8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.28 |
蓄音機声の怪人 ― レオン・レッドボーン こんばんは、胡散臭さだけは中尾彬に負けていない頑固8鉄です。 さて、みなさんは、レオン・レッドボーンをご存知ですか? 今回は、ちょっとロック音楽以降のお話ではなく、現代の音楽家のお話。 しかし、彼は、実は、100年前の世界からタイムマシンでやってきた、謎の人物。 そして、そんな彼の音楽は、まさに、ロック時代以前の、旧いアメリカ音楽百科事典、といえます。 サングラス、口髭、パナマ帽、古めかしいスーツ、ボウタイ姿の田舎紳士。 大昔の戦前コメディアン、グルーチョ・マルクスのような出で立ちの怪人。 生声自体が蓄音機からきこえるビング・クロスビーのような、深いバスバリトンの声。 そんなおじさんが、ギブソンの旧いアコースティック・ギターを弾きながら、戦前の旧い唄をのんびりと唄うのです。 彼こそが、「知る人ぞ知る、アメリカで一番ヘンなおじさん」、「世界一無名な有名音楽家」、レオン・レッドボーン。 レッドボーンは、1970年代に、まるでタイムマシンに乗って過去からやってきたかのように、どこからともなく現れて、大昔のアメリカ民謡「ポリー・ワリー・ドゥードゥル」を唄ったときから、すでに伝説になっていました。そして、そのまま、時が止まっているかのように、演奏スタイル、声、バックバンドの演奏、選曲、何もかも不変のまま、30年以上が経過しています。 昔も今も、レッドボーンのレコードやステージは、どっかの安酒場で、おかしな酔っぱらいのおじさんが楽器いじりながら、良い気分になって鼻唄を唄っているとしか思えないノリなのですが、これがたまらなく心地よい。 そのまったく、やる気を感じさせない唄と、一見デタラメに見えるギター・テクニックは、すさまじい技術と実力に裏打ちされており、聴く人が聴けば、わざわざトボけて適当にやっているのがわかりますが、そんなことなどまったく感じさせないユルユルさ加減。(というか、「ゆるゆる演出」。) ステージになると特にそうです。 酒を片手に舞台袖からブラブラと登場、ギターソロを弾いたと思ったら、いきなり途中でやめてくだらない冗談を言い出したり、曲の演奏より、サポートメンバーとの漫才が長かったり、グダグダと飲んでたり、といった具合。まったく、「ショー」という感じをさせないやり口で、やる気がまったく感じられない。曲もたいてい、毎回似たようなもので、古くからのレパートリーをだらだらやるだけ。 それにもかかわらず、なぜかいつもお洒落で楽しい。1910年代から20年代のアメリカ片田舎のバーにタイムスリップしてしまったかのようなオーラをいつも出している人なのです。そして、その緩さで思わず見ている側も楽しくなってしまうレッドボーンのステージは、漫才じみたMCとともに、常に笑いが絶えず、大変な人気があります。 全部、計算尽くだったとしても、こんなに風変わりな演出をして、それが様になる、というのは、この人の芝居のうまさか、人柄そのものの力なのでしょう。それすら、謎、なのですが。 2008年の現在でも、1920年代の曲「プリティ・ベイビー」を演奏、レッドボーン自身は唄わずに、ギターのバッキングだけをしてみせて、観客に「さあ、みなさんが唄って!」といったりする。だけど、誰も唄えるわけがない。 「なんで、知らないんだ?こんな流行っている曲を!」と言って爆笑をとるレッドボーン。 「さあ、歌うぞ・・・・」といって、口をあけてポカンとしたまま、フリーズ。「なんだっけ?」 終始そんな感じでステージは進みます。 録音物のほうも、ステージそのまま。ローリングストーンマガジンが、「彼が唄うと、今の録音でも、まるで78回転盤のノイズが聞こえてきそう。」と言った、その音楽センスは、ホンモノの戦前のアメリカ大衆歌謡以上にそれらしく聞こえるのです。 本当は、わたくし頑固8鉄、レッドボーン先生のすべての音源と映像を持っている、長年の大ファン。いろいろ紹介もしたいのですが、実は、このおじさんの素性は、誰も知らない。30年以上に渡り、第一線で活躍し、ボブ・ディランからビートルズの面々とまで親しい世界的有名人なのに、すべて謎のままなのです。 