8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.294


OSHIGOTO NO.18 アルバイト(2023-2024) VISITORS THIS WAY !
成田空港イミグレーション・アテンダント



 わたしの自宅は、成田空港まで京成本線で1本、25分ほどのところにある。
成田というところは、空港近辺まで行くととてつもなく田舎だ。
成田空港は、千葉県北西部の田舎の中に唐突に広がる別宇宙である。
周辺に広がる緑だけの土地で、空港の敷地内だけが、まったくの異空間なのだ。

2023年の10月からの初体験バイトは、
横文字でちょっとかっこよさげなイミグレーション・アテンダント。
日本語にすれば、上陸審査場案内係である。

出入国管理及び難民認定法に基づく上陸審査場は、法務省入国管理庁の所管である。
入国してくる人を入国管理官が審査する場所なのだが、飛行機のフライトが重なって、
多いと1500人あまりが同じ審査場に押し寄せてくる。

それを交通整理、案内するのがこのアルバイトの中身だ。
要は、工事現場で旗を振っている警備のおじさんと同じようなものである。
あれの人間バージョンだ。
英語で案内するのだが、あれこれ尋ねられると答えざるを得ない。

英語は言語学的特性上、でかい声で話すと上達するといわれているが、
それが毎日の仕事であり、やらざるを得ないので、英会話力はかなりアップした。
60過ぎても学ぶことは尽きない。

成田空港は、第1ターミナル、第2ターミナル、第3ターミナルからなり
、それぞれに、上陸(入国)審査場、出国審査場、税関がある。
最も広い第1ターミナルは、北南両ウイングに分かれており、
第2ターミナルもAB両セクション、税関もそれにリンクして分かれている。
最も小さい第3ターミナルだけは、1セクションである。
交通の面から言えば、第1は京成線の「成田空港駅」、第2、第3は、
同線の「空港第2ビル駅」だが、わたしが入ったのは、第1ターミナルの上陸審査場であった。

空港シフトという言葉があるくらい、成田空港の勤務時間は、
それ以外の一般社会と異なっている。
朝は6時からスタートだが、さすがに、朝一番で出勤可能なのは、
成田市内居住者のみだ。このバイトの開始は7時からで、
なんとかギリギリたどり着ける範囲内であった。

早朝7時から夜間21時まで、シフトパターンも多岐を極めており、
20以上の勤務時間帯がある。それぞれ、希望の時間帯、日にち、
日数を自分で選べるところは、このバイトの利点のひとつである。

さて、出勤してみたものの、研修が全くないうえに、
OJTといっても1日早く就業したバイト仲間から教えてもらう、ということらしい。
わたしのような勉強嫌いには、合っていたが、人によっては面食らうだろう。
「オタクは、おいくつ?」

話しかけてきたのは、ちょうど同年配と思われるおっさんだ。
初日から入り、私より1日だけ先輩の青星さんも、名前入りIDカードを首から下げている。
このカードは、空港内の制限エリアに入るためのセキュリティカードで、厳重な管理が必要なものだ。
空港バイトがレア、と言われるのは、これのせいだろう。
普通は入れないところで常に仕事をする。

ひとつ年上の青星さんとは、その日のうちに意気投合し、
冗談を言い合いながら、働いた。彼は英語案内も流暢である。

「わたしは、接客が好きなんですよ。こういうのをやってみたくて。」
青星さんは、元銀行員。いろいろあって、50過ぎで早期退職し、別会社に転職、
それも定年退職、再雇用も経て完全に辞めたあと、バイト生活を始めた。
その最初の一歩がここなのだという。

「なぜ、空港なのかって、とにかく、働いてみたかったんだよ。それだけさ。」
外国人のお客を相手に、大活躍をする青星さんは、本当に生き生きしていた。
人によっては、もうすっかり老け込んだ隠居になっていてもおかしくない歳である。

「今は亡くなったおやじのおかげで食うに困らない十分すぎる蓄えがあるんだけどね。
年金もそれなりの額だし。だけど、まだまだ、活躍できると思う。」

その後、間もなくして、同年配のおじさん連中と声を掛け合うようになった。
佐藤さんもそのひとり。居酒屋チェーンの本社勤務だったが、
65歳を過ぎて退職。アルバイトに精を出している。

