8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.280

OSHIGOTO 短編小説 口八丁



「おはようございます。席はここですかね。」
「おー、そうだそうだ、合ってますよ。わたしの番号のとなりだから、大丈夫。」
「はじめまして。お仲間ですね。派遣が初めてなんですけど。」
「おー、わたしはね、もう長年派遣やってます。」
「こういうのって、よくあるんですかね。それに次があるのかどうか不安です。」
「あるある。よくあるよ。で、期間が終わりそうになったら、
その前に似たような案件に応募しまくって、抜けるんだよ。」
「慣れていらっしゃるようだから、ぜひ、その際はわたしにも教えてくれませんか。」
「いいですよ、もちろんだ。よくあるんです。
期限満了前にごそーっといなくなるの。別に現場にいくと、あれ?また会っちゃったね!なーんてさ。」
「へえー、時代劇に出てくる、人足、ってやつみたいだね。」
「そうだよ、そんなもの。いろんな人がいるんだよ、こういうところって。まさに坩堝だよね。ルツボ。」
「ルツボかあ。よろしくお願いします。」

そのおやじは、わたしと同じくらいか、ちょっと上くらいという感じで、
全身黒づくめの、よくとおる声でよくしゃべる男だった。
黒づくめ、といっても、洋服の上下が黒いだけではない。
髪の毛も真っ黒、靴も黒なら、手首や右手薬指に巨大な黒いアクセサリーをつけていた。
ここまで徹底していると、なにやら不気味である。
しかし、慣れない派遣仕事で最初に出会った親切な男だ。
われわれはなんとなくすぐに仲良くなった。

「そろそろ、1週間か。だいぶ慣れましたよね。」
「これくらいなら、ぜんぜん。ところで以前はどちらに?」
「わたしはね、もともとは電博に長くいたんですよ。」
「そりゃすごい。大手企業じゃないですか。」
「そちらは?」
「わたしは、団体職員で、いろいろなことをしました。永田町にいたんです。」
過去の話をしてみても、現在置かれた状況の話をしてみても、
まあまあ、同世代は似たようなものだ。
しかし、この男、なじんでくるととてつもなく、よくしゃべる男だとわかってきた。
ちょっと一言で済みそうな話でも、尾ひれがついて、とても長くなる。
おまけに、人生訓みたいなものとか処世訓みたいなものが必ずくっついてくるようになった。

「やはりね、情にさおさせば流されるってこと。そうでしょ。人生ってそういうものなんだよ。」
なにか、深みがあるわけでも、なるほど、と納得するような説得力があるわけでもない。
なにか、昭和のおばあちゃんの余計なひとこと、みたいな、そんな程度の人生訓なのだ。
よほど、人が好きか、よほど話すことに飢えてるのか、単におしゃべりが止まらない体質なのか。

絶えず誰かと話しているうえに、よくとおる声なので、どうしても耳に入ってくる。
それに、いつもSVと内緒話をしてもいる。 どうやら、あちこちから情報を仕入れては、
それを受け売りしていて歩いているようなのだ。
派遣現場の井戸端おばちゃんをひとりで兼ねているようなものだ。
このむかしむかしのタバコ屋のばあちゃんみたいな、黒づくめの広告マン、
財津さんという。財津さんは、そのしゃべりの多さだけでなく、
あれやこれやとハウスルールが厳しい現場でもできるだけ自由に過ごそうと努力を
惜しまないタイプの人だった。

そのために、特にダメと言われたこと以外は、なんでもトライする確信犯なのだろう。
全部、回収し、内容までチェックするといわれるまで、
渡されたノートはなにやら凝ったイラストの落書きだらけであったし、
休憩時間に入る前は、SVに「そろそろ休憩時間ですよ」と伝えに行く。
そして、休憩時も退勤時も、誰よりも早くドアの前でIDカードをかざし、
誰よりも早くエレベーターに乗ろうと最大限の努力をしていた。
そのために、常にSVに話しかけ、自分のペースに誘導しようと躍起になっているように見えた。

