8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.288


OSHIGOTO短編小説 苦節の人




 昭和16年生まれ、焼け野原で生まれ育った前川さんは、
東京大空襲のあった昭和20年、かろうじて生き延びた。
 
父親は今の新宿区の開業医である。
戦前からある、新宿の労務者、やくざ相手にヒロポンを処方していたような、
どこか怪しげな外科医であったようだ。
 
そんな父を見て、若き日の前川さんは、
自分は絶対に医師にはならない、父親の跡は継がないと決心したのだという。
 あの医院は儲かりもしなかった、と回顧する前川さんのモットーは、
それ以来、適当に勤めて、適当に遊ぶ、あとは適当に
おちゃらけた付き合いだけで乗り切る、といったたぐいの、
典型的なノンポリであった。

 背が高く、瘦せていて、分厚い銀縁眼鏡をかけ、
一張羅の茶色のスーツに安い革靴。
笑っているようで目が笑わない前川さんの口癖は、どうでもいいんだよ、であった。

 前川さんは、同僚から親しみを込めて、マエちゃんと呼ばれていた。
 M大学を卒業したマエちゃんは、適当に、国の外郭団体である地方自治連合会に就職した。
そして、スイスイスーダラダッタと9時5時のサラリーマン生活を送っていった。
 
住まいは、巣鴨の安アパートで、職場結婚した奥さんの実家が経営していた。
家賃無料で済んでいたので、奥さんの実家に住んでいたのと同じである。
いわゆる、マスオさんだ。
 5時に終業すると、マエちゃんはパチンコに行く。
そして、2時間ほど球を打つと、妻子の待つアパートへ帰る。
彼は酒を飲まない。仕事の付き合いがあるとやむなく参加するが、
ひたすら上司に酌をする役に徹していた。昭和のサラリーマンのお勤めの一環、
上役のご機嫌取りに徹する酒の席でも、彼は卑屈になることなく、
こんなこと本当はどうでもいいんだよ、
と部下に笑い飛ばしながら酒を注いで回っていたものだ。

 マエちゃんに始めて出会ったのは、1984年、わたしが就職したときで、
最初の直属の上司であった。新人のわたしより20歳年上で、
当時42歳だったはずだ。課長である。
 
課長といっても、中間管理職の悲哀たっぷりな職場である。
実力は十二分にあるが、上からは常に叱咤され、
身勝手な部下の行動に振り回される。そんな毎日を送るマエちゃんは、
人格者でありながら、それが報われない、
典型的な日本の組織の犠牲者に思えた。
 
しかし、彼は、そんなことでへこたれる人ではなかった。
んなこたあ、別にいいんだよ、適当で、とへらへらすることを忘れない。
 上には、ヘコヘコ、作り笑顔を絶やさずに軽蔑し、目をかけた下の者を心底心配し、
面倒をみてくれる、そんな態度を崩さなかった。
 
マエちゃんとはしばらく離れることになったわたしが、久々に一緒になったのは、
それから10年後、別部署で部長となっていた彼の部下になったときである。
 マエちゃんは、とんとん拍子に出世していた。
課長から部長になる中間地点の副部長、
部長代理を1年たらずで通り越し、一足飛びに部長である。

 しかし、それは、媚びへつらって上に目をかけられたとかいうのではなく、
たまたますぐ上の人間が辞めてしまったための、人事配置の都合によるものだった。
彼は、ずいぶんと苦労をしたが、やっと運が向いてきたという感じであった。
 
「ようよう、最近のパチンコは当たるとでかい。確変っていうのがあってな。」
 マエちゃんは、趣味のパチンコ話になると、熱がこもった。
パチンコ必勝法雑誌に出ているオカルト的な記事も鵜呑みにした。
そして、リーチ目がきたらたたくと当たるとかいった類のむちゃくちゃな話を得意げに語った。