英語は話せないが、有名居酒屋チェーンの店長、
営業といったキャリアを生かしたそつのない接客ぶりは見ていて見本になった。

「僕はね、いろいろあって借金があるの。だから、まだまだ働くよ。」
太田さんはもと商社マン。世界中を回って歩いた経験がある。
英語どころか中国語もこなす。元奥さんが中国の方だったようだ。
経営していた会社がうまくいかなくなり、さまざまな職業を転々としていたらしい。

「70代でも採用してくれるところはなかなかないからね。助かるよ。」
ほかにもさまざまな経歴を持つシニア層のおじさんたちが働いていた。
年齢層が恐ろしく幅広い。
18歳から80歳までが同じ業務をこなしており、そういう意味でも、
ここは別天地。普通、60歳を過ぎると、よほど特殊な職務経験がない限り、
バイトであっても採用されないものだ。
イミグレは、100名近いアルバイトスタッフがいる。

日本人だけでなく、フィリピン、ブラジル、アメリカ、カナダ、中国、韓国、ミャンマー
などからの在留カード組も大勢在籍し、語学力を活かして案内業務をこなし、多言語が飛び交っていた。

特に、ブラジル系の女性たちは、日本語、ポルトガル語、スペイン語、英語がペラペラである。
フィリピン勢ももともと母国語のタガログ語、第二言語の英語のバイリンガルのうえに、
日本語も日本人と変わらないほどうまい。
おまけにフィリピン勢は圧倒されるほど明るい。審査場がステージと化している。
こんな安いアルバイトでなくても、通訳として活躍すればよいのでは、
と訊ねたところ、日本語の読み書きが障害になって資格が取れないらしい。

彼らは、話すのはどれほどペラペラでも、日本語が読めない人が多い。
漢字はたしかに難しい。日本人ですら難しいのだから、
それもすべてこなせたらそれは大変なものである。
成田市役所の仕事もほとんど外国人相手だが、彼らに書類を書かせるのは大変なのだ。
どこに名前を書くのかどこが住所の欄なのかを逐一教えないといけない。

結局、読み書きがダメでも話せればいいという仕事は、
案内、受付などの限られた職種にならざるを得ないようだ。
日本の義務教育の英語学習は、読み書きばかりに特化していて、
話せない人が多いとの批判がある。わたしもなにより話すのが苦手で、
それもその通りだと思っていたが、ビジネスの世界になると、
基本は文書のやり取りであり、はやり読み書き優先なのだ。
来る客もスタッフも多種多様、毎日がまるで雑踏であり、千葉県成田市という、
かなり田舎町風情の立地なのに、ここだけはやはり別宇宙なのである。

当初は8時間のフルタイムで入っていたが、ほぼ通して立ち仕事。
しかも、かなり動き回るので、体が慣れないと本当に激務である。
空港関係者専用の休憩室で弁当を食べることが多いが、睡魔と戦いながらであった。

なにしろ、ランチタイムで使えるフードコートは恐ろしく値が張る。
いわゆる空港価格で、マクドナルドですら路面店の2割増しなのだ。
空港内の貧乏人の味方はローソンなどのコンビニだけである。
第一期である半年が過ぎたころ、請負会社の入札があり、
その結果、わたしの所属する会社は持ち場が代わった。
今度は第二、第三ターミナルの出入国両方と税関すべてである。

スタッフの数は300を突破していたが、税関側は前の会社の人員を引き継いだため、
ルールが異なり、なにかとトラブルが多くなったようだ。
わたしは市役所の仕事がメインになり、その後3か月ほどでこの仕事を辞めた。

クレーマー客をたまに見かけたが間違いなく全員日本人である。
外国の客人たちは、気さくで明るい。ラフで適当な英語案内でもにこやかに接してくれる。
困った様子の人を積極的に助けに行くと、ほんとうに感謝される。

本当は何を考えているかわからないではないか、と考えるのは日本人の悪い癖である。
そんなことはわからなくてよろしい。
その場その場で気持ちよく過ごせるなら人間関係は楽しくというのはワールドスタンダードなのだから。

空港で働いて一番痛感することは、スタッフの誰もが同じであった。
日本人でいるのは少し恥ずかしいということ。
やることなすことなんでも細かい日本人客のしつこく陰険なクレーム攻撃や
無表情な冷酷ぶりを見るたびに、なぜこんな国になってしまったのかと思うのである。


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