ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.132


ホテルは語るなかれ!? 
ありそうで殆ど無い、ロック“ホテル・ソング&アルバム”セレクション  




 
前回はニューヨークのチェルシー・ホテル閉鎖に伴い、チェルシーホテルの住人たちから生まれた名作を取り上げてみたな。 ロックが歴史を重ねていく過程で多大な貢献をした数多くのロッカーが居を構えていたホテルじゃから、わしも少々熱くなって語ってしまったわい。 今回は少々方向転換してだな、実在したホテルではのうて、「架空のホテル物語」ともいうべき作品を取り上げてみたい。
 架空のホテル物語となると、ロックには何と言っても2大名曲がある。 
「ハートブレイク・ホテル」と「ホテル・カリフォルニア」じゃ。 というか、この2曲以外に一般的に名曲として知られておるナンバーは無いじゃろう。 またホテル名をタイトルにした名盤というのもあまり存在せんな。 これは実に意外な事実じゃ。 ロッカーというのはツアーに明け暮れるから、ホテルとは切っても切れない縁であり、愛する女性やホームタウンの次にインスピレーションが湧いてくる存在であってもおかしくはない。

 我ら日本人ってのは、ホテルに対してはまだまだ「外出先でのねぐら」程度の認識が強いもんじゃ。 一方欧米人にとってホテルとは、「別荘、別宅」という位置づけであり、また本宅として利用している者も多いのじゃ。 ある程度のスケール以上の欧米のホテルは大なり小なり「癒し、娯楽のテーマパーク」の様相を呈しておる。 どデカイホテルになると、滞在者の日常生活の全てがホテル内で賄える様に趣向が凝らされ、多様な店舗と施設が入り込んでおるもんじゃ。 だからこそ、宿泊せずとも、オシャレを人様に披露するためにホテルへ足を運ぶ方々も多い。 例えば、The-Kingの新作のパンツをゲットしたロッカーならば、「ねえ見て見てあのパンツの人。 クールねえ〜」なんてレディーの熱い眼差しを受けることを期待して、「よっしゃっ! まずはホテル・キング・オブ・キング(あるかどうか知らんが)で乾杯といこう!」となるんじゃよ。  
 人間の悲喜こもごも、また日常の特別な意識なんかが凝縮されているホテルという存在。 それは表現活動の格好のネタになるはずじゃ。 実際に映画や文学の世界では、ホテル・ネタが多い。 ところがロックの場合は何故にかくも少ないのか。 
「ハートブレイク・ホテル」から四半世紀以上。 「ホテル・カリフォルニア」から35年以上が過ぎているのに!
 とまあ、そこら辺の事情を予備知識として携えて、わしの「ホテル・ソング・セレクション」を読んでもらいたい。 華やかな存在である一方で、旅ガラスの人生を余儀なくされるロッカーにとってのホテルの存在意義ってもんを感じ取っていただければ幸いじゃ。 
 (左上写真は、ハリウッドにある、ロック界や映画界のセレブたちに大人気のホテル「シャトー・マーモント」)



ホテル映画の名作を彩ったロックサウンド。 映画界とロック界の重鎮のコラボ!


