ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.131

さらばチェルシー・ホテル
世界中のロッカー、アーティストに愛された“梁山泊”が生んだ作品集  



 
「ひとつ屋根の下に、これほど多様な知性が集まった場所は、世界のどこにもありません。 私の唯一、最大の仕事は、このホテルを末永く守り続けることです」  (by最後の支配人スタンリー・バード氏)

 ニューヨーク「チェルシー・ホテル Hotel Chelsea」−ロックの歴史を形成してきた重要な建造物がまたひとつ姿を消すことになってしもうた。 かねてから経営難が噂されておったが、ついに先月大手不動産投資会社に買収され、実質的な閉鎖となった。 このテのニュースは結構ガセネタが多く、またわしは信じたくもなかったので少しの間静観しておったが、公式ホームページもクローズされ、閉鎖を惜しむファンのブログも次々とネットに登場しており、具体的な買収元、買収金額も明らかにされてしまっては、もう観念するしかないのお。 

 チェルシー・ホテルは創業100年を越えるニューヨークの老舗ホテルじゃ。 超デラックスなファイブスター・ホテルでもなく、多彩なアメニティー(館内施設)を誇るエンターテイメント・ホテルでもない。 ここは「芸術家たちの安息の場」「芸術活動の源泉」との誉れも高い、アーティスト志向の強い者にとってはまさに「聖地」「約束の地」でもあったのじゃ。
 全250室のうちの約100室は長期滞在者に貸し出されており、作家、映画監督、画家、音楽家、詩人、俳優、モデルたち、もしくはその卵たちによって長きに亘り占拠されてきたのじゃ。 歴史的なビッグロッカーでチェルシーに宿泊しなかったのは、エルヴィスとビートルズぐらいと言っても間違いではないぐらいじゃ。 わしも近い将来にはThe-Kingファッションでキメキメしてチェルシーにチェックイン&最上階のスイートルームで100泊ほど独占して七鉄原稿を書きまくり!を希望していたのに、まったくもって哀しいわい。 チェルシーの住人ならば、即座にThe-Kingファッションにビビッとくるだろうし、「それどこで買ったの?」とか聞かれるだろうからエラソーにできるが、わしは教えんぞ! 
え? 七鉄さんは泊まったことのなかったの?ってか。 じ、実はな、30年ほど前にズッコケ体験に終わっておるのじゃ。 その思い出話は「酔眼雑記」に記してあるので、そっちも後ほど読んでくれたまえ。

 チェルシー・ホテルを買収した大手不動産投資家は、新しいセレブリティなリゾートホテルにするなんて発言しておる。 歴史の流れとしてしょうがないのかもしれんが、わしはあえて言いたい。 かつてチェルシーを愛したビッグ・ロッカーたちよ。 キサマらはどうしてチェルシー・ホテルを守るチャリティーコンサートとか、救済プロジェクトとかをやらんかったんじゃバカモノ!と。
 仕方が無い。 わしが出来ることは「チェルシー・ホテル」の存在を一人でも多くのロックファン、アートファンの心の中に刻み込むことだけじゃ。 「チェルシー・ホテル」から実際に生まれた作品をセレクトしたので、20世紀のアメリカにおける代表的な“梁山泊”(「優れた人物たちが集まる場所」「アウトローの集合場所」の意味)をどうか覚えておいてほしい!

Part 1〜チェルシーを愛したミューズ(女神)たち 

★ジャニス・ジョプリン★ 
 ご存じ60年代後期の女性ロック・クイーン。 オフタイムのほとんどはチェルシーおよびその界隈で過ごしたそうじゃ。 チェルシー・ホテルから南東に400メートルほど離れた場所に伝説のロック・コンサート会場「フィルモア・イースト」があり、ジャニスはフィルモアのオーナーであるビル・グレアムにゾッコンだった。 ビルに会うためにも「チェルシー」は立地的に好条件だったようじゃのっ! 
 またジャニスは「タール・ビーチ」と住人から呼ばれていた社交場であるチェルシーの屋上が大のオキニイリ。 ライブの名盤 
「イン・コンサート」のジャケ写はここで撮影されておる。 この他にもジャニスがチェルシーでくつろぐ写真は数多く残されておるが、そのほとんどがこのショットの様に屈託のない子供の様な笑顔じゃった。 本当にチェルシーを愛していたんじゃろう。 