そんなときのマエちゃんは、本当に生き生きと楽しそうであった。
自分が部長になったことなど、まったく気に留める様子すらなかったのである。
 そんな、パチンコ三昧な日々が過ぎ、とうとう退職の日がやってきた。
 「おまえ、上にいじめられるなよ。何があっても気にしないでな。たかが職場だ。気楽に気楽に。」
 
昔と寸分違わない笑顔をたたえたマエちゃんは、
わたしにそう言い残して職場を去ったのである。
 それから数年して、1年に一回は再会していたマエちゃんが、
奇妙なことを言い出した。

「根古山のやつが、金を返さないで困っている。
なんとかならないか。どうしたらいいか教えてくれないか。」
 本当に困った顔をした前川さんを初めて見たわたしは、いささか面食らった。
それにしても、根古山が金を返さないとはいったいどうしたことだろう。
 
根古山というのは、前川さんの8年ほど後輩の同僚である。
彼は、横浜の地主家系で大金持ちのはずだった。
それが、マエちゃんから400万の借り入れをして、
いくら督促しても返そうとしないというのだ。
 
根古山さんは、どうやら、本職としての職員以外の副業だった船舶リース会社で
奔放経営でもしたのか、多額の借金を抱えていたらしい。
 「俺は、金持ちじゃないんだ。親の財産を相続したけれど、
那須の別荘地に負の遺産がたくさんあってな。
このご時世じゃ、売りたくても売れない。
多額の税金で毎年ごっそり持っていかれて、目も当てられないんだよ。」
 
マエちゃんも、かなり良い金額の老齢年金、親の土地家屋といった相続財産があり、
裕福なほうだと思っていたのだが、実際は経済的に四苦八苦していたのだ。
 
そんななけなしの貯蓄400万を、親しい後輩だからとポンと貸すマエちゃんは、
あまりにお人よしである。しかし、そこがマエちゃんらしい。
なにしろ、オカルトだと常識的にわかるパチンコ必勝法だの
競馬必勝法を頭から信じてしまう人物なのだ。
 
一方の根古山さんは、常に、俺に任せておけ、
心配ないという態度の威風堂々たる人物である。
たとえそれが見せかけであったとしても、マエちゃんにはそのままに見えたのだろう。
あまり理詰めで考えず、人を疑うことを避ける彼は、
自分の信念が大きく揺らぐ体験に戸惑いをかくせなかった。
 
オロオロするばかりのマエちゃんから詳しく事情を聴いた現実主義者のわたしは、
できるだけ簡素な助言をした。
そして、知り合いの弁護士に電話して、確認をとり、
マエちゃんに、わたしの言うとおりに動くよう指示した。
 
結果、金は無事に戻った。家庭裁判所の差し押さえ令状で、
根古山さんは、職場にまで踏み込まれ、返さざるを得なくなったばかりか、
職場で信用を失った。それはやむを得ないことであった。

 「ありがとな。無事金が戻って安心した。
だけどなあ、なにか大事なものを失った気がするよ。」
 それは、友達を失ったというだけではなくて、
たぶん、自分の信念が揺らいだことを指しているだろう。
 
さらに年月が経ち、退職して10年を経過したある日、
毎年恒例の食事会で同席したマエちゃんは、どこか体調が悪そうであった。
もともとやせ型で血色の良くなかったマエちゃんは、
すぐに息が切れるようで様子がおかしいのだ。
 病院に行くように勧めたのだが、マエちゃんは相変わらずだ。

 「ようよう、俺の歳を考えろよ。あちこちガタガタで、
体調悪いのなんて当たり前。元気なのがどうだったか、
忘れてしまったよ。もう、歳なんだよ。いいんだよ、別に適当に生きていればさ。」
 
それから、数か月後、マエちゃんは亡くなった。

慢性の肺疾患があったらしいと聞いた。
 いいんだよ、別に、そんなことは。適当に、

適当に生きていればいいんだよ。
 
苦節の人、マエちゃんは、最後まで変わらず、
初心を忘れなかったのかもしれない。

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