8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.43
                                                                                                                                                  アマチュア・ミュージシャン生態レポート その2

 みなさん、ごはんは?違う、こんばんは!頑固8鉄です。
前回から数回にわけて、生来の浮気性男、アマチュア・ミュージシャンの端くれであるわたくし頑固8鉄が渡り歩いてきた様々な分野の「アマチュア・ミュージシャン界」(?)について、自分勝手な偏見盛りだくさんでご紹介させていただいたところでありますが、すんげえ大好評!というわけでもないのに勝手に続けさせていただきます。

3 テックス・メックス、アイリッシュ・トラッドその他〜全音階蛇腹族の人々



「全音階蛇腹族!!」なんて言うと、前人未踏の、得体の知れない未開地に住む珍しい種族みたいでこわそうですが、何のことはないアコーディオン抱えて「はあああれたっそらあああ♪」なんて唄ったりする人たちの一種なんですね。 もちろんわたくしの勝手な命名でございます。

わたくし8鉄がアコーディオンを始めたのは20代になってからで、昭和30年代生まれらしく「なつかしいなあ」なんて思っていたのです。当時は、アコーディオンって、ごくごく一般的に小学校にたくさん置いてあったりしましたからね。
だけど、僕が手にしたのは「昔なつかしい鍵盤付」ではなくて、タイプライターみたいにぜーんぶボタンが並んでるやつですから、サア大変! といっても、わざわざドイツから取り寄せたんで、酔狂な話です。

きっかけはライ・クーダーですが、このヒトはカントリーやブルーグラスの人達にも人気があり、僕もこの人のアルバム「ジャズ」なんかが好きだったんですが、ある日手にしたのが「チキン・スキン・ミュージック」というアルバム。
僕はもともとギター奏者ですから、ギャビー・パヒヌイ(ハワイアンスラックキイの名手)が入っていたりして、お気に入りになりました。
でも、この中にテックス・メックス音楽が入っていた。テックスメックスは、テキサスとメキシコ国境地帯で演奏される独特の音楽で、中心はアコーディオン。アコーディオン奏者のクレジットには、フラーコ・ヒメネスとありました。 小さな写真が載っていて、見ると小型のボタン式アコーディオンを弾いている。

「ボタン式」というと、小柄な日本人が持つと突貫工事してる人みたいに見えるばかでっかいクロマティック式(半音階式)しか見たことがなかったので、「これは何だろう? もしかすると、弾いてるフラーコという人は2メートル50センチくらいのプロレスラーなのだろうか?」という素直な疑問をもった、これが事のはじまりです。
わたくしは、この疑問を解決するべく、いろいろな民俗音楽に明るい大学の先輩T山氏を訪ねました。



8鉄:「このアコは何でしょうね? ボタン式なのに小さいでしょう?」
T 山:「そうだね。中南米で良く見かけるタイプだね。あっちで出回っている民俗楽器のたぐいなんじゃないか?」
8鉄:「そ、そうか。じゃあ普通の楽器屋じゃ駄目なんだ。民俗楽器専門店に行ってみようか?」
T 山:「そんなもの売っているところは見たことがないなあ。」

なんて感じで、ヨタとばしているうちに、ライ・クーダー本人がフラーコと一緒に来日することになったり、めきめき人気が出てきた若手テックス・メックスバンド、ロス・ロボスが来ることになったり、ザディコのクイーン・アイダが来ることになったりと、いきなりちびっこボタンアコーディオンが気になる時代になっていたのです。
こういったコンサートに足を運んで、どうやって弾いているのかじろじろ見たり、ちんたら調べたりしているうち、なんのことはない、ハーモニカでも有名なドイツ・ホーナー社が作っている、「コロナ」という、ダイアトニック・ボタン・アコーディオン(全音階式アコーディオン)と呼ばれる種類の、現行機種らしいということに気がつきました。

あとは、簡単です。専門店を調べ、水道橋の「渡辺あつし楽器店」に足を運びました。取り寄せてくれるというのです。
この時点で、ぬかりなく事前調査が行き届いていた僕はコロナのGチューニングを注文しました。全音階式は、蛇腹の押し引きで別の音が出るようになっているため、キイの違うものが同じモデルで数種でているのですが、Gのモデルは、一番一般的に使われるからです。
来たのはいいが、どうやって取りかかればいいか、というのは多くの人が持つ疑問のひとつです。僕はとりあえず同じ音階がだせればいいやと、ねじふせるようにフラーコのコピーを始めました。

いろいろいじくっているうちに、なんだか近くなってきた、こうなるともっとネタが欲しいということになり、テックスメックス専門店(クラン・レコード)を見つけだし、ビデオ(チューラス・フロンテラス)を注文し、ついでに日本人では極めて珍しい、ダイアトニック・アコーディオンの奏者まで見つけだし、どんどん情報源を増やしていったのです。

