ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.112


 つい先日「ミレ二アム」って騒いでいたと思っていたら、21世紀はもう10年が過ぎようとしておるな。 「反逆者のシンボル」と言われたロックも、“実態”はさておき、とりあえずは世間様において市民権を獲得しておるようじゃな。 未発表曲が頻繁に発掘、発表され、音質もどんどん良くなり、新しい伝記や研究書なんかも次々と登場するし、本当にロックファンにとって、ストレスをあまり感じない世の中になったもんじゃ。
 でもな、ストレスが少ないってことは「サプライズ」が無くなったってことじゃよ。 The-Kingの「新作サプライズ」ぐらいのもんかいのお〜。 毎回毎回サプライズを起こせるっつうのには誠に恐れ入るわい! さて、わしらが若かりし日より、ひいきのロッカーを愛し続けることができた要因は、この「サプライズ」を時々与えていただけることにあったんじゃ。 サウンドやファッションの変化、その価値を煽る大胆な言動、音楽以外での新しい表現手段などなど、ロッカーが長く愛されるか、否か、の重要なポイントが「サプライズを起こせる能力」だったと言ってもええな。
 そして忘れてはならん「サプライズ」のひとつが、「意外な!共演」じゃ。 「エー! ウッソー!! ホントー!?」、てか「アイツとやったって、それマジかよ!!」ってヤツ。 70年代ぐらいまでは、別々のレコード会社に所属するロッカー同士が同じアルバムでクレジット出来ない契約条件だったこともあり、業界の裏事情、ロッカーの知られざる交流なんか、我々ファンが嗅ぎ取ることは難しかったもんじゃ。 またたくさんのロッカーが一堂に会するイベントなんて滅多になかったもんじゃ。 だからこそ、意外としか思えない共演の商品価値は極めて高かったもんじゃ。 今回はそんな「情報極小時代」にロック・ファンを驚かせた「意外な共演」をご紹介しよう。 ロックも人生も、サプライズが多くないと退屈じゃ!


ロック懐かしの「エー!ウッソー!!ホント〜!?」 
            〜ファンを驚かせた「サプライズ共演」 

   

■acciedent-1 ブライアン・セッツァー&ジュリー・レイテン
  「ドント・セイ・ユー・ラヴ・ミー」
(2006年) 「ギミー・サム・リズム・ダディ」(2009年)

 まずは冒頭の写真のこのデュエットから。 我らがブライアン兄貴と奥様との共演じゃ。 「ドント・セイ〜」は布袋君も参加したことで人気の高いアルバム「13」に収録されとったな。 これはジョニー・キャッシュとジューン・カーター夫妻のデュエットを意識してレコーディングされたらしいが、ロックの歴史の中で、奥様とのデュエットって、プロジェクトになっておったジョン・レノン&ヨーコさんや、ポール&リンダ・マッカートニー以外では、他にもあったかいのお?
 昔っからロッカーは、日常の生活臭やファミリー臭が作品の中に滲み出てくると、「老成した証拠」と言われたもんじゃが、ブライアンにはまだまだ突っ走ってほしいところなんでこういう企画は何だかな〜と思うたが、いざ聞いてみたら、誰と組もうが、誰とデュエットしようが、ブライアン節は健在! わしの心配は杞憂に過ぎなかった。 次のデュエットは「ソングス・フロム・ロンリー・アヴェニュー」に収録された「ギミ・サム〜」で、これも申し分なしのゴキゲンなロックン・ロール! 新作「プレミアム・フラップ」履いて暴れたくなる! 御見それ致しましたってとこじゃ。 イカした奥様をお持ちのようで羨ましい〜!



■accident-2 ビートルズ&ブライアン・ジョーンズ
  「ベイビー・ユア・リッチマン」
(1968年)  「ユー・ノウ・マイ・ネイム」(1968年)

 
 わしが最初に「サプライズ!」したのは、ビートルズの曲にローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが参加しているという事実じゃったと思う。 どうやって入手したかはもう覚えておらんが、確かイギリスの音楽雑誌に掲載されていたはずじゃ。 わしが驚いたのは、ブルース・ピュアリストのブライアンが、当時革新的なセンスでロック界を凌駕していたビートルズをサポートしたってことじゃった。 2曲とも全然ブルースじゃないし、わざわざブライアンを呼んでくる必要あるのか?と思ったもんじゃよ。
 「ベイビー〜」ではオーボエ、「ユー・ノウ〜」ではサックスをブライアンは担当しておるんじゃが、ブライアンのブルース・センスよりも、30種類以上の楽器をこなせるマルチプレイヤーとしての才能がビートルズに必要とされたようじゃな。 2曲ともジョン・レノンの遊び心がさく裂したエンジョイ・ロックじゃが、ブライアンのロッカーとしての興味深い一面を知ることが出来るな。

