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| 8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.333 |
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楽器の思い出 第3回 「電気ギターの咆哮~ヤマハSA-700からフェンダー・ストラトキャスターへ」 時計を1980年まで巻き戻そう。 わたしはまだ18歳で、バイト中だ。 麹町のルノアールでウエイターをしている。 目的は、なにか電気ギターを買うこと。 エレキ、エレクトリック・ギター、という呼び方より、 電気ギター(DENKI GUITAR)という日本語のほうが好きだ。 わたしが手に入れたのは、ヤマハSA-700で、渋谷のヤマハで買った。 ![]() 当時、キャッツアイのアコースティックギターしか持っておらず、 それでブルーグラス演奏の入門者になったのだけれど、 高校生のときに好きだった別の音楽、 古い50年代のロックンロール音楽で使用される電気ギターが欲しかった。 わたしはそんなに器用でもなければ、プロ入門者でもないので、 バンドに入る、とかではなく、とにかく弾いてみたかったのである。 幼馴染の友人、高校時代の友人でロックバンドに加入している連中は、 決まってストラトキャスターを使っていた。 当時の流行はレッド・ツェペリンで、彼らはストラトから 耳をつんざくような咆哮を引き出すのが大好きなようだった。 しかし、わたしのお気に入りは、チャック・ベリーとフランク・ビーチャーだった。 ベリーは、ロックンロールの開祖みたいな人で、 例の有名な「ジョニー・B・グッド」のイントロが最高だった。 あれを生ギターでやってみても、しょぼいだけである。 ベリーといえば、チェリーレッドのギブソンES-335が有名で、 映画「ロックンロール・エクスプロージョン」 (オリジナルタイトル"Let The Good Times Roll"(1976))でも それを弾いていた。いわゆるセミアコといわれる、 セミ・ホロー・ボディの電気ギターだ。 フランク・ビーチャーはビル・ヘイリーと彼のコメッツのリード・ギタリストで、 最初のころは、巨大なアコースティックのエピフォン・エンペラーに なにか怪しげなピックアップをくっつけたやつ (デュアルモンドのモンキー・オン・ザ・スティック式リズムチーフ)を 弾いている写真を見たが、その後有名になってからは、 ギブソンのレスポール(56年式デラックス。フレットレスワンダー)を弾いていた。 もともとは、ベニー・グッドマンにいたジャズ・ギタリストである。 当時、知らなかったが、コメッツのギタリストとしては2代目で、 実は、ロック・アラウンド・ザ・クロックを含むデッカの初期セッションでは、 別人が弾いている。ダニー・セドローンという人で、主にスタジオで活躍したが、 コメッツ録音の直後に事故死してしまっている。 使用していたのは、ギブソンのES-300で、アコースティックのL-7に ドッグイヤーP-90を搭載したような後年モデルだった。 (初期ES-300は巨大なスランテッドピックアップが搭載されている。) いずれにせよ、コメッツサウンドのギターは、どの録音もすべて 優雅なジャズギターを連想させる音色で、 わたしはこちらも大のお気に入りだったのだ。 しかし、本物のギブソンは見たことすらない。 ましてや、エピフォン・エンペラーだのES-300などは、 今日でもまず見ることすらできない。 だから、バイトの18歳でも入手できるもので、それらしいものを探したが、 どれを買っていいのかわからない。 結局、あれこれ悩んだ挙句、乏しい予算で手に入る、 少しジャズっぽい音も出れば、ベリーのリックも出来る セミ・ホローのヤマハSA-700にした。 もちろん、ギブソンES-335の日本製コピーモデル。当時、7万円である。 まあ、本物とは違うが、本物は見たこともなかった。 これでよし、とわたしは買って、チャック・ベリーの物まねを始めたのである。 大学生だったあるとき、わたしは両親の郷里である秋田県山本町(現・三種町)へ 夏休みを利用して遊びにいった。懐かしい従兄連中と遊び歩くうち、 母方の従兄がかつてロックバンドでギターを弾いていたことが発覚した。 彼のすぐ向かいの家に住む父方の従兄は同じバンドのドラマーだったという。 わたしより10歳以上年上の彼らは、 秋田の田舎のこともあって、ヴェンチャーズを演奏していたようだ。 今となってはおしゃれなインストバンドとして歴史に名が残るギターバンドの ヴェンチャーズだが、当時のわたしたち世代から見ると、 古くてダサい音楽だと思われていたはずである。 なにしろ、わたしの同世代はツェペリン流オーヴァードライブで ギャアギャア怒鳴っていたのだ。 