8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.50
                                                                                                                                                                                                          
 
 
 
懐かしの昭和 3 「野球小僧の涙 」

みなさん、こんばんは。頑固8鉄です。
さて、ちょっと、古い、僕ら昭和半ば生まれの親父たちが好んだ、この唄をご存知でしょうか?


野球小僧に遭ったかい
男らしくて純情で
燃える憧れスタンドで
じっと見てたよ背番号

僕のようだね 君のよう
オオー マイ・ボーイ
朗らかな 朗らかな
野球小僧

野球小僧は腕自慢
凄いピッチャーでバッターで
街の空き地じゃ売れた顔
運がよければルーキーに

僕のようだね 君のよう
オオー マイ・ボーイ
朗らかな 朗らかな
野球小僧

野球小僧がなぜくさる
泣くな野球の神様も
たまにゃ三振エラーもする
ゲーム捨てるな頑張ろう

僕のようだね 君のよう
オオー マイ・ボーイ
朗らかな 朗らかな野球小僧

「野球小僧」
(1951年 灰田勝彦)
(作詞:佐伯孝夫 作曲:佐々木俊一)

この名曲を聴くと、ふと思い出す、懐かしい顔があります。
もう、数十年も見ていない顔。今頃、どうしているのだろう?
今回のオハナシは、そんな想いをこめて、お送りします。




……

タカちゃんは、中学1年の終わり、僕の家のすぐ近所から、ヨコハマに引っ越すことになった。
よくある話で、別にどうということもなかった。

まるで僕と双子のように、幼稚園から小学校にかけて、8年間、同じアパートに住み、同級生で、同じ少年野球チームのメンバーだったタカちゃん。そのチーム自体、僕とタカちゃんとヨウイチの3人で作ったんだった。

高校野球なんかと違って、所詮、ジャリチーム。子供のお遊び。
実際、いつもボール投げやバッティング練習していたのは、アパートの、砂利を敷き詰めた駐車場だったし。
年上の連中は、ただのうるさいガキだと思っていたかもしれないけど、僕らは真剣だった。

3人でおかあさんたちに頼んで、「おそろいのユニフォーム」を作ってもらったときの感激ったらない!

「僕らもこれでちゃんとしたチームだ!」
「おう! だけどさ、対戦相手がいないよ。」
「それに3人のチームなんてないぜ。」

そこで、僕らは、もっとメンバーを増やすべく、学校の友達、近所の友達に片っ端から声をかけた。

いつも、本ばかり読んでいる運動オンチのガミちゃん、やっぱり、ちょっと動きがニブいんだけど、すごく頑張り屋で、絶対に諦めないヌノやん、年下でちっちゃいけれど、すばしこくて抜群の運動神経を持ったマーちゃん、ちょっと家が遠いのだけど、週末なら来れるナカムラくん…… 。

でも、がんばっても、そろったのはせいぜい10人がいいところだった。

ところが、僕らのそうした活動は、近所で有名になっていった(番町少年野球団、と呼ばれていたのだ、と20年後に知った)。

そして、とうとう、学校の先生が動いてくれて、同学年で野球試合をすることになったのだ。

僕らのチーム以外に即席のチームが学校を中心に作られて、人数は少なかったけれど、週末の校庭開放の日に、対抗試合をすることになった。

夏の晴れた日曜日の午後、僕らはユニフォームを着て、水筒を持って学校へ行った。

先生以外は、野球好きの子供たちだけだったのに、ひとり例外がいた。

それは僕の父である。

なぜかというと、父は当時8ミリ映画に凝っていて、試合の一部始終を映画に撮ろうとしていたのだ。

灰田勝彦の「野球小僧」は、旧い歌謡曲が大好きな父の愛唱歌だったし、僕が野球好きになったのも、もとはといえば、父が後楽園球場によく巨人戦を見に連れて行ってくれたからだ。

そして、僕らの、実はあまり結果の冴えなかった試合の一部始終は家の8ミリフィルムに収められたのである。



 ……

タカちゃんもヨウイチも、同じ中学に上がったのだけど、8クラスもあるので、3人とも別々のクラスになった。
たった1年でも、変化の速い子供にとってはずいぶん長い期間だ。

小学校校庭での試合もなくなり、僕らはいつの間にか、野球をしなくなった。
そして、おそろいのユニフォームも、グローブもミットも、押入れから出ることがなくなった。

だから、タカちゃんが引っ越すことになっても、それほどショックではなかった。
お互い、別々の友達と遊ぶようになってきていて、楽しいことも共通ではなくなったきていたからだ。

タカちゃんが引っ越す前の、ある日、僕の父が提案をした。

家にタカちゃんとヨウイチを連れておいで、というのだ。

そして、父は、その日、準備に時間がかかる面倒くさい8ミリ映画の映写機をセットし、みんなで父が撮った映画を見ることになった。

夢中で缶蹴りをしているところ、懐かしい日枝神社のお祭りでお神輿をかついでいるところ
、くたびれてヘナヘナになってアイスキャンディーをなめているところ、アパートの駐車場でキャッチボールをしているところ、そして、校庭での野球試合の一部始終。

タカちゃんもヨウイチも、なんだか気まずいような、照れくさいような顔をしていて、僕はなんだか2人に申し訳なくなった。父の気まぐれに付き合わせてしまったような気がしたのだ。

だけど、2人の帰り際、タカちゃんの顔を見たら、うっすら涙が浮かんでいた。

男の子らしい、何も言わない、照れくさそうな笑顔の中に、涙が光っていた。






あれから、もう、35年も経つ。

僕は、野球をテレビで見ることすらなくなり、近所で野球をしている子供を見ることもなくなった。

タカちゃんとも、ヨウイチとも、もう、25年は会っていない。

だけど、今でもなんとなく、灰田勝彦の唄が口をついて出ることがある。

父がいつも楽しそうに歌っていた、あの旧い唄である。

そして、あの唄を聴くと、タカちゃんの頬に光っていた涙の輝きを想い出す。

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