8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.340

楽器の思い出 第8回
「サックス編 四谷見附の孤独」


わたしがサックスを始めたのは、1984年のことで、
就職して間もなく、最初のボーナスが出てから、自分で自分へのお祝いに買った。

誰もわたしに何か買ってくれたりはしなかった。
ヤマハプロモデルのYTS-61の中古で、渋谷区道玄坂にあったヤマハで買った。
当時は、ヤマハにバンドで何度か出演もしていたので、知人がいたのだ。
彼女に相談にのってもらい、購入した。

サックスといえば、最高峰はセルマーだ。しかし、非常に高額である。
初心者でもできるだけいい楽器を、と勧めてくれたのが、これだった。
サックスは、あこがれの楽器だった。中学から高校時代に好きだった音楽のうち、
ブルーグラスとロックンロールはギター、そして、ビル・ヘイリーとリズム&ブルースは、サックス。
特に、テナー・サックス。気の多いわたしは、当然サックスにも手を出した次第である。

とりあえず、いきなり買ってしまったまったくの初心者は、何をすればよいか。
音がでかい楽器で、木菅は弱音器もない。住んでいるのは、ポンコツ官舎だ。
わたしは楽器となにやら難しげなクラシック系教則本を手に、
まっすぐ四谷の土手に向かったのである。



四谷の土手は、JR四ツ谷駅のホーム脇に広がり、
江戸城外濠の跡を利用した外濠公園の一部を指す。

ここは、桜の名所となっていて、春先には絶景が楽しめるところだ。
JR中央線に乗ったまま、四ツ谷駅に差し掛かれば見ることができる。

わたしは、生まれてから1986年ころまで、二番町に住んでいた。
四谷見附は歩いて行けるところで、地下鉄有楽町線麹町駅が1974年にできるまでは、
最寄り駅だったのだ。もうひとつの最寄り駅は、
市谷で、二番町からはほぼ等距離にあった。

まだ幼いころ、母がよく連れて行ってくれたものだ。
小学生になってからは、友達とピストルのおもちゃをもって、戦争ごっこをした。
当時は、どこも立ち入り禁止区域はなく、
子供たちは土手の傾斜を転げまわって遊んだものだ。

わたしたちの部隊は、撃たれると土手を転がり落ちていった。
落ちきると、行きつく先は、上智大学の野球練習場だ。
桜吹雪が舞う中、土手を転がりまわる子供と野球練習をする
上智大の大学生という光景が当時は普通に見られたものだ。

二番町、麹町近辺には、人通りがない公園はなかった。
皇居方面の千鳥ヶ淵近辺は、当時はアベック(昭和語)ばかりだ。
四谷の土手ならまだ人がいないだろうと、
そこで音出し練習をもくろんだわけだ。

秋の夕暮れどきなど、本当に孤独を感じた。
もちろん、周囲には結構人通りもあって、
その都度、吹くのをやめて、煙草を吸ったりした。
孤独になるのもままならないが、音楽教室に行くでもなく、仲間もおらず、
ただひとりで吹くへたくそなサックスの音は空しく夜空に消えていく。


さて、そんなシビアな思いをしながらも、基本中の基本だけなんとかできるようになって、
わたしは、いよいよ、バンドを自分で作ることにした。
誘われたりはしないだろうから、まずは、
無理やりバンドでやってみるという算段であった。

ロックンロールからリズム&ブルースまで取り揃えてやってみたものの、
どこかに出演する話にもならないうちに、流れ解散となり、わたしは、
サックスをもって、ブルースバンドのライブを見に行ったりしていた。
なかには、親切なバンドもあって、飛び入りで吹かせてもらったりしたものである。
そんなわたしを見て、誘ってくれる人もいて、
しばらく浅草のバンドで吹いていたこともあった。
その後、千葉に引っ越したわたしは、自宅録音でサックスを使った。
田舎のことである、自宅で吹けるのは楽しかった。

だんだん吹けるようになってくると、マウスピースが問題になってくる。
サックスは楽器本体の調整もあるが、肝心なのは、マウスピースが自分に、
あるいは、演奏する音楽にあっているかだ。
わたしは、あれこれ調べて、メタルのビーチラーを手に入れた。
リズム&ブルース向きにディップが大きいものを選んだので、
ときどきキイキイとノイズが入る。扱いが難しかったが、かなり音質が向上したと思う。
その後も、ジャズ演奏向きにオットーリンクのメタルに買い替えている。



自宅録音はなかなか楽しかった。

あるとき、ギターとサックスで演奏したインストルメンタル集を、
サーフロック専門のアメリカカリフォルニアのFM局、
リバーブ・セントラルに郵送で送ったところ、取り上げてくれて
わたしのオリジナル曲はカリフォルニアのラジオで一定期間流れたようだ。
レビューにも載った。スパゲティウエスタンとジャパニーズメロディのミックスが面白いということで、
星5つ満点の3つだったが、膨大なアーカイブの中で、驚いたことに、
わたしは寺内タケシのベスト盤と同点数だった。

サックスは、定期的にメンテナンスに出さないといけない宿命の楽器である。
とりわけキーの裏側に貼ってある皮のタンポは、吹けば吹くほど傷んでくるので、
定期交換が必要だ。新大久保の楽器店街の一角に、管楽器修理所があり、
そこに直接持ち込み、全面的にオーバーホールしてもらったが、
通常の半額でも当時8万円。
一回の修理で買った値段の6割、通常価格なら中古サックスより高いのだ。

のちに、ジャズにも挑戦した際、アルトサックスも購入。
古いジャズの音を、とC.G.コーンのビンテージ旧型を入手した。
これは、音程を合わせるのが大変である。
古いサックスは、キイの配列も違う。結局、ほぼ使用せず。
さらに、のちに、香港で製作されていたカドソンのテナーも手に入れたが、
結局、出費が大きいオーバーホール問題で、すべて手放した。

数年に一度、点検に出すと、たいてい、調整が必要になり、
その都度、10万円以上が消えていく。
木管楽器は、車検と同じくらい維持に金がかかる楽器なのだ。
セルマーを70万円で買って、数年ごとに20万円の出費が必要となれば、
もう車と同格。相当の覚悟が必要である。

なお、もうひとつ、昔々、友人にもらったフランス製クランポンのプラ管クラリネットがある。
これは、ゴミ捨て場に捨ててあったのを拾ってきたものだそうだが、
一度調整に出して、音が出るようになった。

その後、現在まで40年、なにもしていないがまだ持っている。
ぽつんと残ってしまったのだが、恐ろしくて調整に出せないままだ。
ちなみに、これはメルカリあたりで3万円ほどでたくさん出ている。
調整するくらいなら、捨てて買いなおしたほうが数倍お得なはず。
木管楽器というのは、本当に不憫な代物である。

サックスを人前で吹いていたのは、初心者だったころの数年のみだった。
それ以降は、自宅でひとりで吹いていただけである。

サックスの思い出は、四谷の土手の孤独な練習に始まり、
孤独のうちに終わった。わたしにとって、一番思い出すのは、四谷の土手の夜だ。

よく、帰りに重いサックスケースを抱えて、ひとり、
四谷見附にあった安い洋食屋、レストランバンビでハンバーグを食べていた。
サラリーマン1年生、私生活でもいろいろあったあのころの風景を思い出すたびに、
切なくなる。

今なら、きっと、哀愁のムードテナーが本心から吹けるのかもしれない。

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