8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.44
                                                                                                                                                                                                                      
             
アマチュア・ミュージシャン生態レポート 3

                            5 真冬の松崎しげる〜R&B・ソウルな人々


 まあ、このページをご覧になっている方は当然ご存じの言葉である "R&B"(リズム&ブルーズ。ちなみに、ブルース、というのが一般的な日本語表記ですが、ネイティブ発音的に言うと、ブルーズ、でしょう。)。

しかし、我が国に一般的に浸透している言葉ではありません。
なかには、「コーヒーの銘柄?」なんて言う人もたくさんいるくらいで、知ってる!という人でも昔なら、「和田のアッコさん!」とか連想する方が多いでしょうし、最近では「うただひかるっちゃん????」とか・・・・すいません、今度はわたくしのほうが全然知りません・・・。
そんな人たちの合計が仮に、93%(ええーっ??!!)とすると、残りの6パーは、やれオーティスだ、サム・クックだ、ジェームズ・ブラウンだ、ガッタガッタ、ゲロッパ〜なんて叫んだりするヒトで構成されているのではないでしょうか。

 それで、ほぼ100%なのではないか?などと思っていると、最後の1%未満の中に、「1940年代のロイ・ミルトン&ソリッド・センダーズが大好きなんだ!」とか「ジョウ・リギンズは渋いぜ!」なんて、とんでもないことを言い出したり、吾妻光良とスインギンバッパーズのCDを持っていたりする人がいますから、リンゴの木からミカンが生えてきたくらい世の中不思議です。
まあ、スインギン・バッパーズは現在までずっと現役の、メジャーからCDがでている日本のバンドなので、「知ってる!」っていう人がたくさんいても今日ではおかしくはないですけども、わたくしが日本のR&B界に接近遭遇していた20数年前にそんなことを知っていたら、マイナーもマイナー、変態も変態、っつーくらいだったように思います。



 昔、バンド仲間の先輩とスインギン・バッパーズのLPを買い、吾妻さんが創った「むかしつきあってた女」なんて素晴らしい曲を覚えて、酔っぱらって唄ったりしたものですが、この先輩、飲んべえな上に放浪癖があったからサアー大変。
ふらりと出かけた中近東のどこだかで勝手にベロンベロンに酔っぱらって、「むかあしつきあってたオンナにあ〜ったあああ」なんて、一人で町中を唄って歩くという無謀なことをしたらしい。
そしたら、「なんでそれ知ってるの?」なんて、いきなり見ず知らずの男に声かけられて、「スインギンバッパ−ズは世界的に有名なのか!」とびっくらこいてたら、実はその方、スインギンバッパーズのピアニストご本人。たちまちふたりで盛り上がって、アフガニスタンだかどこだか怪しげなところでクダ巻いたというどうでもいい話もありました。ふたりとも、なんでそんなところにいたのか、謎ですが。しかし、このどこまでがシャレで、どこまでがホントなのかよくわからない、謎だらけな感じがR&B愛好家が持っている特有の空気のような気もします。

さて、わたくし自身は面識はないけれども、わたくしが見聞きした中でもとびきりの素晴らしいミュージシャンであるこの吾妻さんという方、早稲田のトラベリング・ライトというサークルの出身者だそうで、実はここはわたくしがお世話になったサークルのすぐお隣さんでありました。いくつか年上なので、大学時代は面識がありませんでしたが、ウチのサークルの先輩連中なんかとは、当然、顔見知りだったりするらしい。



吾妻さんは、てっきりR&B研の出身者かと思っていたのですが、そういうサークルもあったですよ。わたくしのサークルの先輩がR&B研究会にはお世話になった経緯もあり、友人もメンバーにいたりしたもので、わたくしも、「俺はトレニアーズみたいのがやりたいなあ。」なんて意味不明のこと言いながら同じ大学のR&B研のたまり場へちょくちょく遊びに行ってはいましたが、当時はシカゴ・ブルーズ一辺倒っぽくて、ジャンプだのジャイブだのが三度のメシより好きだなんていうのはぜんぜんいなかった。
シカゴ〜工場街〜ギャング〜マディ・ウォーターズ〜ボトルネック・スライド〜ロバート・ジョンソン〜悪魔に魂を売った男……ドロドロドロ・・・・・ひゅううううううう・・・・ヒェェェェ・・みたいな、おもいいいきぃぃぃし、マックラな雰囲気で、ほとんど魔窟状態。
「これでは、爆殺された親友の復讐を誓ってトンプソン機関銃の手入れをしている高倉建が出てる映画くらい潤いのない、男ばっかりの世界じゃないかっ!」と思って、女の子が、キャピキャピとはしゃぎながらアイスかなんか食ってる我がサークルに逃げ帰った覚えがあります。