 

■accident-3 ドアーズ&ジョン・セバスチャン  「ロードハウス・ブルース」 
(1970年)

 60年代末期には全米No.1の人気ロック・バンドになっていたドアーズ。 しかし彼らの孤高の音楽センスも徐々に色あせていき、「サージェント・ペパー〜」の真似事までやってしもうて大失速。 仕切り直しで臨んだといわれる70年発表の「モリスン・ホテル」はいきなり荒々しいブルースで幕を開けたのじゃ。 そこには本物!と思えるブルースハープが鳴り響いておった。 
 クレジットをみると、聞いたこともない人物名。 「はあ? アンタ誰」と思う反面、ドアーズと黒人ブルースマンとの共演のハマリ具合にわしは驚いたもんじゃ。 そこでアドヴァイスしてくれたのが、アメリカン・ロック・フリークじゃった当時の友人。 「これ、黒人のハープじゃないな。 絶対に白人のプレイだよ」と。
 結局このハーピストの正体は分からんかったが、数年後についに判明した。 何とラヴィン・スプーンフルという、ドアーズと同時期に活躍したバンドのリーダー、ジョン・セバスチャンだったのじゃ。 ラヴィン・スプーンフルといやあ、ポップアイドル的なフォークバンドだったので何でドアーズと!と二度ビックリ!! とともに「黒人のハープじゃない!」と断言していた友人の耳の良さに脱帽した!


■accident-4 ジェフ・ベック・グループ&ドノヴァン 「バラバジャガ」
 (1969年)

 ドノヴァンと言えば、“イギリスのディラン”“歌う吟遊詩人”と称されたフォーク・シンガー。 それが当時ハードロックの旗手と言われた第一期ジェフ・ベック・グループと共演!ってのには「一体何をやろうってんだ?」ってロックファンはみんな驚いたもんじゃ。 これは両者が在籍するエピック・レコードの名物プロデューサーであり、ヒット曲づくりの名人だったミッキー・モストの企画じゃった。 両者のファンを一度に取り込んじまおう!という思惑じゃな。
 ジェフ・ベックお得意のファンキーなハードロックをバックに、ドノバンが気持ちよさそ〜に歌うナンバーじゃった。 ドラッグに酔ってヘロヘロと不思議なフォークを歌うというイメージが強かったドノヴァンも、実はイカシタロックも歌えるのだ!ってドノヴァン側のファンには新しい宝物となったナンバーじゃった。
 


accident-5 レッド・ツェッペリン&サンディー・デニー 「限りなき戦い」(1971年)

 これもまた当初は奇妙な共演と言われたもんじゃった。 当時ハードロック一辺倒で巨大なアメリカ市場を征服していたツェッペリンに、ブリティッシュ・フォーク(民謡的フォーク)の女性シンガー・・・。 「?」がいくつ付いてもおかしくない奇妙キテレツな共演じゃった。 名曲「天国への階段」が収録された4枚目のアルバムでの企画じゃが、その真相は実は3枚目のアルバムにあった。 
 彼らのハードロッカーとしてのスタイルにしか興味の無い一般的なメディアやファンは気がついておらんかったが、3枚目のアルバムB面全曲において、彼らは神秘的なフォーク・ミュージックを展開しておったのじゃ。 これは元々ジミー・ペイジの志向でもあったのじゃ。 バンドの新境地開拓としての実験演奏であり、その区切り、節目として4枚目のアルバムにフォーク界の歌姫サンディー嬢をご招待したというワケじゃ。 わしにとって、「ブリティッシュ・フォーク・ロック」を探求するきっかけになった曲でもある。


 
■accident-6 カーリー・サイモン&ミック・ジャガー 「うつろな愛」(1972年)

 当時新進の女性ポップ・シンガー、カーリーのシングル曲にミック・ジャガー参加!って、これは業界全体で話題になっとったな。 わしなんか、「なあ〜に、女好きのミックが、ちょっかいだしついでにコーラスつけたんじゃろう!」ぐらいにしか思ってなかったが、曲は大ヒットしたな。

 でもミックのコメントがおもしろかったぞ。 「あの女は一曲コーラスつけてやったら、“はい、お疲れ様。 もう帰っていいわ”って言いやがった。 何様のつもりだ」と! 当時のミック&ストーンズはそのキャリアの中でも最盛期と言える人気を誇っていただけに、そのミックに「もう帰っていい」なんて、スゲ〜女だと思うたよ。 二人とも口が異常にデカイだけに、食い合う、じゃなくてハモル図を見たかったもんじゃ!