ここまで来ると、いつの間にか自然と情報が入ってくる、それを利用すれば演奏方法がわかるというわけで後はいもづる式です。
こんななか、アコ奏者H谷氏との出会いはとても重要な出来事でした。
なにしろ、テックスメックス・アコーディオンの解説をミュージック・マガジン誌の特集記事として書いちゃうようなヒトですから、これだけでもう百科事典を手にいれたようなもの。
フラーコ本人と会い、飲んで歩いたりして、彼の奏法も聞き出していました。

「フラーコは蛇腹の引きだけでやること多いよ。」
「音は一度に2つずつ出すのが多いんだよ。」
「主なコードはこうだ(と、やってみせる)」
といった具合で、もうほとんどこの人から主要なことはゼーンブ教わってしまいました。それから10年以上後に、フラーコ本人出演による教則ビデオが出ましたが、当時、みんな彼から教わったとおりで見るべきところがないくらいです。

その後、ブルーグラス関係の友達を集めてバンドを作ったり、ライブをしたりしましたが、いかんせん「テックスメックスって何?」と尋ねられるのが宿命のような音楽です。スペイン語がわからないので、唄をうたうにも制約がある。インスト(ポルカが多い)なんかやってる本人ですらどれも同じに聞こえる、というわけで長続きはしませんでした。

それから、いつの間にか10年以上もたってしまい、世の中を見回すとすっかりインターネット時代。
「ヘンな音楽人探し」をして遊んでいるうちに、ダイアトニック・アコーディオン専門サイトがあるのを知りました。
なんと驚いたことに、僕なんか及びもつかないダイアトニック蛇腹知識の宝庫。



「世の中にゃ〜変わったヒトもいるもんだねえええ」と清水のちびまる子のように感心していると、この方は、主にイングリッシュ、アイリッシュといったヨーロッパ系統を得意としているらしい。イギリスでもこのアコーディオンは主流ということです。
ダイアトニックアコーディオンが中心の音楽は、これまで述べたようなテックスメックス(テキサス―メキシコ国境地帯)の他は、バジェナート(コロンビア)くらいしか知らず、せいぜい本国ドイツのポルカか、フランスのミュゼットの一部を聴いたことありという程度だったので、その世界的な広がりに驚く始末です。まあ、驚くのは日本人だからなんだろうけど。
ラテンアメリカ各国、ヨーロッパ各国、みんなこの小型のダイアトニック・ボタン・アコーディオンが行き渡っている。
もう、こうなると、これを知らない日本人のほうがずっとマイナーではないか!
「知らなかった! ホントは俺はワールド・スタンダードなのだああ!」

というわけで、ホントは「全音階蛇腹族」は地球征服をしつつあるのでした。

4 YOU'RE NEVER TOO OLD TO ROCK!〜ラケンローラーの人々



世間では、風俗、流行のリサイクルというかリバイバルのパターンというのは、決まっていて、D通、H報堂のヒトでなくてもわかりますが、だいたい20年サイクルです。
ロックンロールとかロカビリーとかは1950年代の音楽ですが、最初のリバイバルはやっぱり1970年代でした。

当時、高校生だったわたくしもはまっていて、高校では柳屋のポマードのせいで「富士山アタマ」などと呼ばれており、ビル・ヘイリーだのカール・パーキンズだののLPをわざわざイギリスのレーベルから船便で取り寄せたり、レアなオリジナル版LPをなけなしのおこづかい全部叩いて、お茶の水で買ったり、という、今で言う「オタク」の極みのような薄気味悪い青春を送っていたのでした。
ヒサシアタマがサラリーマンのようにゴロゴロいた、というわけではありませんが、結構ラジオで復活前のロイ・オービソンが流れてたりしたので、やっぱり日本でもリバイバルだったのでしょう。

さて、当時から早30年、周りを見渡して見ると、いつの間にかポマード臭いヒトは永田町近辺ですら見かけなくなり、ポニーテイルの女の子でも見ようものなら、近所の裏庭でツチノコを見つけたみたいに大騒ぎになる世の中になっていました。
でも、さすがラケンローラー、筋金入りはしたたかに残っているもんです。



もう、15年も前になりますが、ロカビリーの連中と結構つきあいがあって、昔とったなんとかで、ロカビリー・ギタリストとして、セッションやレコーディングやTVでサポートしたりもしたんですね。
で、彼らですが、ほとんどひとまわりくらい年下なので、なんか、70年代からまた20年たって第2のリバイバルなのかなという感じ。でも見かけのものすごさは昔以上でした。
年をおいて、さらに誇張された形で帰ってきましたというか、なかにはトサカ、じゃねえ、リーゼントが前に30センチは飛び出してるというマンガがそのまま現実になったようなのもいるんです。
じゃらじゃら鎖がいっぱいたれたりしてるのも昔と違う。前回はもっとシンプルで、「理由なき反抗」のジェームズ・ディーンっぽかったと思うんですが、このときは過激でした。