★ジョニ・ミッチェル★ 

  60年代後期にデビューしたカナダのシンガーソングライター。 カナダからニューヨークに出てきた時、とにもかくにもチェルシーに住みたかったらしく、その感動を「チェルシー・モーニング」というナンバーで歌っておる。 時には言葉巧みに超難解な歌詞を書くジョニじゃが、この歌は珍しく感情をストレートに表わしておる。 彼女がどれだけチェルシーに憧れていたかがよ〜く分かる。 この曲は後にジュディ・コリンズというジョニと同業の女性にカバーされてヒット。 クリントン元アメリカ大統領は、このジュディ・バージョンが大好きで、自分の娘にチェルシーと名付けたことは有名じゃ。 右の写真はチェルシーの自分の部屋でギターをつまびくジョニ。 彼女の初期の作品の多くがチェルシーから生まれたのじゃ。


★ニコ★
 前衛映画とポップアートの巨匠ンディー・ウォーホールのお抱えだったドイツ人女優&シンガー。 ニコちゃんは、ドアーズのジム・モリソン、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズとも親交があり、彼らがニューヨークを訪れるとチェルシー1階のバー「エル・キホーテ」で落ち合って大酒かっくらうのが歓迎の挨拶だったそうじゃ! わしも仲間に入れてほしかった!
 1968年の初ソロ・アルバムのタイトルを「
チェルシー・ガール」と名付け、ルー・リード、ボブ・ディラン、ジャクソン・ブラウンといったチェルシーの住人でありロック史に名を残すことになるロッカーたちの若き日の作品を朴訥と歌っておる。 音楽シーンが「サイケだ!」「反戦歌だ!」と大騒ぎしている一方で、チェルシーに居たロッカーたちは静かに自分自身を見つめた内省的な作品づくりに没頭していた事をこのアルバムは物語っておるのじゃ。 またブライアン・ジョーンズが亡くなった時、ニコはチェルシーの一室で哀悼曲Janitor of Lunacyを書いて70年発表のサード・ソロの中で披露しておる。  


★イーディ・セジウィック★ 
 ニコとともにウォーホールお抱えのスーパー・モデル。 60年代後半のアメリカを代表するこのモデルさんもまたチェルシーを愛した。 「イーディが帰って来るとホテルのロビーいっぱいに花が咲き乱れたようだった」とは当時のレセプション係の言葉じゃが、イーディは部屋に戻るとドラッグ浸りだったそう。 そのイーディにドラッグを売りつける怪しい売人が頻繁にチェルシーに出入りするようになったという。 通常なら売人とかぽん引きは出禁じゃが、彼らの存在がアーティストには必要であるというホテル側の配慮だったのじゃろう。 しかしその為に彼女は若死してしまうが。 わしが泊まった時も酒屋の出入りを自由にしてくれた!ってなワケねーだろう!
 ちなみにイーディはチェルシーに入居する1967年以前にボブ・ディランと交際しておる。 2人は別れた後に別個にチェルシーに入居するという数奇な軌跡を残しておる。 尚、同じチェルシーの住人だったレナード・コーエン(後述)が書いた「ハレルヤ」という名曲をBGMにしたイーディの美しいイメージ・フィルムがあるのでご覧あれ。


パティ・スミス
 ニューヨーク・パンク界の生ける伝説的クイーン。 ジミ・ヘンドリックスとジム・モリスンに憧れ、身体の成長期には自分の胸が膨らみ始めたことに絶望していたという凄まじい女性! 何かを始めるにはチェルシーに住むしかない!という信仰にも似たチェルシー愛でニューヨークへやって来てチェックイン! パンクロッカーとしてのデビュー前後の数年間をチェルシーで過ごしたそうじゃ。
 彼女の作品の中で直接的にチェルシー云々を聞く事は出来ないが、チェルシーの住人から受けた多種多様なインスピレーションを源として、やがて詩の朗読オンリーで観客を圧倒する凄まじいパフォーマンスにより、彼女は“女性からロッカー”へと変身を遂げるのじゃ。 同じくチェルシーの住人であり、著名な写真家ロバート・メイプルソープと恋仲だったことも有名じゃ。 


