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| 8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.335 |
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楽器の思い出 第4回 「フラットトップ編 レオン・レッドボーンとパーラーギターの迷宮(前編)」 この話は、単なる所持楽器の思い出話を超えて、話そのものが迷宮である。 いったい、どこからはじめればいいのかもよくわからない。 とりあえず、時計を1988年ごろに巻き戻すことにしよう。 そうすれば、書いているうちに記憶と話の糸口がつかめるかもしれない。 おそらく、間接的なきっかけは、ライ・クーダーのレコードで 、「ジャズ」というアルバムだった。1978年の作である。 西新宿にたくさんあった輸入レコード店のどこかで購入した気がする。 とりあえず、そこがスタートだとして、 わたしはこのアルバムが気に入っていた。 ライ・クーダーは、さまざまな楽器を使って、戦前の古いジャズ、 ジャズのもとになった楽曲をたくさん取り上げていた。 ビッグス・バイダーベックやジェリー・ロール・モートンなどである。 もともと、わたしは古いジャズ、ホーカム、ブルースの レコードをたくさん持っていた。大学生ごろから集めだしたのではなかったか。 どこかのレコード店で、こんなのもあるんだよ、 とライ・クーダーを教えてもらったのかもしれない。 このアルバム中のわたしのお気に入りは、 「ビッグ・バッド・ビル・イズ・スイート・ウイリアム・ナウ」で、 1924年にミルトン・エイジャーとジャック・イエレンが書いた曲だ。 第一、コミカルな歌の内容が良かった。 当時、最も知られていたのは、マール・ハガード版で、 1973年のアルバム「アイ・ラブ・ディキシー・ブルース」に収録されていた。 20年代のオリジナル録音中、最も有名で、 その後のカントリー音楽生成に絶大な影響があったとされる、 ミンストレルのエメット・ミラー録音は聞いたことがなかった。 ライ・クーダー盤もミラー盤をベースで作られている気がする。 音源が散逸し、聞くことができなかったミラーの世界初のCDが発売されたのは、 1996年のことで、わたしがレコード店をうろうろしていたころには、 まだ発売すらされていないのである。 その後、かなりはっきりしているのは、「これ(ライ・クーダーのjazz) みたいなものを探しています」とレコード屋を渡り歩いた記憶である。 そして、とうとうたどり着いたのが、千葉駅周辺の小さなレコード店であった。 具体的にどこでなんという店だったのかは失念しているが、 わたしが千葉市内をうろうろしていたのは、 千葉県庁時代なので、88~90年のはずである。 そこの店員さんが、いきなり、「それなら、これでしょう。」と勧めてくれたのが、 レオン・レッドボーンが1978年に出した「シャンペン・チャーリー」というアルバムであった。 レオンの弾く素晴らしいラグタイム奏法のアコースティック・ギターで始まり、 例の蓄音機みたいな声で歌いだす。 Leon Redbone - Big Bad Bill Is Sweet William Now 歌も面白いが、特に、ギターのトーンが素晴らしかった。 ダークで、ボソボソとしているギブソンっぽい感触なのだが、 わたしが知っているどんなギターとも違う感じなのだ。 このサウンドの中心にあるギターはなんだろうか。 当時、わたしはキャッツアイのドレッドノートのほかに、 ギブソンの53年型L-50、さらに古いニューヨーク・エピフォンの 39年型オリンピックという2本のアーチトップを持っていたが、 そのどれでもないサウンドだと感じていた。 どちらかといえば、フラットトップの音である。 レッドボーンが超絶技巧の名手なのはわかるが、 凄腕だからああいう音がするというわけはないだろう。 あの音は、そういうトーンのギターでないと出せないのではないか。 ならば、探すしかない、となったわけである。 当時、入手できたレオン・レッドボーンのアルバムは、 「フロム・ブランチ・トゥ・ブランチ」くらいまでだったと思う。 しかも、この人、どこの誰なのかもわからない、謎のアーティストだった 。なにしろ、you tubeなんてものはない時代である。 