★映画「ミリオンダラー・ホテル」サントラ盤★
 
  チェルシー・ホテルには「創造と堕落」という相反するスピリットが紙一重で共存しており、どちらに生のベクトルが向くかは、住人それぞれの運命にかかっておった。 さてこの映画は、いわば「堕落」への道を引き返すことが出来なくなった元アーティスト、元有名人たちが住むホテル物語とでも言うべきかのお。 構想、指揮はU2のボノ。 サウンドトラックでもU2とボノが大活躍しとる。 監督は、ロックサウンドをサントラに使用するセンスでは当代随一のヴィム・ヴェンダーズ。 ヴィムは「ホテル撮影」のセンスを磨くためにチェルシーに滞在しておったそうじゃ。
 ロスのダウンタウンのさびれた中型ホテルが舞台となり、一人の住人の死を巡って、自殺か他殺かで他の住人が大騒ぎ。 やがて死者が実は大富豪の子息だったことが判明してから騒動は「金獲り物語」に。 住人たちの心の拠り所であった過去の栄光や将来の夢という幻想も、目の前の大金によって吹き飛ばされてしまい、人間の本性が続々と暴かれていくってのもエグイストーリーじゃが、それと従来はハッピーエンドだったU2サウンドとをフィットさせようとする試みは少々驚きじゃった。
 この映画はな、幻想にすがりついて生きておる者が、自分を支えてくれておる存在(他の住人)の有難味を忘れて俗に走ってしまう、人間のどうしようもない性(さが)へのラプソディー(狂詩曲)なんじゃ。 だからこそボノは聖なる愚者へのララバイ(子守唄)をやってみたかったんじゃろうな〜。 サントラの方はあんまり話題にならんかったが、名盤「ホテル・カリフォルニア」がホテル・アルバムの表千家(茶道の本流的流派)ならば、こちらは裏千家じゃ。


名もなきホテルの取材から生み出た、異色のホワイトブルース・アルバム

モリソン・ホテル/ドアーズ 

 超文学的サイケデリック・バンドでデビューしたドアーズがブルースに回帰した作品。 タイトルになったホテルは、ジム・モリスンとは直接は関係ないが、ロサンゼルスのダウンタウンに実在した一泊2〜3ドル程度の安宿。 低賃金労働者や人生の行き場を失ったご老人たちが住人であり、1Fには彼らが集うバー「ハードロック・カフェ」があったそうな。 ジム・モリスンはこのホテルとバーをいたく気に入り、作品づくりのインスピレーションを得るために真昼間からたむろするご老人たちにビールをご馳走しながら、彼らの話すアメリカの昔話、人生の経験談に熱心に耳を傾けていたそうな。 大酒のみで傍若無人の悪名高かったジムも、この時ばかりはご老人たちを敬う礼儀正しい一人の若者だったそうじゃ。
 ジムがホテル取材から仕入れた昔話や受けた薫陶が骨格となった歌詞に、ドアーズの力強いブルース・プレイがオーバーダブされたのがアルバム「モリソン・ホテル」なのじゃ。
 ラストナンバー「マギー・ムギル」の中で、ジムは自らのことを「ロックンロールのててなし子」と自嘲しておる。 ててなし子とは父親が誰だか分からない私生児のことじゃ。 要するに、母親はロックン・ロール、父親はバーで余生を楽しむ老人たちの魂。 そんな両親から生まれたのが当時のジム自身であり、このアルバム収録曲ということじゃ。 こういう発想がわしは死ぬほど大好き!な時もあったのお〜。



“笑ゥせぇるすまん”が潜む!?怪奇超贅沢ホテル・ストーリー

ランド・ホテル/プロコル・ハルム

 プロコル・ハルムと言えば、ロック史上に残る大ヒット曲「青い影」の印税だけで一生飯を食っていける元祖プログレ・バンド。 メンバーの何人かはチェルシー・ホテルの住人じゃったが、その経験が活かされておるのかどうかは詳らかにされておらんが、彼らのアルバムの方の代表作はこの「グランド・ホテル」と言われておる。
 軌跡、現状、運命の違う住人たちが肩を寄せ合って生活しているホテルの実態をあえて「奇抜」「不自然」と皮肉り、そんな凸凹な人間関係に平静をもたらすのは、超世俗的な「贅沢なもてなし」。 そして「そんなご奉仕をさせて頂くのが我がグランドホテルでございますぅ〜!」というのがこのアルバムのコンセプトじゃ。(深読みし過ぎとは思うがのぉ)
 マジで「笑ゥせぇるすまん」の影がちらつくようなアルバムじゃよ。 美しすぎるメロディと荘厳なアレンジの世界は、華やかな舞踏会のようでありながらも、酔いしれ過ぎるととんでもないしっぺ返し、そう喪黒福造さんに「ど〜〜〜ん!」ってやられてしまいそうな危険性をはらんでおるのじゃ。 果てしなき闇の世界と背中合わせの魅惑的な妖気が漂うアルバムじゃ。 「人間、身の程をわきまえずに贅沢し過ぎると身を滅ぼしますよ〜ホォーホッホッホッホ〜」・・・。


