NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.101

 お蔭様で、当コーナーが前回において無事に100回目を迎えられたこともあり、わしの酒量もここぞ!とばかりにアップしとる! 先日しこたま飲んで終電で帰宅する途中、電車の中刷り広告に信じられない意外な文字を見つけた。 その広告は今年7月30日から3日間開催される「フジロックフェスティバル10」のものじゃが、出演者のリストの中に「John Fogerty」があったのじゃ。
 John Fogerty―ジョン・フォガティー。 諸君はこの名前知っとるか? 60年代末期から70年代初頭まで大ヒット・シングルを連発した伝説的ロック・バンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(略称CCR)のリーダーじゃよ。 来日の報にあまりにも驚いたので、さっそくジョン・フォガティー特集でも書いてみようかと思うたが、ちょっと待て!
 このジョン・フォガティーというロッカー、わしにとってはロック史を学ぶ上での「大先生」、いやちょっと違うな、「大師匠」だったのじゃ。 というのも、このお方はロックの実に様々な側面や深~い部分へとわしを導いて下さったのじゃ。 諸君にもおるじゃろう。 「このロッカーにハマったことが、ロックを深く、幅広く愛するきっかけとなった」というような存在が。 わしにとって、その最右翼がジョン・フォガティーなのじゃ。 そこでジョン・フォガティーの魅力をダイレクトに紹介することよりも、ジョンに導かれ、学ばせて頂いたことを諸君にも紐解いてみたいと思う。



祝38年ぶり来日! 
 七鉄の“ロック司令塔”だった
 ジョン・フォガティーが導いたディープな世界


■プロローグ■

 CCRはジョン・フォガティーのワンマン・バンドだったと言っていい。 オリジナル曲の作詞作曲、リードボーカル、リード・ギターを一手に担っておった。 そしてカヴァー曲にしろ、オリジナル曲にしろ、彼が手がける曲はブルースとカントリー・ミュージック(ブルーグラス)の素材の良さを失うことなく、見事にロック調にアレンジされており、そのセンスはまさに空前絶後! アメリカンミュージックの過去と現在との凄すぎる「橋渡し役」だったのじゃ。
 しかし73年にCRRが解散してから、ジョン・フォガティーの存在が日本でクローズアップされることはなくなった。 本国アメリカでは、ロック界(カントリー界)の重鎮として充実した活動を続けておるが、既に日本では長らく無名といっていい。 そのジョン・フォガティーが来日だと~? わしゃあ~酔っぱらって見間違えているんじゃないかと、何度も我が目をこすって確認したもんじゃ。
 ちなみに、ジョン・フォガティーはCCRの一員として1972年2月29日に1回こっきりの日本公演を果たしておる。 もちろんわしは行ったぞ! チケットに印刷されたバンド名の誤植にズッコケタし、絶対にアンコールをやらないバンドであることを知らない日本のファンが暴れ出したこともよう覚えておるが、あれから数えて、実に38年ぶりの来日だそうじゃ。



■盲目のカントリー・ギタリスト、ドク・ワトソンとの出会い■
 ジョンのギターは、「ちゃんとピッキングしてんのか?」「フィードバックしてんのかしてないのか?」等など、よーするに上手いんだか下手なんだか、よお分からんように聞こえる独特のトーンが持ち味じゃった。 そこでジョン曰く「俺がドク・ワトソンみたいに弾けたらあんな音出さねーよ」と。
だからわしはドク・ワトソンってのを調べまくったな!
 なんのことはない。 カントリー界では知る人ぞ知る盲目のテクニカル・ギタリストじゃった。 フラット・ピックと自分の指とを同時に使って弾きまくる(クロス・ピッキングというらしい)際のテンションは凄まじかったらしく、あのジョニー・キャッシュ御大が驚いたっつう逸話が残っておる伝説のギター弾きじゃ。
 ジョニーは、ドク・ワトソンが「オレンジ・ブラッサム・スペシャル」のバンジョー・パートとギター・パートを同時に弾きまくるテクに絶句してしまい、その後しばらく十八番であるこの曲を歌えなくなったらしいぞ。 このハナシ、ジミ・ヘンドリックスよりスゴイエピソードに思えたもんじゃ。
 またドク・ワトソンがデビューしたのは1964年の40歳の時! これもまた当時のわしにとっては衝撃的! スゴイ音楽は若者がやるもんじゃ!と信じておったからたまげたのお。 ブルースやカントリーといった音楽が、歳を取ればとるほど味のある演奏が出来るなんてアタリメーなことを若き日の七鉄に教えてくれたのがドク・ワトソンだったってワケじゃ。

