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| 8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.334 |
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食の思い出 第11回 「海外編 日比谷チェンマイとバンコクのトムヤムクン」 その1 チェンマイありき ![]() 人の記憶が失われていく順番というのがあるのだそうだ。 五感でいうと、聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚となる。 いろいろと偉そうなことを言ってみても、 人も哺乳類の一種に過ぎない。 最も原始的な感覚がやはり一番強く残る。 嗅覚と味覚はセットで、食餌に関する記憶は命を守る最大のものだからだろう。 だから、伊達に「食の思い出」なのではない。 人間、歳をとると、最も記憶に鮮明なのが、 食に関することなのは、いわば、当たり前のことだ。 さて、今回のエピソードは、最も強烈な、「味覚と嗅覚の思い出話」である。 具体的にいつのことだったのか、これがさっぱり思い出せないのだ。 具体的な経緯もすっかり忘れていて、記憶をたどっても誤謬だらけになってしまう。 少なくとも、20代前半のいつかで、数人の関係者がいる。 まず、最初にトムヤムクンがあったのだ。 タイ料理の好きな人でなくても、世界三大スープの話はご存じの方が多い。 タイのトムヤムクン、中国のフカヒレスープ、フランスのブイヤベース、 ウクライナのボルシチの4種だそうだ。 なぜ、3大、と銘打っておきながら4種類なのかわからないが、そういうものらしい。 そんな知識などなにもないころ、わたしはトムヤムクンが好きになった。 辛いエビのスープ、しかも、パクチーの強烈な風味が特徴なので、 苦手な人は絶対に受け付けないだろうが、わたしははまってしまったのである。 どこで、なぜ、そんなことになったのか、それがまったく記憶から飛んでいるのだが、 おそらく、日比谷にあった本格タイ料理店、「チェンマイ」で食べて以来のはずなのだ。 チェンマイは1979年創業。現在はすでに閉店している。 わたしの曖昧模糊とした記憶では、こんなところに行ったのは、 就職後のはずだと今まで思い込んでいたが、当時の関係者の位置関係から推理すると、 どうしても学生時代ということになってしまうのだ。 とりあえず、そうだったとして話を進める。 まず、タイ料理の好きな、音楽サークルの先輩がいたのである。 わたしの敬愛する、おおらかで楽しい人であった。 音楽にしろ、食べ物にしろ、面白い物事に対するアンテナが半端ない人なのだ。 この人に連れられて、わたしほか2名のサークル仲間が日比谷でタイ料理にありついた。 その中に、衝撃のトムヤムクンがあったのだ。 わたしは今でもパクチーが大好きだが、それはこのときの衝撃による。 そして、凝り性の先輩が、「では、タイ料理を本場まで食べに行こう」と言い出し、 そのメンバー全員で、バンコクに向かった。 わたしにとっての初めての海外旅行は、「食べ歩き旅行」となった次第である。 その2 バンコクの日々 ![]() 我々4人は、風光明媚なタイを観光旅行したわけではない。 チェンマイで、有名なウィアン クム カーム遺跡に行ったが、 それ以外はほぼ、ずっと食べ物を探してうろうろしていたような気がする。 まず、夕刻にバンコク入りして、最初にしたことは、出たとこ勝負で安宿に泊まり、 その辺にある小さな食堂で、トムヤムクンとビールにありつくことであった。 現在のバンコクは知らないが、1980年代当時のバンコクは、 観光客が訪れる近代都市の地区と庶民的な 古く雑然とした地区がはっきり分かれていたと思う。 我々は、前者にはまったく興味がなく、そして金もなかった。 食い歩きの貧乏旅行は、最も貧しいチャイナタウン地区周辺が中心だった。 宿の予約もへったくれもない。50円から100円で食えるタイ飯を食い 扇風機もないような、一泊300円程度の木賃宿を探して歩くのみであった。 そんな中で、食べた駅中食堂の100円ワンプレート飯であるとか、 チェンマイの屋台で食べた50円のヌードルであるとか、 200円くらいの川魚料理であるとか、どれも記憶に生々しく、そして美味であった。 そして、そんな中で、観光客向けに用意されることが多い トムヤムクンは結構高いものなのだと知った。 そういえば、チェンマイでは、怪しげな日本語の堪能な学生と称する詐欺師にひっかかった。 