」のニュース。 そこから派生した今回の話題じゃったが、スコセッシとロックとの運命的なつながりを感じ取って頂けて、スコセッシ作品をもっともっとロック的視点で鑑賞してくれたら嬉しいぞ! 
 わしとしては、今後スコセッシがいまだ手つかずにおるフィフティーズ・ロック関連の映画製作を大いに期待しとる。 ストーンズよりもディランよりもムズカシイ〜テーマかもしれんが、いつの日か着手して頂きたい。 「ブルース・プロジェクト/フィール・ライク・ゴーイング・ホーム」では、ブルースの発祥と進化の歴史を手堅くまとめておったので、是非ともロックンロールの起源、発祥ってテーマにも切りこんで行って頂きたい。
 おいおいっ、そのためにはThe-Kingのナッソーやブルゾン持参の訪問ってのは必要な気がするぞぉ〜。 巨匠たる人物の創作意欲を駆り立てるのはそれしかない! The-Kingのファッションでメガホンをとるスコセッシ! それが公開されたらわしの功績じゃからな〜って、その前に今年もあと僅かとなったThe-Kingの新作発表機会も変わらずフォローをさせて頂くのでよろしくな〜♪



七鉄の酔眼雑記 〜七鉄、ニューヨークでバルンガに遭遇!?!

 上記本編でご紹介したマーティン・スコセッシの作品は、その舞台の大半は生まれ育ったニューヨークじゃ。 わしのニューヨーク好きは、やはり彼の作品からの影響がとても強いことは自分でもよお分かっておる。 じゃからかつてはニューヨークへ旅する度に、「なんか作品作り、物書きのきっかけになるような体験は出来んかな〜」と漫然と期待していたもんじゃよ。 まあ大した才能の持ち主ではないモンがいくら期待したって、そんな都合のいい出来事なんざ起こるはずもないもんじゃ。
 しかしながらたった一度だけ、生涯に二度とないであろうと思われる現象にニューヨークで出来わした事があった。 今から40年ほど前、初めてニューヨークの摩天楼のシンボル、エンパイア・ステート・ビルに登った時のことじゃ。 エンパイア・ステート・ビルは当時世界第二の高さを誇り、地上384メートルにある第二展望台は、ガラス越しではなくて屋外に出て360度のパノラマを満喫できるのじゃ。
 この屋外展望台ってのがスゴイ迫力でな。 まるでニューヨーク上空でスカイダイビングをやっとるような醍醐味があるんじゃよ。 屋外に出るやいきなり、巨大な摩天楼群がどーーーん!と迫ってきて絶句。 次に左側(北東側)に移動すると緑鮮やかなセントラルパークが北側に一直線に伸びていく壮観な眺め。 もうこの時点で、日本ではありえないスケールのドでかさに圧倒されてもうた。
 そして更に北西側に移動した時のことじゃ。 目の前にはニューヨーク州とニュージャージー州を隔てるハドソン川の泰然たる流れがあり、大快晴ならばその遥か先にあるオンタリオ湖(五大湖のひとつ)とカナダの地まで見えるという気の遠くなるような広大な平野が広がっておる。 残念ながらその日は曇りであり、「今日はカナダまでは見えんじゃろうな〜」と思いながらハドソン川正面あたりの展望位置に移動すると、そこにはにわかに信じがたい光景が広がっておった。

 緩やかに蛇行するハドソン川の上空に、まるで川のうねりに平行するように長大で真っ黒い雲が漂っていたのじゃ。 わしが見学しとる位置は地上384メートル。 その黒雲はどう見てもわしの目線の下なんで雨雲にしては高度が低すぎるし、風体があまりにも異様なんじゃ。 「あ、あ、あの浮遊する黒い化け物は一体なんだ!」とウロタエテしまったが、やがてその黒い化け物とは、西側に十数キロ離れたニュージャージー州の大工業地帯から風に乗って流れて来た排気煙だったことが分かったのじゃ。 その長さは数キロ?にも及ぶと見られ、膨大な排煙量と様々な気象条件とが絡み合うことによって、ハドソン川上空にすっぽりと屋根をかけているように見えたのじゃ。
 ニューヨークを中心にしたアメリカ東海岸の大都会ってのは、あらゆる20世紀文明、資本主義、自由主義のシンボルじゃ。 通常の旅行者なら、それらを「摩天楼だ!」「ブロードウェイだ!」「ヤンキースだ!」「自由の女神だ!」と興奮して、ニューヨーク幻想を限りなく膨らませるわけじゃ。 しかし巨大な光の後ろには巨大な影もある。 輝かしいニューヨークを内側から支えておるのは、お隣のニュージャージー州の大工業地帯の絶大な物資産出力であり、そいつを稼働させる為にはかくも膨大な黒煙が常時排出されておったのじゃ。 わしの目の前に出現した長大な排気煙とは、ニューヨークの裏側の世界の象徴的な産物でもあり、ウブな旅行者の他愛もないニューヨーク幻想をブチ壊すには充分過ぎる効果があったのじゃ。

 不意に真横に視線を移すと、守衛みたいな制服を着た黒人が微動だにせずこの怪奇現象を凝視しておった。 そしてわしと目が合うと、「こんなもん、滅多に見られねえな」とかなんとか言いながら、長大な排気煙の方へ「しっかり見とけ」とばかりに何度もアゴをしゃくっておった。
 惜しむらくはこの光景をカメラに収めておかなかったことじゃ。 あまりの衝撃に我を忘れてしまい、カメラ撮影なんつう俗なアクションには至らなかったのである。 でも物書きのハシクレとしては情けなかったのお・・・。
 正直なところはだな、少々高所恐怖症気味のわしは、地上384メートルという己の立ち位置と、まるでバルンガ(ウルトラQにて都会の空に出現する巨大で気色悪い風船怪獣)に出くわしたような戦慄で腰が抜けそうになっておったんじゃろう。 まあ当時のわしは、単なるオノボリさんだったって話もあるがな〜。
 あの写真とっときゃ、マーティン・スコセッシに売り込んで、何かの映画に使っていただき、わしの名がスクリーンにクレジットされたかもしれんかったな〜とマジで思えるほど我が身がフリーズした体験じゃった。 おしまい!


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