8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.324

食の思い出 第6回
「神保町レストラン ボーイズのカツカレー」



コロナ禍で、カウンターのみの狭小飲食店は
ほとんど閉店してしまった感がある。

私の好きだった店も、軒並み閉店に追い込まれた。
ほぼすべて、カウンター中心の狭い個人店だったからである。

しかし、例外はある。神保町のレストランボーイズがそうだ。

かつては、ボーイズカレーと名乗っていた。
古くからの常連は、こちらの名前のほうが馴染みがあるだろう。

レストランボーイズが生き残った理由は、おそらく、床面積にある。
カウンターのみの店だが、狭小というほどではない、十分な広さがあるからだ。

テーブルも設けて、客を詰め込んでしまおうという
魂胆がないゆとりのある経営をしていた。

コロナ期に訪れたことはなかったが、おそらく、
ひとりおきに座るようにしていたのかもしれない。

この店は、未だ現役の珍しい店だ。そして、相変わらず美味い。
開店したのは、1982年だから、わたしが大学2年か3年のころである。
どういう経緯か記憶にないが、
わたしはレストランボーイズの開店当初に訪れている。

神保町は、小学生時代から縁の深い街である。
古くからの書店街で、書泉グランデ、書泉ブックマートに、
よく漫画の単行本を買いに出かけた。

お隣の小川町には、当時YWCAがあり、
子供たち向けの英語教室があって、そこにも通っていたからだ。

大学時代もちょくちょく神保町に出向いて、書店巡り、
足を延ばして駿河台の楽器店街に行くことが多かった。

そんな時、空腹を満たしてくれたのがレストランボーイズであった。

当時は、ボーイズカレーという商号のとおり、カレー中心の洋食屋で、
わたしもカレーばかり食べていた。
今は、千葉でもよく見かける、インドカレーのファンだが、
当時、一番美味いと思っていたのがボーイズカレーであった。

特にお気に入りは、カツカレーである。
ここのサラッとしたカレーによく合うカツは、とても薄く、
生姜焼きで使うロース肉をカツにした感じである。

それが決してチープにならずに、実によくカレーとマッチする。
カツカレーのカツは薄手に限ると学んだのは、ここからであった。

しかしながら、この店が本当に有名になったのは、生姜焼き定食が、
メディアで取り上げられ、日本一の生姜焼きと言われるようになってからだった。
本来、カレー店であったはずが、生姜焼きで有名になった。

ついでに、ハンバーグ定食もカレーもスパゲティも、全部美味いと評判が評判を呼び、
ランチタイムには常に満席の人気店になったのである。
確かに、どれも美味いが、メニューはこれだけで全てだ。

あとは組み合わせでカレー付き生姜焼きのようなメニューを用意してあった。
永田町通いのサラリーマンになってからは、
帰りの乗り継ぎ駅が神保町であることから、ちょくちょくここで夕食を食べた。
河鹿や治平と違い、ここは昼時も夕飯時もメニューは同じである。
ランチと違い、瓶ビールを追加するのが非常な楽しみであった。
ここは、通りに面した正面が全てガラス張りである。
50年代のアメリカ風という感じである。



ぶらりと立ち寄って、瓶ビールを飲みながらサクサク揚がったカツカレーや、
絶妙に甘辛く柔らかい独特の生姜焼きを食べ、
あまり人通りのない夜の靖国通りを眺めるのが好きだった。

やがて退職し、滅多に行くこともなくなったが、
コロナ禍を生き延びたレストランボーイズは、
いつの間にかランチタイムにしか営業しなくなっていた。

ほんの数時間しかないので、先日、平日休みの日に出向いてみた。
1982年から知っている店主も奥さんも、わたしが歳とったように、
すっかり歳をとっていたが、相変わらず、
そっけない態度で美味い料理をポイッとカウンターに置く。

この人、よく見た顔だなという風情でわたしのことを見たが、
知ってか知らずか、すっと無視する。
そのそっけないけれど、安心感のある接客がまたうれしい。
変にベタベタされては客が逃げることをよくご存知だ。

ひとつ気になったのは、かつてと違い、若い客がほとんどいないらしいことだ。
ネット情報でも、評判は高いが客層がほぼ60代となっていた。

店主夫妻の加齢とともに営業時間が短縮され、
わたしと同世代の客層だけを相手に徐々にフェイドアウトしていくのだろうか。

それはそれで仕方ないことだ。
人も店も、永遠には生きられないし、元気でもいられない。

わたしの人生も徐々にフェイドしていく。

営業時間短縮で店の窓から夜の靖国通りを眺められなくなったように、
わたしの日常も限られたものになっていく。

あとは、頭の片隅にある、郷愁の世界をこうして思い返すのみである。

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