チェンマイをボートで案内するという。 ほんの1時間ほど船にのっただけで、7000円近くをぼったくられた。 内外価格差を考えれば、川でボロいボートに20分くらい乗って7万円とられたのと同じである。 わたしは他人に騙されるのが、大変嫌いである。 そのためにわざわざ法学部生だったようなものなのだ。 危ないと助言したはずなのだが、なにしろ、わたし以外、 人を信じることを信条としているような連中なので、巻き込まれたのと同じだ。 しかし、事後わかったことだが、先導した先輩は、 「旅にでたのだから、ちょっとした詐欺くらいひっかかっておいたほうが、 後々話題ができてよいだろう、価格差を考えれば、大した金額を取られるわけでもない」などと、 すでに先読みをしていたのである。 そのまとめ方といい、先読み能力といい、考え方がセコい法学部と違って、 さすが政経学部の先輩だ、いずれ政治家になるに違いないと思ったものだが、 実際には、株のトレーダーになったようだ。経済の側であったか。 タイでは、これはダメだ、というものは食べ物はひとつだけであった。 それは、最初の晩に先輩が露店で買って、 禁止であるのにわざわざホテルに持ち帰ったドリアンである。 これを、わたしを除く3人はうまいうまいと食っていたが、 木賃宿でも禁止するくらい強烈なにおいがする。 あれは、動物の糞を食べているのと同じだとわたしは思ったものだ。 さすがにこれには参った。先輩への尊敬も半減だ。もっとも強い記憶感覚は、 嗅覚である。今でも、この先輩を思い出すと、バンコクの安宿で 、馬の〇ンを、こりゃいける、とむしゃむしゃ食っているイメージが浮かんでしまうのだ。 さて、詐欺だのドリアンだのいろいろあったが、 われわれの貧乏旅行はなんとかその旅路を終えたのである。 その3 隔離施設にて さて、帰国途上の飛行機で、わたしは具合が悪くなった。 吐き気と下痢が止まらない。 さすがにこれは、と思い、成田空港の検疫所に申し出た。 なにかやばい感染症だと困ったことになる。 検査結果は、1週間後くらいに出たが、無罪放免であった。食べなれない、 香辛料のたくさん入った料理ばかり連日食べ続けたからだろう。 しかし、ちょうど、同じころ、インドに旅行したやつがいたのだ。 同じ音楽サークルの同じバンドのメンバーである。 よっちゃんはインドから帰国して、隔離施設にいるという。 どうやら、法定伝染病のコレラに感染したらしい。 われわれタイ旅行組は、彼を見舞いにいった。 彼はすでに、回復して元気いっぱい、ニコニコしている。 そして、隣の鉄格子の向こうから、やはり隔離されている可愛い女の子が こちらに手を振っているのである。 「あの子は、インドで赤痢なんだ、はははは。」 あのあっけらかんとした笑いは忘れがたい。 面白い話、はこうして作られるのだ。 なお、具体的な時期に関する記憶が矛盾すると書いた。 わたしの中では、これはサラリーマンになってから学生時代の仲間と決行した 食い歩きのイメージなのだが、学生時代の話だと推測せざるを得ないのは、 よっちゃんのエピソードがあるためだ。 彼は、わたしと卆年が同じ同期で、卒業後は、郷里に帰ってしまったから、 彼が東京にいたのは学生時代に間違いないのだ。 その4 現在のバンコクとトムヤムクン 2025年現在、バンコク在住の知り合いから聞いたところでは、 すでに日本と物価が同じくらい、とのことであった。 街もすっかり整備され、東京とあまり変わらないらしい。 なにしろ、この話は、当時生まれた赤子が42歳、 その子供が高校生になっているくらい昔の話なのだ。 トムヤムクンには、透き通ったレモングラス風味が強いトムヤムクンナムサイと 赤いうえに白っぽいココナッツミルクが混じった甘味のあ るトムヤムクンナムコンの2種類がある。 わたしたちがトムヤムクンを知るきっかけになった、 日比谷チェンマイはナムサイのほうで、タイ各地で食べたのも、 すべてナムサイであったと記憶する。 最近の日本のタイ料理店であるとか、レトルト、フリーズドライの情報を見てみると、 なぜかナムコンのほうばかりが目に付く。 ココナッツミルク入りのまろやかな味が日本人好みなのかもしれないが、 わたしはナムコンが苦手だ。そういう意味では、当時のトムヤムクンは、 ちょっと幻っぽくなっているのが残念だ。 しかし、バンコクが近未来な都市に変貌しようと、 本国のトムヤムクンがなくなったりはしない。 またいつか、同じメンバーで、タイのトムヤムクンナムサイに舌鼓を 打ってみたいと夢想するこの頃である。 |