8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.52 |
懐かしの昭和 5 真夏の再会 新年明けましておめでとうございます。 そっと入ってまいりました皆様の頑固8鉄です。 さて、今回は、「懐かしの昭和」シリーズのひとつとして、個人的な思い出話ではありますが、わたくしの亡き父と父の親友の話で昭和を振り返ってみたいと思います。 ま、とはいっても、そこは、わたくしの親父のこと、しめっぽくはなりませんよ! ちょっと、愉快な、昭和一桁世代のお話です。 …… 平成19年8月。 「ヒデさん、ヒデさんよう……生きてるうちに…会いたかったよう…。」 77歳、白い麻のスーツ、パナマ帽の紳士、「クラさん」こと、倉持さんは、25年に渡る家族による介護生活の末、とうとう寝たきりになり、先月亡くなった僕の父の位牌の前で、手を合わせて、涙ぐんだ。 …… 昭和40年。 クラさんは、いつものように、僕の父を訪ねてきた。 「おい! エイ坊! おっきくなったなあ!」 髪の毛がくしゃくしゃになるほど、僕のアタマをなでる。 満面の笑みを浮かべた大きな丸顔から、にょっきりと、使い古したパイプが飛び出していた。 真夏の暑い日曜日。 蝉の声がうるさいほどひびき、青空に、たくましい入道雲がもくもくと浮かんでいる。 当時ですら、古風で粋な、白い麻のスーツ、パナマ帽のクラさんは、家の土間に腰掛けて、懐から出したセンスでパタパタ仰いでいた。 「ヒデさんは、モテっからあ、オンナどもが勝手についてきちまってよう。オレは全然ダメなのに!」 母もそれを聞いて笑う。 いつもの通りの、昔話だ。 「さあ、あがって一杯やってきなさい。」 クラさんと父は、終戦直後といっていい、昭和25年前後の防衛庁車両部仲間だった。一緒に戦車を動かした仲間だ。 当時の防衛庁の現業組というのは、ほとんど「戦後軍人」の世界である。 民間会社よりもはるかに「同期の桜」意識は強く、後に職場がバラバラになって散会しても、いつまでも友達付き合いは続いていた。 なんとかいう二枚目映画俳優のような風貌の父は、実際、「モテすぎ」だったらしく、女性トラブルがもとで防衛庁を辞めるハメになったらしい。 「クラ、いつもそればっかり言うなよ!」 父もニヤニヤ笑う。 「こないだの同期会だってさ、旅館の女どもがみんな、ヒデさんとこに集まっちまうんだもんよ! 奥さんも苦労が絶えないだろ!」 クラさんが言うと、どんなことでも、コメディに聞こえるから不思議だ。 クラさんはウイスキー党だ。 パイプとウイスキー、白いスーツ。 とにかく、見とれるほどおしゃれで、夏なんかいつも下着一枚でひっくり返り、安い日本酒をあおっている父がみすぼらしくみえた。 そのクラさんが、「ヒデさん、モテすぎだ」と、いつも言うのが子供にとっては不思議だった。 クラさんこと、倉持さんは、昭和6年、東京の亀戸の生まれ。粋な下町の一人っ子だ。 しかし、当然、東京大空襲に遭っている。 両親と逃げ回り、川に飛び込んで命拾いをした、という話もよく聞いた。 父上が終戦直後に亡くなり、小さな四畳半のアパートの一間で、母と暮らしていた。 太平洋戦争のせいで、秋田の寒村から裸同然で上京した僕の父とは、また違う苦労を味わい続けた人だった。 「ヒデさん、またな! エイ坊! 今度おっちゃんとこにも遊びに来い!」 クラさんは、そう言って、やっと当選した、奥さんと娘3人が待つ小さな都営住宅に帰っていく。 …… 平成4年。 僕は、父とクラさんの防衛庁時代の同期のひとり、キクチさんの遠縁にあたる女性と付き合っていて、結婚することになった。 「仲人は誰にしようか。」 僕とかみさんは相談したけれど、僕の頭に真っ先に浮かんだのはクラさんだった。父の防衛庁仲間といったらやはりクラさんだ。 父に相談すると、笑いながら、 「ありゃ、馬鹿だが、恰幅がよくて見栄えがいい。頼んでやるよ。」と言った。 そして、結局、結婚式では、僕のとなりには、洟垂れ小僧のころからよく知っているクラさんが座っていた。 「おい! エイ坊!」 30過ぎても、相変わらず「エイ坊」のままなのが可笑しい。 クラさんは、いかにもクラさんらしい、いたずらっぽい笑顔で、小声で僕にささやく。 「どんどん、飲んで、食ってしまえ! でないと、損だぞ!」 「クラは、仲人のくせに、節操がない。」 父が笑う。 そして、あのときが、クラさんと父が会った最後になった。 …… 平成8年。 クラさんは、定年退職することになった。 これからは、元気なまま、年金生活。 脳卒中による重い後遺症のため、重度障害者として、25年もまえに退職を余儀なくされた父から見ると、うらやましい立場である。 僕とクラさんは、平河町の喫茶店でウイスキーを飲んだ。 喫茶店なのに、馴染みのクラさんがいくと、なぜか、黙っていてもウイスキーが出てくる。 「おい! エイ坊! かみさんとうまくやってるか? オヤジの具合はどうだ? 行こう行こうと思ってもなかなか行けなくてな。」 いつも同じ会話である。 「おまえの親父は、オレのことをいつも、馬鹿だ馬鹿だと馬鹿にするとんでもねえ野郎だがよ、ホントはいいやつなんだ。だけど、あれだぞ、エイ坊、あいつは女にモテすぎて……」 また、その話か…… 僕はゲラゲラ笑い出す。 そんな心配しなくても大丈夫。僕はそんなにモテたことなんてないのだから。 …… 平成19年8月。 その後、クラさんは、心身障害者施設のバス運転手として、働いたが、数年前、娘たちの希望で、退職した。 80近い、糖尿病持ちが運転を続けるのは危険だ、という判断らしい。 「オレは一人っ子だけど、娘が3人だろ。それがさ、全員結婚して近くに住んでいるんだけど、孫も全員女なんだよ!」 亡父に線香をあげたあと、クラさんは、苦笑いした。 「もう……大変のなんのって……しんどいわ、ほんとに。」 クラさんは、77にして大モテにモテている。 女に囲まれているわけだ。 「ところで、ヒデさん、とうとうあの世に逝っちまったけど、モテすぎだからなあ、向こうでも……。そういえば、若い頃、女のトラブルで……奥さんも苦労が絶えなかったろ?」 またその話か!! 位牌の向こうの父の写真も、思わず、笑っているように見えた。 |
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