その従兄がギターをひょいと出してきて、 「おまえもギター弾いてるなら、これやるよ。」とケースごとくれたのだ。 ヤマハのソリッドボディSG-70である。 ギブソンのレスポール系、SG風に作ってあるヤマハのオリジナル。 残念ながらモズライト系ではなかった。それはどこかにあげてしまったらしい。 しかし、これが、どうやってみても、SA-700より、ジャズっぽい、 太くて甘いいい音がするのである。 わたしはやがて、せっかく働いて買ったSA-700を弾かなくなった。 やはり、外見より弾きやすさと音が好みのほうが勝ちである。 ![]() バンドで演奏することもなく、 電気ギターはわたしの趣味から外れていった。 時が過ぎ、80年代の終わりごろ、東京住まいをやめて、 千葉の実家に帰ったわたしは、暇つぶしに手に入れたカセット式の多重録音機を使って、 自宅でなにか面白いことをしようと思いつき、 フェンダーのジャズベースだのデジタルドラムパッドだのを買い込んで、誰にも見せない自宅ワンマンバンドを始めた。 特に考えもせず、ミュージック・マガジンの自主製作コーナーに送って放っておいたら、 なぜかとつぜん高い評価を得て、私自身が驚いたものだ。 それから、わたしは、ロックンロール、ジャズ、カントリー、ウエスタン・スイング、 テックスメックス、ラグライム、ブルース、ドゥーワップ、メレンゲ、マリアッチ、 昭和歌謡など、自分が知っているあらゆる音楽を詰め込んだ 自主制作カセットをたくさん作った。すべてワンマンである。 どれも身に余る高評価をもらって、カセットとしてはディスク・ユニオンで 最もよく売れるといわれたおかげで、機材費をすべて賄えた。 このときの録音のかなりの部分は、かつて従兄から譲ってもらった ヤマハSG-70で録音した。 電気ギターがはじめて仕事の実用品として、役に立ったわけだ。 あれこれと始めると楽器が欲しくなる。で、古いアーチトップが好きなわたしは、 ビンテージ楽器店で見つけたあまり状態のよくないエピフォンを買った。 状態がよくないといっても、1953年のビンテージである。30万円くらいだった。 これは、少し後、知り合いに頼まれて加入したロカビリーバンドでよく使った。 彼のバンドでやらされたのは、クリフ・ギャラップとスコティ・ムーアで、 フラットピックで弾きながら、中指につけたフィンガーピックを駆使したり、 サムピックを使ったりといったトリッキーなロカビリーギターを弾いた。 そこから奏法をさかのぼれば、チェット・アトキンスとマール・トラヴィスになり、 トラヴィスをさかのぼれば、カーターファミリーに続く。 結局、自分がかつてやっていたブルーグラス周辺とつながってしまうのである。 ![]() それと前後して、新宿にあったバーン・ホームズ・レコードからのお誘いで、 自主製作カセット録音のいくつかをピックアップして、 オムニバス版に混ぜてもらったりした。 これは、海外で評判になり、よく売れたそうである。 (Hodge Podge Barage From Japan Vol.2)ここでは、リンク・レイばりの ゆがんだサウンドでオリジナルインストを弾いたが、これもヤマハSG-70であった。 おかげで、すべて売り上げでチャラにして、 手間暇がかかる自主制作を辞めた。1993年ごろのことである。 さて、当時弾いていたエピフォン・マスタービルト・ゼファー・デラックス・レジェントと いう長い名前のモデルだが、フルデプス・ボディのいわゆるフルアコで、 ナチュラル・フィニッシュの合板ボディに当時のエピフォンに 搭載されていた怪しげなエピフォン・ミニ・ハムバッカーが搭載されていた。 当時の、ギブソンに吸収される前のニューヨーク・エピフォンで 作っていた電気もののトップ・オブ・ザ・ラインである。 (のちにエンペラー3PUが超える)。 しかし、ギブソンに比べると、トーンレンジが狭く、 パワー不足だといわれるピックアップだが、 それはそれなりに古いジャズギターっぽいサウンドで、 1950年代当時もジャズシーンで使われていたようだ。 わたしもマール・トラビスからスコティ・ムーア、クリフ・ギャラップから ジャズのお気に入り、ジョニー・スミスに至るまで、これで弾き倒したものだ。 かなりお気に入りのギターで、その後、30年近く、 バンドやレコーディングで出番がなくなっても、 あれこれ修復を重ねながら愛用したが、 修復費用が購入価格を超えだしたあたりで、売り払った。 およそ、70万円ほどで売れたので、かろじてプラスというところだ。 ちなみに、その後の数年で、これは極端なプレミア価格になり、 2025年現在では、さらに倍額の150万円ほどに大化けした。 しかし、とても普通の人が入手できる価格でなくなったけれど、 それほど凄い威力のギターだとも、正直言って、思えないのである。 ニューヨーク・エピフォンはなんといっても、 アコースティック・アーチトップが良いのだ。 