ミッドナイト・スペシャル→レッドベリー→スティーブン・スピルバ■

 CCRが一時期ステージのラストナンバーとして演奏していたという曲が「ミッドナイト・スペシャル」。 アメリカのトラディショナル・ソングなので諸君の中にも知っておる方もおるじゃろう。 わしはこの曲が大好きで、いつものように色々と調べた訳じゃ。 そこで辿りついた新説が、「実はトラディショナルではなくてLeadbelly(レッドベリー)という黒人ブルースマンの曲らしいということ。
 七鉄青年はまた調べた! レッドベリーは1888年生まれで、これは何とあの“キング・オブ・デルタ・ブルース”のロバート・ジョンソンより先輩ではないか! ブルースマンには珍しい澄んだ声と12弦ギター専門というレッドベリーの個性にわしはあっさり!とハマってしもうた。 単純じゃのお~。
 更にレッドベリー発掘でますます「ミッドナイト・スペシャル」が気に入っていた1974年のある日、日本で「続・激突!/カージャック」という映画が公開された。 今をときめくスティーブン・スピルバーグの若き日の出世作じゃが、このストーリーが「ミッドナイト・スペシャル」の歌詞にクリソツ。 そこで七鉄青年はまたまた調べまくり、自分のヨミが正しかったことが判明したのは数年後じゃったかな。
 「ミッドナイト・スペシャル」とはすなわち「夜汽車」のこと。 テキサス州ヒューストンのシュガーランドにある刑務所に服役中の男が真夜中に刑務所近くを通過する夜汽車の光にむかって、自分の自由を誓う男の心情を綴った歌詞は、映画の根幹になるほどの深~い情念を漂わせた逸品じゃ。 ちなみにわしはスピルバーグのファンではないが、この一件以来無視はできない存在となり、公開された映画はとりあえず全部観ておる。 「続・激突!/カージャック」という映画、原題は「The Sugarland Express」じゃ。


■ ディル・ホーキンス&リッキー・ネルソンの再考 ■


 ジョン・フォガティーがやることは何でもOK!のわし。 当然、彼が採用するカバー曲にもハマった。 代表曲がディル・ホーキンスの「スージーQ」と、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリールウ」「トラヴェリン・マン」じゃ。 それまで、ディルもリッキーも身銭を切ってレコードを買うほど好きではなかったが、ジョンのお蔭で買ってしもうたよ。 何という単細胞!
 ディル・ホーキンスは、フィフティーズ・ファンなら誰でも知っとるロカビリアンじゃが、「ほほぉ~、当時のロカビリアンの中では突出したポップ・センスをもっとるのお~」とか、「もうちょっとカントリーフレイバーを取り除けば、曲が垢ぬけしてきてもっとビッグになったかもしれん」なんてエラソーに再評価したもんじゃ。
 リッキー・ネルソンは完全にティーン・アイドルとしかみなしておらんかったが、あらためて聞き直してみると、60年代初頭にしてはバックの演奏は気合が入っておるし、当時アメリカで流行していた「ベタ甘ポップス」とは一線を画する骨のある音楽をやっていたことを遅まきながら気がついたもんじゃ。 後にエルヴィスと活動を共にするジェームス・バートンが参加していたから当たり前のハナシじゃがな。 「ハロー・メリールウ」に至っては、リッキーのオリジナル・バージョンの方が気に入ってしまった!
 しかしまあ、お二人ともYou Tubeで観られるファッションは今いちじゃな~。 イカシタ演奏しとるんだから、もうちょっと何とかならんか! ナッソー&ピストル・パンツ、そして足元はMINTGRAYのサイドゴアあたりでキメテいたら、曲のグレードもグッとアップしたんじゃがな。