明日はいずこへ・・・。 女神が描いたロッカーの原点

★エリート・ホテル/エミルー・ハリス★ 
 70〜80年代のカントリー・ロック界の女神と言われた清楚系美人歌姫のエミリー嬢。 バーズ、ザ・バンド、イーグルスとの交流も深く、若くして夭折した伝説的フォークロック・シンガーのグラム・パーソンズの彼女さんじゃったんで、ロックファンにも人気が高かったのお〜。 んで、ファンの中でエミルーの最高傑作と呼ばれておるのが1975年発表のこれじゃ。
 わしはジェームス・バートンが全面参加しているってことで発売前から注目しておったが、先行発表されておったタイトルが気にくわんかった。 「エリート・ホテル」ってえとエリートさんだけしか泊まっちゃいかんホテルって意味? 「ふん、そうかい・・・そんならわしはお呼びじゃねーな。 美人は得だなちきしょう!」 だからわしはこの原稿は書きたくなかったんじゃ!とかヘソを曲げておったんじゃが、手にしたアルバムの裏ジャケットを見てビビッときた! ホテルの裏口は長距離移動バス「グレイハウンド」の停留所になっており、早朝のバスを待つエミルーのお姿が。 そうなんじゃ。 どんなに居心地がよくても、次の朝がやって来たら別の街に行って演奏しなければいけないミュージシャンの複雑な心情がこのアルバムのコンセプトだったのじゃ。
 ジェームス・バートンのテレキャス特有のキコキコ・ギターも堪能できるし、イーグルスの初代ギタリストのバーニー・リンドンもやっとる。 近年HONDAのCMにも使われた「トゥギャザー・アゲイン」も収録されとる。 有名だろうとなかろうと、旅から旅を続けるのがミュージシャンの宿命であり、それが出来る者がロック界のエリート! そんな彼女の信念がこのタイトルを生んだのじゃろう。


“盛者必衰”のホテル用語を冠した、70年代の超絶技巧ギターアルバム


スプレンディド・ホテル/アル・ディ・メオラ

 ジャズ、ロック両方のファンから「ギターアルバムの傑作」として名高い1枚じゃ。 70年代のジャズ・ファンってのはとにかくロックをバカにしており、ロック・ファンが「ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ」なんて言っておると、ジャズ・ファンは「ロック・ギタリストなんてレベル低いぜ」とせせら笑っておったな。 実際このわしも彼らからこのアルバムを聞かされて、ジャズファンのむせ返るようなプライドの高さを納得したもんじゃ。 こと音楽的土壌の広さと高度なギターテクニックだけに関しては、ジャズ・ギタリストに軍配を上げざるをえなかったな。 もちろん音楽の魅力とは楽器のテクニックだけではないがな。
 タイトルのスプレンディドSplendidとは「豪華な、華麗な」といった意味じゃ。 本来はホテルを褒める際に使われる特殊な形容詞だったためか、やがてSplendid Hotelと名乗るホテルが世界各地に続々と出現してしまい、もはやSplendid Hotelとは「標準レベルなホテル」「古色蒼然としたホテル」ってなイメージになってしもうた。
 ところがこのアルバムは、アル・ディ・メオラを初めとして、当時のジャズ、ロック界のビッグネームが多数参加して制作されたテクニック最先端アルバム。 しかしそれすらも「どうせ時代が変われば・・・」という自戒を込めたタイトルだったんじゃろう。 こういう皮肉なセンスも、ロッカーよりジャズマンの方が冴えておったな。 ちなみにジャケのクレジットをよお見ると、Splendidのあとにoが付いてSplendido Hoteになっとる。 これは地方訛りか造語じゃろう。 


