8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.285 |
OSHIGOTO短編小説 東雲編 その3 ミニマムマン 江東区豊洲は、再開発が進んでいた。 築地魚市場の豊洲移転に伴い、大規模開発が着々と進むにつれ、 地価はうなぎのぼりに上昇し、海が見えるタワーマンションが林立、 新たな億ション群となった。 豊洲地区の、東雲運河を挟んで対岸は、辰巳という。 辰巳もまた、再開発が進みつつあるが、2023年現在は、いまだ昭和が色濃く残る、 古びた都営住宅群に囲まれた地区である。 都営住宅には、入居応募に所得制限がある。 低所得者層が安定して暮らせる住宅を提供するのが公営住宅の目的だからだ。 そんな辰巳の都営住宅に暮らす男、松下さんと東雲のアルバイトで同僚になった。 わたしがバイトに就いた2022年、すでに、2期ほど勤めてベテランさんと呼ばれる 一群にいた彼とは、ほとんど話をする機会がなかった。 就業中に私語がかわせる仕事ではなかったし、帰宅時間も違っていた。 噂によると、彼は近くに住んでいるらしい。 だから、わたしは、豊洲タワマン住まいの資産家が 老後の暇つぶしに近所でアルバイトをしているのだろうと思っていた。 その翌年、1か月ほど復帰した際、 人のよさそうな松下さんは、ニコニコしながら話しかけてきた。 「久しぶりですね。お元気でしたか。以前はあまりお話もできなかったけども。」 相当まばらになった髪の毛を紫色に染めた松下さんは、 小さな目をしょぼしょぼさせながらも、なぜか嬉しそうだ。 女性ばかりの職場で、珍しく同年配のおっさんが入ってきたからだろう。 小柄な松下さんの仕事ぶりは安定していて、 数をこなすのは不得手でも確実で評判もよかった。 でなければ、厳しい村岡支社長が4期に渡って声をかけることはしないだろう。 松下さんに、今回は1か月ほどしかいられないことを伝えると 、それは残念だ、しかし、せっかく入ったのになぜ、と問われた。 次の仕事が千葉方面である見込みであり、東雲まで片道2時間かけてくるのは、 できれば次善の策にしておきたいと説明すると、 松下さんは、眼をしばしばさせながら、そりゃあ、偉い、本当に偉いねえ、としきりに感心する。 「そんな遠くから、本当に偉い。自分だったら、絶対にやらない。 近くだから来てるんで、遠かったら次善の策でも絶対にやらない。」 松下さんは、絶対に絶対にと何度も強調した。 給料がよければ、遠くてもいいだろうが、安いアルバイトではねえ、と 言っていた村岡さんと同じだが、松下さんの場合、 遠距離はどんな場合だろうがありえないといった風情なのだった。 そして、顔を合わせるたびに、あなたは偉い、を連発するようになった。 1か月があっという間に過ぎるころ、お別れに一杯どうか、 と松下さんに誘われたわたしは、夏真っ盛りの7月の夜、 豊洲駅前の居酒屋でビールをともにした。 同年配は、みな死んだ、という松下さん。 そんなまさかと返したが、本当だと言う。彼は68歳でわたしより5歳ほど年上だが、 昨今ではそれほど年寄りというほどの歳でもない。 しかし、わたしは、ちょうどそれくらいの歳の知り合いが、 同じセリフを言うのを最近聴いたばかりだった。そういう年回りなのかもしれなかった。 「僕はね、長崎県から出てきたの。高校出てすぐにね。」 また、長崎県だ。なんで長崎出身者とばかり出会うのか。不思議な偶然である。 「集団就職、ってやつ。で、市谷の印刷会社に入ったの。」 市ヶ谷にある印刷会社は、わたしにもなじみがある。 若いころ、編集室にいた時分に市ヶ谷に足しげく通ったのだ。 最大手の新日本印刷株式会社である。松下さんはそこにいたようだ。 「職工ですよ。印刷技術の。いろいろやりましたね。 安月給でしたけど、まあまあ。あんまりバリバリ仕事したくないから。 適当でいいんです、仕事なんて。残業が多くて、だんだん嫌になって、 結局10年ほどで辞めました。」 その後、印刷業界に留まらず、出版、製本など、書籍関係を渡り歩いた。 一時期、百科事典のセールスマンなどもしていたらしい。 「どれも長続きしません。