8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.40
                                                                                                                                                                                                      
「若人のギター入門」
 
 んばんは!(こ、はどこへいったんだっ!)と、ひとりノリツッコミをする虚しい真夏の夜のオヤジ、頑固8鉄です!

 さて、みなさま、夏い暑、もとへ、暑い夏を乗り切るには、ビールに枝豆が一番!!というおじさんも、昔は、「ギャルと海に繰り出して、サーフィンだぜ!」なんて言っていたのかもしれません。そんな中、「熱くギターで青春を語ろう!海に叫べ!バカヤロー!」なんてやつがクラスにひとりやふたりはいた、なんてのがわたくし頑固8鉄世代であります。


 ギターというと、わたくしの親くらいの年代になりますと、クラシックギターで「禁じられた遊び」をやったり、田端義夫の弾き語りをしたりするのがスタンダードでしたが、昭和36年生まれのわたくしが色気づいてからは「サイモンとガーファンクル」だの「岬めぐり」だのをちまちまやるのが流行ってました。

「若人のフォークギター入門」なんてえ、工場の若手作業員が「花子ちゃんが好きなんだべえ!いつか、いつの日にか、プロポーズすっからな・・・一生懸命はたらくどー!!」なんて言いそうなタイトルのテキストが出てて、中身は、「ストロークで弾いてみる吉田たくろー」、「スリーフィンガーロールで弾く岬めぐり」「アルペジオで弾く神田川」なんかです。

間違っても「ギャロッピングで弾くスコティ・ムア」だったりはしない。

「こんなヘンなロカビリーおやじがそんなことしてたわけないだろう!」と思うあなたは甘い!
私もちゃんとやりましたよ!神田川の弾き語り。



 そのために、別にナイロン弦のクラシックギターでもかまわないのに、分かった風に「やっぱり鉄弦の響きがなきゃあな」なんてえらそうにほざいてオヤジから「フォークギター」なるものを買ってもらったりしたもんでした。
僕らの世代にはとても恥ずかしい、むさくるしい長髪だのイカ臭いベルボトムジーンズだのを連想させる思い出です。

家のかみさんは今でも「俺たちの旅」だの中村雅俊だののファンなので、しつこいやつもいるもんだ、はずかしくないのかなあと思うんですが、こういうヒトも結構いるらしい。もともとどっか感覚が違うんだろうかね。

まあ、わたくしの亡きオヤジがギターばっかり弾いていて、サラサーテの「ジプシーの月」がオハコだったから、そういうのをガキのころから見よう見まねでやってはいましたが、ティーンネイジャーくらいになると女にモテたい一心で流行り物に手を出すわけですね。

でも、だんだん弾けるようになってくると、ギターが弾ければそれで良いというのを通り過ぎ、これはなんかぜんぜんわかんない音楽だなあとか、ガキなりにツラツラ思い始めるのです。

そして、これまでの努力がなんだったのかと思われるようなとんでもないことを始めてしまうのでした。

4万のトーカイ楽器製アコギで、ロカビリーギターに手を出した。

教本なんてどこ探してもない時代ですから、ラジオでエアチェックしたカール・パーキンズだのビル・ヘイリーだのを自分でコピーして研究する。

すると、これまでなんかつまんないんじゃないかと思っていた「スリーフィンガー」だか「ツーフィンガー」だか、バーテン用語みたいなテクが役立つことが分かってきた。いわゆる「ギャロッピング」、今でいう「トラヴィス・ピッキング」(マール・トラヴィス奏法)ですね。基礎はやっぱり「Gコードを分散和音で弾いてみよう!」ですよ。

ところが、トラヴィスを聴いてたわけじゃくて、ロックンロールを聴いてたんですから、どうしてもエレキじゃないと駄目だ。

でも、おこづかいないし、エレキは高いと。

そこで、アコギで出来る周辺の音楽を探っているうちになぜかブルーグラスという田舎音楽にぶち当たってしまいました。

後で知ったが、その当時から「クラレンス・ホワイトのブルーグラス・ギター」なんて教本買ってびしばし弾きまくってたのもいたらしい。こっちはとてもそんな難しげなことが出来るほどうまくないし、第一知らなかった。フラットピックいまだにうまく使えないし(よく落とす……)。

ブルーグラスギターはベイスラン付きストラミングの「唄の伴奏」だとずっと思っていたのです。
そして、最初にやったのが、今やってることと同じ、多重録音。

10代のころから、根暗男だったんだねえ〜とか言うなよな! 誰も一緒に出来るようなのがいなかったんだって。

当時は、ポータブルのオーヴァ・ダビング・デッキなんて気のきいたものはなくて、いかにも「業務用設備」といったものしかなかったけど、家にはオヤジの趣味のせいで、ポータブルのオープン・リール録音機があったんです。
ヘッドのところをちょっといじると、消去されずに重ねていける。

そして、大学生になり、いきなり入ったのが早大のアメリカン・ミュージック・ソサエティという、とんでもなく旧い歴史と伝統を誇るカントリー&ウエスタンとブルーグラスのサークルのバンド。

 素直に岬でもめぐっていれば、早大フォークソング研にでも入って、サンプラザ中野だのデーモン小暮だのの仲間になってたかもしれないのに〜。

大学生になってバイトをはじめてからはお小遣いが稼げるようになり、エレキを手に入れてしまったので、もうブルーグラスなんか聴いてないという無責任男状態になっていたのでした。

 その後、ジャズギターに凝ってみたり、コードを覚えまくってみたり、スラックキー、ブルーズ、ボトルネック・スライド、スタンダードなロックギターからジャンゴ・ラインハルトまで、さまざまなスタイルに挑戦してきたつもりですが、なにせ落ち着きがなくて浮気性という生来の性格が災いし、「一応出来た!」というところまではいくものの、それで満足し、あとはたちまち忘れるという「どうどうめぐり」ギタリストになっていました。ああ、「岬めぐり」はどこへ・・・。

 まあ、ヒトのまねだけしててもしょうがないわなあ、いろいろやったことも何がしかコヤシになってんだろう、くらいに割り切って弾くというスタンスになりましたが、そうするとぐっと楽しくなる。

「好きなように思いつきでやる」「無理に弾かない」というのが僕のスタイル。自分のノリは他人のスタイルでは出来ないわけですね。

最近はもう、「弾かない」というレベルになってきまして(弾けないというのもあるが……)、グルッとまわって「やっぱりギターは唄の伴奏」というところに帰ってきてしまった。

バキバキと難しいことを弾くのはもっとうまいヒトに任せればいい。

ところで最近は、お茶の水あたりの専門的な楽器店にいけば、いやというほどいろんなテキストやビデオが売っている。

「ブラインド・ブレイクスタイルのラグギター」からボブ・ブロズマンまで、こんなもん、いったいどこの誰が買うんだ?というようなものまである。

そんなご時世に、例の「若人のフォークギター入門」はどうなったのか?

よくは知らないが、「フォークギター入門セット」など、まだまだちゃんと売っている模様。

練習曲目は最近流行りのJポップだったりするけど。
流行りすたりが変わっても、いまでもやっぱり基礎は同じで、「アルペジオで弾いてみよう! えーと、Eマイナーは出来そうだけど、Fはむ、むじかしいええ!」
なんて言ってたりするんだなあ〜と、なんだか感慨深い思いがしますですね。

 さてさて、THE KINGも、初心を忘れずに、旧き良きアメリカと、その時代のロックを感じさせる服を作り続けております。
そして、新作も、また、着実な進化を遂げており、よりよい品質のアイテムが、みなさまのお手元に届くことになるでしょう!


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