8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.291


OSHIGOTO 短編小説 グラムロックの黄昏




 わたしは、2023年の春、有明防災公園のベンチにいた。
 手作りのサンドイッチを持参して、毎日、ここでひとりランチをとった。
うららかな晴れた春の午後、いつも思いを巡らせるのは、
あと何回ここでサンドイッチを食べたら辞めるか、
あと何回派遣仕事を変わったら年金もらって引退するか、である。

仕事仲間との話も、そんな話題に終始していた。
 そんな仲間内の会話に全くついてこない男がいた。
最初の研修で同じチームになった、正体不明の寡黙なワンレンオヤジである。
 相方の高梨さんがポツリポツリと境遇を語り、
森谷さんがあっけらかんと自分の歩んだ職業人生を語る一方で、
なにも語らず、尋ねても困ったような顔で笑うだけの地味な人物。
なぜか、髪の毛だけワンレンで非常に目立つのに、ずり落ちた黒縁眼鏡と
決して取ろうとしないマスクの中の素顔を見たことがない人物、
それが横森さんだった。印象としては、貧相なオタクじいさんである。
 
SV仲間の飲み会に、彼は高梨さんと連れだって参加した。
マスクを外すと、意外なほどのイケメンである。
オタクイメージは一気に消し飛んだ。
 
しかし、われわれが職場の愚痴大会をしていても、横森さんだけは、
笑顔を絶やさず、ちびちびとつまみを食べながらビールを飲むだけで、
水を向けても、いや、僕は別に、と笑うだけであった。
 
たぶん、元サラリーマンではないのだろう。
しかし、どこで何をしていた人なのかは、よくわからなかった。
 確かなのは、高梨さんと以前、
東銀座の拠点で同じSV仕事をしていたということだけ。
ここ何年かは派遣で食いつないでいる人なのだろう。
 資産家が暇つぶしに働いているようには見えない。
高梨さんのような資産家は、さまざまなところに余裕感が出るが、
横森さんから感じ取れるのは、アウェイ感だけだ。
あなたがたはわたしと関係ない、というのがにじみ出ていた。
楽しそうに酒を飲む姿から察するに、われわれを嫌っているわけではないし、
なにか、世俗と関係ないところで生きているような、そんな雰囲気なのである。
 なんとなく、身に覚えがあるこの雰囲気の正体は、間もなくわかることになった。
 「彼はね、ミュージシャンなの。プロのベーシスト。」
 高梨さんが、こともなげに言った。
 「僕は、見たことないんだけど、結構有名なロックの人らしいよ。」
 
わたしの周囲には、昔からミュージシャンが多い。
私自身が若いころ、インディーズ系のレーベルに所属していたからだ。
才能のないわたしは、まったく売れることはなかったが、
マニアックな話が通じる仲間はできたし、長い付き合いの人間もいた。
 
横森さんも、そういわれてみれば、確かにミュージシャン臭い。
少し、わたしとは毛色が違う音楽をやっているような感じなので、
ロック・ミュージシャンといっても、あまりわたしがやったことがない類のものだろう。
そのあたりは、同類だからこそわかる面もあるのだ。
 それしか情報を得られなかったわたしは、少しググってみた。
 横森さんは、予想とそれほど違わず、インディーズ系の人だった。
音楽だけで食べていける人は、おそらく、
あんなにびっしりとフルタイムで派遣仕事などしないだろう。
 
彼の全盛期は、おそらく1990年代、インディーズといっても、
あまり聞いたことのないロックレーベルであった。
しかし、アングラではあっても、一時代を築いたといえるバンドに所属していた。
 
遠山昭夫とバブルトーンズは、当時流行ったガレージパンクのバンドである。
横森さんは、オリジナルメンバーのベーシストとあった。
 そのほか、自分のバンドを持っていたようだ。グラムロックのバンドである。
1970年代に流行ったハードロック。
さえないずり落ち眼鏡の貧相なSVの横森さんからは想像もできない。

 わたしはインターネットで横森さんの足跡を、過去に向かって辿っていった。
一般人と違って、こうした芸能関係者というのは、
一時期知名度が出れば、比較的ネット検索で情報を得るのは容易である。
 
そして、若き日、1980年前後と思われる、横森さんの写真を発見した。
ネットに残されていたのは、わずか1枚。バンド名もわからず、場所もわからない。
どこか、場末のライブハウスに見える。
しかも全員化粧をしていて、誰が誰だかわからない。

 しかしである。どれが横森さんかわかるのだ。あのワンレンである。
大昔から、横森さんはワンレンだった。
今のごま塩頭と違い、髪の毛はモノクロ写真で真っ白。
カラーだったら何色なのだろう。ピンクだろうか。
イケメンぶりもどことなく面影がある。
 
仲良くなった同志、有明仕事を抜けることに決めた数人の
SVの中に横森さんの姿はなかった。
まだ、しばらくの間、居残って働くのだという。
 
「わたしは、もう、少しだけ。」と言葉すくなに語って、
飲み会にもあまり参加しなくなり、最後のお別れ会にも顔を出さなかった。

 結局、ミュージシャンとしての横森さんから、
貴重な体験談を聞く機会は逃してしまった。
 
有明を去って数か月後。高梨さんからラインで連絡が入った。
 「横森は、とうとうブレークしたよ。
西山圭吾主演の舞台で劇伴の音楽監督に抜擢されて、ツアーに出るそうだ。」

 西山圭吾といえば、だれでも知っている芸能人、
俳優である。渋谷パルコ劇場を皮切りに、長い全国ツアーに出る。
ネット上の大きなニュースにもなっていた。
横森さんの顔はどこにも見当たらないが、キャストとスタッフ両方に名前が載っていた。
 
音楽監督 横森秀則、ベーシスト役 横森秀則。
 「あいつ、64歳で粘り勝ちした。
やっと花開いた。本当によくやった、俺も嬉しい。」
 長く派遣仲間で親友でもある高梨さんは、手放しに喜んでいた。
 
横森さんは、派遣仕事を辞めた。
しかし、ツアーが終われば、またどこかの現場に戻るかもしれない。
それでも、一向に構わない。
 
大好きなグラムロックは黄昏ても、横森さんは決して黄昏ない。

 ミュージシャンというのは、そういうものなのだ。

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