ジーン・ヴィンセントも熱演していた、伝説の歓楽街ハンブルグのオハナシ

Hotel Eingang/クリス・ファーロウ
 
 
クリス・ファーロウって知っとるか? 1960年代初頭にデビューしたイギリス人R&Bシンガーじゃ。 その黒っぽいヴォーカル・スタイルは「エルヴィスよりも黒い!」と評され、ほぼ同期で同系のシンガーだったミック・ジャガー、ヴァン・モリスン(ゼム)、エリック・バードン(アニマルズ)らが嫉妬していたと言われた実力派じゃ。 スター的な存在になることはなかったが、まだ現役をはっておるブリティッシュ・ロックの「生きた歴史」の一人じゃ。
 そんなクリス殿が2007年に発表したこの“ホテル・アルバム”じゃが、若かりし日にドイツのハンブルグで修業演奏を繰り返していた思い出が歌われておる。 当時のハンブルグは「ヨーロッパ一いかがわしい都市」と言われ、売春婦、ストリッパー、ポン引き、家出人、浮浪者、そして後のビートルズ、ストーンズをはじめとするイギリスのロックンローラーの卵たちが大挙してたむろっておった。 当時ヨーロッパに渡っっておったジーン・ビンセントも、ハンブルグでプレイしとるぞ。 このトンデモハップン!なハンブルグでの思い出を、美化したり演歌化したりせず、すっきりとコミカルに、そして味わい深くクリス殿は語り唄っておる。 圧倒的な歌唱力があるからこそ出来る芸当じゃな。
 Eingangとはドイツ語で「入口」という意味らしく、するってえとタイトルは「ホテルの入口」ってことか。 ハンブルグ全体が後のブリティッシュ・ロックを生み出す精鋭たちが牙を磨いていた巨大なホテルのような存在だったので、これはなかなかクールなタイトルじゃ。


 わしも放浪時代には数え切れんほどのホテルに泊まったが、再び泊まりたくなるホテルってのは、グレードは関係なしに、ある種の共通した雰囲気があるんじゃ。 それは「もう一度泊まりに来たいけれど、何だかもう二度と泊まってはいけないような・・・」とでも言うか、「聖なる悪女」や「超耽美的背徳文学」のような得体のしれない危険な香り、フェロモンがあるもんじゃ。
 長期滞在者が発する生活臭や安然感、またかつての住人たちの精霊なんかがこのフェロモンの正体なんじゃろうが、それがホテル独自の小宇宙へと旅人を誘い込むわけじゃ。 ホテルを描くには、実体ははっきりと見えているのに、惹きつけられる雰囲気の正体が判然としない異次元の世界に取り組む苦痛が伴うのじゃろう。 それは音楽という表現にはあまり適していないのかもしれんなあ。

 結局のところ、「○○ホテル」というナンバーやアルバムは、そのミュージシャンのフリーク限定の愛聴曲(盤)の域を出ないんじゃ。 知らない街での演奏には思わぬ讃辞もあれば、未来が霞んでしまいそうな罵詈雑言(口ぎたない、ののしりの言葉)も多いに違いない。 ささくれ立った心情を癒してくれるのは、その土地土地のホテルの“ささやかなもてなし”だけだったのかもしれない。 ミュージシャンにとって、ホテルは第二の実家、親父さん、お袋さんなのじゃ。 それは自らの胸中深く留めおくべきであり、あーだこーだと安易な作品化はタブーなのかもしれん。 だからこそ、その感謝の念をあえて具現化したこれらの作品には、そのミュージシャンの血と汗と涙がしみ込んでおるのじゃ。 
 とまあシリアスに締めくくってみたが、まずはホテルの存在ってのを再考してだな、The-King新作を披露するに相応しいオキニのホテルを探して、ロックの本場欧米における代表的オシャレ・アクション「ホテル巡り」ってのをこの秋にやってみよう。 ちなみにエルヴィスが50年代に宿泊したハリウッドのKNICKER BOCKER HOTELにナッソー・スーツをキメこんで殴りこみをかける予定じゃ! The-Kingは今後も諸君の想像を越えた新作を発表し続けるから、ファッション・パターンに心配はないぞ!