 今はどうだか知らないけど、黒人音楽好きなのヒトたちの世界ってなんでこうマッチョだったんだろうなぁ、と思うこともあります。まあ、当時は、アマチュア・ミュージシャン関係は、どこに行っても、めちゃくちゃ強い酒を生のまま飲みながら、両切りの煙草をモクモク吸いまくる、っていうのが、ごくごく普通だったんですけれども、そんな中でもとりわけ「体育会系色」が強かったのが、R&Bの連中だったイメージが残っております。
今日でいうところの「草食系男子」なんてのは、絶対に生き残れない、殺伐ギラギラの「肉食系世界」っぽいイメージが残っております。

 当時は、日々谷の野音なんかで、アルバート・コリンズだのサム&デイブだの有名外タレよんで、ブルーズ・フェスなんかが毎年開かれてもいましたが、これにはよく行きました。
やっぱりホンモノはすごい。真っ黒も真っ黒、でかいわごついわ、あんなのが近寄ってきたらわたくしなんか、しっぽ巻いて逃げ出す、ゴジラのようなミュージシャンばかりです。
しかし客層のほうは、なぜか半分くらいはおねえちゃんたちで、割合と格好も雰囲気もイケイケ系でゴージャス、エッチっぽい。R&Bはエッチな歌詞満載のセクシーな音楽だからでしょうか。
マッチョな黒人にはどエロいおねえちゃんがつきもの、だからでしょうか。
それとも、単に、当時は、ジュリアナ全盛のバブル期だったからでしょうか。
しかし、当時も、カントリー系ねえちゃんたちは、ウエスタンブーツにバンダナ巻いて、爪楊枝をくわえ、バーボン一気飲みしてそうな様子でしたから、やっぱりR&Bなオンナたちは違っていたのでしょう。
「う、うらやましいいいいっっ! R&B研に入って辛抱すればよかったああっ!」なんて思ったものです。
それにしても、これまで生でライブを観た外タレは90パーセントくらいR&Bの人たちなのですが、今生き残っているヒト(単に生存しているという意味)はほとんどいないので、思い返すと貴重な体験をしたものだと改めて思います。



 とにかく、「ああ、俺ってホントに音楽なんてどうでもいいんだなあ。エロい女がたくさんいるとうれしいなあ、ビールはうまいなあ・・」などとウスラボケなことばかり考えて生きてきたんだなー、と、改めて痛感する今日このごろですが、わたくし自身ミュージシャンとしてちらっと参加させていただいたR&B系バンドなんかは、すごかった。
大体、民俗音楽系と違って、ロックバンドと似たようなもんだから、扱う楽器も一般的だし、メンバーも某有名バンドの元メンバーがいたり、レベル高い。「サックスも吹くブルーグラス人」というさっぱりわかんない立場で加入したもんだから、困ってしまいました。
でも、「音楽的レベルは高いがムサいしダサい」というのが正直なところで、近所のスーパー「とんきちマート」(架空です)の大安売りで買いましたといった感じのトレーナーに穴のあいたジーンズでステージに出てくるし、牛丼の大盛りのデザートは赤まむしドリンクです、みたいなヒト、多かったな。だいたい、なんで80年代なのにアフロなんだ?とか。
やっぱり、真冬でも真っ黒な松崎しげるとか、ギタギタにチャンキーなつのだひろ系のヒトをイメージするとR&Bっぽいですよね。

 わたくしも勢い余って、しばらくR&B、ソウル系バンドを主宰し、ステージデビューをもくろんだこともありました。「レベル高くないが、おしゃれで、唄が女の子で色っぽい。」というコンセプトだったですが、あまりうまくいかずに挫折・・・。みんなこだわるんだよねえ「レベル高いこと」に。
「R&Bやロックなんかまずはカッコからだろ!」と思っていたのですが、「まず、音楽が芸術的に素晴らしくなければ意味がない!」とかなんとかむつかしいこと言うヤツがいるんですね、どこにでも。
「カッコつければ、気分で音楽性がついてくるんじゃあっ!」というのはいつも僕だけなのはなぜだ? なんて首をひねったのがR&Bバンドでありました。まあ、わたくしが軽薄なだけなのかもしれませんが。
今でもこの手の熱狂的ファンはいるんだろうけど、わたくし、なぜか、あまり縁がなくなってしまいました。
そのうち、懐かしいスインギン・バッパーズでも見にいってみようかなあ、でもR&B本拠地の高円寺だの吉祥寺だのは遠いなあ、やっぱりウチでビール飲んでアダルト・ビデオ見てる方が幸せだなあ、なんてことをノータリンに思う、頑固8鉄でありました。


