8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.314

OSHIGOTOエッセイ2025  働くおっさん5話



その1

わたしの両親は、秋田県山本郡山本町(現、三種町)の出身で、
鍋窯だけ持って、戦後のどさくさで上京、父は、当時やたらとたくさんいた、
都心に勤務するサラリーマンのひとりとなった。

高度経済成長からバブル絶頂に至る時代の流れの中で、
それぞれがとり得た立場はいろいろあっただろうが、多くの人は、
手が出ない高額な都心不動産はあきらめて、郊外、
しかも、片道2時間以上かかるような辺鄙な田舎の戸建てを目指した、
そういう時代である。

父は、1970年代に大流行した原野商法に近い、そうしたいい加減な土地分譲の激安不動産を
投資物件として購入したが、かなりの地域が見せかけだけの、まったく売るに売れない
「限界分譲地」と化す中、運よく、購入した物件のある佐倉は、
宅地開発がかなりのスピードで進み、インフラもどんどん整備された。

土地家屋調査士兼測量士でもあった父はちゃんと選んだのかしれない。
複数あった筆を売って、今の家屋をローンなしで建てた。

もし、建てずにバブル絶頂まで保持してから売れば一財産築けたかもしれないが、
そんなことは当時はわからなかった。

タダ同然の土地がしっかりした宅地に化けた。
世間一般のローン地獄と無縁でマイホームが手に入った。
万々歳なのか、それがよかったのかといえば、当時はノーだった。

東京駅まで60分は嘘ではないが、
自宅が駅で東京駅に勤めているのでない限り、実際はかなりかかる。

父は(そしてわたしも)勤務先までおよそ2時間
、しかも、超満員で乗る隙間もない過酷な通勤である。

しかし、当時はまったく普通に、そんな生活を送るサラリーマンが多かった。

父は失敗したと嘆いていたし、家族であるわたし自身の問題にもなったが、
振り返れば、それが多くの人の「とりえた道」だったと思う。

世の中は、チャンスに満ちていて、自分の道は自分で決め得る、
そういうものだと喧伝するのが現在の時流に思えるが、
実は、「自分で決めた」と思っていたことも、時代を振り返ってみれば、
「いつの間にか流されていた」「決めたつもりになっていたが、実はそうせざるを得なかった」、
とどのつまり、「選ばされていた」と言ったほうが
正確なことのほうが多かったことに、あとから気づくのだ。

世代が変わり、時代も変われば、人も家も、そして街すら古くなり、

また新たな問題も起きるが、かつての失敗のいいところも見えてくる。
さて、「郊外から遠距離満員電車通勤する都心の猛烈サラリーマン」を
親子2代勤めて、いま、わたしはやっと、少しだけ息をつける立場になった。

かつて、夢にまでみた、「千葉の田舎で適当に働く、
田舎のおやじ」になったからである。


その2

60歳超えの派遣は見つからなくて大変だ。
確かにそうだが、もし、ちゃんと見つかるなら、なかなか良い面もある。

わたしは、バカみたいに長い年月、千葉の田舎町から東京の真ん中まで通い続けたが、
まったくストレス倍増以外の何物でもなかった。

1970年代のいい加減な土地投機からバブル崩壊まで、
その時々の経済情勢とそれに乗っかった詐欺みたいな流行に振り回された人は、
大変多いと思う。私個人の話ではないのだ。誰しも、直接的でなくても、大きな影響は受けている。

それはさておき、一昨年の後半から、
わたしは基本1時間以内の車通勤で働いている。

多少渋滞が日常だとしても、長距離電車通勤に比べると、
ほぼストレスフリーである。車が好きだ、ドライブが趣味、というのもある。

さらに、わたしは採用してもらえるのが、
ほとんど役所の請負関係なので、たいてい期間限定で、
3か月前後でおしまいになる。

そして、次の請負仕事に移るたびに、気分も心機一転できる。
特に、街歩きが趣味みたいなわたしにとって、
行ったことのない街を楽しめるのも大きい。

もちろん、正規職員に比べて、時給は安いし、あまり割に合わないことも多いが、
それとて、期間限定で終わることを考えれば無理をする必要もない。
しばらく続けるつもりだった千葉市(千葉県庁)の請負仕事を、
今月いっぱいで抜けることにした。来月からは、お誘いあって、成田市役所に8か月ぶりに戻る。

のんびりした夏の成田は最高である。
川豊のうなぎでも食べよう、と今から大変楽しみなのだ。

もし、昔から職住近接で働いていたら、金は都心のサラリーマンほど稼げなくても、
結局、人生もっと得したのではないか。
そんな気がするのである。


その3

昨夏の暑いころ、かつての空港同僚、村松さんと成田駅前で再会した。
「やっぱりさ、働かないとボケるよ。僕なんかね、71なんだけどさ。」

村松さんは、ビールをぐいっとあけ、貫禄を演出しながら
、自分で自分に頷くようにおっしゃった。
「ほら、僕、現役時代はアレだったからね、ちょっと前に海外からオファーがあってさ、
月給70万でどうか、って。この年じゃあビザがとれなくてさあ、断ったとこ。」

村松さんは、どことなくダチョウを思わせる。
ひょろりとやせて、小顔だからだろうか。

「いやー、流石ですねえ、先輩。」
彼は、先輩と呼ばれるとなぜだか、生き生きとしてくるのだ。
「うん、だけどね、トランプが(中略)、で、株価がさ(中略)
、だからやはりね、地道に働かないと。」

「いいところにお勤めだったから資産もあるでしょうに、先輩は。」
とんでもない、という顔を演出して否定する村松さんは、
人生そんな単純ではないぞと諭すように話す。

「ま、だけどね、その辺はアレだから。」
実はあるけどね、と言いたげなイタズラっぽい口調である。
「でも、アレですね。たまには、隠居とか考えるでしょ。」
「そんなのいつでも出来るよね。だけど、ボケちゃうでしょ。」
そんな当たり前のことなぜ聞くのというキョトンとした様子である。

