8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.99
                                                                                       
              
                  頑固8鉄劇場

 みなさん、こんにちは。前回はズル休みしちゃって、えろすんまへーん!! ツルコーかっ!! いやカゼって事になっていたんだっけ??  ゴホン、ゴホン!
ってざぁーとらしいったらありゃしないよね! 今回は....イマのキミはピカピカに光ってぇ♪なんてやってたあの時代にタイムスリップしたわたくし劇場であります。


 今から32年前の1980年3月、国学院高校を卒業した後、僕は、次の進学先の早稲田大学法学部で司法試験を目指すつもりでいた。
 うららかな5月のある日、法学部8号館の建物を出たすぐのところにある小さな洋食屋に、法学部のクラスの仲間が何人か集まった。ここは、その後、なんとなく決まった僕らのたまり場になっていった。看板メニューのナポリタンは、量はすごいが昔ながらのケチャップ味で、うまくもなくまずくもなく、当時ですら懐かしい感じがしたものだ。
 「スエちゃんも弁護士目指すのか。」
 「いや、俺は、全然そんなこと考えてないよ。」
 「こんなかで誰が受けるんだ?青柳は?」 
 「このメンツには、誰もいないんじゃないか? 誰か受ける? 司法試験。」
 「おれはやだよ、勉強嫌いだし。就職できりゃいいじゃん。」
 「オオタニとかイナダは受けるだろうな。松原さんも。そういってたよ。」
 「法学部って、司法試験受けなかったら何の意味もないんじゃないか?」
 「あれ、大学4年で受かるの、全校で1人いるかいないかの難関なんだぞ。」
 「おまえ、そこまで出来るんか? 普通10年くらいかけて勉強してるぜ。」
 「えー、じゃあ、俺は無理だよ。家はそんな金持ちじゃないもの。」
 「イナダのオヤジって、銀座の有名弁護士だぜ。」
 「じゃあ、あいつは決まりだな。」
 「司法試験サークルの緑法会とか入ってみる?」 
 「おまえ、行ったことないのか? 行ってみろよ! だっせえネクラの巣窟だぜ!」
 「大学楽しまなくちゃ意味ないじゃん。もっと愉しくやりたい。女と遊びたい!」
 「絶対にあいつらモテない。それで10年かけて受からなかったら、人生棒にふる!」
18歳は18歳なりに、どんなにバカっぽくても、言い分というのはあるものだ。僕は、深く考えずに、みな、一所懸命勉強をして、司法試験を受けて弁護士になるもの、と思っていたのだけど、そんな単純なものではなさそうだった。
 だいいち、そんなに長期間勉強だけする資金なんか家にはなかった。本当に医者みたいに、実家が金持ちでないとなれない仕事なのだろうか?
 とりあえず、僕は、司法試験サークルで合格者が多いと言われていた「緑法会」に入ってみることにした。
 出迎えてくれた先輩は、「こんな人が弁護士になったとして、ちゃんとやっていけるのだろうか?」と余計な心配をしたくなるような人物、というのが率直な感想だった。身分を得たら、営業スマイルを絶やさないスマートな紳士に化けたりするのだろうか? 「職業が人を作る」、なんてことが本当にあるんだろうか?
 淡々とみなでお勉強をするような出だしで、ちょっと高度な高校の自習時間のようであり、とりたてて印象に残るようなことは何もなかった。当時の僕にはちょっときつかったし、僕は法律的な発想がまるで出来ていない、ということだけははっきりわかったのだけれど、とりあえず、先輩たちについて行けば、なんとかなるに違いない、そう思うしかなかった。
 春先だというのに、静かでまったくうかれた空気などかけらもない、文学部近くのサークルの部屋はなんとなくひんやりして、かびくさいにおいがした。
 それからほどなくして、キャンパス内をぶらぶらしていたとき、大好きだったディキシーランド・ジャズを演奏するグループやカントリー系音楽のサークルのバンドが演奏しているのを見て、これにも加入させてもらうことにした。
 音楽サークルは愉快な人間が多く、先輩ともすぐにうち解けたし、楽しかった。楽しくなければ音楽なんて出来やしない。なにがなんだか雲をつかむような、司法試験サークルとは全く違っていた。
 人によって違うだろうが、僕にはこれは「合っている」と直感で思わせる何かがあると、そのときは信じていたのだと思う。少なくとも、女の子の胸や尻ばかりに興味がある、年中頭に血がのぼったような18歳のガキにとってはそうだった。
 あっという間に夏の盛りも過ぎようという頃、緑法会の夏休みのゼミにいつもどおり顔を出すはずだった僕に連絡が入った。
 「みんなで暑気払いの飲み会をするから、来ない? 先輩たちも来いって言ってるよ。」
 音楽サークルの同期の女の子からお誘いだった。しかし緑法会のゼミと時間がかぶってしまっていた。どちらかを選ばなくてはならない。僕は、とりあえず、自宅から大学に向かった。
 愉しいのは女の子たちと飲みに行くほうに決まっている。だけど、僕はやはり、ちゃんと法学部で勉強をするつもりだった。気迫がなくても、かびくさくても、ここは男らしく、緑法会の先輩が言うとおりに、ゼミに顔を出さなくてはいけない。
 夏が好きな僕にとって、人気もまばらでうららかな昼下がりの早稲田通りは、ぶらぶらしているだけでなんともいい気分になれる散歩道でもあった。そんな気分のまま、緑法会の部室の前に到着して、ドアノブに手をかけたとき、実は、僕の心は決まっていた。
 でも、そうではないフリをしていたのだ。僕にはしなくてはならないことがある、そう信じていたつもりだった。少なくともそのときはそう思っていた。しかし、自分の気持ちに打算抜きで正直なほうをとるべきなのかもしれなかった。そんなことを漠然と思っていたような気がする。
 とにかく、とうとう、僕はドアノブを回さなかった。それが実際に起こったことであり、もう今となってはとりかえしがつかない。
 そして、そのまま、来た道をとって返した僕は、まっすぐ音楽サークルに向かった。
 見上げると、空はスコーンと真っ青で、セミが最後の力を振り絞るかのように、鳴いていた。
 それ以来、僕は、ただの一度も、緑法会には顔を出さなかった。

