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| 8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.339 |
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楽器の思い出 第7回 「その他珍しい弦楽器編 持つべきものは変な友」 1.5弦バンジョー ![]() わたしが最初に買ってもらったギターの次に、 自分の貯めたおこずかいで初めて買った楽器は、変なものだった。 16か17歳のころ、わたしは、ピアレスというところが作っていた 15,000円の5弦バンジョーを買った。これが実は最初である。 5弦バンジョーを「変なもの」と言ったら、わたしの周りに今でもたくさんいる ブルーグラッサーが怒るかもしれないが、日本でこれまで、バンジョーをみて、 「これなあに?」という人が大多数という状況が変わったことは一度もないので、 これは十分に「変なもの」だ。 最初に聴いたブルーグラスは、銀座の日本楽器(ヤマハのこと)で 視聴してから買ったビル・モンロウのLPだった。 MCAのグレーテストヒッツとなっている。 この手のレコードには発売日が書いていないが、 たぶん、わたしは高校生だったはずだ。 ブルーグラスの父、ビル・モンロウは、言わずと知れたマンドリンの王様で、 ギブソンのF-5がトレードマークだった。 5弦バンジョーは入っているけれど、あまり中心という感じではなくて、 メインはフィドルである。 その後、立て続けに買っていったブルーグラス・レコードで、 これはすごいと思ったのは、フラット&スクラッグスのインスト集、 「フォギー・マウンテン・バンジョー」だ。今の日本にもたくさんいるブルーグラスファン、 世界中のブルーグラスファンを虜にした、スクラッグス奏法にわたしもあこがれた。 そんな10代のある日、わたしは楽器そのものを手に入れる決心をした。 結果は惨憺たるもので、弾き始めて間もなく、教則本の1曲目、 クリップル・クリークの途中であえなく挫折した。 今思えば、タブ譜で覚えようとしたのが間違いだ。譜面がそもそも読めなかったわたしは、 タブ譜だって読めない。頭がくらくらする思いをしながらしっかり挫折したけれど、 追い打ちをかけたのが、のちに入った大学のブルーグラスサークルだ。 バンジョーは、伊藤さんという鬼のようにうまい先輩がいただけでなく、 同期で同じバンドを組んだよっちゃんも、信じられないくらい上手かったのだ。 とても、これでは追いつかないと、 わたしは早々にバンジョーをベース奏者の先輩に売り払った。 これが最初の「変な弦楽器」である。わたしの楽器遍歴は、 ウクレレからはじまり、ギターになり、バンジョーをかすめて、またギターになった。 その次の出番は電気ギターという順番だ。 わたしは大学サークルに入るまで、ブルーグラスでギターがソロをとるのを聴いたことがなかった。 先輩たちは、そういうのをニューグラスと称していた。 古いブルーグラスのギターは、カーターファミリー由来の] リズムギターが役割である。歌手を兼ねるのもギターだ。 ブルーグラスバンド器楽の花形はバンジョーとフィドルだったのだ。 バンジョーは元来、4弦の楽器で、テナーとプレクトラムがある。 ニューオーリンズジャズのリズムセクションに使われて一般的になったのは、 テナー・バンジョーで1920年代まで人気があった。 このポジションは、その後、アーチトップギターにとってかわられ、 テナー・バンジョーは市場からも消えていった。 5弦バンジョーは、途中でぶった切られたような位置にドローンとして使う 弦がセットされた奇妙な変則もので、ブルーグラスではじめて有名になったのだと思う。 ブルーグラスバンドを3年やったと思うが、わたしはギターとボーカル担当だった。 ギターを弾きながら歌うやつなんてのは、当時、はいて捨てるほどいたものだ。 それが、岬めぐってどうした、とか、浴衣の君がエロかったとかではなくて、 ブルーリッジの掘っ立て小屋がどうしたとかを英語で歌っていたのが違うだけである。 小さいころの英語教室がはじめて役立った。 しかし、同期にはバンジョーよりさらに不可思議なものを弾いているやつがいた。 リゾネーターギターを横に寝かせて弾く、ドブロという代物で 、わたしは、この時、はじめてこれを弾く人間を見たのだった。 2.ウクレレ ![]() さて、時代はずっと後になる。 わたしは、ブルーグラスバンドを辞めて、あれこれまったく違う種類の楽器を扱っていたけれど、 あるとき、ふと思い出したように、いいウクレレを手に入れた。 