■accident-7 ロジャー・ダルトリー&ビッグ・ドラマーズ 
           「アンダー・ア・レイジング・ムーン」
(1985年)

 80年代以降は、「ライブエイド」なんかもあって、ロッカー同士の友好活動が頻繁に報道されるようになったので、サプライズはすっかり減ってきおった。 段々とフツーになってきたロックシーンにおいて、久々のサプライズはこれ! ザ・フーのリード・シンガーのロジャーが、自身5枚目のソロ・アルバムで、ロック史上空前のレコーディングを行ったのじゃ。 それはタイトル曲においてだな、8人のドラマー全員にドラムソロをやらせる!って大盤振る舞いじゃ! 
 それも、スチュワート・コープランド(ポリス)、コージー・パウエル(ホワイトスネイク)、ロジャー・テイラー(クイーン)、ザック・スターキーらのビッグネーム・ドラマーばかり! 約1分間に8人が交代でドラムを叩きまくるのじゃが、「ここはコージーだろう!」「いやロジャー・テイラーじゃないか?」とか、 「でも8人が束になっても、ザ・フーのオリジナル・ドラマー、キース・ムーンには敵わんな〜」とか思いを巡らすことの出来る、実に楽しくて有難い企画じゃった!


■accident-8 ドン・ヘンリー&アクセル・ローズ
               「アイ・ウィル・ノット・ゴー・クワイアットリー」
(1989年) 

 
 80年代のサプライズをもうひとつ。 タイトルを意訳すれば「これからは暴れるぞ!」じゃ。(ぉお!まるでエビゾー君ではないか!) イーグルスのリードシンガーじゃったドン・ヘンリーが、サード・ソロ「エンド・オブ・イノセンス」でデュエット相手に指名したのは、当時“飛ぶ鳥落とす勢い”じゃったガンズン・ローゼスのリードシンガーのハンドル、いやアクセルじゃった。
 アルバムの方は、かつての名曲「ホテル・カリフォルニア」で実証済みの、アメリカ人を泣かせる大人の浪漫とノスタルジーが溢れておって、ドン・ヘンリーは第32回グラミー賞、ロック男性ヴォーカル賞を受賞したもんじゃ。
 しかしアクセルとのデュエット曲はヘヴィーなロックン・ロールであって、アルバムの中でも完全に浮いとるが、これがメッチャカッコイイ。 浪漫がどうした!ノスタルジーがどうした!オヤジ・ロックをナメんじゃねえ!って感じ。 アクセルも「望むところだ!」とばかりにガナリタテテおった!
 

■accident-9 クイーン&ポール・ロジャース(2003年)

 最後に近年のもっともビッグなサプライズを取り上げておくぞ。 今まで何度も書いてきて恐縮じゃが、ポール・ロジャースはロック史上随一のブルース・シンガー。 それがオペラチックなサウンドのクイーンと共演だとお? わしは当時東南アジアにおって、この“奇報”を友人が日本から持参してきた音楽雑誌で目にした時、クイーンもポールもマジで「気が狂ったか!?」と思うたよ。 しかもアルバム1枚まるごとで、ワールドツアーもやるという。 バカも休み休み言え!ってもんで、わしは日本から遠い異国の空の下でひとり憤慨しておったよ。
 でもやはり超一流のシンガーってのは違うな! なんだって歌えるものじゃ!!なんて大人びた事を言うつもりは、今もさらさらないぞ。 予想していたほどはミスマッチではないものの、餃子にジャムを付けて食べるような?ものじゃよ。 いやラーメンスープでパスタを・・・なんだかよくわかんなくなってきたが、いまだにわしのセンスでは消化不良のストレンジな事件じゃった。


 取り上げてきたロック史のサプライズ共演の数々。 では締めとしてナイスなジョークによる共演をもうひとつ! キング・エルヴィスは純粋な音楽活動の中では、わしが「サプライズ!」と感じた共演はあんまりない。 じゃがZ.Zトップという、アメリカ大陸を疾走する長距離トラック野郎たちに絶大なる人気を誇ったネアカ・ハードブギ・バンドが、ビデオの中でエルヴィスと共演しとるんじゃ! 曲はエルヴィスのカヴァー「ビバ・ラスベガス」で、自分たちの演奏シーンもあるプロモ映像の中にエルヴィスのアクションシーンをチャッカリ合成しちゃったのだ! もちろんエルヴィスのそっくりさんじゃが、80年代のMTV時代を代表するお笑いプロモ映像じゃった。 ZZトップは「エルヴィスとの共演を生涯の誇りにする!」なんてヌカシテおって! いいねえ〜こういうマジなんだかジョークなんだか分らないフィーリング! 
 また、ギターのビリー、ベースのダスティの、ダイヤを散りばめたホースシュー(?)をあしらったテンガロンハットをかぶったシーンもあるぞ!(このホーシュー、The-Kingのデザインものの方が断然カッコいいがな!) 