 
地下鉄東西線の早稲田駅を降りて、地上に出ると、西早稲田の交差点に出る。角に、今ではあまり流行らなくなったけど、1980年代当時はたくさんあった、ラウンジ風の大きな喫茶店があり、そこで僕とKはよくコーヒーをすすりながら、話をした。
 すっかりぬるくなったコーヒーをすすりながら、Kはいつものようにニヤニヤ笑いを浮かべていた。
 「学生なんてどうだっていいんだよ、バイトしてればいいんだ。」
 「バイトか。Kはどんなバイトしてんの?」
 「決まってるだろ。ドカタだよ、ドカタ。学生はドカタだよ。」
 「もっと楽なのあるだろ。」
 「サラリーマンになるんだよ。みんな。そうしたら、ネクタイしてスーツ着て、座ったままだったり、廊下うろうろしてるだけなんだよ。学生のうちにドカタしとかないといけないんだよ。」
 「だけどさ、サラリーマンにはならないかもしれないじゃないか。」
「甘いんじゃないか、それ。フツーのサラリーマンしてるほうが、いいじゃないか。黙って淡々とやってれば、ちゃんと食っていけるんだぜ。」
 「じゃあ、バイトしながらミュージシャンでもするかな。」
 「ははは。それは学生の時だけ、することだ。」
K自身の目指すところはなんだったのか、それは質問項目に入っていなかった。
 「じゃあ、おまえはどうするんだ?」という、こちらからの問いかけに対する応えは、常に用意されていて、まるで自動応答録音の音声のように、同じ答えを繰り返すだけだった。
 「学生なんて、バイトしてればいいんだよ。働けばいいんだよ。黙々と・・」
 Kと僕は、全く真逆のことを言い合っていても、実は、どこか心の底では、似たような人生観、同じような冷めた感覚、達観、そういったものを共有していたのかもしれない。
 もしくは、Kは、納得できるような理屈を僕が言ってくれるのを期待していたかもしれない。僕は僕で、夢みたいなことなんて現実にはないんだ、ということをKを通じていちいち確認していたのかもしれなかった。


