ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.133


ロッカーの遺産運用や如何に?!
流行のサンプリング、新録付加の功罪を検証してみよう。



 
エルヴィスの生涯をモチーフにしたラスベガスの大エンターテイメント・ショー「Viva ELVIS」をご覧になった方はおるかの? オペラとミュージカルとサーカスが合体した大歌劇団「シルク・ドゥ・ソレイユ」によるものじゃ。 わしは私用で足繁く通う新宿の某大手家電店の巨大パブリック・スクリーンで、このところ毎晩ダイジェスト版を観せられておる。 キング・オブ・ロックンロールがついにミュージカルやサーカスの世界をも凌駕した!と言えるのかどうかはよお分からんが、わしらのような古いロック世代のファンには、とてもじゃないが想像すらできなかった世界へとロックが活用される時代が到来したことを実感させられるのお〜。
 どデカイスクリーンで観とることもあるが、とにかく「シルク・ドゥ・ソレイユ」の豪華絢爛たる演出には圧倒されたわい! ってのも、実は「そろそろThe-Kingの新作ナッソーが出る頃じゃな〜」と一人でハイな気分になっとったところに、ついにキターーーーーッ!の怒涛の6連発!じゃったので、「コレを来てラスベガスのショーに乗り込みたい!」って大いなる願望も重なっておるがな! 「「Viva ELVIS」のアリーナではゼッタイにThe-Kingのナッソーじゃ!って気分じゃよ。 
ち、ちなみに今回の勝手にブレイクコーナーに登場しておる千代田区のM氏は、先日本場ベガスで見てきておるとの事で、わしも恐れ入った! そのパンフもここに届けて下さりあっぱれじゃ! !

 まあそれはさておきだな。 この「Viva ELVIS」じゃが、丁度一年前に同名CDが発売されておるのお。 そう、エルヴィス33年ぶりの新録音盤!とか何とかド派手に謳われて、エルヴィスが残した無数の曲、フィルム、ライヴ録音、インタビューから17,000以上をサンプリングしたっつう代物じゃ。 まだ「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショー「Viva ELVIS」のサントラ盤云々つった説明はほとんどなく、純粋な音楽作品として紹介を受けたもんじゃから、日本の古くからのエルヴィス・フリークは当惑したのではないか? フリークにとっては無二の宝石のようなエルヴィスのナンバー、神の声に等しいエルヴィスの声なんかが得体の知れないコンセプトによって切り貼りされとるんじゃからな。 

 そこで今回は、「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショーに触発されたこともあり、偉大なる故人の遺作に再び光を当てようと存命者たちが新たなる演奏をオーバータブしたり、サンプリングした作品の価値を振り返ってみたい。 発表当時はアタマの硬いファン(わし?)から「故人への冒涜だ!」と非難されることが多いもんじゃが、「Viva ELVIS」の様に時間の経過とともに大元、もしくは付属のアクションが発表されるなどして、製作者の意図が理解されてきた作品もある。 名作、名盤なのかどうかは別として、ここでは“死後の新作”の真価というものを探ってみたい。



「Viva ELVIS/エルヴィス・プレスリー」「ラブ/ビートルズ」
 

 どちらもシルク・ドゥ・ソレイユの公演用のサントラともいうべきサンプリング編集盤じゃ。 「Viva ELVIS」は“21歳のエルヴィスがこの21世紀にニュー・アルバムを制作したらきっとこんなサウンドを創り出していたに違いない”。 「ラブ」は“ジョン・レノンが21世紀に生きていたらきっと喜んでくれそうなビートルズの新しい再生サウンド”ってのがコンセプトらしいが、それって「制作側の勝手な願望」であり、ふざけたノーガキたれてんじゃねーよアホンダラ! それにエルヴィスを3,000時間かけて聞き直しての17,000のサンプリングだとぉ〜? ビートルズ全213曲の内120曲の断片が散りばめられており、あなたは何曲聞き分けられるかだとぉ〜? そんなタワケタ数字を持ち出してPRして、それがエルヴィスやビートルズの本質と一体何の関係があるんじゃバカモノ!とわしは最初は呆れたというか、怒ったもんじゃ。 デジタル技術が急速に発達したからこそ成し得た大技とはいえ、これぞまさしく「巨大遺産の乱用」じゃあ〜。 生粋のエルヴィス・ファン、ビートルズ・ファンには、デジタルオタクの盲信的なファンによる荒唐無稽なメドレーアルバムじゃろう。 フェイバリット・ソングのサンプリングなんざ、心臓がひきちぎられるような苦痛を感じるぞ。