七鉄の酔眼雑記 〜本場には本流で!

 先日友人と4人で焼肉パーティー。 年寄りも時にはたらふく肉を食ってスタミナつけんとな! さて、腹いっぱい食った後は話題がロックから野球になった。 やはりロックと満腹とは相容れないようじゃの! ってなことはどうでもええんじゃが、突然一人が「ところで七鉄さんは投手やってたらしいけど、変化球って投げられたの?」ときた。
 ざんけんなよワカゾー。 わしを誰だと思っとるんじゃ!!と反論する代わりにだな、黙って手元のおしぼりを丸めてボールにみたて、カーブ、スライダー、シュート、フォーク、パーム等の変化球のスタンダードの握り方を次々と披露してやった。 野郎ども、目が点になっとったな。そして腕の振り方、ひねり方まで披露したらもう拍手喝采!(たった3人だけじゃがの) 特に最近のメジャーリーグでも日本プロ野球でも大流行のカットボール(通称カッター)まで教えてやったもんだから、わしのカブは上がった上がった! 「従来はボールの軌道、変化の仕方から命名されとったが、カッターは投げる瞬間にカッターで紙をスパッと切るような投げ方からそのような名前が付いたんじゃよ」とウンチクまでたれてダメ押ししといたわい! わははは、ザマーミロ! わしは変化球を“投げられた”とは一言も言っておらんぞお〜♪

 とまあジジイの自慢話はここまで。 「他にはどんなのあるの?」とリクエストがあったので、調子こいてチェンジアップ、スプリッター、スクリューとかやっとるうちに酔いが回ってロレツが・・・じゃなくてだな、最近の日本のプロ野球の先発型投手からは、王道つうか、本格的つうか、本当のカーブ、スライダー、シュートにとんとお目にかかっておらんことを思い出した。 みんな本流じゃなくて亜流ばかり。 ストレートなのかカッターなのか。 カーブなのかスライダーなのか。 スライダーなのかチェンジアップなのか。 再生スロービデオで観ても判別できん・・・。
 そう言えば以前に何かの野球本で読んだことがあるが、最近の投手は変化球の王道を投げ続けると肩が壊れやすくなるから、亜流をたくさん覚えるそうなのじゃ。 人間の身体機能はどんどん向上しとるはずなのにおかしな話じゃが。
 しかしのお、亜流での勝利からは本当の自信は芽生えてこんから、投手の存在感自体が弱い。 亜流で打ち取られた打者からは、「やられた」「参った」という敗者の爽快感はなく、「しまった」「謀られた」つった一種歪んだ敗北感しか伝わってこない。 その亜流の勝負があまりにも多いから、投手と打者との一騎打ちの迫力がみられなくなって久しい。
 
 なんつったことを考えながら帰宅した後にスポーツニュースを観たら、「ダルビッシュ自己最多の17勝」という報道をやっとった。 現在日本一の投手であるダルビッシュに対してとやかく言うのも何じゃが、今年から国際規格統一球の使用でダルビッシュの必殺技スライダーの威力は増しているが、メジャー・スカウトからの評価はそれほど高くないと聞いておる。
 彼も来年からメジャーに行くのであれば、多彩な亜流を駆使するんではなくて、かつての野茂や佐々木の様に、変化球の本流、真のウイニングショットを完成させて本場で戦って頂きたい。 イチローも松井も“もうひとつの持ち味”を発揮して堂々と勝負してくれよったが、やはりもう峠を越してしもうたようじゃ。 早く新しい国際的ベースボールスターが誕生してほしいもんじゃ。



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