8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.58
                                                                                                                            
 頑固8鉄は何がしたかったのか?


                               
 こんにちは。
何を言ってるのか、さっぱり「?」なタイトルで始まりました、ヘンなコラム。
日本のジローラモ(になりたかった、もしくはモテたかった)頑固8鉄です。

さてさて、話が急にものすげえ昔に戻りますが、僕らが子供だった1960年代は、テレビがまだ白黒真空管で、どの家にあるというものでもなく、家宝のように鎮座していたものでした。
そんなテレビが、なんといっても、一番楽しみな娯楽だった時代、それしかなかった時代は、現在と違い、テレビで「お気に入りの音楽を聴く」、というより、ドラマやバラエティなどのテレビ番組から勝手に流れてきた曲にとても大きな影響を受けた世代ではないか、と思います。

そんな私が、好きだった音楽は、「シャボン玉ホリデー」で流れていた、ホーギー・カーマイケルの「スターダスト」だったり、歌謡番組で流れていた、ピンキーとキラーズの「恋の季節」だったり、「ムーン・リヴァー」みたいな、土曜映画劇場で流していた名作映画の主題曲だったり、「スパイ大作戦」のテーマだったり、実にさまざま。
ノンジャンル、オールド&ニュー、ワールドワイド、で、ある意味、ぜんぜん節操なく、分け隔てなく「好きか嫌いか」だけで聴いてきたと思います。

そんな私が、父がアマチュアギター奏者だったことをいいことに、モテたい一心でギターを教えてもらい、音楽をやりだし、18歳のときに、学生バンドとはいえ、「本格的な」バンドに入ってから、今年でちょうど30年。
純粋なアマチュアとはいえ、ほぼコンスタントに30年もやってきたんですね。

子供時分から、そんなわけで、いろいろな音楽が好きなので、当初も今も、何をやりたかったのか、やりたいのか判然としないままなのですが、最初にブルーグラスサーキットに入ったのもなにかの縁なのでしょう。
そんな中でやりたかったのは、こんなものでした。(実際にやってましたが・・)

Stanley Brothers "How Mountain Girls Can Love"


ま、ロカビリーなんかも好きだったので、通じるものはありますが、こちらはずいぶんと「田舎くさい」「古くさい」感じがしますな。
ハンバーガーというより、麦わらでもかじってるみたいな植物くさいところがあります。
隣で牛が「もー」とか鳴いてそうだし。

そのとき好きだった、ブルーグラスとカントリーのアタリのつなぎ目、みたいなものはこんなのだったと思います。

The Osborne Brothers - The Cuckoo Bird




さらに、本当に、心底やりたかったのは、こちら。(出来るかどうか別。オービソンは3オクターブ半の声域。人間じゃねえし。)

Roy Orbison "Crying"




今でも、オービソンを聴くと、10代後半、特に高校生のころの自分にすぐに戻ることが出来ます。 ああ、ロマンチックだなあー。一体、どこで間違って「肥やし臭いブルーグラスなんて音楽」やってたのだろう・・。

そんなこんなの反動もあってか、1980年代は、84年にブルーグラスバンド解散後、サックスもって、こんなバンドやってました。

Etta James "Tell Mama"




格好よかったし、いけそうな感じだったのですが、大所帯過ぎ(9名)、わたしのような半端者がまとめるのは手に負えなくなって、ライブ活動に入る前に流れ解散の憂き目に。

続いて、日本では一般的でないダイアトニックボタン式アコーディオンをドイツから取り寄せて、テックスメックスバンドにトライ。

Chulas Fronteras Flaco Jimenez,Santiago Jimenez Sr.




何の気なしにテープを送ったら、イカ天に出てくれ、といわれて出ました。 「でてくれ」と頼まれたからでたのに、途中でワイプされちゃいました。
それなのに、「ベスト・キャラクター賞」をもらったりわけわかりませんでしたが、きっと誰も覚えてないはずです。わたくしもあいまいなことしか覚えてないくらいなので。
こういう音楽(テックスメックス・コンフント)は、楽しかったのですが、バンド運営は大変でした。当時は、誰もやってなかったことだったのです。
テレビにも出たし、何度かライブもしたし、ま、いっか、みたいな感じで、メンバーの結婚だの出産だのを期に流れ解散となりました。

聴くほうの趣味は、時代的には戦前にまで突入、また、地域的には、世界に広がりだしたので、もう、キリがありません。 そのあたりは、また改めて、思い出してみたいです。
90年代はじめころは、自主制作でカセットを作って遊んでいました。
ノリよくやっていると、その時はうまくいったような気がしますが、音源として残るものはあとで思い出した時に、じっくりと聞いてみるとひどいものもある。

1993年くらいから10年近くは、何もしませんでした。
音楽は飽きたらやめる、が吉。

長いブランクの後、突然思い立ち、2002年から戦前ストリングジャズのバンド(メディパックス)を、2005年から、ドゥーワップのザ・ジルコンズをはじめて現在にいたります。

なんでしょうね、振り返ってみると、以前にも書きましたが、「下手の横好き」っていうのでしょうか、「へたくそなことをできるようになるまでやってみたいという情熱」みたいなもんがあってやってきたような気がします。

子供のころ、いつも音楽は、成績が2だったことを思い出します。
いまでもたぶん2です。(楽譜が読めないので。)
人は、そう簡単に変わるもんではありません。

いつもいやだいやだ、といってやっている、本職(永田町方面公共セクターの仕事です。)のほうが本当は、才能があるのかもしれません。
まあ、でも、面白いと思っているうちはそれでいいかな、と思います。

Santiago Tamura "Ultraman Ska"


Santiago Tamura "Return Of The Gunfigher"



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