8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.338

楽器の思い出 第6回
「アーチトップ編 神保町すずらん通りの少年」


1.
昭和46年ころのことだ。

その少年たちは、友達と小さな石ころを蹴りながら、
週に1回通っている英語塾から歩いて帰るところだった。
バスは、時間通りに来た試しがない。
それなら、あちこち見回りながら、歩いて帰ったほうが楽しい。

コミックブックを買いに行く4階建ての巨大な書店を左に折れると、
古いさびれた小さな書店、何が置いてあるのか全然わからない異国の不思議な書物の迷宮、
聞いたこともない絵描きが書いた小さな絵ばかり展示してある誰もいない画廊などが並ぶ、
古臭い香りいっぱいの狭い通りに出る。

帰って宿題をしなくてはならないけれど、少年ふたりはそんなことはお構いなしで、
あちこちの店に入っては、気難しそうな店主どもに煙たがられた。
ガキが来るところじゃないぞ、と言いたげだ。なかには、本当に叱る店主もいた。

「こら、そこの坊主、大人の雑誌を見ちゃだめだぞ。早く帰りなさい。」
では、ずらりと並ぶ本屋ではなくて、ここはどうだ。
少年たちが入ったのは、天井からたくさんのギターやウクレレが
雑然とぶら下がっている古臭い商店だ。
少年のひとりが、左側の巨大なガラスケースで足を止めた。



「あれみろよ、なんだあれ。」

中には、見たこともない楽器が横たわり、
博物館のはく製のように眠っていた。

「ギターだよね、あれって。」
「変なの。あんなの見たことない。」
すっかり古くなって、皮膚がガサガサにひび割れてクジラのような
形のしたそのギターには、細長い穴が開いていて、
その中からなにか得体のしれないものが
こちらをじっと見つめているような気がする。

そして、ねじで何か所も留めた金属の箱が二つついており、
なにやら物々しい電気機械のようなスイッチだのつまみだのがいくつもついていた。
妙な器具でがんじがらめにされたかわいそうな小さなクジラの剥製。
少年は、魅入られたように、その不思議なギターから離れられなくなった。

「おい、もう、行こうぜ。」
秋の夕暮れは早い。
もう、漆黒の帳が下りようと手ぐすねを引いているのだ。
少年たちの話題は、急展開した。次の少年マガジンの発売日はいつだろう。
ウルトラマンのカラータイマーはどんな仕組みなんだろう。
ジャンアント馬場の16文キックが凄かった話、長嶋茂雄がまたホームランを打った話。
石ころを家までけり続けていけるか、どっちが勝つか。
そのころには、ガラスケースの中で眠っている不思議なものは忘れられていた。

2.
わたしが、初めてアーチトップギターを手に入れたのは、
1990年前後のことで、サラリーマンになってから、6年が経っていた。
とりあえず、予算を30万円として、わたしは楽器の好きな友人と連れ立って
、馴染みのあるお茶の水、神保町界隈へ出向いた。

学生街だった東京お茶の水は、1980年代には「楽器の街」として知られるようになっていた。

神保町、小川町を含むエリアを総称して、お茶の水楽器店街とくくっていたと思う。
「埼玉学園大学・川口短期大学 楽器小売店の文化的意味 :
神田・カワセ楽器を例として」と題する学術論文によると、「1946年8月の
『読売新聞』には石橋商會、ヲグラ楽器店、カワセ楽器店、鴨田アコ修理所、谷口楽器店
、山田楽器店、福山ピアノ店、コロナ楽器店、遠藤楽器店、下倉商會、須賀楽器店の11店の連名
で「楽器は東京の神田で」という広告が掲載されている。」とある。

すでに、終戦1年後には、楽器店の集積がみられるエリアだったらしい。
しかも、今日でもおなじみの名前もある。
数ある神田楽器店街の中で、わたしがまっすぐ向かったのは、
子供のころからなじみ深いすずらん通りである。



そこには、2つの楽器店があった。

ひとつは古い神田楽器店街広告にも登場する老舗の須賀楽器、
もうひとつは雑然と天井からたくさんの楽器がぶら下がる三慶商店である。

須賀楽器には、古いギブソンのアーチトップがいくつかあった。
その中から、28万円で、1953年に作られた廉価版モデルのL-50を手に入れた。
16インチはギブソンのアーチトップとしては比較的小さめである。
ジャズギターとして一般的なのは17インチモデルで、ギブソンは
1935年ごろにミッドレンジのL-7以上を17インチにサイズアップした。
比較的安価なモデルのL-4以下のモデルはすべて16インチに据え置かれている。

その少し小さめで飾りの少ないL-50は、スチューデントモデルに近く、
ギブソンらしい軽い感じのつくりで、なんとも可愛らしいアーチトップという印象だった。
音も可愛い。天然のリバーブがかかったような美しいトーンで鳴るギターだった。



アーチトップ編はとてもシンプルだ。

わたしは、単純に欲しいものを手に入れただけで、よく広告で見かけるように、
それでブルースを演奏しようとか、ジャズの刻みはこれだよな、とか思っていたわけではなかった。
実用目的もないし、特定の音楽家に影響されたなどということも一切ない。
単に、子供のころからずっとほしかったものを手に入れただけである。

フラットトップ編が迷宮だとすると、アーチトップ編はほぼ一本道である。
それに、そもそも、ギターとして、種類、バリエーションもほとんどないのである。
もともとは、1900~10年代、単板をアーチに削り出すことが得意で、
マンドリン製作が主だったギブソンがスタイルOのような
巨大なクジラみたいなギターを作っていたし、ライバル会社のエピフォンは、
レコーディングマスターモデルという、風変りなマンドリンのようなギターを作っていた。

