8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.72 |
ダミ声の天使 〜 ワンダ・ジャクソン 「あたしが炸裂すると、広島、長崎へ落とした原爆並にすげえんだぞ!オゥ、イエエエエエ!」(フジヤマ・ママ) 過激な歌詞のように見えますが、50年代当時のアメリカでは、メディア上でも、ごく当たり前に使われていた、太平洋戦争中の、日本への原爆投下ネタ。 この原爆ソングを最初に当てたのは、ワンダ・ジャクソンで、いかりや長介もびっくりの、強烈なダミ声で怒鳴る前代未聞の美人歌手。ジャクソンは1959年に来日公演もしていますが、フジヤマ・ママは、なぜか被爆国側である日本でも評判になり、ヒット。世相がおおらかだったからなのか、ワンダ・ジャクソンが愛らしい美女だったからかわかりませんが、日本でも、多くの音楽ファンにスイートな思い出をたくさん残した、人気歌手になりました。 ワンダ・ラヴォンヌ・ジャクソンは、1937年、オクラホマシティの生まれ。 当初、細身の美人の彼女は、ギターをかき鳴らしながら歌う、カントリー・ガールとして、世間の注目を集めますが、ボーイフレンドだったエルビス・プレスリーからそそのかされてロカビリー歌手になり、見かけとはえらく違う、カエルを踏んずけたようなダミ声で怒鳴りまくる強烈さに、聴き手はびっくら仰天トコロテンでありました。 「うわー、あのねーちゃん、スッゲーど迫力!いわゆる肉食系女子、ってやつだっぺなー。あんなにめんこい(東北弁でかわいいの意)のにのー。」 なんて感じだったのでしょう。「女性はおしとやかに」というのがアメリカでも当たり前だった当時、ワンダのような歌手はほとんどおらず、無敵で「女子ロカビリー界」(?)をひっぱっていったのでした。 そのせいで、彼女は、「クイーン・オブ・ザ・ロカビリー」という唯一無二の称号を手に入れましたが、ロカビリー自体のブームが去ってしまうと、他の男性ロカビリアンたちと同じく、古巣であるカントリー&ウエスタンの世界に戻っていきました。 しかし、ここでも、1960年代から1970年代にかけて、なかなかの成功を収めます。そして74歳になる現在も、たいへんタフな活躍を続ける現役のミュージシャンでもあるのです。 さて、彼女の父親は、理髪師でしたが、セミプロのカントリー・フィドルのミュージシャンでもあり、音楽の夢を追ってカリフォルニアに引っ越します。そんな父は、子供時代のワンダにとって、最初の音楽の先生でもありました。彼は40年代当時、全国的に流行していたウエスタン・スイングが大好きで、ボブ・ウイルス、スペイド・クーリイといった、そのジャンルを代表するミュージシャンたちが率いるバンドを、幼いワンダを連れて見せて歩いたのだそうです。きっと、このころの、強烈な楽しさが忘れられなかったことが、彼女を音楽の道に進ませる原動力をなったのでしょう。ワンダはギターを手にして、すっかり気に入り、フィドルの父といつもふたりで楽器を弾いて遊んでいたのだそう。 と、まあ、このあたりは、50年代のほのぼのホームドラマ「パパ大好き」みたいなのですが、パパの思うとおりの素直なカントリーミュージシャンにならなかったことが、彼女の人生を大きく変えることになります。 数年が過ぎ、「懐かしの我が家、オクラホマに帰りたい!」と言った(本当に言った!)母親の意向で、一家はオクラホマへ戻りました。 そんなこんなで、オクラホマの田舎で大の音楽好き高校生だった1954年、アマチュアコンテストに入賞し、ローカルラジオ番組で15分枠で自分の番組を持つことになったワンダの歌を偶然聴いたのが、有名カントリー歌手のハンク・トンプソン。 「素直でいい声。彼女はきっと、素晴らしいバラードを歌う歌手になれる。」と深く感動したシッブイ名歌手、トンプソン。彼がワンダの歌をすっかり気に入り、自分のバンドに引き入れたことによって、ワンダはプロ入りを果たします。トンプソンのショーやライブに出演し、そこでステージングを見よう見まねで学び、すっかりプロの技を身につけたワンダは、トンプソンの所属するキャピトル・レコードで、トンプソンのバンドのリーダ−、ビリー・グレイとデュエットで、「銀座の恋の物語」を・・・いや、違うな・・「ユー・キャント・ハブ・マイ・ラブ」を、レコーディングさせてもらいました。これが、たちまち、カントリー・チャートを駆け上がる大ヒットとなったのです。 「よーし!絶対にハンクと同じキャピトルでスターになってやるぞ!オゥ、イエエエエ!」とダミ声で叫んだはずはないですが、キャピトルに契約を迫ったワンダ、プロデューサーのケン・ネルソンから「まだ、ガキじゃねえかよー・・んー、駄目だよおー。」なんて、ボビー・オロゴン風に言われちゃって、アッタマきちゃったからサア大変!とっとと別の大手、デッカと契約を結びます。 