どうやら、本名は、ディックラン・ゴバリアンというらしい、どうやら、1949年の生まれらしい、カナダの出身らしい、かみさんと娘がひとりいるらしい、現在、ペンシルヴェニア近くに住んでいるらしい、ということくらいしかわかりません。 ひところは、1929年インドのボンベイ(現ムンベイ)生まれだとか、いい加減なバイオが出回っていましたが、すべて本人が言った途方もない冗談だったようです。 ひとつだけはっきりしているのは、70年代にカナダ、トロントのクラブシーンで活動していたということで、当時は、レッドボーンの正体は実はフランク・ザッパだ、などという噂もまことしやかに流れたらしい。 最初に出たレコードは、1975年にワーナーから出た「オン・ザ・トラックス」で、2003年に出た「ライブ・アット・ザ・オリンピア1992」まで、30年に渡り、15枚のアルバムを出しましたけれど、すべて、同じように戦前のオールドタイミーな唄を、同じように演奏し、唄ったもので、見事なまでに首尾一貫しています。 ピアノ、ギター、バンジョウ、クラリネット、トランペット、トロンボーン、バス・サックスなど、すべて、アコースティックな楽器により、ノスタルジックなジャズ調で奏でられるバックバンド演奏は、決して表面には出ず、全面的にフィーチャーされるのは、レッドボーンのトボけた唄とラグタイム調の生ギターです。 楽曲は、戦後作られた曲はほとんどなく、ほぼすべてが戦前のもの。 最も、とりあげられているのは、1910年代に活躍したミンストレル・ショーの芸人で、偉大なアメリカ音楽の父のひとり、エメット・ミラー(ライト・オア・ロングなど)。そのほか、戦前ジャズ&ラグタイムの巨匠、ジェリー・ロール・モートン、戦前のコミカルな黒人歌謡のファッツ・ウォーラー、カントリー音楽の父といわれるジミー"ザ・ブレイキマン"ロジャース、ラグタイム・ギターの神様、ブラインド・ブレイクといった人々のナンバーです。 もちろん、どのアルバムも「ヒットチャート」とは、縁もゆかりもありません。 しかし、これらのアルバムには、あちこちに、こっそりと、豪華なゲストがちりばめられている。 ブラインド・ブレイクの「ディディ・ワー・ディディ」で始まる「ダブル・タイム」では、ヴィック・ディキンスン(カウント・ベイシーにいたトロンボーンの名手)と、「レッド&ブルー」では、ハンク・ウイリアムズ・JRと、「ウイスリング・イン・ザ・ウインド」では、リンゴ・スターと、「クリスマス・アイランド」では、ドクター・ジョンと、「エニイタイム」では、パースエイションズと共演。 そんな豪華なゲスト陣も、まるで宴会でもしているかのようなユルさで、楽しそうにやっていて、一聴しただけで、力が抜けてしまいます。 さらに、テレビの「サタデー・ナイト・ライブ」に70年代後半から80年代まで常連のように出演し、また、80年代から90年代は、「ジョニー・カースン・ショー」に頻繁に出演。 そのほか、テレビ・コマーシャル(バドワイザー)で空飛ぶ絨毯に乗って登場したり、漫画映画の声優をやったり、映画のサントラを手がけたり、さまざまな場面で顔を出し、30年近く前から、全米に顔も声も売れている有名人なのですが、その素性も普段の顔も、すべてミステリーのままなのです。 そして、インタビュアーが何を訊ねようと、くだらない冗談以外言わないレッドボーンおじさん。真面目に応えているようでも、果たして本当かどうか全くわからない怪しさ。 「わたしは、普段、音楽には、全く時間を割かないんだ。」 「わたしは、スターでもなんでもないのだ。ちょうど、クルマみたいなもんだね。大昔の唄とムードを運んで歩いているタダのクルマなわけだ。」 「わたしはね、リハーサルって、したことないんだ、ぜーんぜん。これからやることをいちいち学んだりはせんね。次なんの曲やるかすら考えてないもの。思いつきでなんか演るだろ、そしたら次やるのがなんとなく出てくるわけだね。」 「わたしは、いろんなヘンな道具や怪しい機械をたくさん持ち歩いているもんだからね、飛行機には乗れないわけ。検問でひっかかるからね。だから、演奏会場まで、クルマでしか移動しないの。」 「わたしは、生来、メカニカルなことが好きなのだよ。すごく得意なんだわ。