8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.9
                              モンスターマッシュ
 
 世界一有名なキワモノ・ソング「モンスター・マッシュ」

 「モンスター・マッシュ」をご存じでしょうか?
50年代のくっだらないホラー映画?
駄菓子屋で売ってる3時のおやつ??
宮崎アニメの新作???

 いえ、1962年に大ヒットし、未だに、季節が来るたび売れ続ける、世界一有名な「ノヴェルティ・ソング」(色モノ、キワモノ、珍品)なのです。歌ったのは、ボビー"ボリス"ピケット&クリプト・キッカーズ。
 その季節、というのは、ハロウィーン。日本では馴染みが薄いですが、欧米キリスト教圏では、一般的。子供たちが、思い思いにお化けや怪物の仮装をして、「お菓子くれないといたずらするぞ!」と言いながら、近所を回ってお菓子を集める、というのが習わしです。我が国のなまはげと同じですが、大人と子供の立場が逆、なんですね。
そんな時期になると、決まってヒットする、「季節モノの定番」ソングが、「モンスター・マッシュ」。
「クリスマスの定番ソング」というのは、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」をはじめ、たくさんあるのですが、「ハロウィーン」となると、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」と、これくらいしかないのです。
モンスターマッシュ
この珍品ソングの、まさに、「モンスター級ヒット」にまつわる、最初の人物は、ボリス・カーロフ。
(写真右→)
1887年生まれのイギリス人であるカーロフは、アメリカで、怪奇映画のスターとして有名になりましたが、最も当たった役は、1931年の「フランケンシュタイン」で、お馴染みのモンスター役。当時は、映画に音声がなかったのですが、実際のカーロフは、ソフトで美しい声を持つ、ダンディーな紳士。彼は、60年代には、プログラム・ピクチャー(B級映画)で、様々な役をこなす老名優として活躍しており、そのイギリスなまりの美声は後年、有名になりました。
モンスターマッシュ
そして、次の人物は、1938年マサチューセッツ生まれのボビー・ピケットというアメリカ人。
(写真左←は若き日のボビー"ボリス"ピケット)彼の父親は、40年代に映画館を経営しており、生まれたころから映画に親しみながら育ちました。
そんなボビーくんが、物心ついたころから、好きだったのが、なんと「映画スターのものまね」。
一番のお得意は、ボリス・カーロフで、イギリスなまりの美声をうまく真似て遊んでいたのです。しかし、40年代終わりから50年代にかけてロックンロール音楽がハヤリだし、ボビーくんも大好きになりました。
そして、50年代、朝鮮戦争から復員した彼は、ハリウッドに行き、俳優になりますが、一方で、コーディアルズというドゥーワップ・グループにも参加して活動していたのです。

 そんななか、ステージアクトとして、彼らのバンドのレパートリーだった、ダイアモンズの大ヒット曲、「リトル・ダーリン」を、演奏する際、途中のベース・ボーカル・ナレーションの部分を、子供のころから得意だった、ボリス・カーロフのものまねでやってみたところ、これが馬鹿ウケ!
カーロフといえば、有名なのは、「フランケンシュタインの怪物」です。
バンドリーダーだったレニー・カピッチというアイデアマンが、「おお!馬鹿ウケだぜ!じゃあ、この路線で、もっと面白いアクトをやろう!」と思いつき、当時、流行っていた、ダンスソング「マッシュド・ポテト・タイム」(ディーディー・シャープ)のモンスター版を思いついたのです。
これは、「ミーン・モンスター・マッシュド・ポテト」というタイトルで、怪物くんだのイカれた博士だのの格好をして、ステージアクトされたのですが、このお馬鹿なライブを観て、「おっもしれえぇぇ!超ウケるうー!」と女子高生みたいにはしゃいだヘンタイ・・、もとへ、好事家あり。

モンスターマッシュ ゲイリー・パクストン
(写真右→)というこの男、したたかな音楽業界マンであり、また、「アリー・ウープ」などのヒット曲を持つ、パフォーマーでもありました。
こうして「モンスター・マッシュ」にまつわる、第3の男がそろい、舞台準備は整ったのです。
そして、パクストン自身がギターを弾き、ベースと唄がピケット、ピアノがレオン・ラッセル(!)という、レコーディング用のセッションバンドを結成、とうとう、「モンスター・マッシュ」の誕生となるのでした。
レコーディング時には、5歳のガキみたく、ストローでコップの水をブクブク吹いたり(実験室の薬品の真似・・)、釘抜きで釘を抜いて、棺桶の蓋がきしむ音を真似たりするなど、安上がりでもなかなか凝った、様々な「効果音」が重ねられました。
そして、パクストンのアイデアで、バンド名は、「ボビー"ボリス"ピケット&クリプト・キッカーズ」と命名され、1962年、「モンスター・マッシュ」は、パクストン個人経営の弱小レーベルから発売されたのです。

