8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.282 |
OSHIGOTO 短編小説 東銀座編3 堂々巡り 「みなさん、こんにちは。わたしは小野崎といいます。 本日から、この部屋のSVを務めさせていただきます。 声がでかい、体もでかい、靴がぼろい、いろいろございますが、 よく目立つので、すぐにわかるかと思います。」 東銀座SVのもう片方、石狩さんの相棒は、 43歳の働き盛り、小野崎さんである。 どこから見ても、これから試合を開始する直前の大学ラグビー部の顧問に見える。 時は2月、日本で最も寒い季節だが、部屋には暖房が入っているとはいえ、 半そでポロシャツ一枚、七分丈のカーゴパンツ、ボロボロのコンバットブーツ姿である。 どこが、オフィスカジュアルなのか。 180センチ、100キロはありそうな巨体で、服がどれもピチピチになっている。 最初の1週間は研修期間だ。ひとくさり、通り一遍のハウスルール説明のあと、 肝心の業務については、元請け会社によってあらかじめ撮影された説明動画を見るだけだ。 SVのふたりは、観ておいてね、と言うだけである。 それが終わると、小野崎さんは、今朝でくわした面白い顔の犬の話をはじめた。 もしくは、駅で見かけた面白いおばあちゃんの話とか。 そういった類の与太話をはじめるのだ。事務的なこと以外は口にしない、 寡黙なSVの石狩さんとは好対照である。 本人が実に楽しそうに話すので、なんとなく引き込まれる。 研修と研修の合間、自習時間が結構長い。 特に、システムが思ったように稼働しない、パソコンがトラブる、など、 あれだけの人数がいると、どうしても機械トラブルが発生する。 小野崎さんはそれを面白トークでカバーしようとした。 努力はわかるが、その話が面白いかどうかは別問題だ。 彼はしゃべりのプロではない。最初のインパクトはたちまち薄れた。 それを察知したのか、本番がはじまり、小部屋に移ってからの小野崎さんは、 延々と続く、自己紹介をはじめたのだ。 それによると、彼は、長崎県の出身である。両親は古くからの地主、 地元の名士であり、ゴルフ場の経営をしていた。弟がひとりいる。 長男の彼は、両親のゴルフ場経営を引き継ぐべく、上京して大学へ通い、 経営学の勉強をした。お坊ちゃま大学と揶揄される、青山にある有名大学であった。 無事、経営学学士となった小野崎さんは、実家には帰らず、東京で就職した。 そして、間もなく結婚し、所帯を持って商社マンとして活躍する。 順風満帆の出だしで、とんとん拍子に出世し、子宝にも恵まれ、幸運な人生を生きていた。 しかし、10年を経て、父が亡くなった。そして、途中退社し、 帰省した彼を待ち受けていたのは、奔放経営で破産寸前のゴルフ場であった。 一念発起した彼は、経営の立て直しに着手した。ここまでがエピソード1だとすれば、 会社再建奮闘物語のエピソード2へと続いた。 従業員とその家族の生活を守るため、誰も解雇することなく、 経営再建をしなくてはならない。 親戚縁者や、昔からのなじみに無料で利用させていた各種サービスを見直し、 有料化に伴って、顧客ひとりひとりに頭を下げて歩いた。 親父が泣くぞ、そんなことでどうする、おまえのところはただだから使ってやっていると、 無料が当然とばかりに大きな顔をする馬鹿野郎でも顧客は顧客である。 毎日眠れない日が続いたという。 経費節減、時期限定の無料キャンペーン、ポイント付与によるサービスなど、 それまで親戚縁者頼りの素人経営のため、一度もやってこなかった現代的な経営を一から考えて、 ひとつひとつ実行し、資金繰り困難、借金苦など、 いつ倒産してもおかしくない状態から10年がかりで努力を積み重ねていったという。 そして、話はさらに新たな困難に直面するエピソード3へ続く。 数年がかりの経営再建計画が功を奏してゴルフ場は持ち直した。 なんとか、一国一城の主、大規模ゴルフ場の経営者として経営再建責務を全うした 。しかし、今度は、徐々に病魔が彼を蝕んだ。苦労に次ぐ苦労が祟って、 重いうつ病で苦しんだ彼は、入退院を繰り返したという。 そして、とうとう、仕事に復帰することが困難となった彼は、 弟にすべての財産と経営権を譲り、故郷を捨てて、東京へ単身で向かうのであった。 休憩や退勤間際、もしくは朝礼後、システムの稼働待ちなどの間に語られる身の上話は、 短い時間でブツギリ状態なためか、ここまででも相当の回数を重ねている。 このあたりで、なにか、語る理由が必要と思ったのだろうか。 「金持ちのボンボンが、なぜ、こんな派遣現場で働いているのか、 疑問に思われる方もいるかもしれませんが、そういうわけなんです。」 聞き手への配慮であるのか、身の上話の合間合間に、 なにか釈然としないコメントのようなものを挟むようになっていった。 