仕事がそんなにいいものだとも思わないし。 いいんですよ、食っていければなんだって。」 松下さんは、焼き鳥をうまそうにほおばりながら、 なんだか、楽し気な様子でとくとくと語る。その表情に嘘はないように思えた。 とうとう、家族ももたず、身軽な独身で淡々と仕事をしながら、 安い家賃のアパートを渡り歩いたらしい。 「そもそもが、無趣味。テレビ見て飯食って、読書して寝る。 シンプルですよ、わたしの生活は。」 確かに、贅沢を言わない独身者なら、なにかがむしゃらに働かなくても、 ちゃんと普通に暮らしていける。そのはずである。 それはわかっているが、たいていの人には欲目がある。 他人によく思われたい、自分で自分を肯定したい、 そのためには地位も欲しい、将来が不安だから、家庭も持ちたい、 など、当たり前なようでいて、それはやはりある種の欲目である。 ましてや、車が欲しい、もっと豪華な家に住みたい、 など、欲目は言い出したらキリがない。 松下さんは、どうやら、その最初の一歩からして、 踏み込んだりしないままだったようだ。 「僕はね、とにかく、楽な人生を送りたい、と思っていたのね。 なにかしたい、というんじゃなくて、なにもしないから楽しい、っていう。 そういうの。仕事もキツいのはダメ。それじゃ、いやなことばかりになっちゃうじゃない。 そんなアクセク人生、いいものなのかねえ。」 松下さんのいうことはいちいちもっともである。 しかし、多くの人はなぜかそうならない。なぜかアクセク人生になってしまう。 いつの間に、なぜそうなってしまうのか。考えてみると不思議である。 「みんな金が欲しいんでしょ。金がないと、のんびり暮らせないと思ってるんじゃないかな。 それってホントだろうか。僕なんかチョンガーだから、別にそんなに金いらない。 それに、そんなに稼いだらまずいんだよね。所得制限があるからね、都営住宅って。」 松下さんが長年暮らしている都営住宅は、入居時の競争率が高い。 低所得者に住宅を安価に提供するという、公営住宅の理念から、 収入が一定レベル以上ある人は応募資格そのものがない。 しかし、それさえ満たせば、低廉で質素ながらも便利な都心暮らしができるのだ。 松下さんは、68歳で、年金受給者でもあり、所得制限内にするためには、 アルバイト週4くらいにしないとオーバーしてしまうようだ。 「だから、僕は楽したいからあまり働かないだけじゃなくて、 あまり働くとかえって困るんだよ。」松下さんは、ちびちびと焼酎をなめながら、楽しそうに笑った。 「いつ死んじゃうかわからないじゃない。 みんながみんな長生きするなんて保障はないんだし。 なら、いやなことはできるだけしないで、気楽にいったほうがいいじゃない。 だから、わざわざ遠くからお勤めにやってくるあなたなんかほんと偉いわ。 とてもじゃないが、僕にはできないよ。」 松下さんは、飲み会の最後をしめくくるように、わたしにプレゼントをくれた。 「短い間だったけど、ご苦労様でした。これはほんとに気持ちだけ。 ハンカチだからね。大したものじゃないけど。こういうことは大事にしたいのね、僕は。」 松下さんは、仕事で出会った後、離れていく人たちに、 いつもこうした心ばかりの贈り物をし、酒を酌み交わすことにしているらしい。 「一期一会っていうじゃない。また会えるとは限らない。 むしろ、たぶん、もう会うこともない。 そういう人たちにきちんとお礼を言って気持ちよく別れたい。 だからこういうことって大事だと思うんだ。」 逃げるが勝ち、そういう生き方もある。 「えらい人って一生懸命頑張って、勉強して働いて、 みんなのリーダーになってお金持ちになるんだろうけど、 いろんな人を巻き込むじゃない。いろんな意味で。 政治家なんかみてると、えらくなるために後ろ暗いこともするみたいだしね。 だけど、僕は、たいしたことはしないかわりに、誰にも迷惑かけたことないんだよね。」 そういえば、そうだ。 確かに、松下さんが誰かを不幸にしたりはしないだろう。 ちゃんと普通に働いて暮らしているんだから。 ただ、それが必要最低限なだけである。 東雲の驚くべきミニマムマン、 松下さんはすがすがしい笑顔でわたしを見送った。 |