当初、「ドラキュラもフランケンシュタインの怪物もゾンビも、みんな流行りのダンスでレッツ・ゴー!」みたいな、あまりにノータリンな内容、あまりのキワモノさに、ぜーんぜん売れる気配がなかったのですが、「ゼーッタイにイケる!イケるはずだ!イケなきゃおかしい!オレは正しいのだぁぁぁ!」と、なぜだか根拠もなく確信していたヘンなおっさんのパクストン、自腹を切って、ウエストコースト中のラジオ局へ、売り込み営業の旅に出ます。
「あんた馬鹿じゃないの?」「ノウミソ、モンスターに食べられちゃったんじゃないの?」と、みんなから馬鹿にされつつも、刑事コロンボのように靴の底をすり減らして宣伝営業しまくった甲斐あり。
たまたま、興味を示した局が、気まぐれにオン・エアしたとたん、問い合わせが殺到、「モンスター・マッシュ」は、一気に馬鹿売れ状態に。あれよあれよと言う間もなく、たったの一週間で全国ヒットという大ブレーク!そして、ハロウィーンの2週間前には、とうとう全米第一位のメガ・ヒットとなってしまったのです。

モンスターマッシュ「ほおれえぇぇ!!それみたことかあぁぁ!ぐわあはははは!!」とフランケンシュタイン博士のように、勝利の雄叫びをあげたかどうか知りませんが、機嫌をよくしたパクストンとピケットは、続いて「モンスターズ・ホリデイ」をリリース、これまたトップ30にのし上がる大ヒット。

その後も、「モンスター・マッシュ」は、ハロウィーン前後に常にラジオでオンエアーされるようになり、1970年にホット100の下位に、1973年には再び10位に入るというヒットになりました。最初のヒット以来、3度のホット100入りというのは、極めてまれな例です。
1995年には、とうとう「モンスター・マッシュ〜ザ・ムービー」という映画まで作られる始末。

さて、この唄のアイデアの源となった、当のボリス・カーロフは、「モンスター・マッシュ」とどう関わったか?
たった1回ですが、1965年、若者歌番組「シンディグ」にカーロフ本人が出演し、「モンスター・マッシュ」を唄ったのです。これに、最も狂喜乱舞したのは、カーロフのものまねをして曲をヒットさせた側のボビー"ボリス"ピケット。
なんとなく、気持ちわかります。ヒット曲を出そう!!として作戦を立て、意気込んでいたのは、どちらかというと、パクストンであり、唄を唄ったピケット本人は、子供時代からのヒーローのものまねを心底楽しんでいただけなのでしょう。その後、イギリスに帰郷したカーロフは、1969年に亡くなりました。

モンスターマッシュ ボビー"ボリス"ピケットは、その後も
(写真右 →)、ライブで、ラジオで、テレビで、インチキな血ノリやタランチュラのおもちゃがくっついた白衣を着て、「モンスター・マッシュ」を生涯通じて唄い(演じ)続けましたが、とうとう「モンスター・マッシュ」1曲から抜け出すことが出来ないまま、2007年、69歳で病死。「究極の一発屋人生」をまっとうしました。
商魂たくましいゲイリー・パクストンは、今でも現役で音楽ビジネスを続けています。

 
 さて、色モノ、珍品といわれた「モンスター・マッシュ」ですが、すぐに思い浮かぶのが、50年代アメリカの娯楽文化を象徴する、ハリウッドB級映画の数々。チープな張りぼてのセット、バケツにモップかぶせてピンポン球で目玉作った小学生の工作みたいな怪物の着ぐるみ、どうでもいいような馬鹿馬鹿しいストーリーのウンコみたいな映画が、ウソみたいに安い予算でどかどか量産された時代です。
それを上映したのは、「ドライブ・イン・シアター」という、駐車場にスクリーンがある「戸外映画館」でした。
イケてる彼女と街をクルージングし、ドライブ・イン・シアターでハンバーガーとコークを食べながら、彼女といちゃいちゃ楽しくやる、というわけ。映画の中身なんてなんでもいいんです。デートの言い訳なんですから。
わたくしも、10代のころからそういうことをしてみたいという夢を持っておりましたが、いかんせん、クルマが手に入っても、彼女が出来ても、「ドライブ・イン・シアター」が絶滅してしまって、夢は叶わないままとなっております。

ここは、ひとつ、せめて気分を、ということで、「50年代のハリウッドを代表するファッション」といっても過言ではない、THE KINGのナッソー、シャツ、パンツ、フラップシューズで決めて、ガールフレンドと映画館にでもでかけてみようかな、そして、あわよくば、その後・・・などと企んでいる46歳のスケベ親父、頑固8鉄なのでありました。

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