Part 2〜ひきこもって名作を書き上げた男たち


★ボブ・ディラン★
 
 「
ローランドの悲しい目の乙女」は60年代のディランを代表するラブ・ソングの名曲。 当時の最愛の恋人サラに捧げた曲じゃ。 この曲を書き上げるために、ディランはチェルシーに引きこもり、不眠不休の創作を行っておったらしい。 ディランはその後もチェルシーに断続的に宿泊して曲作りに勤しんだそうじゃ。
 70年代中期、ディランは突然狂った様な厚化粧して過激なロッカーに変貌。 憑かれた様にハードなナンバーを量産したが、その時も逗留先はチェルシーじゃったらしい。 また近年では、2007年6月に新作「モダンタイムス」のプレス発表会をチェルシーで行っておる。 チェルシーで行われた最後のロック関係の催事じゃろうな。

★レナード・コーエン★
 
 カナダ出身の詩人&シンガーソングライター。 チェルシー宿泊者歴代ナンバーワンのプレイボーイだったらしいが、館内の住人女性と“交わった”関係を懐かしむ「チェルシー・ホテル ♯2」を書いておる。 お相手はジャニス・ジョプリンという噂がもっぱら。 “♯2がNo.2”ってえと、ジャニスは二番手ってこと? じゃあNo.1は? 思わせぶりな何とも“いけすかない”タイトルじゃが、チェルシーが描写されているということだけでロック・ファンにも名高いナンバーじゃ。
 なお2枚目のソロアルバム「ソングス・フロム・ルーム」全収録曲はチェルシーで書かれ、バックジャケットのショットもチェルシーの一室じゃ。


★シド・ヴィシャス★
 名作を書き上げてはおらんが、歴史的名ショットを残した功績を称えて(?)紹介しよう。 パンクの象徴的なショットとして、今も頻繁にポスターやTシャツに使用されておるこのショット(左写真)は、チェルシーでの撮影じゃ。 フロントからほど近い100号室がシドの部屋(撮影場所)じゃった。 
 ピストルズ解散後は恋人ナンシーと一緒にチェルシー100号室にひきこもり、やがてナンシー刺殺(容疑)事件を起こしたことも有名じゃ。 シドはナンシー死後もチェルシーに居座り続け、やがてドラッグのオーバードーズで絶命することになる。 生前「オレはここでジョニー・サンダースとやるニューバンドの曲を書いているのさ!」とご機嫌に語っていたそうじゃが、果たして・・・。 ジョニーは一笑に付しておったがな。


アーサー・C・クラーク&スタンリー・キューブリック
 アーサー氏とは、20世紀のアメリカの代表的SF作家であり科学研究者、つうか、20世紀最大の問題作映画「
2001年宇宙の旅」の原作者じゃ。 アーサーはこの映画のストーリーの着手から完成までの日々をチェルシーで過ごしたのじゃ。 屋上と階段で直結している最上階のスイートルームを長期契約しており、真夜中に屋上で星を眺めながら難解にして壮大な人類生誕のストーリーを書いていたのじゃ。 同映画の監督のスタンリー・キューブリックもまた、アーサーとの打ち合わせのために頻繁にチェルシーに出入りしておった。 



Part 3〜 チェルシー・ホテルが“完全舞台”となった作品


映画「チェルシー・ガールズ」

  チェルシーの住人たちの日常を描いたアンディ・ウォーホールの作品。 前述のニコも出演。 実はこの映画は4時間にも及ぶ大作であり、しかも住人たちの生活の流れを淡々と追った起伏の少ない内容だけに、上映された映画館の客は途中で寝るか帰るかのどっちかだったらしい。 わしもニューヨークの映画館で観たことがあるが、途中から酒がまわってしまってよお覚えておらん・・・。
 ただし各部屋で繰り広げられる人間の喜怒哀楽を、任意の2部屋分だけ適宜の時間セレクトし、2つのスクリーンを使いランダムに映し続けるという当時としては斬新な映像が話題となってそれなりにヒットした。 チェルシー閉鎖ということで、いまだにソフト化されていないこの作品がDVDになることを密かに期待しておる。