いくら調べても、「本人によると、インド生まれの100歳」とか ばかばかしいお笑いネタしか出てこないのだ。 実際は、カナダ出身で、カナダのフォークシーンから 出てきた人だとわかったのは、ずっと後年になってからである。 結局、この後、レコード店巡りと楽器店巡りがリンクして 同時進行することになったのだが、話がどんどんややこしくなったのは、 わたしひとりで完結しなくなってしまったからである。 ギターに詳しい友人たち、知り合いのカントリー音楽演奏家のミュージシャンたちに、 この音はなんだと思うか、と尋ねて歩くうちに、「どこのブランドかわからないけれど、 きっとこれは、ボディが小さいフラットトップじゃないか。」ということになった。 そこで、わたしは、とりあえず、小さいギター探しの旅を始めたのである。 なお、日本のマーチンギターの権威で、トーカイ・キャッツアイの設計者本人である 須貝重太氏と知り合ったのも、このパーラー探しの旅の途中であった。 最初に出会ったのは、とにかく小さいやつ、ということで、 日本製ヤイリギターのRAG-2というモデルだったと思う。 これは、本当に小さいギターで、バリトンウクレレかと思うほどであった。 非常によく出来たギターで、4万円ほどだった。 ![]() そして、よく知られた、ブラインド・レモン・ジェファーソン の写真のギターに近い姿をしていた。 ![]() フィンガー・ピッキングで適切に弾くと、確かに戦前のブルースっぽいトーンなので、 とりあえずこのギターを友達と二人で1本づつ購入し、バンドを始めた。 これはのちにメディパックスという名前のバンドに発展した。 それからというもの、レオン・レッドボーンの新作が出るたびに買い、 彼がオマージュした古い戦前のアーティストのレコード追跡も始めた。 96年にやっとエメット・ミラーのCDも出たし、 レオン・レッドボーンがギター演奏のお手本にしたブラインド・ブレイクも手に入れた。 ここで、話がますますよじれていくのだ。 ギター弾き語りのブルースで映像が残るような人 (発掘されたアーティストと言われていた)は、容易に使用ギターの一部が特定できる。 ギブソンJ-50で「モージョ・ハンド」を演奏するライトニン・ホプキンス、 ギブソンJ-200のブラインド・ゲアリ・デイヴィスといったところだ。 Lightnin Hopkins -- Mojo Hand しかし、レコードで聴くことができるだけの、 古いラグタイムやブルースのギタリストたちはたいてい画質の悪い、 白黒写真が一枚こっきりしか残っていない。 ギターが特定できるとされる有名な例は、デルタブルースのロバート・ジョンソンで、 ギブソンのフラットトップ版L-1だといわれていた。 ところが、話の中心にいる、ブラインド・ブレイクやブラインド・レモン・ジェファーソンを はじめとした数々のアーティストは、「なにかよくわからない小さいギター」を 持っていることくらいしかわからない。いわゆるパーラー・ギターである。 しかも、これで録音したのか、フォト・セッション用に用意された 借り物なのかもわからない。1枚の写真からは、実は何もわからないのである。 しかし、しつこく追跡していくうち、これらは、通販用大量生産で戦前チーピー(安物)と 言われた代表格、ハーモニーやオスカー・シュミットのギターではないか と言われていることがわかってきた。特に、ステラ・ギターと言われたモデルである。 ちなみに古いカタログを見ると、アーチトップメーカーのギブソン最廉価は フラットトップの小型モデルである。30年代にL-00が25ドル、L-0が35ドル、L-1が50ドル。 主力のアーチトップは最も安いL-30が30ドル、最も高いL-5が275ドルである。 のちに出たスーパー400が400ドルだから、スーパー400が どれほど高いギターだったかわかる。その時代のハーモニーギター系ギターは、 ギブソン全体の平均価格の1割ぐらいで、わずか数ドルである。 それがどんな安物だったとしても、ブラインド・ブレイクのあの音がそうだったら、 実際に手に取って弾いてみたいではないか。 しかしながら、どこでそんなものが売っているのかわからない。 ときどきビンテージギターショップに出回るハーモニー製パーラーは、 60年代以降の安物で、そもそも年代が違うのである。 このあたりから、正体がわからない戦前ブルースマンたちのギター とレオン・レッドボーンのギター探しが混線しだすのだ。 もはや、これはパーラー・ギターの迷宮である。(次回に続く) |