この辺から、なんか、妙な具合に、ダミ声ロッカー道にそれていってしまうワンダ・ジャクソン。高校卒業後、ワンダは、マネージャーである父とツアーに出ます。そこで知り合ったのが、某エルビス・プレスリー。全然「某」になってませんが、そのエルビスのすすめで、ロカビリーを歌うようになったワンダは、かつて契約を結べなかったキャピトル・レコードとついに契約。バック・オウエンズ、メリル・ムア、ジョウ・メイフィスといった、当時のカントリー界のスーパーセッションメンと組んで、1956年にロカビリーソングの「アイ・ガッタ・ノウ」でデビュー。これがヒットして、ついに、ロカビリーの女王が誕生するのです。 また、テレビ番組「オザーク・マウンテン・ジュビリー」にレギュラー出演。オザーク山の農家のおねえちゃんとか、イナカッペ大将の女性版、みたいなのばっかりだった、女性カントリー歌手のなかで、肩むき出しでオッパイぽろりしそうなフリンジドレスにピン・ヒールという、当時流行の女性ロックンロールファッションで出たことが評判となり、カントリー音楽界にもトンガった、ロックなお色気を持ち込んだ最初のスターとなったのでした。 ケン・ネルソンと組んで作り出した数々のレコードは、主に、ネルソンの策略で、同じキャピトルの主要アーティストだったジーン・ヴィンセント&ブルー・キャップスと同じサウンドを目指したもので、まさに、「女性ヴィンセント」と言われるとおりの迫力。同時期のブレンダ・リーもダイナマイト・ギャルでしたが、まだ本当にコドモで、小柄で愛らしい、「ミニモニ系」だったのに対し、肉食系、というか、パンチの効いた「オトナの女性ロッカー」としては、ほとんど唯一といっていい大活躍をしたのでした。 そうやって50年代一杯、「ホット・ドッグ、ザット・メイド・ヒズ・マッド」、「ミーン・ミーン・マン」といった正当派のロカビリー曲を連発、そしてとうとう、日本でも「フジヤマ・ママ」がナンバー1の大ヒットに。1959年の2月から3月にかけて来日し、今はなき有楽町の旧日劇で公演を行っています。 そして、1960年、とうとう、エルヴィスの曲をリメイクした女性ロックの真の決定打、雨の日に玄関前で踏んづけたカエルみたいなダミ声、地を這うようなうなり声を伴った強烈なロックソング、「レッツ・ハヴ・ア・パーティ」がトップ40入り。名実ともに「ロカビリーの女王」となるのです。 同時に、カントリー音楽界でも自作の「ライト・オア・ロング」をヒットさせて、ポップ(ロック)とカントリーの双方で大活躍。 さらにハッピーなことに、キャピトルが、彼女の50年代録音をまとめたアルバム「ロッキン・ウイズ・ワンダ」と「ゼアズ・ア・パーティ・ゴーイング・オン」が大成功。続いて、「ライト・オア・ロング」、「ワンダフル・ワンダ」もヒット。そして、キャピトル最後のアルバム「トゥー・サイズ・オブ・ワンダ」ではついにグラミーにもノミネートされ、名実ともに、大スター、名アーティストの名を確実なものにしました。 1960年代半ばになると、ブリティッシュロック勢におされて、ロカビリーはすっかり衰退し、ワンダはカントリー音楽界へ本格的に転身することになりますが、ここでも、彼女は「超」のつく実力派ぶりを発揮。次から次へと、トップ40へ送り込むヒットメーカーとなります。 以後のワンダ・ジャクソンは、初期のダミ声で怒鳴る爆裂ロカビリー娘の仮面をはずし、かつて、大好きな父と過ごした大好きなカントリー・ミュージックの世界で、本来の美声で美しいバラードを歌う実力派として、名声を確立していくのです。 1970年代に入ると、子供たちのリクエストに応えて、クリスチャンとしての活動に軸足が移っていき、クラブでのライブなどを控え、また、レコーディングもゴスペルものが多くなっていきました。そして、1972年にキャピトルをとうとう退社し、小さなキリスト教系のレーベルを活動の拠点に、キリスト教の集いをツアーする、といった活動を続けました。 しかし、カントリー畑に移って、徐々に宗教系に・・というのは、当時よくあったパターンですが、当時の多くのアーティストと同じように、彼女にも「ロカビリー・リヴァイヴァル」の波がやってきました。 1980年代に入ってから、人気が高かったヨーロッパをツアーし、「クイーン・オブ・ロカビリー」が30年ぶりに復活。 2009年には、とうとうロックの殿堂入りも果たし、74歳になる今日に至るまで、現在進行形で精力的にライブ活動を続け、今年2011年にはニューアルバム「ザ・パーティ・エイント・オーヴァー」が発表されるなど、バリバリの現役。ロカビリーおばあちゃん、だなんて言わせねえぜ!とばかりに大活躍をしています。 THE KINGでは、メンズが中心ではありますが、ロカビリーが男だけと思ったら大間違い!ということをイヤというほど思い知らせてくれる、頼もしいワンダ・ジャクソンを聴いて、21世紀の日本も元気一杯乗り切りたいものです。 |