ハワイ製のカマカスタンダードという、コアでできたウクレレである。 子供のころ、誕生日プレゼントにもらって以来、 すっかり忘れ去っていたウクレレを、なぜ今更始めたのか記憶がない。 それから、しばらくウクレレが気にっていたわたしは、 そのまま、戦前アメリカのポピュラー音楽でウクレレがらみだった クリフ・エドワーズ(ウクレレ・アイク)やロイ・スメックといった ジャズ系ウクレレとでもいうべき音楽を演奏する、メディパックスというバンドを組んで、 数年、ウクレレの弾き語りばかりしていた。 忘れていたとはいえ、三つ子の魂100まで、である。 かつて、ちびっこウクレレマンだった過去が功を奏したわけだ。 ウクレレは、決して珍しい楽器ではない。 しかし、ウクレレでジャズをやります、 とかいうことになるときわめてレアになると思う。 カマカは、明るいカラカラした音で鳴ったけれど、 なにかクリフ・エドワーズとは違うと思っていたので、売り払い、 ナカニシが作っていたマーチンスタイル3ウクレレのコピー、 そして、本物のマーチンスタイル1のビンテージウクレレを手に入れた。 ナカニシは素晴らしいウクレレで長年持っていたが、 トップが落ち始めてチューニングがうまくいかなくなり、売ってしまった。 こういうトップは浮くはずだが、なぜ沈むのだろう。不思議である。 メディパックスは解散し、マーチンも売ってしまったが、 これは今では後悔している。徐々に手に入れにくくなっているからだ。 さらに付け加えると、変則なバンジョーウクレレでジョージ・フォームズビイを 弾き語りしてみたりとか、どんどん誰もわからない行き止まりみたいな マニア路線に入り込んでしまい、頑張って抜けてからは、一切手を出していない。 3.バホ・キント、セクストとメキシカン・ビウエラ ![]() ![]() バホは、メキシカン・バス・ギターとよく言われるらしい民族楽器系で、 わたしが持っていたのは、10年ほど前ではなかったか。 キントは5コース復弦、セクストが6コース復弦で、どちらも持っていた。 ベースギターではなくて、バスギターである。 テキサス南部のコンフントと、メキシコ北部のノルテーニョで使われる。 なにしろ、本物は現地(サンアントニオ)の工房にいって、 製作依頼をしなくてはならず、価格もかなりの高額である。とても無理なので、 セクストは例のチーピー・アメリカン・ブランドとして現存するオスカー・シュミット製を手に入れた。 しかし、ある日、突然、凄い音とともに、崩壊した。ネックが倒れ、 トップ板が木っ端みじんである。 まるで雷に打たれたかのようで、驚いた。 あれほど太い弦をギチギチに張って持ちこたえる強度は、 ただ事ではないだろう。キントは、アコーディオンメーカーのホーナー社で、 アコーディオンが中心のコンフントが盛んなアメリカ南部需要に こたえて作ったものなのだろうか。調整が結構大変で、自力でなんとかしたが、 あえなく売却。正直言って、ギターに比べると、あまり弾いて楽しいものではなかった。 メキシカン・ビウエラも2つ持っていた。ひとつは、 最高峰といわれるモラレスだった。ビウエラは、 マリアッチのリズムセクションの一員で、小さな4弦のギターだ。 プラスチックのフィンガーピックで4つ刻みでタイムキープをする。 とにかく、チューニングが永遠に合わない(構造上無理)な楽器で、 こちらは弾いて楽しいけれども、これほどチューニングが合わない楽器もない。 とにかく、マリアッチバンドにでもいない限り、まったく使い勝手もないのだ。 どちらも売却。 いずれにせよ、どの楽器も日本に奏者がかろうじて数人いるか どうかくらいかもしれない。あまりに少ないとブルーグラスやアーチトップギターほどの広がりすらなく、 何か、孤独のうちに過ぎ去っていったような、変なものであった。 民族楽器系というのは、扱いが本当に大変である。 よほど情熱やこだわりがないと維持するのが無理だと思う。 4.フラット・マンドリン ![]() わたしが子供のころは、マンドリンといえば、ボウルバックだった。 明治大学のマンドリン・オーケストラで有名な、イタリア製のものだ。 実際、イタリアン・カンツォーネなどで使われるボウルバックマンドリンの音色は好きだった。 子供のころ、最も好きだったのは、チャーリー・チャップリンが作曲した、 「これぞわが歌(ディス・イズ・マイ・ソング)」で、小学生時代からレコードを持っていた。 歌ったのは、イギリスのペトゥラ・クラークである。 ところが、高校でLPレコードを手に入れたビル・モンローが弾いているのは、 ボウルバックでない、見たことがないフラット・マンドリンだった。 