6 (番外編)オン・ザ・ストリート・コーナー



 さて、昔話ばかりだった「アマチュア・ミュージシャン生態レポート」、ラストは、番外編で、現在進行形の話。

昔は、「オン・ザ・ストリート・コーナー」というと、山下達郎がドゥーワップ名曲をカヴァーした名作アルバムのタイトルでもあり、街角にたたずんでアカペラ(無伴奏コーラス)で歌を歌うアマチュア・ドゥーワップ・グループを連想したものです。実際、アメリカでは50年代から現代まで、そういうグループはたくさんいて、現在でも街角コーラスはいくらでも見かけることが出来るようです。
しかし、最近我が国では、あちこちの街で見かける路上演奏のアマチュア・ミュージシャンでアカペラを観たという記憶が全くありません。アカペラそのものは、高校、大学などの合唱団なども健在だし、ゴスペル・グループで活躍している方々もたくさんいることも知っているし、路上や街角で練習したりしていてもよさげなものですから、きっと、見かけないのは、単に巡り合わせが悪いだけなんだろうな、と思っています。

というわたくし自身も、実際は路上で自主的に演奏した経験は、ほとんどなく、たまたまオファーが「路上でキャンペーンのための演奏」という条件のもとでやった頼まれ仕事が、路上演奏のほぼすべてです。
今年も今月(9月)中旬に仙台の定禅寺ジャズ・フェスティバルというのがあり、昼間は屋外でのイベント演奏で呼ばれております。
ザ・ジルコンズ、というのがわたくしのアカペラ・ドゥーワップ・グループなのですが、アカペラグループも積極的に採用、というわりには、今年は我々以外、ほとんどないらしい。昨年出演させていただいた時には、結構でていたような気がするのですが。
オン・ザ・ストリート・コーナーというと、街の隅っこの街灯の下、というイメージがどうしてもあるのですが、ここでの演奏はなんと空中ステージにフル音響設備!
屋外、ではあるものの、路上ではない。昨年は大変な数の方々に立ち止まって40分間のステージをフルに観ていただいた、ということもあり、全然不満があるわけではないのですが、街行く人々に無視されつつも、楽しげに路上で歌うドゥーワップグループ、というフィフティーズ・ドリーム的な場面は期待できません。
昔と違い、今は、フェスティバルでもない限り、路上で勝手に歌ったりすると、すぐに通報されたり、怖い人が出てきたり、ロクなことがない、という噂を聞いたことも。



 というわけで、「路上つながり」、というのが全然ないのですが、わたくし、5年もアカペラグループを主宰していながら、他の同業の方とのつながりもほとんどないままであります。こんなにないのもまた珍しく、どうも、街角にいるいないに限らず、ドゥーワップ・グループそのものがほとんどないのではないか?と思うのです。
いま、結構、流行ってきているといっても、日本語で歌うJポップの世界ではあり得ても、昔のアメリカのホンモノを復元する、という意味でのドゥーワップグループというのは、ほとんど見かけません。

また、最近は、アマチュア・ミュージシャンのみならず、お笑い、ジャグリング、バンド、大道芸・・・あらゆる芸人さんたちが、本当に器用でバラエティに富んでいて、歌+お笑いだったり、お笑い+アクロバットだったり、合わせ技が当たり前で、本当にプロもびっくり、みたいな人もたくさんいます。それに歌は、基本的に「カラオケ」という強力な武器がありますし、わざわざ人力で手の込んだことをしなくても、ひとりで十分楽しめるし、ステージだってできる。当たり前のようですが、まだ東京下町の街角で傷痍軍人が、アコーディオンを弾いていた、わたくしが子供の頃から見ると、状況が全く違うのです。
もしかすると、「歌歌います!」とか「楽器弾きます!」みたいに、昔ながらの枠で直球勝負のステージをやるのはとうに時代遅れということなのかもしれません。
逆に、いわば「隙間産業」的な、マイナーでマニアックなものになると、「実は、テルミン奏者なんです。」「実は、スプーンたたけば日本一です」とか、「細かすぎて伝わらない云々」の世界になってしまったりで、やってることが中途半端に一般的だとかえって隙間に落ちてしまう、という・・・、なんだか何を言ってるのかわからなくなってしまいそうな状況でもあるのです。

いずれにせよ、現在進行形で、すこしづつ、小さい店で、時代遅れで地味ながらも、ちょっとお笑い系織り交ぜながら活動するザ・ジルコンズ、機会がありましたら、観に来てみてくださいませ!

 もちろん、この時期のお出かけの際は、THE KINGの切れ味抜群のナッソージャケットで!というのもお忘れなく。

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