まさに、相手を説得し、場を自分のものにするためには、
あらゆる言説を使う口八丁。それが財津さんであった。
こういう人というのは、役所関係時代のわたしの周囲にはおらず、
そういう意味で、財津さんはわたしにとっては、初めて接する、ある種の珍獣のような存在だった。
自己紹介で積極的に訴えてきたように、彼は、有名な最大手の広告会社、電博堂の元社員だった。
電博堂は、銀座に自社ビルがあったはずである。
「そうですよ、わたしもいました。このすぐ近くですよ。でも、今はないんです。
すでに品川に新しいビルが建設されてそちらに本社は移転しましてね。」

財津さんは、この辺りに長年通っていたわけだ。
この近辺を隅々まで知っているに違いない。
「ランチでしょ。ここで一番うまいのは、少し晴海よりに歩いた築地にある老舗の和食屋です。
今はランチやっていないかも。コロナであちこちが開店休業状態ですからね。」

電博堂でどんな仕事をしていたか、役職はなんであったか、
どんな思いで働いていたか、といったことは一切話をしなかった。
自社ビルが銀座だったので、銀座の話に終始した。それが、話したくないからなのか、
そんな話はわたしが聴きたいなどと思ってはいないだろうと考えているのかはわからなかった。
財津さんは、奥さん手作りの弁当持参で来ているらしい。
ロッカーのあるセクションに透明なビニールシートの仕切りで設けられた休憩スペースで、
黙食するとのことであった。
「わたしだって、派遣仕事しているんで、余裕ないですよ。

この付近の高いランチタイムを食べるわけにはいかない。
お弁当、いかがですか。奥さんに作ってもらえば。
それともなかなか作ってもらえないのかな。」
財津さんは、他人との境目を軽々と超えるのが好きなようだった。
それは、わたしも同様なのでよくわかる。しかし、わたしには彼ほどの図々しさはない。

財津さんは、作業時間中も、まったく周囲を気にせず、
わたしに話しかけてきた。もちろん、私以外にもだ。
「こういう仕事ってね、政府の請負でしょ。よくあるんだけど、
コロナで一気に増えたんだよね。このフロアには、250人くらいいるでしょ、
だけど、他のフロアにも同じ仕事をしている連中がたくさんいるんだよ。
この下同じくらい。10階にも同じくらい。だから、朝の入り口はあんなに混んでいる。
交通整理が必要なくらいね。玄関前やエレベーター前で
交通整理しているのは、SVの連中。あれも仕事のうちなんですよね。」

彼は、わたしと同じように来たばかりのはずだ。
それなのに、1日かそこらでやたらと詳しくなっていた。
「このフロアには、部屋ごとに仕切っているSVが2人づつ、4人いるんだ。
この部屋のSVは、石狩さんと小野崎さん。あの若い、ポロシャツのほうが小野崎さんで、
年配の色白の人が石狩さんだよ。ふたりとも少し前からここにいるそうだ。」

財津さんは、すごいスピードで状況を把握していった。壁に耳あり、ではなくて、壁に財津ありである。
パソコン画面の操作についても、
財津さんはなにくれと自説を曲げなかった。
「この画面遷移は、いまいち効率が悪い。このチェックシートを開けるときも、
照合するスキャン画面とうまく見やすくなるように、調整すべきだよ。
自分でやってみたから、あなたにも教えてあげますよ。
あと、なかなか次の審査がとれないときは、ここをこう、こうやって、シフト押しっぱなしにして。」

彼は、わたしのほうに身を乗り出してきて、わたしのキーボードを自分でいじり始めた。
で、結果、うまくいかない。そんなことをしたらますます悪くなるようなことも
訳知り顔でやってみようとする。正直、いい迷惑であるが、そんな他人の思惑など全くおかまいなしなのだ。