■ スワンプ・ロックへの誘い ■

 スランプ、いやスワンプ・ロックとは、アメリカ南部の泥臭いサウンドをベースにしたっつうか、時にはベルボトムジーンズの裾から砂埃的な熱気がむわ~と入り込んでくるような?!ロックじゃ。 スワンプ・ロックの大傑作にはエルヴィスの「イン・メンフィス」があるが、ありゃ~エルヴィスの歌の凄さに感服してしまって、スワンプとかトランプとかどーでもええ! もうどーにもならない!
 で、そのスワンプ・ロックなるものにわしが着目したのは、英字ロック雑誌でCCRの記事の中に「King of SWANP ROCK」という表現を見つけたからじゃ。 「ほほぉ~、こりゃー追及せなあかん!」ってことで、デラニー&ボニー、一時期のエリック・クラプトン、デイブ・メンスン、ジョー・コッカー、レオン・ラッセルらを聞きまくることにつながったのじゃ!
 でもな、いまだに日本では「スワンプ・ロック」というと、どういうワケだか前述のイギリスのロッカーばかりが紹介されとるが、違うぞそれは! スワンプのソウルをもってロックできるのは、第一がエルヴィス、第二がジョン・フォガティーじゃバカモノ!


■ エピローグ  ■

 ということで、ジョン・フォガティ恩師がわしに与えて下さった貴重な体験をかましたわけじゃが、残念ながら「フジロックフェスティバル」はどうしても外せない私用があって行けんのじゃ。 諸君の中でチケットをゲットしとる者がおったら、是非ともジョン・フォガティーの演奏の感想を聞かせてもらいたいところじゃ。
 ジョン・フォガティを知らん輩に一言伝えておくぞ。 決してかつての栄光にしがみついておる年金目当ての元ロッカーではない。 1997年発表のアルバム「ブルー・ムーン・スワンプ」はグラミー賞最優秀ロック・アルバム賞を受賞しており、以降積極的にツアーもこなしておる。
 昨年4月のニューヨーク・新ヤンキー・スタジアムのオープニング・セレモニーに招かれて、1985年に全米1位となったアルバム「センターフィールド」のタイトル曲を熱唱して大喝采を浴びたお人であることをどーか忘れんようにな!



七鉄の酔眼雑記 
~困ったらお子様ランチ?!

 世間では「弁当男子」(だったかな?)という男性が流行っておるらしいのお。 要するに手作り弁当持参の男の子のことじゃ。 長らく自炊派のわしとしては「何が珍しいんじゃろう」と思ってしまうが、そんなわしも自炊を中断してしまうことが年に何回かはある。 料理が面倒になるのではなく、自分が作る味に飽きてしまうのじゃ。
 しかし外食ともなれば、レパートリー拡大の勉強にはなるものの、経費はかさむし、オキニの店にはそう簡単には当たらない。 味にうるさいわしとしては、こーいう時期は何となく憂鬱になり、食欲自体が落ちてしまうのじゃ。
 なんとかならんもんかな~と悩んだ挙句、「自炊に飽きてきたらカレー」という結論に至ったのじゃ。 カレーといえば、いつの時代も子供の大好物じゃな。 楽天マー君、ゴルフの遼くんのCM効果もあって、カレーのルーの売上は伸びておるらしいが、わしにはそんなことは関係ない。 食べること自体がうんざりしたある日、処分に困っていた食材をブチ込んで作った七鉄カレーがうまかっただけのことじゃ。 食材に含まれる栄養素はまるごと摂取出来るし、メシもすすむし、チキン、ポーク、野菜、豆とバリエーションも豊富じゃし、調理も面倒臭くない。 それに気がついたのが昨年じゃったかな。それ以来「自炊に困ったらカレー」という習慣が根付くことに成功!
 実はわし、子供時代はカレーを出されても、ちっともうれしそうな顔をしない、かわいくないガキじゃった。 カレーだけじゃない。 子供が好きなハンバーグ、ナポリタン、オムライス、エビフライはどれも好きではなかったのじゃ。 それを思い出して、今度はカレーに飽きたらハンバーグ→ナポリタン→オムライスとやっていったら、気がつくと元の自炊習慣が復活! 子供時代に敬遠していた料理が起爆剤になったわけじゃ。 ホンマ人生って長くやっておると何がひっくり返って役に立つかわからんもんじゃ。 長生きってのはしてみるもんじゃのお~♪ しかしよくよく考えてみると、カレー、ハンバーグ、ナポリタン、オムライスって、まるで「お子様ランチ」みたいではないか! この際だから旗でもさして食べるか!! 



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