8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.51
                                                                                                                                                                                                             
                  懐かしの昭和 4 「植木 等のスーダラ伝説



 「さぁー!! いっちょ、ぶわ〜〜っと、いくかああああああああ!!!!」

2007年に亡くなった、歌手、コメディアン、そして名優だった、植木等が、昭和の半ばころ、叫んでいた言葉だ。

両親に連れられて、小学生でクレイジー・キャッツを生で見て以来、今まで、一度も彼を忘れたことはない。以来、植木等の唄う一連のクレイジーソングは、少なくとも、僕にとっては、本当の意味での「心の唄」であった。

「生きる指針」、と言ってもいいと思う。

植木等は、おそらく、最も戦後の日本人(僕を含めて)に絶大な影響を与えた歴史的人物のひとりだった(背後にいた作詞の青島幸男も)。

戦前〜戦中派の昭和ヒトケタ、植木さんや僕の親父の世代は、パワフルそのものだった。

そして、父も母も、クレイジーが大好きだった。



僕の親父の口癖は、

「戦後の人間は全員バカだ。
お勉強は出来るかもしれんが、
人生そのものがまるでわかってない。」

というものだったけれど、なぜだか植木等という有名人を見ていると、「親父の言うとおりかもしれない」と思ったものだ。


「一つ山越しゃ ホンダラダホイホイ
もうひとつ越しても ホンダラダホイホイ
越しても越しても ホンダラダホイホイ
どうせこの世は ホンダラダホイホイ
だからみんなで ホンダラダホイホイ

あの娘と逢ったら ホンダラダホイホイ
この娘と逢っても ホンダラダホイホイ
逢っても逢っても ホンダラダホイホイ
どうせ女は ホンダラダホイホイ
だから男は ホンダラダホイホイ

あれをやっても ホンダラダホイホイ
これをやっても ホンダラダホイホイ
何をやっても ホンダラダホイホイ
だから やらずに ホンダラダホイホイ」

(「ホンダラ行進曲」1963年 青島幸男・萩原哲昌)



大人になるにつれ、
「これ以上、世の中に対して何がいえるっていうんだ?」と思ったものである。

「バカにバカ足しゃ バカばかり
バカからバカ引きゃ うすらバカ
掛けたり割ったりしてみても
阿呆と間抜けがチョイと顔を出す

とかくこの世はバカばかり
中途半端はおよしなさい
バカは死んでも直らない」

(「馬鹿は死んでも直らない」1963年 塚田茂・萩原哲昌)

大人になればなるほど、
「人生に対して、これ以上、何が言える?」と思ったものだ。

「見ろよ 青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう
ハァーーーーッハッハッハッ!!!!!」

(「だまって俺についてこい」1964年 青島幸男・萩原哲昌)


「これ以上、力強い笑い声があるだろうか?」
ひどい気分のときには、神の笑い声に聴こえたものだ。


「ゴマをすりましょ
みんなでゴマをね
朝もはよから 夜中まで
身震いするよな うまいこと言おう
運が開けりゃ
チョイとチョイとチョイとチョイと福が来る
ハァー えらいやつぁ おだてろ
ゴマすってのせろい」

(「ゴマスリ行進曲」(1965年 青島幸男・萩原哲昌)


社会の波にもまれればもまれるほど、
これ以上利口な「世渡り」があり得るだろうか? と思ったものだ。


「一目見た娘に たちまちホレて
よせばいいのに すぐ手を出して
ダマしたつもりが チョイとだまされた
俺がそんなに モテるわきゃないよ
わかっちゃいるけど やめられねぇ

スイスイスーラララッタ
スラスラ スイスイー……」

(「スーダラ節」1964年 青島幸男・萩原哲昌)


これ以上、最高に素敵な「不良ソング」があるだろうか?
この歌には、まるで夢のような、「限りない自由」がある!


そして、

「人生で、大事なことは
タイミングにC調に無責任
とかくこの世は 無責任
こつこつやるやつぁ ごくろうさん
ハイ!!!! ごくろうさああああん!!」

(「無責任一代男」1962年 青島幸男・萩原哲昌)


そうなのだ。
俺も他人も、みんなみんな実に実に、あほらしいくらい

ゴクローーーサン なのだ。

笑っちゃうくらい、バカバカしいほど「ごくろーさん」。
人生そんなものである。

「俺たちゃ 実年
背は低いが 血圧高い
機械にゃ弱いが 女にゃ強い
ガンガン行こうぜ まだこれからさ
毎晩イっても大丈夫 大丈夫!
……
さあーー!! この調子で
100まで行こう!!!
エイエイオーーーーー!!!」
(「実年行進曲」(1986年 青島幸男・萩原哲昌・大瀧詠一)



日本人による、日本のロックがあるとしたら、どんなアーティスト
のどんな有名な曲よりも、僕は、「植木等のクレイジー・キャッツ・ソングス」を
、真のロック魂を持った歌として、支持する。

植木さんは80歳で亡くなった。
100まで行かなかったが、僕も「実年」にさしかかっている。

そうとも。
ヘナヘナした真っ暗な親父などになってたまるか。
今、「クレイジー・デラックス」を聴きながらこれを書いているが、
改めて元気をもらった。

自分の人生そのものから、「ごくろーさん!」と言い渡されるその日まで、
スイスイスーラララッタと生きていきたい。それが僕のホンモノの希望である。

「というわけで、今年もスイスイスーラララッタとお送りしました8鉄コラムで
ございましたが、THE KINGそのものは、さらに、職人気質に磨きをかけ、
さらに、皆様に喜んでいただけるものを目指して、日夜奮闘中でございます。
さらなるお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。
そして、大不況と言われる中、頑張りつつ、熱い精神と楽しむ心を忘れない
お客様方におかれまして、来年も、さらに素晴らしい年でありますよう、
スタッフ一同、心より望んでおります。

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