★映画「チェルシー・ホテル」★
 原題は「Chelsea Wall」。 チェルシーの住人たちのごく当たり前の日常を、描写場面の切り替えの早さとセリフの重みで構成されたサイレント・ムービーじゃ。 実在する人物や名声を得た人物のキャスティングはなく、夢と現実の狭間で悶々としてる老若男女の住人たちが主役じゃ。
 “一つ屋根の下”とはいえ、強いアーティスト志向をもった者同士の共同生活は、何かと普通にはいかない。 住人それぞれが、他の住人の中に自分自身の姿を見出だすことで慰められたり憤慨したり・・・結局人生とは自分自身との闘いであることを静かに訴えかけてくる映画じゃよ。 ただし、館内設備のショットが少な過ぎるっつうのが難点。 チェルシー名物の屋上、宿泊者専用の美容室、住人たちの作品である館内展示オブジェや絵画などのショットを効果的に挿入すれば、少々難解な会話にもっと色彩感が加わって理解しやすい映画になったじゃろう。



★写真集「セックス/マドンナ」★
 スターになることを夢見た少女時代のマドンナが、ポケットにわずかな有り金35ドルをねじこんでニューヨークにやってきたエピソードは有名じゃ。 「まずは早くチェルシーに住めるようになりたい!」というのが当時の目標じゃったらしい。 その恐れを知らない若かりし日の純粋無垢なエネルギーが必要だったのか、大スターになってから作り上げた衝撃的な写真集「セックス」はその全ショットがチェルシーの822号室で撮影されたのじゃ。
 チェルシーの館内には歴代の宿泊した様々なアーティストたちの霊が漂っておるというが、そうした霊力も恐れることなくとりこむことで、タイトルから連想される一般的な猥褻性を超越しようとしたのかもしれんな。


 その他、撮影場所の一部としてチェルシー・ホテルが登場する映画は
「ナインハーフ」「シド・アンド・ナンシー」「マンハッタン花物語」「レオン」等が有名じゃ。 もちろんこれらは氷山の一角であり、絵画や文学作品も入れると、その数は膨大じゃろう。
 チェルシー・ホテルが営業していた100年余りの間、アメリカは様々な社会情勢下にあったわけじゃが、チェルシーの住人の多くは世の中がいかに変化しようとも、チェルシーの中で己の信じる芸術道を貫いておったのじゃ。 またアーティストたちは時として新しい風を求めて放浪の旅に出るもんじゃが、彼らが放浪先で同好の者に巡り合うと、別れの時の挨拶は 「チェルシーで会おう!」だったそうじゃ。 チェルシー・ホテルはまさに20世紀の先鋭アートを生み出した総本山、巨大工房だったのであ〜る!
 自分自身を支えていた大きな存在が、時代の流れによって無くなってしまうと、世の無常を憂うとともに自分の力の無さも痛感するものじゃ。 ええか、諸君。 近い将来には日本中のフィフティーズ・ファンの合言葉は「The-Kingで会おう!」になるじゃろう。 (かどうかは、君たちのお買物次第じゃがな) The-Kingブランドは、時代の流れ、日常生活の流れに関係なく、いつまでも我々ファン自身の情熱で守りぬいて行こうではないか!





【備考】 手っ取り早くチェルシーホテルの実態が知りたい輩には、次の二冊の書籍をおススメする。 1968年から数年間チェルシーに滞在したイギリス人女性作家が書いたノンフィクション小説「チェルシー・ホテル」。 有名、無名にかかわらず、様々な住人たちが分け隔てなく描かれており、またチェルシーの住人の身辺に降りかかってくる外部状況が、当時のアメリカの社会情勢そのものであることが活写されておる。 
 それから写真集
「Inside/The Chelsea Hotel」(洋書)。 前衛的なショットとポップなショットとのバランスがよく、色眼鏡無しにチェルシーの内部を知るにはもってこいの傑作写真集じゃ。 表紙のショットほど中身は過激ではない(と思う)。 恐らく近い内に値が上がるじゃろう。 ゲットするなら今がチャンスかもしれんぞ! 
 