 とどのつまり、僕は、音楽サークル関係の女の子を好きになったり、うまくいったり、ふられたりを繰り返しながら、なんとなくバンド活動を続け、最低限の勉強をして、4年で卒業だけはすることになった。
 それに、司法試験を受けるなんて余裕はなくなっていた。19歳のときに、父が突然、病気で倒れて、以来、学費は自分で返さなくてはならない奨学金という体裁のいい借金になり、モタモタいつまでも勉強なんてしている余裕なんかなかった。とっとと卒業して働いて10年かけてかえさなくてはならないのだ。
 振り返ってみれば、僕は、あまりに趣味的で金にもならないバンドをやりながら、バイトに明け暮れていただけの、どこにでもいるボンクラ貧乏学生に過ぎなかった。
 卒業式の後、小雨の降る、生ぬるい空気のなか、普段あまり顔を出すこともなかった法学部のクラスメートの松原さんと8号館の前で立ち話をした。彼女は、司法試験組である。
 「田村くんにとって、大学はどうだったの?」
 「バンドをして女の子たちと愉しくやってたさ。」
 誰だって若いころは、女の子の前では、ちょっと不良っぽく、話を盛って、いいところだけを見せたいものだ。
 「いいなあ。わたし、司法試験受からなかったけど、勉強ばっかりしてたから。」
 「それはすごいよ。そんなこと俺は出来なかったし、努力することを怠ったんだよ。君はエライさ。これからもがんばれよ。」
 「そうかな……田村くんにはたくさんの楽しい思い出があるのに、わたしには何もないんだよね……。」
 本当にそうだろうか? 僕に楽しい思い出がたくさんある?彼女は、それだけのことしかしなかったのか? 本当に後悔してるんだろうか?彼女は、バイバイまたね、といって小雨の早稲田通りに消えていった。それきり、今まで、一度も再会したことはない。
 僕は、法学部の仲間のたまり場である洋食屋でみなと待ち合わせ、いつものように、ナポリタンを食べた。
 結局、ぼくと親しかった連中は、誰も司法試験を受けたりはしなかったし、そんな優等生でもなかった。みな似たり寄ったりである。それぞれ、それなりに就職先は決まっていて、これからネイビーかグレーのスーツにネクタイをしめたサラリーマン1年生になっていく。
 当時、「要は生き方だ」という言葉が流行ったけれど、本当は、成長とは、自分のダメさ加減を知って、ますますダメになっていく過程なのじゃないか。
 あっという間だったような、とても長かったような4年間の締めくくりにはほど遠い、学生街の小さな洋食屋で食べたナポリタンは、とりたててうまいわけでもなく、腹をすかせた貧乏学生のおなかを一杯にするのは適した食べ物、というだけの代物だったけど、僕には十分な気がした。

それから、5年近く後、松原さんは、晴れて司法試験に合格し、弁護士になった。
 僕は、相変わらずあくせく働くサラリーマンのままだったけど、あまり賢明でない僕は、それなりの道を歩いてきた、というだけのことかもしれなかった。
 Kとは卒業以来、一度も顔を合わせたことがない。
はっきりしているのは、ぼんやりした記憶の彼方にある、あのふわふわと思い上がったような18歳の僕が過ごした夏の日は二度と帰っては来ないということだ。そして、抜けるような青空の下、緑法会の部室の前でたたずんでいた5分間とそのときの決断がよかったのか悪かったのか、いくら再び抜けるような青空にセミの鳴く夏がめぐってこようと、永遠にわかりはしないのだろう。

GO TO HOME