8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.293 |
OSHIGOTO 短編小説 800通の行方 有明仕事から抜けようともがいていたわたしたちのうち、 苦戦に次ぐ苦戦を強いられたのは、森谷さんであった。 わたしは、次がほぼ決まっていた。 中継ぎで東雲バイトに復帰したあとは、 給付金事務が千葉県内で始まるのを待つ算段だったのである。 椎葉さんは、65歳以上雇用促進をうたう 東京都のプロジェクトがらみの仕事を派遣会社から紹介されていた。 高梨さんは、66歳だが、そちらには乗らずに、 自力で中小企業庁の補助金審査センターに決まりそうだった。 しかし、森谷さんは、一向に決まらない。 ネットのまとめサイトで、いくら、目についたところに片っ端から応募しても、ひっかからない。 「どこもみんな、スルーか、同じ返事しかないです。ご期待に沿えませんが、 今後のご活躍を云々、っていう。バカにすんな。 頭来るなあ、いったい、俺をなんだと思ってるんだ。」 確かに、彼は、立派な経歴の持ち主なのに、 過去にしがみついてプライドばかり高いところも一切ないし、頭も切れる。 くだらない屁理屈をふりかざすうるさい老害爺みたいなことも一切ない。 人柄も穏やかで円満だ。そんな彼が無視されるのは、 そもそも、シニア枠自体が極めて狭き門だからである。 まとめサイトの検索条件で、例えば、「東京都、一般事務」とすれば、数百件ヒットする。 しかし、条件に、「60歳以上応募可」を入れただけで、あっというまに2桁減って、 10件くらいになってしまうのが現状だ。これではあまりにも酷い。 60歳以上は老害だと思われても仕方ないような、うっとうしいやつもいるだろうが、 ろくに履歴も職歴もみず、面接もなにもなしで、全員NGというのは、 いかがなものか。就職を扱うにしては、あまりに雑である。 同じ立場のわたしには、彼の気持ちが痛いほどわかる。 あまりにわかるので、笑ってしまう。 「暇さえあれば、休憩時間にでもひたすらポチポチしています。 当分、ポチポチ生活だなあ。」 森谷さんも笑うしかない。 われわれは、失業、無職スレスレのスリリングな状況を、 楽しんでいるような気になった。まあ、長く生きていると、 さまざまな困難を無数に乗り越えてきているので、 こんなことくらいでめげることはない。まだまだ、余裕である。 しかし、さすがの森谷さんの笑顔も徐々に消えていった。 辞める直前になってもまだ決まらない。 「ほんとに、世の中、どうなってるんだ。60歳定年で年金もらえると思っていたのに、 定年はそのままで、年金受給だけ先延ばし。おまけに額も減ってきている。 いったい、これまで、家族も健康も犠牲にし、 死ぬ思いで働いてきた昭和世代をなんだと思っているんだ。」 「せめて、働く意欲のある人間を応援すべきなのに、総スカンなのはなぜなんだ。」 「少子高齢化で、年寄の労働人口を確保しないと立ちいかないはずなのに、 いったい、政府は何をやってるんだ。」 まったく、同感だ 。わたしと森谷さんは、ますます強力な同志になった。 「俺なんか、1日、だいたい、30通くらいは応募している。 だから、1か月で、900通。そのうち、お断りメールが返ってくるのは100通くらいだよ。 腹もたつけど、返ってくるだけまだマシだ。 しかし、あとの800通はいったい、どこへ行っちゃうのか。」 今は、シニアは売り手市場だと言った知り合いがいるが、本当だろうか。 警備、掃除、介護の一部は、もしかすると、売り手市場なのかもしれない。 最低自給なら雇ってもいいという世界もあるかもしれない。 だから、わずかでもそれ以上を望むおまえらは贅沢だ、と言われても仕方ないのだろうか。 これまで、培った様々な経験、生き抜いてきた人柄はなにひとつ考慮されないのだろうか。 エクセルで関数ができる、英検の資格がある云々、そんなことでしか評価されない、 そんな世の中が本当にまともだといえるのか。情けない、 忸怩たる思いでわたしと森谷さんは、臍をかんだ。 そして、とうとうあと1週間というところで、森谷さんは、次の職場を見つけた。 資源エネルギー庁の補助金審査のSV仕事だ。場所は六本木。時給もまあまあだ。 いやはや、よかった、助かったとわれわれは喜び合った。 しかし、シニア採用を渋る派遣業界には多いに不満だった。 いっそのこと、自分たちでシニア向けの良心的な派遣会社を作ろうか 、というところまで話題は広がった。 さて、有明を退職後、森谷さんは、六本木で比較的ゆるやかに数か月過ごしたあと、仕事を辞めた。 あれほど苦労して見つけても、期間が決まっている。早めに抜けて次をさがさなくてはならなかった。 次は、比較的運よく見つかったようだった。 それが、アルバイトや派遣より格が上の、2年にわたる契約社員だという。 しかも、自分たちで会社を興そうか、とまで言っていた、大手派遣会社の契約社員だった。 われわれ、仲間内は、すごい、快挙だと喜んだのだが、 森谷さんは、これも、わずか1か月で辞めてしまったのである。 「なんというか、とにかく、キツかった。正社員と同じように、 現役カムバックみたいに働くのは、もう無理だと悟りました。」 体調を崩したらしい。 実際、少し先に入院加療するという。お互い、歳には勝てない。 「それに、実際に派遣会社に入ってみて、よくわかりました。 あんな、人間を商品みたいに、売買の対象にするなんて非道な仕事は、わたしには向いていません。 もう。コリゴリだ。」 森谷さんは、次は、待遇は少し劣るが、自宅近くのゴルフ場案内係に採用され、 朝早くからゴルファーの面倒を見る日々となった。 めんどくさいお客が多くて大変です、と笑いながら、 すこしホッとした様子の彼をみて、わたしもなぜか、ホッとしたものだ。 それにしても、派遣会社の内幕を見てきた森谷さんは 、自分の応募800通の行方を知っているはずである。 わたしも答えを知りたかった。 常々疑問に思っていたからである。 しかし、森谷さんがそれを語ることはなかったのである。 |