同じビンテージ価格帯で、仮にわたしが金持ちなら、ギブソンの電気を買う。 わたしの場合、ギターに限らないが、実用として必要で手に入れたものは、 用がなくなると売り払う。 興味本位で手に入れたチーピーはすぐに売って、別のものに置き換わる。 コレクションと実用を兼ねて初めて、長年家に居座る、という傾向があるようだ。 1993年から今日まで、わたしはかなりの数の電気ギターを持っていた。 楽器の種別延べ所持数でいえば、ナンバーワンである。 2000年代に、ロカビリー系のバンドに2つ3つ加入し、 運営もしていたからである。そこで、あれこれと買っては使っていた。 グレッチ6120、エレクトロマチック版の6120、 グレッチの復刻版ニューヨーカー、エピフォン版のES295、 国内ブランドのタンタンが作っていたギブソンES125のコ ピーといったフルデプスボディの電気ギターがあった。 ソリッド・ボディでは、エドワーズとエピフォンが作っていた 56年式ギブソン・レス・ポール・ゴールドトップ(ソープバーP-90)、 フェンダーの廉価版スクワイアのストラトキャスター3本、 ダン・エレクトロの59Mといったところだと思う。 一部を除き、ほとんどは廉価であり、売っても二束三文だが、 買う値段も安いので、割合気軽に売り買いしていた。 それでも本数が多くなれば、たいへんな浪費である。 金銭感覚の麻痺は恐ろしい。 なかでも、記憶に残るのは、国産グレッチで、 別のロカビリーバンドのトラで入ることになったとき、試しに購入した。 これは中古とはいえ、16万円で、高額商品だったが、いつものノリで、 すぐに売り払えばいいと思っていたのだが、ここで思わぬハプニングが生じた。 たとえ、中古でも買ったばかりで壊れるのはどうしたものかと思うが、 電気系統がイカれてしまったのである。 修理に出すと、電気系統全交換で、大変な金額がかかるという。 それならと売り払ったが、二束三文で大損をした。 ![]() その後もグレッチは何度か手に入れているが、 どうもわたしには合わないのか、長く使ったことは一度もなく、 すぐに中古市場送りにした。 それ以来、グレッチと聞いただけで、わたしは拒絶反応が出てしまう。 同じようなことが、エドワーズのレスポールでも起きていて、 電気ギターの電気系統トラブルとうのは、本当にやっかいである。 買ったばかりの車がとつぜん動かなくなったのと同じだからだ。 かつてのビンテージゼファーは、ギターとして修理が必要なことは多かったが、 電気系統の故障は一度もなかった。 あとで気が付くが、そういう意味ではものすごく優秀なギターだったのだろう。 P-90版レス・ポール・ゴールドトップを使っていたのは、 カール・パーキンスが初期に使っていたからで、そういうバンドも組んでいたためだ。 こちらは、バンドそのものがなくなった。 相方のベーシストが亡くなってしまったからである。 ![]() 同じバンドでバディ・ホリーを演奏するために、 スクワイアのストラトキャスターも持っていたが、 こちらもバンドがなくなり、中古市場へ流れていった。 ダン・エレクトロは、復活した自主版CD制作で、使うために手に入れた。 リンク・レイ・トリビュートのギターアルバムである。こちらも今はない。 ![]() わたしが最後に、そして今も持っている電気ギターは、実は、 メキシコ・エンセナダ工場製のフェンダー・ストラトキャスター(プレイヤーモデル)である。 実に不思議な話である。 最初に述べたように、中学、高校時代の友人がすさまじい爆音で鳴らしていた、 あの嫌な感じのギターなのだ。 わたしは、60歳近くなって、これを手に入れ、家で弾いて遊んでいるのだが 、こんなにいい電気ギターはないんだな、と思うようになった。 フルデプスもソリッドも、いろいろあって面白いのだが、 なんだかんだ言って、これで十分じゃないかという感覚である。 特に、グレッチやES295を手に入れた一番の理由である ビグスビートレモロより、ストラトのビブラートユニットのほうが使いやすいし、 皮膚が弱いわたしには手を切りそうに思える、 あのテレキャスターもヘッド押し込みベンドも向かない以上、 ストラトは一番遊べる良いギターだ。壊れないところも素晴らしい。 チャーリー・クリスチャンから始まる一連の ジャズギターサウンドが欲しければ、今のわたしには、 ビンテージ・ギブソンのアコースティック・アーチトップがふたつあり、 古い時代のデュアルモンド(モンキー・オン・ザ・スティック式FHC)もあるので、 それを使えば、おつりがくるくらいのいい音もプレイヤビリティも得られるのだ。 楽器についていえば、大は小を兼ねるとは限らない。 小が大を兼ねることもあるのだ。 ついでにいえば、理不尽な血と暴力にあふれた現代社会で、 あまり好きでなかった電気ギターの咆哮など猫の鳴き声くらい可愛らしいものである。 音楽なんて、生活になんの足しにもならないが、それだけは言えるのである。 |