モザイク・ワークが趣味だしね。だけど、全然時間がとれなくて困っとるの。音楽に時間をとられてしまうんじゃないよ。全然、練習も勉強もしないから。日常生活だけで手一杯なんだよね。」 いろいろなことを言ってはいますが、これだって、全く信用できない。 何ひとつ本当のことを言わない。 酔っているのかしらふなのか、冗談なのか本気なのか、やる気があるのかないのか、うまいのか下手なのか、一見しただけではわからない。素顔だって誰も知らない。 それがレオン・レッドボーンだからです。 ステージで飲んでいる酒だって、本当は、髭男爵みたいに「ファンタグレープ」かもしれないし。 ただ、わたくし頑固8鉄、外タレ専門の有名プロモーターに知り合いがいまして、その方から教えて頂いたオフレコ話があります。 実は、レッドボーンは70年代に一度、来日公演をしているのですが、わたくしの知り合いというのは、そのとき、レッドボーンを日本に呼び、コンサートを仕切った方の仲間。 場所は九段会館で、その当日、お隣の日本武道館では、レッドボーン本人の友達であるボブ・ディランがコンサートをしていました。そのせいか、客が入らず、九段会館はガラガラだったらしい。 公演が終わって帰国の途につくレッドボーンを空港に連れて行き、見送ったとき、レッドボーンがきびすを返して戻ってきたのだそうです。 そして、懐からギャラを取り出すと、「客の入りが悪かったから、返すわ。」と言って、そっくり全額返還してくれたのだそうです。 「長いプロモータ人生の中で、ギャラを返してきたアーティストは後にも先にもレオン・レッドボーンだけだった。一生、アタマが上がらない。」とおっしゃっていた。 レッドボーンの実像にせまるお話はこれだけです。 とにかく、ロック時代以前の音楽、特に、「ジャズ」、「カントリー」、「ブルーズ」などの区分けすらない、1910年代、20年代あたり、しかも、草の根的な、ギターの弾き語りだの、大衆歌謡的なものになると、音源すら少ない状況のなか、今日でも、「きっと昔はこうだったんだ。」と観客に説得力を持って、見せたり聴かせたりできるのは、レオン・レッドボーン以外いないのでないでしょうか。 レオン・レッドボーンは、まさに、マーク・トゥウェインが、ミシシッピーのリヴァーボートでギターをつま弾いていた遙か過去から、その当時の姿のまま、タイムマシーンに乗って21世紀にやってきた正体不明の怪人なのです。そして、そのタイムマシーンは、きっと蓄音機の形をしているはず。 今日もレオン・レッドボーンは、リヴァーボートが見えるアメリカ大陸のどこかの田舎町で、葉巻をくわえながら、ギターをつまびいていることでしょう。 さて、THE KINGからお送りしておりますのは、主に50年代のアメリカン・ファッションを元にした、オリジナルなのですが、50年代ファッションも、音楽と同じく、ちゃんと元になっているルーツのスタイルがあります。 特に、THE KINGのデザインベースとなっているハリウッドスタイルは、エルヴィス・プレスリーを代表として、ロカビリアンやカントリー・ミュージシャンに愛されたスタイルですが、もともとが南部のリゾートウエアだったこともあり、旧き良きアメリカの南部紳士そのもののレオン・レッドボーンにもぴったりではないか、と思います。麻の白いスーツなどは、ナッソー・スーツでもお馴染みですよね。それに、レッドボーンは、しばしば、彼は「ロカタイ」姿で登場もしています。 ロカビリーとはちょっと違った南部のリゾートウエア的な雰囲気を持った貴重なデザインとしても、THE KINGのナッソーは着こなせるし、ちょっとパナマ帽を組み合わせてみるなど、工夫してみても面白いのではないでしょうか。 というわけで、つい昨日は、クリスマス・イブだったわけですが、レッドボーンのアルバム、「クリスマス・アイランド」は、クリスマス・クラシック・ソング集の傑作。 レッドボーンの紹介が、今年のイブには、ちょっと間にあいませんでしたが、来年のイブには、是非、CDでも買って聴いてみて下さい。その際は、クラシックなアメリカン・ファッションの傑作、THE KINGのナッソーも忘れずに! |
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