 とまあ、発表当初は完全に否定派だったわしじゃが、ダイジェスト版とはいえ、シルク・ドゥ・ソレイユの公演を観てチト気分が緩和してきた。 主役はエルヴィスの存在、エルヴィスの楽曲(の断片)ではなくて、オペラ歌手、ミュージカル演者、サーカス演者たちであり、彼らがエルヴィスのショット、フィルム、そして音楽からパワーをもらって万華鏡のように躍動するまったく新しいスタイルのショーだったからじゃ。
 さらに彼らと彼らの演目を楽しむ聴衆が一体となって作り上げておる前例のないエンターテイメント空間は、ロックコンサートと比較にならんようなビッグスケールじゃ。 これが21世紀型最新鋭のエンターテイメント・ショーってやつなんじゃろう。 もちろん、エルヴィスという巨大なアメリカの遺産があるからこそ成し得たワケであり、そのサントラ盤として制作されたのであれば、CD盤に目くじら立てることもないなのおと、納得させられたもんじゃ。 「ラブ」のショーはyou tubeでしか観ておらんが、同じような感慨を受けるんじゃろうな〜。
 エルヴィスもビートルズも、その存在と音楽の懐の深さは無限であり、時代がいかように進化、変化しようとも、新しいファンを獲得できるってことを、本人の音楽と映像以外から初めて教えられたもんじゃ。 もっとも、この2枚は、いまだ市販に至っておらんシルク・ドゥ・ソレイユの映像とセットで楽しむのが正しい鑑賞じゃろう。
「あのさ、七鉄っつあん、みょーにシルク・ドゥ・ソレイユをべた褒めするじゃん! おまんじゅうでも握らされたに違いないな」じゃとお!?? ギ、ギクッ!! なワケないじゃろうがバカモノ!!



「ミッドナイト・ライトニング」「クラッシュ・ランディング」/ジミ・ヘンドリックス
 

 偉大なる故人が生前に残したレコーディング・テープに他者の演奏を加えて製品化されたのは、恐らく1974年に発表されたジミ・ヘンドリックスの「クラッシュ・ランディング」が初めての例じゃろう。 そして同じプロジェクト・メンバーによる次作が翌年発表の「ミッドナイト・ライトニング」じゃ。 実は「クラッシュ・ランディング」は超名盤で「「ミッドナイト・ライトニング」は超駄作。 なんてことは当時は知る由もなく、わしは運悪く「ミッドナイト〜」を先に聞いてしまったのじゃ。 それでこの手の作品への嫌悪感が長らく消えんことになってしまった。
 以降、周囲が「クラッシュ・ランディング」の方をどんなに褒め称えても、わしは聞く気になれんかった。 「偉人の遺産に手を加えるなんざ、ロクなこっちゃない!」っつうどうにもならない屈強な先入観が出来上がってしまったのじゃ。 何がどう“ひどい”って、「これ(ミッドナイト〜)って、ジミヘンの楽曲かいな?」ってなルーズで軽々しい仕上がりに改ざんされておったからじゃ。 エルヴィスに例えて言えば、ブルージーな声の艶を消し去り、軽いタッチのB級ロカビリー演奏を加えてBGM的サウンドにしたようなもんじゃ。
 それから数年してからよやく「クラッシュ・ランディング」を聞いた。 これはなかなかヨカロウ! 久し振りにジミ・ヘンドリックス・サウンドのベーシックなサウンドを味わったもんじゃ。  “逆カラオケ”方式とでもいうか、スタジオでジミの残したテイクを大音量で再生しながら、スタジオ・ミュージシャンに必要最小限の補完演奏をさせたセミ・スタジオライブじゃろう。 ベースとドラムがジミの凄まじいテンションに追っつくことができず、そのうちにどうしたらええのかオロオロしてきて、、それがさらにジミを煽るっつう、生前のパターンが奇跡的に再現されておるのじゃ! こりゃ〜プロデューサー君もベース君もドラム君も大変な仕事だったじゃろう、お疲れさんって賛辞を送りたくなった! これで精魂尽き果ててしまったんで、次の「ミッドナイト・ライトニング」は気合がまったく入らんかったんじゃろう。



