8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.75
                                                                                                                                
                 
       LPレコードの夏


 渋谷から恵比寿に向かうJR(当時は国鉄、だった)の線路沿いのビルの一室に、芽瑠璃堂という、小さいけれども、アメリカ黒人音楽の輸入盤が豊富なレコード店がありました。僕が大学生のころだから、1980年代のことですね。貴重盤だからといって法外な値段をとるような店ではなく、国内盤よりも安い価格で売っていました。

芽瑠璃堂は、10年以上前に、すでに店舗はなく、現在は、伝説となってしまっていますが、当時は、定期的に通って、店員さんから、たくさんの音楽を紹介してもらったものでした。

さて、そもそも、そこから6年ほどさかのぼって、中学生時代。海外LPレコードの世界にはまり込んでしまっていた僕のお気に入りは、銀座の山野楽器と赤坂見附にあったレコード店のふたつで、当時住んでいた麹町からはどちらも歩いていけました。中学生にとっては、こぎれいな銀座の大規模老舗のほうが行きやすかったし、親も心配せずにすんだということだったように思います。それに、こうした店では、当時は、本格的な「試聴」というのが出来ました。

現在のように、ワンクリックでアマゾンあたりからMP3を買って、1回聴いたきり、PCの肥やしに・・・なんてことはない時代ですし、現在よりも高い価格(一律に2800円だった)のLPは、中学生のなけなしのおこづかいでやっと手に入れる宝物だったのですから、「試聴システム」は、とてもありがたい存在でした。

FENなどのラジオ番組で聴いたものの中から、気にいった曲やアーティストを調べ、アルバムを調べ、国内盤が出ていれば、こうした店に出向いていって聴いてみる、というのが楽しみのひとつだったのです。お目当てのLPをカウンターに持って行くと、店員のおねえさんが、丁寧にLPレコードをジャケットと中袋から出して、検盤をし、家にはなかったような、高級な試聴用プレイヤーに載せてくれるんですよ。そして、重々しいヘッドフォンを装着して、最高の音質で聴くことが出来るんです。アルバム1枚全部聴いても、まだ迷っていたら、「また聴きに来てください」なんて言ってくれるので、1枚のLPを買うのにさんざん悩んだものです。一度帰宅してから、一度聴いたばかりの12曲を頭の中で復唱し続けたり、何週間もたってから、わくわくしながら買いに行くというのが、儀式のようなものでありました。せわしなく次々に新しいものが乱発される使い捨て文化が浸透しきってしまった便利きわまりない現在では逆に出来なくなっていますが、人生を楽しく過ごそうと思ったら、細かなことにわざわざ手間暇をかけ、長々とくよくよ悩んだほうが有意義な時間を過ごせるのではないか、とすら思います。不便だからこそ楽しい、ってこともあるんですね。

さて、そんな輸入レコード店のなかで、当時、僕が本当に行ってみたかったのは、銀座や赤坂でなくて、ミュージックマガジンの広告で知っていた新宿レコードだったのです。

当時、新宿はちょっとコワい街で、新宿レコードに初めて行ったのは高校生になってからだったと記憶します。この小さな輸入レコード専門店は、ちょっと価格が高めで、僕にはあまり興味のないプログレやハードロック中心だったけれど、当時一番のお気に入りだった50年代のアメリカ製ロックの輸入盤を探すのに最も適した店でもありました。経営者ご夫妻も気さくで親切なごく普通の方で、ちょっと風変わりな品揃えの町中のレコード屋さん、といった趣。だから、いつか、こういうレコード店を経営できたらいいなあ、と思ってもいました。もちろん、現在のように、小売流通の化け物みたいなアマゾンはおろか、HMVのような量販店もツタヤのようなレンタル店もなにもない時代です。ごく普通の小売り個人商店が、普通に当たり前に食っていけた時代だったのですね。もっとも、新宿レコードの実際は、1970年の開店当初から、すでに、「新宿レコードにないロックレコードは、日本全国どこに行ってもない。」と言われるくらいの超マニアックな店だったのだそうです。

しかし、ここですら、発見できないレコードで欲しいものが結構ありました。当時、ビル・ヘイリーやカール・パーキンズ、ロイ・オービソンといった、初期のロックのLPを探していたのですが、ヨーロッパで復刻版が出ているのに、日本の輸入盤店で売っていないものが多く、新宿レコードの店主に頼み込んで、カタログを見せてもらい、イギリスから船便で取り寄せをしてもらいました。到着までの6か月間は、頭の中は注文したLPレコードのことでいっぱいだったものです。

