8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.292


OSHIGOTO 短編小説 生涯現役



 有明仲間の辞めちゃえ組SV、最後のひとりは、椎葉さんという。
 
彼は、同じ派遣会社ではない。
競合他社であったが、協力会社の枠を超えて動く、エスカレ担当という特殊な立場だった。
 エスカレというのは、複雑で個別判断が必要な問題事例を処理するために、
派遣元の社員へ判断を仰ぎに行き、それを全員にフィードバックすることを指す派遣用語である。

 むかし、昭和の役所では、よくそういう調整役を「廊下トンビ」と称していた。
 エスカレ担当の彼を巡る、とりわけ不思議な運命の偶然は、
彼が日本国内ナンバー3のシェアを誇るエスカレーターメーカー出身だということだ。
 元エスカレーター会社のやつがエスカレ担当なんて、
面白いことをするなあ、と仲間内で笑いあったものだ。
彼はエスカレオヤジと呼ばれることになった。

 彼は、われわれの中では最年長で、69歳であった。
69歳といえば、昭和29年生まれ。
終戦の年が昭和20年だから、戦後9年目の子供である。

 昭和40年代になっても東京には、まだ闇市の跡地みたいな
バラックの長屋やマーケットがたくさん残っていた。
 戦後のこのあたりの世代は、5つ6つ歳が違うだけで、ずいぶんとノリが違う。

昭和39年の東京オリンピックから始まった高度成長期に
10歳だった椎葉さんは、わたしから見ると
まだ戦後のどさくさのにおいがする時代に育った、
ギブミーチョコレートの最後の世代である。
 
千葉県出身の椎葉さんは、まだ古い時代の漁師町だった浦安の出身だ。
山本周五郎の古典、「青べか物語」に出てくる、あの浦安で、
あの小説の中に出てくる子供たちのひとりのように育ったはずである。

しかし、現在の椎葉さんの紳士ぶりから、青っ洟を垂らした野性的な
子供を想像するのは、難しい。時代の変化は速い。
たったひと世代でこれほど変化した世の中というのは、前代未聞かもしれない。
 元野生児、現在はジェントルマンの椎葉さんは、英語が堪能で、
主に国際部門で活躍したそうである。その後、その誠実で円満な人柄を買われて、
人事部長に抜擢され、定年まで勤め上げた。
 
そして、退職後、再雇用の道を選んだ。
65まで現役で働き続けたわけだ。人事部長の職は解かれ、
給料は半分になったが、それでも構わなかった。
 
家族は、みな健康に恵まれ、子供たちも全員独り立ちして、
今では立派な社会人となっている。一昨年には、娘さんが出産をし、初孫に恵まれた。
 
そんな椎葉さんを、思わぬ不幸が襲った。
交通事故に巻き込まれてしまったのだ。
 運悪く、人身事故で、保険で解決しきることができず、
椎名さんは、民事で訴えられたらしい。無事、示談で解決はしたが、
かさんだ弁護士費用を払うために、65歳を過ぎて、
年金満額貰っても働かないといけなくなった、ということだった。
それも、もうすぐ、返し終わるめどがついた。
そんな時期にわれわれは出会ったのだ。
 
しかし、椎葉さんは、それだけが目的ではないという。
もう、そろそろ悠々自適な年金生活でも送ろうかと思った矢先の事故をきっかけに、
働き続けることの重要さを知った、ということらしい。
 
「やっぱり、わたしは働くのが好きなんだよね。
だから、生涯現役。それが本当の目的なんですよね。」
 
それにしても、有明派遣のような過酷で安い派遣仕事で
割に合わないと思わないのだろうか。 
かつては、大手メーカーの部長職まで勤めた人である。

 「いや、もちろん、いやですよ。だから、辞めます。
次のところにいっても、これはダメだと思ったら辞めます。
でもね、仕事そのもの、働くことを止めることはないです。
いくら変わっても、なんとかなる。仕事はなくならないと信じています。」
 
椎葉さんは、言った通りにした。有明の仕事を辞め、
次の派遣仕事を見つけて就業したが、1週間ほどで辞めた。
 
「あんなところは、辞めざるを得ないです。
人を人とも思わない。とんでもないです。」

 そして、次のところも、辞めて、やっと3つ目で落ち着いたようだ。
これも東京都の高齢者雇用の一環らしい。

 「保険会社の総務事務で、時給もさらに安いけど、まずは、ここでいいかと思います。
われわれの年代になると、警備か掃除くらいしかないのに、こういう仕事はありがたい。」
 
椎葉さんは、とどのつまり、時給が安くても、自宅から遠くても、
自分の力を認めてくれて、自分の居場所と思える場所を求めているように見えた。
 「しかし、それだけで、いつまでも働こうなんてちょっと考えにくいよ。」
 生涯現役でいたいだけだ、という椎葉さんの独白を聴いた高梨さんは言う。
 「たいてい、なにかあるものだ。なにか他の理由が。」
 他人には、決してわからない、わかる必要もない、なにか。
 
有明から1年後、われわれは新橋の安価な居酒屋に集合し、
近況報告会をした。そのとき、わたしは飲み会の話題として、全員に、簡単な、ひとつの質問をした。

 「とどのつまり、人生は、カネだ、と思いますか。」
 一瞬であった。即答、一瞬。
 
全員一致で、打てば響くように返ってきた答えは、イエス、であった。
 それ以上の深掘りはしない。する必要もなかった。

 「生涯現役」の本当の意味を、われわれは確かめあった。
そして、爆笑したのである。

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