8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.289


OSHIGOTO短編小説 豪傑の末路




 根古山さんは、横浜の大地主の家庭出身だった。
もともとは農家である。

しかし、場所が横浜とあっては、農地のままというわけにはいかない。
祖父の代に、かなりの部分をディベロッパーに売却し、巨万の財産があったらしい。

相続税で持っていかれるまえに、根古山家は、さまざまな事業に手をだした。
なかでも筆頭は、船舶関係だ。
 父がヨットの愛好家であったことから、根古山さんも子供のころからヨットに親しむ海の男で、
父から継いだ船舶リース業の跡を継いだ。

もちろん、たっぷりとある農地も活用し、表向きは兼業農家である。
 しかし、彼はそれだけでは飽き足りなかった。
お坊ちゃま大学といわれるG大学を卒業した彼は、
もともと横浜の名家としてかかわりのあった政界とのパイプをさらに作るべく、
官界とのコネを利用し、地方自治連合会に就職、
関係の深かった与党事務局との連絡調整役を任されるようになった。
 
根古山さんは、185センチ、100キロの立派な体格と、
大きな財力を感じさせるに余りある豪快で奔放な人柄をぞんぶんにアピールし、
周囲を圧倒しながら職場でにらみをきかせていた。通称は、ネコさんだ。
 
ただし、である。部下をこき使い、つぶすことで有名だった。
 なにしろ、熱心に仕事をすることが目的ではない。
知識、頭脳はひときわ抜きんでていたが、実際に動くことはない。
そんなことは彼の身分とプライドが許さない。
 次々と入ってくる下っ端を使えばいい。
まだ30代でヒラのころから、ネコさんはそういうモラルを貫き通した。
そして、なぜか上役も何も言わなかった。

 わたしは、運悪く、就職して間もなく、彼に使われる身となった。
 当時の課長は、マエちゃんで、しばしばわたしに助け舟をだしてくれた。
彼がいなかったら、わたしはつぶされて、すぐに辞めていただろう。

 しかし、ネコさんに部下として気に入られたら、
しばしば豪勢な酒の席に案内してもらえた。
もちろん、経費を使った接待の席である。
 
20代だったわたしもしばしば、立って5万、
座って10万といわれた赤坂のクラブで酒を飲まされた。
決して楽しかったわけではない。
こんなことをするくらいなら、中野の居酒屋で一人飲みしたほうが気分がいい。

 こうした席で、ネコさんは本当に楽しそうであった。
酒豪を自負する彼は、まったく遠慮することなく、
大盤振る舞いで飲み食いし、水商売の美女を相手に鼻の下を伸ばすのが常であった。

 頭の回転の速い彼は、自分以外の人間を全員バカにしていた。
 どんなにおだてられても上役は承知の上だっただろう。
内心、彼を好いている人はいなかったはずである。
しかし、ネコさんはそんなことはどこ吹く風であった。

なにしろ、いつ辞めても困らない。
地方自治連合会事務局の仕事など、彼にとっては、
少し利用価値のあるコネの一つに過ぎないのだ。
働かなくてもいくらでも贅沢な暮らしができることを常に匂わせていた。

 与党事務局との付き合いは、非常に力を入れていた。
入りびたりになり、議員秘書に渡りをつけるために、
一時期はほとんど職場にいなかった。
しかし、それは地方自治連合会にとってもメリットがある。
知恵が回るネコさんは、そのあたりもしっかり押さえていた。
 
平日は、コネづくりをし、その分け前を組織にも与え、
夜は接待費をフルに使って赤坂で遊びまわっていたのだ。
 そして、週末は趣味のクルーザーとヨット三昧。
しかも、実益も兼ねていた。
農家はすべて人任せ、そのほかの不動産収入も税理士任せであった。

そんな彼の周りには、似たような人間が集まっていた。
そして、臆面もなく、組織の経費を好きなように使っていた。
 赤坂のクラブのママたちからも一目置かれていたようである。
いつでも、大歓迎ムードで、一事務局員とはとても思えない、
まるで議員並みの扱いであった。
 
そして、そうした仕事のスタイルを、上が咎めがあるなどということはなかった。
組織にとって利用価値があれば、多少のことには目をつぶる。
そういう時代でもあったのだろう。
 
しかし、そんな立場が永遠に続くわけでもない。
管理職となり、時代も移り変わり、やがて彼の評価は下がっていった。
人をうまく使えないからである。
新人つぶし、部下つぶしの根古山という汚名はそうそう簡単に拭えるものではない。

時代が変われば、単に疎まれるだけの人になりかねない。
 それでも、彼の得意分野である各方面とのパイプ役を務める連絡調整部の部長職に抜擢され、
意気揚々としていたネコさんがとうとう失脚したきっかけは、
仕事上のことではなかった。
 
具体的なことはわからないが、そのころ彼は、実業のほうが行き詰まり、
金に困っていたらしい。そして、各方面からの借金がかさんで、
マエちゃんなど、すでに退職していた何人かのOBからも金を借りていた。
 
そして、とうとう返済できなくなり、だまし取られたと判断したマエちゃんが
差し押さえに動いたことですべてが明るみにでたのである。

信用をなくした彼は、これまで、私的な動機から
どれほどの経費を流用してきたかも追及されることとなった。

結局、ネコさんは、解雇はされなかった。
停職も降格もない。

しかし、信用を失った彼は、必要経費が最低限の閑職に飛ばされたのである。
そして、そこであっけなく、職業人生を終えた。
家業がどうなったのか、それは知る由もなかった。
 
現役時代、年に一回開催されるOB会に、ネコさんは欠かさず出席し、
人脈をつなぎとめることを怠らず、またそれを心から楽しんでいた。
 
事務局のOBのみならず、現役の高級官僚、OB、ときには政治家も顔を出すパーティである。
それこそが、彼の職場にいる理由のひとつであった。
退職してからも、ネコさんなら意気揚々と毎回来るはずであったが、
とうとう、彼は一回も来なかった。

 退職と同時に、彼は消えた。

名簿に名前だけを残して、完全に消え去ったのだった。

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