 いやあ〜真剣勝負あり、お遊びあり、ビジネス・アクションあり、単なる話題づくり(?)ありじゃが、振り返ってみるとやっぱりどれも楽しませていただいたもんじゃ。 ミュージック・ソフトが売れないといわれるこの時代、つまらん未発表テイクや付録品なんかよりも、1曲でいいからこういう「サプライズ共演」をぶち込んでほしいもんじゃ。 ロック・ファッションのサプライズはThe-Kingが約束してくれておるので、あとはソフトの方じゃ。 レコード会社のお偉いさんやプロデューサー諸君、「サプライズのクリエイト」に労や経費を惜しむなかれ! 


七鉄の酔眼雑記
 〜あまり飲めんなあ、今年の忘年会は・・・

 ふ〜む・・・エビゾー君、“やって”しもうたな。 かねてより酒癖の悪さが噂されておったが、ついに来たるべき時が来てしまったようじゃ。 才能も地位も名誉もカワユイ奥様もいらっしゃる男が、なんで酒を飲んで大暴れせにゃならんのじゃ!ってのはトウシロウの意見であって、実は「酒乱」ってのは、持って生まれた不治の病じゃからどうにもならんのじゃよ。 
わしのことではないぞ! 記者会見では頭を垂れておったが、事件がひと段落したらまたやらかすぞ、必ず。
 
 わしの“かつての”知人にも、絶望的に酒癖が悪いのがおってな。 彼らの破滅の人生を目の当たりにしておるだけに、エビゾー君もそうなってしまったらと、正直ゾッとしておるんじゃ。 かつての知人、その一人は中堅の商社に勤めていた優秀な男性サラリーマンじゃった。 若くして会社の役員にまでなって、やがて業界をしょって立つ大物になる風格があったもんじゃ。
 もう一人は、モデルさんクラスの美貌を誇った女性じゃ。 自作のブログでも、自慢の写真をアップしまくって芸能界入りを目論んでおった。 一緒に歩いておったら、すれ違う人の多くが振り返るほどのいい女じゃった。
 でもこの二人の人生の顛末を話すとだな。 男性の方はやがて会社で窓際族にされてしまい、それが原因で酒量がエスカレートして家族は離散。 サラリーマン時代の栄光は見る影もなく老いぼれてしもうた。 女性の方は、事あるごとに人間関係、異性関係でトラブルを起こしまくり、二度と顔を出せない所が増えるばかりの逃亡者生活。 40歳前の今ではネットカフェ難民状態と聞いておる。 あるサイトでは「卑劣極まりない最低の女」との書き込みがされておるらしい。

 この二人はアカの他人同士なんじゃが、2つの共通点があったもんじゃ。 ひとつは、ホロ酔いになると必ず同じ事を言うんじゃな。 「酔っ払ったからって、それがどうしたっていうんだ!」 そしてこの発言が合図のように、そこから飲み方がターボに入るんじゃよ。 さらに、酒は何でもいいんじゃ。 チャンポンなんかお構いなしの、手当たり次第!ってな感じじゃった。 「こいつ、飲めと言われりゃ料理酒まで飲むんじゃないか?」って呆れ返ったよ。 ちなみに二人は血液型も誕生月も同じじゃったが、これは単なる偶然とは思うがな。
 なんか書いているうちにうすら寒くなってきたが、わしにも若い頃の酒による失敗はいくつかある。 でも彼らと何度か飲んで目撃した信じられないような醜態が「反面教師」になって、わしの酒の失態は次第に減っていったもんじゃ。 季節は待望!の「忘年会&新年会シーズン」。でも今年はエビゾー君事件と堕ちた知人の記憶で、わしの酒量は少〜しだけ(!?)落ちるかもしれんなあ〜。 たまにはそんな師走&新年もいいかもしれん。 諸君、くれぐれも酒宴はハッピー・エンドにしてくれたまえ。 自戒を込めて、わしは心からそう言いたい!


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