「アメリカン・プレイヤー」/ジム・モリソン&ザ・ドアーズ

 ジミ・ヘンドリックの次の「遺産採掘プロジェクト」は、1978年のドアーズのジム・モリスンじゃったな。 ジムが生前残していた詩の朗読に、ドアーズの新しい演奏を加えたっつう代物じゃった。 前述のジミヘンの苦い記憶もあり、わしは期待しておらんかったが、英字新聞でドアーズのメンバーのこんなコメントを読んだ。 「このプロジェクトの計画をオフィスでミーティングしていたら、突然一羽の小鳥が舞い込んできたんだ。 小鳥は部屋の中をぐるりと旋回すると、またどこかへと飛び去って行ったんだ。 まるでジムの魂が“いっちょ、よろしく!”と頼みに来たみたいだったよ」 わしゃー、こういうエピソードに弱くてのお〜。
 見開きのLPジャケットに挟み込まれた8ページのカラーブックレットには、ジム・モリスン未発表の詩と写真、さらに自筆のイラストまで印刷されており、「遺産発表作品集」としての品格を讃えた装丁は申し分なし! 日本語の対訳もまあまあの合格点。 そしてアルバムの出来栄えじゃが、ドアーズの未発表ライブ・テイク、未発表曲の一部、既成曲等の断片的な挿入&多重録音が多くて、これさえなければ、生前のジム・モリスンが熱望していた「劇的な詩の朗読アルバム」を純粋に堪能出来る素晴らしいアート・アルバムじゃった。 いわばファンサービスとしてのオマケがわしにとっては耳障りであり、輝かしい「遺産集」の美しい整合性を台無しにしとった。 わしはすぐに詩の朗読部分だけをピックアップした自製テープをこさえたもんじゃった。
 何度かのリバイバル・ブームによって、今では印税で食べていけるようになったドアーズの連中も、当時は新作を売らなければいけない懐具合だったんじゃろう。 だから余計なオマケでセールスアップを謀ったんじゃろうな。 いつの日か、ジムの詩の朗読部分だけの編集盤を発表してほしいものじゃ。 



「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラブ」/ビートルズ
 
 20世紀最後に発足した「ビートルズ遺産採掘大プロジェクト」である「ビートルズ・アンソロジー」。 CD2枚組3セット、DVD5枚、豪華写真集1冊の中にぎっしりと「未発表もの」が詰まったとてつもないヴォリューム! そして目玉として、ジョン・レノンの未完成曲2曲に他の3人の新しい演奏をダブした20数年ぶりの「新曲」が用意された。 さすがはビートルズ。 やることなすことスケールが違うのお!
 ポール・マッカトニーは新曲に関してこんなことを言っておった。 「ジョンがデモテイクだけ残して“あとは君たちで完成させておいてくれよ”って旅に出てしまった、という想定でレコーディングしたのさ」 こういうパターンはビートルズの後期にはよくあったそうじゃ。 だからブランクをあまり感じさせない“新曲”の体裁を保ったクオリティであるとわしは思うとる。 20世紀最後じゃなくて、解散直後の1970年あたりの音に仕上げておったのも嬉しい限りじゃった。
 唯一わしが眉をひそめた点は、ジョージ・ハリスンのスライドギターがあまりにも“で○ゃばり過ぎ”なトコ。 これは新曲録音に否定的だったジョージに、リーダー格のポールが必要以上に気を使った結果らしい。 「2曲だけだからさあ〜。 なぁ頼むよジョージくん。 フューチャーするからさあ〜」ってなもんじゃろう。 ヒストリービデオの中の回想インタビューでも、ジョージはファンの期待を他所に、常にビートルズが“終わったもの”であることを前提とした醒めた論調で語り続けており、目つきも観る者に対してどこか挑戦的じゃった。 こりゃあ仮にジョンが存命しておっても、ビートルズの再結成は絶対になかったな、とまで思わせるジョージの反ビートルズ態度は、ちょっとア〜タ、ビートルズのお陰で悠々自適なんでしょ? あんまりにも大人げねえんじゃねーか?って感じ。 まあそんなジョージの態度が、逆にバンド再結成に付き物の同窓会的な生ぬるいフンイキを吹っ飛ばしておる、と今のところは言っておこう。



「キャッチ・ミー・ダディ/ジャニス・ジョプリン」


 物わかりのいい好々爺的意見ばかりでなくて、ここら辺でいまだにわしが許せん「遺産乱用」の例も取り上げておこうかのお〜。 まずジャニス・ジョプリンじゃが、今まで大掛かりな「遺産採掘」はされておらん。 なんでじゃろうか? ジャニスの生き様、歌唱力、音楽センスがあまりにもブルース過ぎて、後世の時々のモダニズムとはあまりにも相容れないからか? 唯一の機会が、未発表曲&未発表ライブ集「白鳥の歌」じゃろう。
 この中に演奏後付けのナンバー「キャッチ・ミー・ダディ」がある。 これがまったく意図不明の編集がされておる。 元々の演奏をカットして、ジャニスの死からずっと後の演奏とくっつけとるんじゃが、これはプロデューサーの自己満足か、つまらない話題作りとしか思えん違和感があるのじゃ。
 60年代後半のロックのカッコ良さってのは、純白の創造精神が商業主義を強引に葬り去ろうとするその迫力であり、ジャニスの場合は、“超下手ウマ”バンドのビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーとの“競演”こそがそいつを生み出しておったのは明白じゃった。 然るに、そのバンドの音を除外して、凡庸な新録音を持って来るその神経がわしには理解出来んな〜。 