「そうかなあ。」
突然ソワソワしだした村松さんは財布を取り出し、
今日はいい勉強になった、楽しかったよ、と言いながら、
一刻もはやく帰りたそうであった。

「村松さん、お元気でなにより。これからもお元気で。では、また。」
毎度のこと、なぜかよくわからないが、
帰りの電車内でわたしはひとり、気分が悪くなった。

これじゃあ、ひとりでアマプラでも観ながら家飲みしてるほうが千倍お得だなあ
、とまたしても後悔するのであった。


その4

さて、そんな今現在の話なのだが、
先日、ある知り合いの女性にたいへん厳しく叱られた。

バリバリ働く真面目な主婦の彼女に
「食っていけるだけの年金もらえそうだからそろそろ辞めようかな」と
なにげなく言ったところ、引退などしたら絶対にいけないという。
とんでもないと、真剣である。

「どうせ男なんて、働かないならくだまくだけよ!
迷惑!金の問題じゃないでしょ!」
「足腰たたなくなるまで働いて、そのまま介護施設に自力で入るのよ。
それが人生ってものでしょう。」
ということらしい。

ちょっと、ご自身の家庭の事情がアレな感じなのか、
なにか、極端で妙な感じがしつつも、それもそうだ、とも思える。

今はなんでも自己責任である。
少子高齢化でもあり、若い人に負担をかけてはいけないと
強く思い込んでいる人たちもいるのだ。自分は親の介護で苦労したが、
自分の子供にはそういう思いはさせたくないという、熱いおかあさんの想いである。

もう、ひとつ、大富豪以外、働かないおじさんは、
恐ろしいほど、女性に評判が悪い。

ゴルフに麻雀、海外旅行、なんでもいいが、
そんなのは、「クダまいてるだけ」と一蹴されてしまうのだ。

自力で生活できるかどうか関係なく、社会に貢献しないやつは
いなくなればいいというのは、昔からある考え方だ。

日本は少子高齢化、物価高騰、不景気でどんどんキツくなる。
真面目なおかあさんの想いもどんどん重くなる。
こんな風潮が普通になったら、
亭主族は長生きなんてしたくなくなるよなあ、とボソッと思うのだ。


その5

バター料理騒動(1963)は、ジル・グランジェが撮ったフランスコメディの古典。
ブールヴィル、フェルナンデルという、当時最高峰だった名喜劇俳優が競演した。

タッチとしては、初期の山田洋次に代表される日本の松竹喜劇に近い。
わたしが見たのはVHSレンタルビデオで、1985年ころだ。
今は版権の関係か、日本で観ることが出来ない。

お話はシンプルである。

時代は第二次世界大戦終戦。ドイツで戦死したと思われていた
フェルナン(フェルナンデル)が、家族のまつマルセイユに戻ってくる。

彼は陽光まばゆい南仏マルセイユで海産レストランを経営していたコックだ。
あろうことか、妻は、とっくに再婚。
相手は北部ノルマンディ出身の根暗で真面目な料理人アンドレ(ブールヴィル)。
彼が今ではレストランのオーナーに収まっている。
ふたりは鉢合わせするが、どちらも譲らない。

北と南で魚の料理法が違う。北部では魚は油でいためるが、南部ではバター。
それをきっかけにふたりのおやじは争うようになるのだ。

フェルナンは捕虜になっていた復員兵であることをいいことに、
妻の裏切りは許すが、俺は働かないぞと、遊んでばかりいる呑気なほら吹き、
アンドレはかみさんの言うとおりにしか行動できないクソ真面目男である。

小競り合いは延々続くのだが、徐々に打ち解けてきたアンドレは、
フェルナンに感化され、仕事をサボるようになる。

おやじどもは、働くことを通して親しくなるのではない。
サボることを通して親しくなる。

まじめな映画だと、たいてい、仕事の切磋琢磨を通じて、もしくは、
同僚としての尊敬、共感を通して親しくなるように描かれるが、フ
ランス喜劇、そうは問屋が卸さない。しかし、そのほうがはるかにリアルである。

そんなあるとき、ドイツの山奥から女性がやってくる。
彼女は、フェルナンと内縁関係で、捕虜だったのは大嘘、
戦時中はドイツで人目を忍んで楽しく遊んで暮らしていたことがバレてしまう。
そして、マルセイユにいついてしまったドイツ妻(フェルナンの妻)とかつての妻(アンドレの妻)が仲良くなり、
結局、せっかく遊び仲間になったフェルナンとアンドレは、
彼女たちに徹底的にこき使われることになるという結末。

ここまででも、男はそもそも、なぜ働くのかということのひとつの結論を見る気がするが、
傑作なのは、ラストシーン。

かつて仲の悪かったふたりのおやじは、
ふたりの女房に「アンドレ!トラバイエ!」「アルバイト!フェルナン!アルバイト!」と

奴隷のようにこづかれながら、顔を見合わせて、
人生しようがねえなあと爆笑するのである。
構造的にはメロドラマ、カサブランカのラスト、「新たな友情の始まりだな」と同じだが、
バター料理騒動のほうが破壊的なカタルシスがある。

このラストのストップモーションは、人生で見た最も感動的な映画シーンのひとつだ。
そうだ、おっさんが働くのはなぜか。これじゃないか、と思ったものだ。

allcinemaでフルスコア10点を出すほどの名作である。
これは洋の東西、時代を問わない、おっさんと労働の真実の物語だ。

そして、その感想は、自分が年齢を重ねるごとに強くなるのである。

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