しかし、今日知られるFホールのオーケストラサイズギターは、
1924年にロイド・ロアーがL-5を発明し、ギブソンが作り出したところがスタートで、
あとは、各社がそれに続いて、そのまま今日に至っているだけだ。

マーチンも作っていたし、ハーモニーでも作っていたが、どれも50年代終わりころに、
アコースティックのアーチトップは、ほとんどが絶版になってしまった。
電気ギターの土台だったために、ほとんどが電気化したせいである。
スパニッシュスタイルの初期の電気ギターは、
そのほとんどがアーチトップに電気増幅用のピックアップを取り付けたものだったからだ。

だから、レプリカでも模造品でもない、全盛期の本物のアコースティック・アーチトップを
入手しようと思えば、どうしても50年代くらいまでのものを探すしかないのだ。
ごく、一部の個人ビルダー(ディアンジェリコ、ストロンバーグ)を除けば、
まともなものはギブソンとギブソンに吸収される前の、
ニューヨーク・エピフォンの各機種から探すしかない。
L-50を入手して少し後に、もうひとつ、
1939年製のニューヨーク・エピフォン・オリンピック・マスタービルトも
同じくらいの価格で手に入れている。
こちらは、さらに一回り小さい15インチモデルだったが、
びっくりするほど大きな音でよく鳴った。



この2機は、ほとんどバンドユースをしたことがない。
主に、80年代終わりから93年までの自主製作で活躍したのみである。
それが目的で買ったわけではないので、どちらもかなり長い間持っていた。

アーチトップは、さらに上のモデルがある。そうした17インチモデルも欲しかったので、
ときどき暇を見つけては須賀楽器を中心に見回りをしていた。

当時は、まだ、今を時めくウッドマン・インストルメントもなかった。

あるとき、須賀楽器のガラスケースの中に、
ギブソンLシリーズのトップ・オブ・ザ・ライン、ブラックのL-5を発見した。
値段は確か55万円であった。試奏させてもらったのだが、
どう頑張ってもジャズの音しかしない、もうこれしかないぞ、と心の声がいう。
なかなかあらがえないものがあった。

わたしはもう所帯持ちで、55万円即決で買うというわけにもいかず、
しばらく家族に交渉し、やっと了解をもらって再び出向いたが、「もう売れちゃいました」の一言であった。
それを最後に、上位機種のアーチトップはなかなか手が出ない存在になっていった。

そもそも、売っていないのである。吉祥寺、神田、新大久保、あちこち渡り歩いたが、
これは、と思うものにほとんど巡り合うことがなかった。
せいぜい、新大久保のクロサワのガラスケースに入っていた、
50年代初頭のエピフォン・ブロードウエイ・マスタービルトが
凄い音を出していたのを覚えているくらいである。

これも手に入れそびれてしまった。もう、まったく見かけない存在になっている。
やがて、中国製のアーチトップが市場に出回りだしたとき、
いくつか買ってみたことがある。
イーストマンAR805、ロアーのLH300とLH700、
近年もののエピフォン・マスタービルト・デラックスを買っては手放した。
どれも16インチで、それなりに良いのだけれど、
古いギブソンやエピフォンには遠く及ばないのが不思議だった。
中国製とはいえ、どれも単板削り出しで、比較的安価だとはいえ、
その技術力はたいしたものだ。大きな音でよく鳴るし、
どこが悪いというものでもないのだが、やはり何かが足りないのである。

結局、無駄な散財をしたという後悔だけが残る結果となってしまった。
今から10年ほど前、わたしは、石橋楽器で、54年くらいのL-4を手に入れた。
全体的にリフィニッシュとのことで、格安である。
L-50と弾き比べてみたが、ほぼ変わらないという印象だった。
もともとの価格は、50ドルと100ドルで、倍違うのだが、
このころの16インチはどれも似たり寄ったりな感じがする。
綺麗な音で鳴る素晴らしいギターだが、
ジャズ、スイングリズムの圧力を出すには力不足である。

そして、あるとき、知り合いから46年型ギブソンL-5を格安で譲ってもらえることになった。
しつこく何十年も音楽活動を続けていると、こんな幸運にも巡り合うのだ。
そして、続いて石橋楽器で見つけた、
大砲のようにとどろく驚くべき戦中モデルのL-7は、
L-4を手放すのに十分な理由となった。
その際、長年連れ添ったL-50を手放したことは後悔しているのだが。

かくして、わたしの手元には、全盛期である40年代の
ギブソン・アーチトップが2種寄ってきたのである。
どちらも、スイングの全盛期に、そのために作られたモデルだと思う。
座って少し斜めに寝かせ、硬いフラットピックで上から4弦あたりをめがけて
空手チョップのように振り下ろすスイングリズムギター、フレディ・グリーン・コンピングに
十分耐えて、とどろかせることが出来るのは、この時代の、
このサイズ、このグレードのアーチトップだけである。それは長年の経験上、いえることだ。
これらは、決して、「ブルースに合います」
「ロックで使ったらおしゃれかも」なんて代物ではないのである。



3.
すずらん通りの少年は、青年を、中年を、
そして壮年を通り過ぎ、いつしか老人と呼べる歳になっていた。

来月も彼のバンドのライブがある。
彼は、いろいろ確認事項もあるので、よっこらしょと重い腰を上げ、
部屋の片隅に行って、立てかけたギターケースを持ち上げる。

それを床に寝かせると、中から赤茶けて古びたクジラのようなギターを取り出し、
それとともに椅子に腰かけた。

少し斜めに寝かせてそれを構えると、ピックでドスンとコードを奏でた。

ギターは、電気の拡声器でがんじがらめになっていなくても、
十分に大きな声で歌った。

老人は、ギターの脇を古い友人のように、
軽くたたくと、にっこり笑い、「おかえり」と言った。


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