「ボンゾズ・モントルー/レッド・ツェッペリン」


 
もうひとつ、1980年解散直後に発表されたレッド・ツェッペリンの未発表曲集「コーダ(最終楽章)」から。 ドラマーのジョン・ボーナムの突然死によってバンドはあっけなく解散しただけに、ファンは解散直後に発表されたこのアルバムをツェッペリンからの別れの挨拶状として受け取った。 内容が凄くて「なんでこんな素晴らしいテイクを今までボツにしていたんだ!」と絶賛の嵐! 未発表曲集としては最高のクオリティ、最高の発売のタイミングを誇るアルバムとしてロック史に残る作品じゃ。 ただし致命的なワンポイントを除いて・・・。
 その致命的ワンポイントってのが、亡きジョン・ボーナムのドラム・ソロをフューチャーしたこのナンバーじゃ。 ドラムソロ自体はジョンの規格外のトンデモナイ力量を再認識させられるものの、楽曲として成立させるためにジミー・ペイジが施したギターシンセ(?)によるエレクトリック・トリートメントなる名の伴奏がなあ・・・。 メロディも稚拙で、音色も壊れた電子オルガンみたいでチープったらありゃしない。 せっかくのドラムソロが村祭りの囃子太鼓になってしまっとる。 バンドの遺産を大切に守ることに生涯をかけておるジミーの、これは完全なミステイクじゃ。
 さらに約10年度に発表されたボックス入り大ベスト盤では、「ボンゾズ・モントルー」に別曲のサンプリングまでくっつけて未発表曲収録!なんてのたまわりやがったな、ジミー! 「ジョンのドラムソロで遊んでみちゃいました〜」ってノーテンキパー子バージョンには、もうため息しかでんかったぞ。


「ザ・パイプス・オブ・パン・アット・ジャジューカ/ブライアン・ジョーンズ」
 最後に故人の遺産改ざんアルバム最大の問題作を取り上げておこう。 ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが録音した北アフリカ・モロッコの民族音楽集団ジャジューカの演奏に、様々な追加演奏やスタジオ・ミキシング処理が加えられた本作じゃ。 発表はブライアンの死後2年が経過した1971年。 追加演奏やミキシングにブライアンがどの程度関わっていたのかは、いまだに明らかにされてはおらん。 しかも彼の純然たるソロ作品ではなく、プロデューサー的立場で制作されとる。 また本作に関するブライアン自身のコメントも一切残されておらん。 作品のデータ詳細からクオリティの質に至るまで、様々な憶測や議論が取り沙汰されておる謎めいた作品なんじゃ。
 これはロックでもR&Bでもなく、広義にジャンル分けすればワールドミュージックとなるんじゃろうか。 古代アラビア音楽的な笛、太鼓、唄の呪縛的に調べが支配する土着音楽を、いにしえのテイストを損なわないギリギリのラインでモダンなアレンジを被せたアンビエント(治癒的)・サウンドとでもいうか。 ロックに慣れた聴覚ではとても受け入れることはできんじゃろう。
 わしはモロッコに行ったこともないし、ジャジューカの生演奏を聴いたこともない。 じゃが想像するに本作のベース音楽は、モロッコの伝統音楽というよりも、はるか昔から現地人の日常生活において昼夜場所を問わず、とりたてた目的もなく、至極当たり前に演奏されていた生活BGMの一種ではなかろうかと。 音楽だ楽器演奏だと身構えて聞くものではないのではないか。 そしてそうした音楽こそ、人々を真に覚醒させたり、また癒したりするものではないかと。 ブライアン・ジョーンズがジャジューカの音楽を録音した意図はそこにあったとわしは思っておるんじゃが・・・。 まさに音楽の原点じゃよな。 ブラインの知られざる先鋭的な感性を、「モロッコ」の名とともに世間に広めたことにおいて評価しておきたい作品じゃ。