イタリアのマンドリンといえば、ひたすらトレモロだが、ブルーグラスのマンドリンは、 どちらかというと、リズム楽器である。 あのカットの音は好きだったし、大学サークルで面白さを再認識した。 ジャム・セッションを通じて、かなり弾けるようにもなった。 これも、10年ほど前だったか、ブルーグラスを完全に忘れたころになって初めて、 立て続けに3本手に入れた。ふたつは、安価なロアーとイーストマンをアメリカから輸入し、 3本目はお茶の水の黒沢楽器でケンタッキーを10万ほどで入手した。 いい歳をして、3つも都合しておきながら、弾きたかったインストは、2曲だけ。 あとは、カーリー・セクラー(フラット&スクラッグスにいたカッティングだけのマンドリン奏者。 素晴らしいテナーパート歌手である。)の真似ごとをするくらいしか思いつかず、 かといって、ブルーグラスバンドに入っているわけでもない。 おそらく、ジャムに出たとしても、 マンドリン数十年のベテラン勢に笑われるのがオチだろう。 かつて、自主製作でオリジナル曲を作曲していたころは、マンドリンがあったらなあ、 とよく思ったことを思い出して、なにかできないかと気が付いたが、 その時は、3本とも手放してしまった後だった。つくづく軽はずみなおっさんである。 ビル・モンロウがマンドリン奏者だったこともあって、 日本には、実にたくさんのベテラン・フラット・マンドリン奏者がいる。 それほど真剣にやる気もないわたしの出る幕など、どこにもないのだった。 5.セルマー型ギター ![]() これは、本当にやっかいな代物だった。 わたしが知る限り、1980年代にジャンゴ・ラインハルトに傾倒していたのは 、学生サークルで仲が良かった慶応のブルーグラス研にいた福島久雄で、 学生時代から極めて凄腕のギタリストだった。 その後、東京ホットクラブバンドのメインギタリストとして活躍していたはずだ。 わたしが記憶している限り、当時、関東では、今ほどコミュニティが広くなかったように思う。 あまりよく存じ上げないが、知らないうちにジャンゴ系は、 マヌーシュ・スイングと呼ばれるようになり、さまざまな優れたギタリストが現れるようになった。 といっても、わたしはあまり詳しくない。 そんななかにあって、ギター好きの悲しい性か、 わたしはジプシースイング用のギターを買ってしまった。1990年代後半だと思う。 非常に高額(45万円くらいか)だった、フランスのルシアー、モーリス・デュポンである。 セルマー型ギターは、ギター全体から見ると、やはり珍品の類だと思う。 厳密には内側に向かって力がかかるアーチトップギターに分類されるが、 アーチがないので、どこから見てもフラットトップ、という特殊な構造だ。 とにかく、扱いづらい。 ロングスケールでフレットボードは広く、クラシックギターみたいだ。 それよりまず第一に、わたしはジャンゴが弾けない。 そもそもどうやって弾いているのかわからないのである。 当時、ロマのミュージシャンが書いた教則本を、カワセ楽器で入手したと思う。 それくらいしかなかったのではないか。 いろいろなジャンルで応用が利くコードフォームやスケールなど、 非常に勉強になったけれど、 ジャンゴみたいに情緒あふれる演奏ができるかは別問題である。 その基礎を理解するだけで大変なのだ。 さらに、楽器自体も問題が生じた。ネック反りでどんどん弦高が上がる。 定期的に調整に出していたが、あるとき、もうこれ以上は無理ですと告げられた。 大がかりな修理が必要ときいて、このギターに特段のこだわりがないわたしは、 即座に売り払ったが、驚くほどの安価であった。 修理費を差し引くとそれくらいとのこと。「こんなに鳴らないデュポンもあるんだ。」と つぶやいたリペア担当の方が印象的だった。やはり、ルシアーものは 慎重に選んでも後からダメになるものもあるので、それ以来、手を出さないことにした。 やはり、こういう音楽は、熱心な専門家の演奏か、 本物をレコードで聞くのが一番、というわけで、あえなく退散した次第である。 6.その他 その他は、数か月でおさらばしているので、特に書くことはない。 とくに変な楽器というわけでもない。それは、バイオリンとスティールギターだ。 わたしの能力をはるかに超えた難物であった。 最後に。結局、あれこれ試してはみたが、一番良いのは、 変わった楽器を買ってマスターすることではなく、 変わった楽器を弾く変な友達を見つけることだ。 プロとして雇うと大変だが、友達なら気軽に声をかけられる。 「よう、バンドに入れよ。」 かくして、世界は回るのだ。 |