8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.63
                                                                                                                        
       「カンちゃんの夢」

みなさんどうも。頑固8鉄です。
さて、今回は、ちょいと閑話休題というやつで、再び昭和の時分の思い出話などしてみたいと思います。お付き合いのほどを。


高校時代の唯一の友人に、カンちゃんという男がいましてね、こいつが、ちょいと変わった男でして。

誰にでも、「表裏」ってのはあるもんですが、カンちゃんは、普段、高校で見せている顔、と、オフの時に見せている顔、が180度、まったく正反対というやつでした。
ちょいと古い表現ですが、「ジキルとハイド」ってやつですな。

彼は、高校時代から一人暮らし。しかも、練馬区の高級マンション(ハリウッド映画にでてくるような豪華なマンションでした。)。お金持ちのボンボンってやつですな。
当時、ご両親が仕事の都合で、広島で暮らしており、一人っ子の彼は、両親の東京のマンションをそのまま自宅にしていたわけです。

高校から豪華マンションに帰ると、学生服(僕らは詰め襟制服だった)を、当時、最新流行だった「ポパイ」(雑誌)系(プレッピールック)に着替えるのです。
当時は、眼鏡は、あまりたくさん種類がなく、サラリーマンのおじさんがみんな同じ眼鏡をしていたものですが、カンちゃんもあえてそんなのをしていたんですが、こいつを、これまた、当時は最先端のオシャレだった、レイバンのトラッド系サングラスに換えてしまいます。



そして、酒を飲み、ポルノ映画を観て、女の子をひっかけに、ディスコに遊びに行っちゃうわけですよ。僕と一緒に。
僕は金持ちではなかったですが、たまにはそういうこともあったのです。

で、そのカンちゃんは、高校では、指折りの優等生だった。
そして、「超がつく生真面目堅物男」とも言われていて、先生たちからは非常に信頼されていたのですが、それが実は、とんでもない食わせ物、だったわけですな。

彼の「正体」を知っているのは、全学年で僕だけでした。
これは間違いない。本人もそう言っていましたから。

僕らは、同じ穴のムジナでした。
カンちゃんと僕は、オフになって「変身」すると、本音をバンバン言い合ったものです。

「あんなセコい連中と付き合ってられっかよ!」
(いつもクラスでは、黙ってうなづくことしかしないのに!)

「同級生の女?? 馬鹿かよ! ブスばっかじゃねえかよ!! ディスコにエロい女子大生ひっかけにいこうぜ」
(いつもクラスの女子の前では、誠実な紳士そのものなのに!)



「あの先公、クソ真面目にするしか能がねえんだわ。死ね馬鹿。」
(いつも先生の前では、忠実な侍のように振る舞っているくせに!)

そんな調子。
僕はその点では完全に負けていました。後にも先にも、」あれほど、すさまじい変貌ぶりを見せる人間は会ったことがないし、あれほど飽きっぽい人間も見たことがありません。

カンちゃんは、なんでもすぐに諦めます。「ダメだこりゃ」と思ったら、絶対にしぶとく粘ったりしない。あっという間に捨てて、次に行く。それは、見ていてあっけにとられるほど、アグレッシブでした。

彼が馬鹿呼ばわりする対象としては、「親友だ」とか言っておきながら、僕すら例外ではなく、彼は僕が好きな音楽を「本国では鼻つまみもののくっせえ田舎音楽」とか、「大昔の音楽なんかやってると女にモテねえからはやくやめちまえよ。」とかよく言っていました。
だけど、僕は「それもそのとおりだ」と思っていたので、ケンカにはなりませんでした。

そして、彼は、そんな風にすぐに放り出してしまう割には、「満足する」ということを知らないやつでした。彼の欲は底なしで、すぐ諦めて次へいっても、結局、欲しいものは、なにがなんでも手に入れる、というわけです。