 考えてみれば、21世紀型デジタル・リマスター盤なんてのは、クレジット無しの新録音サウンドが絶対に付加されておると思えるし、ファンの想像以上に製作側の勝手な加工がされているに違いない。 熱心なファンなら簡単にそれを見破り、聞き分けることが出来るから、今後はその辺を充分に考慮に入れた節度ある「遺産採掘」に取り組んで欲しいものじゃな。 エジプトの遺跡発掘ではないが、あんまりやり過ぎると故人のたたりってもんがあるぞ! 「Viva ELVIS」のような、まったく新しい遺産活用方法がお目見えして、古くからのファンもある程度楽しめるものなら大歓迎じゃな。
 そして大切に保管して受け継がれていくべき遺産というのは、音とか写真とか映像ばかりではなく、偉大なる故人がまとっていた「スピリット」ってもんもあるのじゃ。 これは形の見えないものだから余計に伝承していくのは難しそうじゃが、それはもはや遺産を管理する側よりも、我々ファン一人一人の意識の高さにかかっておると思うぞ、わしは。 エルヴィスのロックや、フィフティーズという時代から生まれたスピリットを受け継ぎ、次の世代へ伝承しようとする諸君の熱き気合!がもっともっと必要なんじゃ〜。 ファッションにおいては、The-Kingという「スピリット伝承ブランド」があるんじゃから心強いことこの上ないではないか! しっかり新作ナッソーをゲットしてまたまたフィフティーズ・スピリット伝承魂を磨き上げてくれ〜い。   

 

七鉄の酔眼雑記 

 放浪時代に数年に亘って何かと世話になったタイ、および首都バンコクが大洪水の被害に見舞われておるようじゃ。 今もバンコク在住の何人かの知人にメールで近況を伺ったんじゃが、水位1メートルほど水没しとる場所も結構あるという。 仕事柄1日に何か所もバンコク内を移動せにゃならん知人は、「仕事になんないよ」と嘆いておった。
 わしがバンコクに滞在していた間も、多少の程度の差はあれ、水害ってのにやられた経験は何度かあった。 特に凄いスコールが毎日来る6〜8月頃はよく喰らったもんじゃ。 大震災のような人間の生活をねこそぎ崩壊させるマンモス級は別として、自然災害が来るとその地域の弱点が露呈されるというが、バンコクの場合は水捌けの悪さが被害を増長させてしまうんじゃな。 スコールがある地域なのに、都市計画の際に水捌けを考慮した道路造りがなされておらず、大雨が去っても、大量の水はなかなか街中から引かないんじゃ。
 また道路舗装の際に、地ならしの基礎工事がいい加減だったために、コンクリートで固められた道路でもあちこちに大小の凹凸があり、そこに溜まった水が走り去る車の車輪で通行人へぶちまけられるという二次被害(三次?)も当たり前なのじゃ。 かつてバンコクはたくさんの運河があることから「東洋のベニス・水の都」と称されたらしいが、大雨、洪水の際は「水の廃墟」と化すわけじゃ。 今回の被害も目に浮かぶようじゃよ。 余計な詮索じゃが、数年前に開通した地下鉄構内はどうなったんじゃろうか? 出来立てってこともあり、バンコクの公共環境の中では数少ないキレイな場所じゃったが、やはり泥水まみれになってしもうたんじゃろうか。
 
 今となって懐かしい思い出じゃが、こんな事もあった。 タイ人の友人のアパートに泊めてもらった深夜にすさまじい大雨が降ったんじゃが、1時間もすると友人の部屋は水浸しになったんじゃ。 足のくるぶしまで水に浸かるほどじゃったったが、何とその部屋ってのは5階なんじゃよ。 一体この建物はどういう造りになっとるのかと、日本ではまず出くわすことのない事態に呆れかえってしもうた。
 せっかく泊まってもらったのに申し訳ないと思うたのか、友人はモップで水を廊下に掃き出そうとするのじゃが、廊下も同様の水浸し状態であり、そんなことをしても何の効果もないのに延々とやっとるんじゃ。 アホかこいつは!?と思っていたら、ニッコリ笑って「魚はいませんね」って! これってタイ流のジョークなんじゃろうか。 でもこの一言のお陰なのか、「ここまでやられちゃ、しゃーねーな。 朝起きる頃は水も引いておるじゃろう」ってベッドの上で楽観的な気持ちになったもんじゃ。
 
 大雨のお陰で大変な思いをされておるタイ人の皆様も、持ち前の楽観主義と前向きな姿勢(?)で、水が引くまで耐え忍んでおるんじゃろう。 アレができない、コレもできない、って怒ったり嘆いたりしておるのは、在住外国人だけなんじゃないかのお? とりあえず潔く諦めて、次なる自然の沙汰を待つというタイ人の潔さを参考にしていたかつての自分自身を思い出しておる今日この頃じゃ。 皆様、どうかご無事で! 

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