単に、育ち自慢であるのか、資産家であるという自慢であるのか、 それとも、そう思われないための言い訳であるのか判然としない。 おそらくそのすべてであるのだろう。 小野崎さんの「自己紹介」は、さらに次のエピソード4へと進んだ。 久々の東京勤めで、就職した先は、中堅ディベロッパーで、経験を活かし、 すぐさま経営部長に抜擢された。しかし、この仕事が思うようにいかなかった。 長崎と東京では、たとえ中小企業といえども、扱う物件の経済的規模が違う。 悪戦苦闘する彼を、再び困難が襲った。 故郷に残してきた妻子に離婚を申し出られたのだ。 独身を通していた彼の弟と結婚したいのだという。 すべてを捨てて、東京に出てきたものの、仕事もうまくいかず、 彼は妻の要求をのむことにした。経済的に家族をささえることを弟に託したのだという。 「そういうわけで、自分は、なにをやってもうまくいきませんでした 。今は、フリー。独身に戻り、会社も辞め、流転の人生を生きております。」 結局、会社を辞めては次の就職先を探し、合間合間にアルバイトや派遣で食いつなぎながら 、渋谷にあるワンルームでウーバーイーツで腹をしのぐ生活を繰り返しているという。 「今のSV仕事みたいに、高時給でも、自分は毎月10万円、 元妻に養育費を送金しています。だから、そんなにゆとりなんかない。 どこまで働いても堂々巡り。いつまでたっても報われない。 でも、ひとつだけいいのは、独身で自由だってことです。」 エピソード5は現在の小野崎さんストーリーであるなら 、とりあえずはおしまいというところだろうか。 それにしても、小野崎さんの嬉々とした話ぶりには、 しょげた様子も反省している様子も悲しんでいる様子もなにも見られないのだ。 まるで、テレビのショーで面白半分に波乱万丈の物語を語る芸人さながらである。 話す時間が過ぎると、そそくさと事務的な口調に戻り、 帰り支度をしなさいだのパソコンをシャットダウンしなさいだので あとはニコニコ笑顔のSVに戻る。このあたりも、いかにも芸人臭い。 芸が終わったら人が変わったように仏頂面で楽屋に戻る芸人は多い。 小野崎さんは、次のステップに進んだ。 なんと、わたしが好きな人はいるか、とアンケートを始めたのである。 これには、さすがに、毎日彼の身の上話を聞き続けた50人も疑問に思わざるを得なくなった。 そして、予想どおり、自分は紹介したとおり、今は独身で自由の身だ、 だれか付き合ってくれる女性はいないか、結婚を考えてもいい、と、 派遣現場をお見合いパブに見立てだしたのである。 ここまでくると、疑問を通り越し、令和時代に大流行の、 コンプライアンス云々をも通り越して、ぽかんとしてしまう。 見た感じがスポーツマンで明るいので、即不愉快だ、とはならなくても、 何度も毎日繰り返される「自分を好きか」「誰か付き合ってくれないか」 アピールには誰もが辟易としだした。当然のことである。 そして、こともあろうに、就業時間中も、彼は数人の女性を口説きだした。 声がでかいので、みなに聴こえるレベルである。さらに、休憩時間になると、 数人の女性が彼を取り囲むようになった。 ニコニコ顔の小野崎さんは、満足そのもので、ますます笑い声も大きく響き渡る。 これでは、作戦が功を奏したといえば、聞こえはいいが、 快く思わない人間もたくさんいるだろう。ほとんどのオペレーターは、黙々と、 PC画面に向かい、ひたすら、書類審査に没頭しているのだ。 そして、とうとう、ある日、年配のオペレーター女性のひとりがキレたのである。 「あんた、うるさい。わたしたちは、あんたの身の上話を聴きに来てるんじゃない。」 たった、一言でも、その声は部屋中に轟いた。 どんな苦労をしたか知らない、どんなに孤独でつらいか知らないが、 そんなことはわれわれの知ったことじゃない。 まさにこれは部屋にいた50人のほぼ総意だろう。 さすがの小野崎さんも、「申し訳ありませんでした。」と小声で謝罪したあと、 しょげかえったように黙ったものだ。 そのときは、誰も反応しなかったが、このとき小野崎さんに喝を入れたオペさんは、 皆の称賛を浴びた。当然のことである。 その後、残念ながらというべきか、思った通りというべきか、 小野崎さんは懲りなかった。 もともと、体調不良とやらで、あれやこれやと病名を並べ立てては頻繁に休んでいたが、 ますます休むようになり、身の上話こそ収まったものの、 自分とつりあいそうな女性と仲良くなろうと頻繁に話すのを止めなかった。 多少、小声になっただけである。 寡黙な石狩SVと時期を同じくして、東銀座を離れたわたしは、 小野崎さんがその後どうなったのか知らない。 石狩さんに訊いても、やはり小野崎さんの現在はつかめなかった。 また、どこかの現場で、延々と自己紹介をし、 付き合ってくれる女性を募集中なのだろうか。 彼の人生は、本当に出口がなさげにみえる。 どこまでいっても堂々巡り。 もしそうであったとしても、それもまた一興、それもまた人生である。 |