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| 8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.320 |
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食の思い出 第4回 「平河町 庖丁処治平の角煮定食」 ![]() 2021年、平河町の包丁処治平は閉店となった。 50年に渡る歴史に幕が降りたのだ。 その大将から聴いた最初で最後の一言が忘れられない。 「お客さんは、長年来てくれてるけど、 ここら(永田町)近辺で一番おしゃれな人だよ。」 普段、むすっとしてニコリともしないことで、悪名すら高かった大将の笑顔を、 わたしはその時初めて見た。そして、それが最後になった。 それから、約3年後に、大将は亡くなったのである。 わたしをおしゃれだという大将は、 おそらく青山学院大学音楽サークル関係者ではあるまいか。 または、2代目かもしれない。 直接訊いたことはないが、 壁には青学のカントリー音楽関係者らしき寄せ書きが貼ってあるし、 和食の名店なのにもかかわらず、常にかかっているBGMは、アメリカ音楽。 特に、カントリー&ウエスタンかエルビス・プレスリーであった。 そんな親子だったら、わたしがおしゃれだ、と思っても、 不思議はないかもしれない。 2代目は、大将の脇で、いつも、もくもくとごはんを盛り付けていた。 というのも、ここは、ごはんがおかわり自由であったからだ。 しかも、炊き立ての白い飯が、めちゃくちゃ美味い。 普通のごはんがこんなに美味い店を他に知らない。 サラリーマンのランチタイムメニューである名物の角煮、 お弁当(持ち帰りではなく、幕の内弁当風のランチ)、刺身定食、 どれも抜群に美味いけれど、なんといっても、 白いごはんそのものが美味いので、誰でもおかわりしたくなる。 治平にいつから通いだしたのか、記憶にない。 職場からは四川飯店の次に近い立地にあり、 ちょうど、都道府県会館と反対側の永田町出口を 出たすぐの雑居ビル地下にあった。 通りを隔てて反対側は自民党本部である。 麹町のモンドールのように、なにをきっかけにいつ頃知ったか、 それが思い出せないのだ。それほど古くから知っていたわけではないと思う。 誰か職場の先輩に勧められて行ったのかもしれない。 地下に降りる階段も極めて狭く、店内もフルに入って12人ほどだったろう。 夜は、酒がメインの小料理屋に変貌する。 棚にずらりと日本酒が並んでいるのがそれを物語っていたが、 わたしはランチ以外行ったことがなかった。 それはなんといっても、名物豚の角煮定食に惹かれてであった。 偏食傾向が強いわたしが、和食を好んで通っていたのは、 治平だけではなかったか。それほどここの角煮は独特で美味かった。 普通に刺身定食も幕の内弁当も美味いけれど、やはり、ここは角煮である。 醤油味の濃厚なタレがかかった肉は、カウンター内の巨大な鍋から供される。 ただ掬い入れて、からしをどっさりかけて出てくるだけなので、時間がかからない。 お刺身も弁当もしかりで、小さな店の回転率を上げる工夫だろう。 永田町はオフィス街で、客は100パーセント近所のサラリーマンなのだから、 客にとってもありがたい。ウインウインの関係である。 それが頑固な大将の手にかかると行き過ぎることがあった。 食べ終わった後、談笑でもしようものなら、 「お客さん、並んで待ってるのが見えないのか。食べたらさっさと帰んな!」 と叱られる。 いうことはもっともだが、今風の食べログなどには 「もう二度といかない」などと書かれることもあって、接客評価は散々であった。 昭和世代の我々には、別にそれが当たり前でも、 若い世代に通用しないことは多かった。 その大将もすっかり歳をとり、見るからに年寄りっぽくなってきた。 あまり客を叱るということもなくなり、いつもにこやかな笑顔を絶やさない、 人当たりのいい2代目が目立つようになっていった。 それはそれで、よかった、きっと大将が引退しても2代目が後を継いで、 いつまでも店は健在だろうと思っていた。 わたしは、退職したその日、午前中で職場をあとにし、まっすぐ治平に向かった。 そして、しばらくは来ないだろうから、食べ納めのつもりで角煮定食を注文した。 大将は、ちょっと機嫌がよさそうで、わたしに、「おしゃれだねえー」と言ったのだった。 「わたし、今日で最後なんです」「そりゃあ、おつかれさま」 とあいさつを交わして、食べなれた治平をあとにしたのである。 実は、2代目が中心になって、有名な角煮は真空パック商品として通販されていた。 値段は恐ろしく上がった(4人前5000円)が、これは今でも健在である。 退職して永田町、平河町と縁が切れたわたしは、店に行くことはなかったが、 同じく治平ファンだった後輩がちょくちょくこの角煮パックを送ってくれた。 しかし、3年後の2021年、コロナ禍の中、治平はひっそりと店を閉じた。 経緯は知らなかったが、のちに大将がなくなったことを知った。 そして、2代目が跡を継ぐこともなかったのである。 実は、本物の「治平名物角煮」の通販が 今でも健在だということは、つい、最近知った。 何度か家族で食して、その素晴らしい味は我が家全員を感動させたが、 わたしはなんとかこれを自作できないか、 試行錯誤して、とても及ばないものの、家族に好評な程度にはなった。 角煮そのものがもともと家庭料理である。 それほど難しいわけではないが、50年継ぎ足してきた秘伝のタレにはかなうはずもない。 また、本物が食べられるというのは、亡き人が復活したような妙な気分であるが、 近々注文してみようと思う。 あの2代目もだいぶ歳をとったろうが、 これからも秘伝の角煮を守ってもらいたいと影ながら願っている。 |