 


七鉄の酔眼雑記 〜チェルシーホテル幻のチェックインとその結末

 シド・ヴィシャスがチェルシーで若い命を落としてから約1年後(だったと思う)、わしはアメリカ放浪の〆としてニューヨークの地、そして宿泊先は当然チェルシー・ホテルを選んだんじゃ。 サンフランシスコから電話予約しておいたんで、安心してシスコからニューヨーク行きの飛行機に乗ったもんじゃ。
 ところが、チェルシーのレセプションの第一声には耳を疑った!
 「そのようなご予約は受けておりませんっ!」
聞けば館内や客室の一部改装中で、一般の客室数が少なくて予約を受けられる状態ではないという。 指差された方向には、布張りの壁を張り替え作業中のエレベーターが見え、「Sorry、UNDER RINOBENOTION」(ごめんなさい。改装中です)の表記もちらほら見えた。 わしを値踏みして追い返そうとしているようではなさそうじゃった。
 しかし「ご予約承りました」の電話の返答、あれは一体何だったんじゃいっ! すかさずグラサンかけて右ひじをカウンターに乗っけて「ほほぉ〜改装中ね。 商売繁盛大いに結構じゃのお。 それではマネージャーを呼んでもらおうか!」とスゴンデみせたいトコじゃったが、わしのエネルギーは初めてのニューヨーク到着、チェルシー到着によるダブル興奮状態によって既に使い果たしており、「予約記録無し」のパンチを食らっただけでヘナヘナと座り込んでしまいそうじゃった。 ゴリ押しなんてとてもとても・・・情けなかったのお。 かくして憧れのチェルシーホテル宿泊は幻と終わってしまったのじゃ。

 ポーターのオッサンがご親切に(?)近場の別のホテルを紹介してくれたんじゃが、これがもう“この世の果て”“掃き溜めの巣窟”みたいなサイテーの宿屋じゃった。 家賃が払えなくなったり、ジャンキーに成り下がってチェルシーを追い出されて、行く先がなくなった者が辿りつくような宿じゃ。 実際そういう所だったのかもしれんな。 禿げあがったカーペットにシミだらけのクロスの壁。 一部がどす黒く変色したベッドのマットレスからはスポンジがはみ出しておる。 そして部屋中に充満する殺虫剤の匂い。 まったくどこに座ったらいいのやら、どこに立ったらいいのやら・・・。
 一応部屋にはテレビが備え付けてあったが、これがなんと白黒テレビ。 スイッチをつけるといきなり映画「タクシードライバー」がやっていて、そのタイミングの良さに一瞬旅の疲れを忘れかけたものの、5分も経たないうちにテレビがドウンッ!って火を噴きやがった! 即座に巨漢の黒人掃除婦がすっ飛んできて「何やってんのよっ!」って怒鳴りつけるし、チェックイン早々散々な目に遭ったもんじゃよ。
 昼間のエレベータにはいつも年老いた白人の盲人が乗っていて、毎回毎回真っ赤な錠剤を売りつけてくる。 「いらねーっつってんだろうがっ!」と何度言ったことか。 夜間になると盲人と入れ替わりに、傘の骨みたいに痩せこけた白人のオバサンがおり、青い目をかっと見開いて抱きついてくるんじゃ。 どうやらエレベータは、闇の住人にとってのビジネスの“受付”だったのじゃ。 深夜になると、あっちこっちの部屋から絶叫やらうめき声やらが聞こえてきて眠れやしない。 化け物屋敷そのものじゃった。 火を噴いてオシャカになったテレビを「弁償しろ!」と言われかねんので、チェックアウトは早朝に裏口からこっそり抜け出したもんじゃ。 宿代は前払いだったから踏み倒したわけではないぞ! 

 そう言えば、ニューヨーク名物「自由の女神」を2時間歩いて観に行ったら、これまた改装中で女神のお顔にシートが張られて拝むことも出来んかった。 途中ホモ・カフェに入り込んでしまって卒倒したな。 現地在住の友人に公衆電話から電話をかけていたら、買ったばかりのレコード数枚が入ったバッグをひったくられたな。 しかも友人は電話に出んので、直接尋ねて行ったら「旅行中」の張り紙。 と、まあニューヨークの思い出は踏んだり蹴ったりじゃったが、それさえも時の流れの中で「良い思い出」に変換されていったのもニューヨークという都市の魅力、魔力なんじゃろうな。 しかし何故意地でもチェルシー・ホテルに部屋を用意させなかったんじゃ、わしは。 悔やまれるのはその一点だけじゃ! 


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