8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.322

食の思い出 第5回 
「赤坂見附 河鹿の生姜焼き定食(Cランチ)」



書きながら気が付いたのだが、
わたしが足しげく通った店には共通点がある。

まず、職場の近くであること。
これは、ランチタイムがもっとも頻度が高いので、当たり前だが、
最も遠くても神保町か有楽町。

それでも、電車に乗って昼飯を食いにいくやつは
同僚にはほとんどおらず、あまり聞いたこともない。

また、わたしのようなごくごく普通のサラリーマンが通えるような、
リーズナブルで庶民的な店であること。

永田町、赤坂見附あたりには、ランチでも高級な店はゴロゴロあり、
これは行きたくてもいけないので、そもそも範疇外である。

チェーン店でないこと。これは、たまたま、というより、
付近にチェーンがあまりなかったことによる。
マクドナルドすらないのだ。今は違うと思うが、
わたしの時代は個人経営店が主流である。

そして、すべてわたしの退職と前後して、閉店している点だ。
わたしの退職後、しばらくして始まったコロナ禍によるものなのは間違いない。

また、これは面白い偶然だけれど、どこも接遇が悪い。
頑固な店主がたいてい不機嫌で、奥さん、店員に強く当たる。
客の目などまったく気にしない。店によっては、客にすら怒る。
でも、仕事は凄い。料理は美味ければいい、というなら、間違いなく美味いのだ。

さて、永田町、平河町から歩いて行けるところで最も近い繁華街は、赤坂見附である。
そして、わたしにとって、赤坂見附といえば、高級料亭でも座っただけで10万もするバーでもなく、
極めて庶民的な駅前の洋食屋、河鹿であった。

当時はランチが一律700円前後だったと思う。
河鹿は、昼も夜もよく通った店だが、一番印象に残るのは、ランチのほうであった。

ランチは、4種類。A=ハンバーグとカニクリームコロッケ定食
 B=魚のフライ定食 C=生姜焼き定食 D=カツカレーだった。
偏食ぶりがすごいわたしは、Cランチしか食べなかった。
どのランチも美味いのだが、これだ、
と思ったものを毎回食べるのは、わたしの性格によるものだ。

ここの生姜焼きは、昼にしか食べられない。
実際、頻度からいえば、これがわたしの外食人生ナンバーワンであろう。

河鹿のランチは、つけあわせのスパゲティも味噌汁もごはんも美味い。
どちらかというと、河鹿は昭和の上品なレストランである。
古い洋食屋などと呼び捨てるのが流行りみたいだが、
河鹿はレストランという呼び名が一番しっくりくる。

というのも、昭和38年創業の河鹿の創業者である店主は、
東京最高のホテルのひとつ、帝国ホテルの元シェフなのだ。
いつも全体の切り盛りをしている店主と、キッチンで料理している年配の料理人は、
昔の漫画に出てくるような白い調理師の帽子を被っていた。
いかにもホテルのシェフ上がりという感じだ。

内装も、1960年代のまま、古臭いと感じる人もいるだろうが、
レトロ好きにはたまらない。赤坂見附という超一等地という立地もあり、
当時のパリのレストランをイメージした造りになっている。
わたしは昔、一度だけ、パリの小さなレストランで食事をしたことがあるが、
入った途端、ここは河鹿だ、と思ったものだ。場所はルーブル美術館の近くである。
その狭さも内装も河鹿を彷彿とさせる店であった。
ついでに言うと、パリという街自体、
赤坂見附、四谷見附あたりを思わせる街であった。



初期帝国ホテルの初代料理長、村上信夫という人は、フランスで修業し、
日本にフランス料理を広げるのに最も貢献した伝説的人物であることを考えれば、
帝国ホテル出身の料理人が開設した河鹿がフランス風外観と内装なのも納得である。

赤と白の格子縞で構成されたテーブルクロス、
2重になった天井の奥から漏れる間接照明、
そして、窓から見える赤坂見附のみすじ通りの雰囲気が抜群であった。

ランチではなく、夜のメニューの一番人気、ビーフカツレツあたりを食べてみれば、
フランス料理出身なのがよくわかる。とんかつでも、カツレツでもなく、
コートレットと呼ぶのがふさわしい上品な出来栄えである。
生姜焼きCランチとて例外ではない。
他の洋食屋で食べる生姜焼きより、上品で繊細な味であった。
河鹿は、古い洋食屋、とよく言われるけれど、
店の歴史を知れば、実は、本物のヴィンテージ・レストランなのだ。

あれほど長年通った河鹿が閉店したのは、
わたしが退職してから間もなくのことで、まさにコロナ閉店そのものであった。



ネット上の記事で知ったのだが、コロナのころ、テーブルがとても近く、
客同士の十分な距離が保てない小さなレストランであったため、
まったく客が入らなかったらしい。

河鹿は、他の行きつけより、夜にもかなり頻繁に利用させてもらった。
夜の部は、瓶ビールとビーフコートレットがわたしの大のお気に入りだった。

昼のランチも、夜のディナーも、それほど奇抜で個性的なメニューはないが、
値段に釣り合わないしっかりした上品な味で、わたしは毎回楽しんだ。
何を食べてもそうだが、河鹿はこの店、このたたずまい、
この60年代ヨーロッパな内装で食べないと気分が出ない。

なくなった店を復活させることはできないが、
もし、夢で食事ができるなら、まず真っ先に河鹿に行きたい。

あの懐かしい通りの夏の陽光と夜の赤坂見附を行き来する人を眺めながら、
生姜焼きやステーキ、ビーフコートレットを食べたい。

河鹿ほど、わたしにとって郷愁を誘う店はないのだ。

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