「女の子を手に入れる」と一度言ったら、一人の女の子をすぐに諦めてすぐ次へ行っても、誰か必ず手に入れなくては気が済まないし、それで満足、ということもない。
そして、そのためには、どんなに汚い手を使っても構わない、と思っていた節があります。手段を選ばないタイプなのに、そういう面は周囲には全く見せない「名優」でもある。
「腹黒い」という表現がありますが、彼は、僕の知っている人間の中でも、1,2を争う「腹黒男」でございました。
まあ、人間みな誰しも腹黒くないと生き延びられないなあ、なんてことにあとあと気づいたりしますが、まだ青白いガキみたいな高校生当時では、彼の腹黒さは、ひときわ目立っていたわけであります。

それでも、カンちゃんと一緒だと実際、面白かったし、なんでも本音を言えました。こんなに気が合う友人というのは、後にも先にも彼だけかもしれない、とすら思います。

そして、そんな「腹黒番長」のカンちゃんにもいいところがありました。
それは、彼の言うことすることは、めちゃくちゃなようで、ちゃんと筋が通っていたという点です。おかしな、理不尽なことには、いつだって腹をたてていて、ちゃんと正論を言っていました。

「個性を重視しない教育、っていうのは時代遅れだ。いつか絶対にこんな教育体系は見直されるはずだ。」(彼は、1970年代にそんなませたことを言っていました。)

「10代なんてのは、クソだ。楽しいことが何か全然わからない。何もかも、つまらない。だけど、それに甘んじちゃいけない。何か見つけなくちゃいけないんだ。」

「同級の連中はみんな馬鹿野郎だ。やること全然やらねえで格好ばかりつけてるクソったれだ。弱いやつをいびって、他人の不幸が自分の幸せだと思ってやがるゴミどもだ。誰とも知り合いにもなりたくねえ。」

彼は優等生だったのです。そして、筋が通らないことに文句を言い、他人に思いやりのない、冷淡な人間にはいつか正義の鉄槌を下るはずだと考える、そういう部分では、大変に純粋、ピュアだったように思います。
とても青臭いけれど、とても腹黒く、そして、それ以上に欲張り。そんなカンちゃんはもしかすると、ぼくと同じ夢を見ているのかもしれない、なんて思うことがありました。でも、彼の強力なパワーには、思わずひるむほどだったのです。

結局、カンちゃんは、僕と違って、本当に、現実となんとか折り合ったりはしなかったのです。
僕は、実社会で有利になるように、早稲田の法学に進みましたが、カンちゃんは、日本を出て、UCLAの映画学科に行くことになりました。

「日本は、エライやつへのおべんちゃらばかりで、本音がいえない。実力があっても、いっつも笑顔仮面をかぶってくらさなきゃならないようなつまらん国だから、捨てる。俺は本当に実力をつけにアメリカの大学に行ったら、もう帰ってくるつもりはないぜ。」

そして、その通りになっちゃった。たいしたもんでございます。

数年後、彼はハリウッドで本当にCMのディレクターになり、「今日は、ミッキー・ロークと一緒に仕事だよ。」なんてことを連絡してきたりしました。



しかし、それから、今日まで、4半世紀近くたった今。
彼からはまったく連絡がありません。そして、当時のことも忘却の彼方となってしまいました。

カンちゃんは、今頃、何をして、何を考えているのだろう、と、ふと思います。

「ハリウッドなんてクソったれだ! 虚飾の街だ!」とか、ピュアなハートで、叫んでいるんだろうか?
それとも、いつものとおり、とうの昔に飽きてしまって、アグレッシブに、アラスカで金鉱でも探してるんだろうか?
それとも、腹黒番長だった10代のころのように、めちゃくちゃなことをしでかしてトラブルになり、誰かに撃ち殺されちゃったんじゃないだろうか?

あれほどアグレッシブで、貪欲で、機敏で、愛想がよくて、腹黒くて、大嘘つきで、とどまるところを知らないパワーの男のこと。相当出世して、金持ちになって、毎日楽しく女だらけの生活をしているような気もします。そうだったらいいのに。

10代のころに、彼と二人で見た同じような夢。
独立して金持ちになって、楽しく暮らしたい。自分が努力したら、ちゃんと報われる世の中にしたい。
振り替えると、今でもサラリーマンの僕はほとんどかなえられなかったけれど、彼はかなえたのでしょうか?

それは、結局、いまでもわからないままなのです。




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