私なんか、当時(33歳くらい)から、頭の薄い、単なる「丸顔のおやじ」に過ぎなかったので、どうも演出に苦労したものです。
NHKのアマチュアバンド番組に出演したときは、伊藤銀次氏から「"おじさんっぽいギター"というキャラをうまく作っていておもしろいね!」と言われましたが、実は「そのまんま」なだけでした(ズドッ)。

実のところ、プレイヤーはみんな一本気なヒトが多かったです。ジャジーな人々と同じでピュアなんですね。 私も、今でもこの手は大好きですから、気持ちは分かります。
もうひとつ特徴的なのは、ショウマンが多いこと。なんか「ゲーノー人」という雰囲気を持ってるんです。

民俗音楽系のヒトとかジャジーなヒトは、当時、あまりファッションやMCやステージアクションには気を遣わない傾向があり、楽器をおろすと「タダのオヤジ」という感じの人が多かったのと違って、存在そのものに華がある、といいますか、THE KINGのファッションの多大な貢献もこれあり、自己を演出することに長けている。音楽の中身だけではなく、見かけのインパクトも、もしかするとそれ以上に大切だということを良く知っているんです。

やってる人たちは、とても熱心なのですが、ブルーグラスみたいな「特殊ジャンル」と違って、所詮は「ロックの一種」だという世間の見方があるんで、流行に左右されてしまう面があるのがロカビリーの不幸かもしれません。特に、当時のネオ・ロカビリーは、ギョーカイからは「旬のもの」という感覚で受け止められたのかも。

わたくしの参加していたバンドは、リーダーがピュア・ロカ指向の方で、ホンモノの50年代の音と雰囲気をできるだけ忠実に再現しようとしていたんですが、銀次さんが、「こんな真面目なロックバンドはじめてみた。絶対日本にひとつしかないよ。」と言っていたことから類推すると、ヨーロッパと違い、50年代サウンド追求型(ピュアロカビリーという)の人は少なくて、いわゆる「50年代の曲目を現代的に演奏したロックンロールのようなもの(ネオ・ロカビリー)」の人が多かったのかもしれません。

リバイバルのころは、特有のビート(例:スラップベイス)とか、ステージアクション(例:ウッドベイスによじ登るビル・ヘイリーのコメッツ)とか、サウンド(風呂場みたいなエコー)とかが非常に誇張されていますが、どちらかというと今のロックファンでもノレるように処理してあるんです。50年代のほんものは、実はもっとバタ臭いし、リズムもまったり重くてそんなに速くないし、ギターも生っぽい音だし、ドラムズだってジャズ風でおとなしいのが多い。
当たり前のことですが、1950年代のロックの発生時点では「ロックミュージシャン出身」なんていませんので、みんな「ヒルビリー」だの「スイング」だののミュージシャンで成り立っていたんですから。でも、ピュア・ロカ派は、あまり一般的に人気が出ないので、ネオ・ロカで勝負した人もいたんじゃないかとも思います。

いずれにせよ、50年代のアメリカのロックを代表とする旧いスタイルのロック音楽も、今では古典。
日本で演奏する方々も、ひょっとすると高齢化が進んでいるのかもしれません。

そういえば、以前、ホンモノとメールでやりとりしたこともありました。
1980年に亡くなった元祖ロックンローラー、ビル・ヘイリーのバンド、コメッツのオリジナルメンバーで、スラップベース担当だったマーシャル・ライトルさんです。

彼は、コメッツ脱退後、ジョディマーズを結成、全米ヒットを出したりもしながら、不動産業で実業家として成功、資産家としてフロリダで悠々自適の生活をしているリッチマンですが、飽き足らなくなったのか、今ではみんな80代近い「最古のロックバンド」コメッツを再結成、オリジナルメンバーの生き残りを集めてCDをどんどん出すわ、世界中をツアーするわ、50年前と同じようにバカでかいウッドベースをぶんぶん振り回すわ、老人パワーの一言ではいいつくせない大活躍をしています。
全員歴史書に出てくるような伝説のプロフェッショナルですが、現在は、趣味のつもりでやっているらしく、ある意味で「アマチュア」です。僕は高校生時代からビル・ヘイリーのコレクターだったので、彼から是非日本に行ってツアーしたいので手配をお願いできないか?と言われたことがあるんですが、日本では、ロカビリーではとても集客を考えると、ペイできない、という、知り合いのプロモーターの助言をかみしめつつ丁重にお断りしました。宿泊費も払えないと迷惑をかけるだけになってしまうので。



でも、そんなマーシャルさんから、近年撮影した元気いっぱいのコメッツのステージ写真とともに、感動的なメッセージをいただいたので、今回は珍しく真面目にそれを締めの言葉にしたいと思います。

"you're never too old to ROCK!!"〜Mr. Marchall Lytle

THE KINGのファッションもまた、爺になったら着られない、なんてことはないのです!


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