8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.316

食の思い出 第一回
「交通飯店のチャーハン」





わたしがかつて、22歳から56歳まで毎日通った職場
(平河町の都道府県会館)の真向かいは、
日本で最も高名な中華料理店と言っていい、あの「四川飯店」であった。

そして、先にはわたしの母校である、麹町中学がある。

四川飯店は、なにしろ、すぐ真向い、徒歩30秒である。
職場の連中が常に利用していたのは、ある意味、当たり前。
あの近辺には、ランチタイムにすぐに行ける店がほとんどないのである。
ランチには、思い出、のような感覚がまったくないくらい頻繁に通った。
ほとんど家みたいな感覚である。

恒例の年始会、忘年会、仕事の打ち上げで、
四川飯店の晩餐を囲んだ思い出はキリがない。

軽いランチセットではなくて、本格的なディナーコースである。
あらゆる四川料理が紹興酒、ビールとともに並んで、みなで舌鼓を打った。

さて、そんな、客観的に見れば、「中華料理天国」みたいな環境にいたわたしは、
食のあまのじゃくなどでは決してないのだけれど、
中華料理好きにもならなければ、四川飯店の料理に深く感動した覚えも、一度もない。

ぶっちゃけ、名物のマーボ豆腐が少し印象に残る程度で、
ほとんど記憶にないのである。

時は、1990年代。わたしが30代の半ばに差し掛かるころ、
都道府県会館は、全面建て替えとなった。
建て替えには3年ほどを要するため、わたしの職場を含め、
会館内のすべての事務所が有楽町にあった旧都庁に引っ越した。

たまたまであるが、わたしが所属していた災害共済部だけ、
入りきらずに、交通会館に間借りをすることになったのである。

銀座、日本橋経由で、永田町より少し自宅が近くなったわたしは、
ちょくちょく、交通会館となりの有楽町高架下アーケード地下にあった、
小さなバーに寄り道をするようになった。

ウイスキーのロックを頼むと、バーテンダーが、
あのまん丸な氷をアイスピック1本であっという間に作り出してくれる、アレである。
これが楽しくて、わたしは足しげく通った。

そして、ランチタイムの店を物色していたわたしがたまたまたどり着いたのが、
交通会館地下にあった、5坪くらいしかなさそうな、
超狭隘町中華、「交通飯店」であった。



わたしは仲のよい同僚と、ランチタイム、
そして時には残業夕食にここを利用するようになった。

交通飯店は、他のどんな店とも違う味であった。

本格中華料理でも、よくある町中華でもない、
交通飯店の味、である。

わたしは、ちょっとマニアなグルメでもなんでもなく、
安くてちょっとうまければもうけもの、くらいの感覚しか持ち合わせがなかったが、
ここのチャーハンを食べてしまったら、後戻りができない、ということを知った。

中華なんてどうでもいい、と思ってきたわたしは、
本当に衝撃を受けたのだった。

超狭隘店のこと、ほぼカウンターしかないので、
目の前で作っているのを見ているのだが、なにも変わったものを入れず、
ほとんど引き算でできている簡素な素材と調理法なのに、
やめられなくなってしまう恐ろしい中毒性チャーハンなのだ。

それだけではない。あらゆるメニューが美味い。とにかく美味いのだ。

その3年後、新都道府県会館がオープンし、
われわれはもとの平河町に戻ったけれど、
わたしは四川飯店に行くかわりに、頻繁に、
わざわざ切符を買って、有楽町の交通飯店に通いだしたのである。

その後、数十年、わたしの体のかなりのパーセンテージは
交通飯店の中華でできているというくらい通いつめたが、
わたしは退職し、自宅のある佐倉からでなくなり、交通飯店とは縁がなくなった。

そんなある日、交通飯店がなくなることを知った。
コロナのころである。

わたしは、あわてて、有楽町へ向かった。
もちろん、あのチャーハンの食べ収めのためである。

そして、地下鉄有楽町の改札をでたところで、
わたしは言葉を失った。

交通会館は地下鉄から直接入ることができる。
そして、その地下入り口のすぐ脇に交通飯店はある。
改札をでてすぐのところから、続く長蛇の列。

まさか、と、わたしは様子を見にいった。
やはりである。
思った通り、長蛇の行列は交通飯店へ続いていた。

これではとてもじゃないが、あっというまに売り切れて、
9割の人はそのまま帰ることになるだろう。

わたしは、呆然となったが、同時に目頭が熱くなった。
わたしだけじゃなかった。こんなに大勢のファンがいたのだ。

それが改札まで届こうかという長蛇の列になっている。

何とも言えない感慨をあとにして、
わたしはなにも食べずに帰宅した。
そして、いつか、あの味を再現してやろうと決心したのだ。

わたしは、今、ほぼ毎朝、チャーハンを料理して食べてから出かける。
専門的に学んだことも訓練したこともないので、
決して料理がうまいわけではない。

しかしながら、前日の残り飯は、朝チャーハンにはもってこいだ。
そして、毎日、調理しているうちに、情けないくらいへたくそだった包丁さばきも、
1回もできなかった鍋振りもかなり上達した。

しょっぱかったり、味がなかったり、べたべただったチャーハンは、
ちょうどよいくらいの味つけのパラパラチャーハンに化けた。

もちろん、あの味にかなうはずなどない。
それでも、わたしは毎日、鍋を振り続ける。

郷愁でも、食いしん坊でもない。
それは、最初に聴いて衝撃を受けたダスティ・スプリングフィールドを、
最初に好きになった幼馴染の〇〇ちゃんを
忘れないのと同じことなのである。

GO TO TOP