財津さんは、電博堂をかなり前に辞めたようだった。早期退職組らしい。
65歳になる彼が、派遣仕事をもう、10年以上やっているというので、
50代前半で広告マンを辞めた計算になる。それがどのような事情によるものなのか、
それは語らなかった。なんでもかんでも話をしそうに見えるのだが、
たかが1か月ほどの付き合いでは語らない、そんななにか事情があったのかもしれない。
「いろいろやったよ、派遣。こういう大規模事務センターは、おっさんでも採ってくれるからさ。
ちょくちょくやっているよ。あとは、倉庫で作業とか、仕分け、ピッキング。
あれも、おっさんばっかりだから。あとは、コールセンター、
あまりやりたがらないけど、僕は4年くらいやったんだよ。」
おっさん、おっさんというけれど、彼もわたしも、見方によってはもうおじいさんの歳である。
派遣募集でよく見かける、「シニア歓迎」、「60代以上応募可」という世代のはずだ。

わたしは、掃除、警備あたりがなんとか採用してもらえる職種だと思っていたのだが、
それ以外でもいろいろあるのだ、ということを財津さんを通して初めて知った。
なにしろ、彼は目の前にいる、生きた証人のようなものだ。
日を追うにつれて、財津さんはSVの一員のように振る舞うようになった。
SVとオペレーターに上下関係はない。お互い派遣社員の立場で、時給で働く臨時雇いだ。

しかし、全体をとりまとめるSVと作業員のオペレーターには、
時給で倍近くの差があり、勝手に入れ替わったりすることはできない。
しかし、財津さんはそれすら気にしなかった。
どうやら、彼はSVふたりとたまたまお同じく、喫煙者だったのだ。

しかも、休憩時間には、わざわざビルを出て、
しばらく歩いた公園までいかなくてはならない。
SVふたりと財津さんは、休憩時間になると3人そろって、
いそいそと出かけて行った。そこで、親しくなり、さらには、誰にでも遠慮なく話しかけ、
それとなく、職場の中での噂話、情報を仕入れては、
それをSVと共有することで急速に距離を縮めていっているのではないか。わたしにはそう思えた。
「どうやら、この現場は4か月で終わり。その先の継続はないらしい。」
「品川にも同じ仕事の別拠点があるのだが、
そこは、データセンターになって、もうすぐ閉鎖されるらしい。」
「同じフロアの大部屋のほうでは、SVが堅苦しい人で、
ブラックリストをつけている。それで、まとめて100人も1か月で契約更新打ち切りでクビらしい。」

彼の情報は、SVより速く、しかもかなり正確であったようだ。
これには、SV連中も一目置かざるを得ない。
こうして、財津さんは、オペレーターなのにいつも、
一段上にいる、なんだか偉そうな存在になっていった。
しかし、わたしは、そんな、でしゃばりで傍若無人、
厚かましくて話が長い財津さんがだんだん鬱陶しくなってきた。

わたしがむっつりしていると、人の気持ちに敏感な彼は、
別の席に獲物を見つけ出しておしゃべりの標的にしだしたのだ。
それも見ていてますます鬱陶しい。わたしは彼をしばらく無視することにした。

やがて、1か月が過ぎ、わたしはたまたま見つけた次の仕事に採用になって、
別の現場に移ることにした。 1か月契約なので、更新をせず、2か月で終了にしたのだ。
しばらくぶりで、財津さんがわたしに話しかけてきた。
「ずいぶんおつかれみたいだね。水曜日休みにしたら?そのほうが疲れが少ないよ。」
わたしは、もうここを離れて、家に近いところに行くことを伝えた。
「えーっ、そうなんだ。でもそのほうがいいよ。よかったじゃないですか。頑張ってください。」と
いって、握手をした。

なんだか、このおしゃべりめ、と嫌っていた自分が馬鹿らしくなり、
同じような境遇でなんとかやりくりしている仲間からかけられた励ましの言葉にちょっと感動した。
「そうですね。お互いに。」
あっという間、でも、結構濃密な、
デンパクオヤジのすぐ近くの席で過ごした2か月は過ぎ去っていった。
財津さんは、その後どうしているのだろう。再会はかなわないままだ。
その後、ばったり会って、「あれっ?どうしたの?また会っちゃったよ。」
なんて話をしたら面白いだろうなと思う。財津さんがいうとおり、派遣はるつぼなのだ。

さまざまな人生の交差点。
60も過ぎて新しく出会っては別れていく晩年の交差点なのだった。

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