当時の西新宿は、新宿レコードのほかにも、ウッドストック、えとせとらレコードなど、多くの輸入盤店が軒をつらね、ロック好きの巡礼地、とまで言われており、現在も多くのブログにとりあげられているところを見ると、当時日本全国から、非常に多くの方が通われたのではないかと思います。

そうこうしているうちに、様々な音楽に興味が広がっていき、特に、50年代以前のアメリカ黒人音楽が気になっていました。大学時代に入ってから、古いブルーズ音楽をギター演奏する男と知り合いになったのですが、彼自身の演奏だけでなく、彼が教えてくれたジミー・リードやマディ・ウォーターズなどシカゴのブルーズメンたちのレコードも素晴らしかった。こうしたLPを自分でも手に入れるため、彼の紹介で、最もいいレコード店だった、芽瑠璃堂に通い出したのでした。

芽瑠璃堂は、通称エサ箱、と呼ばれたとおり、その名にふわさしい段ボール箱に無造作に詰め込まれたLPを自分で懸命に漁って探し出さなくてはなりません。ヒットソングを扱う大多数のレコード店と違い、マニアックな輸入盤店は、目的意識がなく入ったら、途方に暮れるばかりですが、芽瑠璃堂は特にその傾向が強く、入念に下調べ(というより、むしろ、歴史の勉強に近かった)をしていっても、ずらりと並んだ段ボールのどこをどう探せばいいのかもわからないことが多いため、頼りになるのは店員さんだけだったのです。

音楽は聴くもの、さらには楽譜の世界(楽理)という本質と一体のものとして、文化人類学的側面があるので、そのあたりの予備知識(例:ブルーズのルーツはアフリカである)がないと店員さんの話についていくこともできず、自然と知識を身につけるようになります。どんなお勉強でもそうですが、系統だって分類整理すれば、その系統樹にくっついてくる膨大な枝葉の部分は、知らぬ間に身についていくものです。そして、その原動力は、言うまでもなく、「どれだけ好きか」に係っています。知識を身につける行為そのものが好きかどうか、ではなくて、知識そのもの、すなわち、その音楽がどれだけ好きかによっているわけです。

芽瑠璃堂で手に入れたのは、単に、お気に入りのLPだの珍しい家宝のLPだのだけではなくて、そういった知識体系の一端でもありました。

戦後のブルーズ音楽と言っても、シカゴ、テキサス、カリフォルニアなど、地域の文化的特性によって個性が異なりますし、そこから派生した様々な音楽、白人のウエスタン・スイングやケイジャンといった文化の隔離現象が作り出した特有の音楽との結びつきもあります。時間軸を後にたどれば、ロックに向かったり、さかのぼればギター1本で弾き語りをするカントリー・ブルーズの世界や、プランテーション農家で歌われたゴスペルの世界に行ったりといった具合に、おもしろい音楽との出会いは無限に広がっていくのでした。

それにしても、ちょっと感傷的に過ぎるかもしれませんが、新宿レコードや芽瑠璃堂に通ったのは、いつも夏だったイメージがあるのです。

真夏の暑い日に、ハンカチで汗をぬぐいながら、西新宿の大通りや、渋谷の線路沿いを歩いていた印象は今でも、心躍る楽しいイメージとして脳裏から消えません。

思うに、学生だった僕は、時間がたっぶりある夏休み中に、たくさんバイトをして、集中的に輸入レコード店を廻っていたからだと思います。

こうした、ちょっとヲタクだけれど、楽しい夏の思い出は、サラリーマンになったり、結婚したり、遠方の千葉県に引っ越したりしているうちに疎遠になってしまいました。今でも頑張っている新宿レコードなどもありますが、なかなか足が向かなくなってしまった決定的要因は、後年出てきたCDによる、LPレコードそのものの衰退やそれに伴う輸入盤量販店の進出による小規模店舗の消滅、そして、決定的だったのは、海外からいとも簡単に、ワンクリックで購入できるパソコン通販(アマゾン)の登場でしょう。もうすでにダウンロード時代になって、CDですら時代遅れ、というところまで来てしまっています。アマゾンで検索すればわかりますが、よほどマニアックな例は別にして、ちょっと変わった音楽好き程度であれば、すでに、「貴重盤」だの「レアな音源」だのを探すほうが難しいくらい、あらゆるものが復刻され、そろっている、と言っていいと思います。

 だから、これから新しい知識を仕入れに、今でも残るレコード店に通う、なんてことをしようとは思いません。しかし、あの「LPレコードの夏」があったからこそ、現在でも一般的ではないけれど、古い音楽を聴いたり演奏したりする趣味を続けているのだ、と思います。



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