8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.278

頑固8鉄のOSHIGOTO短編小説 その6

家庭からの脱獄




わたしのチームは、タケウチさんを除いて、全員女性だった。
年のころは、50代がほとんどだろう。おばちゃん軍団である。

そのなかに、コビコビコンビと称する二人組がいた。
小日向さんと小尾夏さん。
本当は、コヒナタ、オビナツと読むので、コヒオビなのだが、
あえて読みを変えて、コビナタ、コビナツのコビコビコンビとしたらしい。
語感がよくて見事なネーミングだ。

そのまま、漫才コンビになれそうなふたりは、年齢もほぼ同じ、
家庭環境も似ていたらしく、お互いを「コビちゃん」と呼び合って、意気投合した。
いきおい、井戸端会議になりがちで、おしゃべりが止まらない。

隣のSVが苦情を言ってきたが、ふたりのやりとりを面白がっていたわたしは、
おせっかいでうるさいSVのほうを無視した。
「人間なんかどうでもいいんだよ、仕事さえできれば。」
と言い切る、直線思考しか能のない、生意気で冷酷なやつである。

60にもなって、今まで何を学んできたのだろう。
ましてや、時給で働く、パートタイムジョブの世界である。
キャリアがしのぎを削る弱肉強食のエリートサラリーマンではない。

こういうやつが現場をつまらないものにして、結果的に効率を悪くする。
小日向さんは、浦安に住む主婦である。背が高く、恰幅もいい。
少しだらしがなさそうに見えるが、大胆奔放な印象の人だ。
どちらかというと、ジーンズが似合う。朝食はトーストとベーコンエッグという感じで、
夜中になるとロックでも聴いていそうな気がする。

それでいて、実際の生活は手堅くまとめる腕利きの主婦というのが、はっきりわかるのだ。
なんでも物おじせずに、ずばずばとものをいうが、尾島さんのように、
適格で鋭いところがなく、どちらかというと、ピンボケである。

そこが、凄腕の勤め人というより、パートタイムジョブの主婦らしい感じがして、
わたしはむしろ好感を持った。とても身近な、
近所のおばちゃんを思わせるからだろう。

小尾夏さんは、浦安のすぐ隣、江戸川区に住む主婦で、
背は低いが、恰幅は小日向さんよりよかった。まさに、
下町のおばちゃんを絵に描いたような人である。
小日向さんと並んだ様子を、「長いほう、短いほう」と称した人がいたが、
失礼ながら、当を得ていた。

小尾夏さんは、昭和のおかあさんが着ていたような、
昔ながらの割烹着がよく似合いそうだ。
朝食は、みそ汁、納豆ご飯という感じがする。
温厚で慎重な、余計なことは言わない控えめな人柄だが、いつも明るかった。
どこか憮然としたところがある小日向さんと対照的に、
面倒なことがあっても、うまく受け流すすべを心得ていた。

対照的ともいえるふたりが意気投合したのには、訳がある。
それは、家庭環境が似ていたことだ。
私たち世代に平均的だった25、6歳前後で結婚し、
30近くに子供を授かった二人には、現在20歳前後の息子がいた。
どちらも大学生である。

狭き門の国公立大学に受かる人は少ない。ふたりとも、
平均的な都内の私立大学に通っていた。
当然、かなりの学費がかかる。平均的サラリーマンの年収家庭では、かなり苦しいものだ。
ふたりには、働きに出なくてはならない、世間ではよくある、
しかし、切実な、経済的事情があった。
小日向さんがしばしば見せる、「なんでこんなことしなくちゃいけないの」と言いたそうな、
憮然とした態度もうなずける。
専業主婦が直面するよくある問題のひとつである。
一方の小尾夏さんは、なんでも前向きで、積極的に働きにでているという姿勢のように見えた。

「わたし、昼間にやりたいことがあるから。」

有明の現場で、あるとき、夜間シフトの募集が始まるらしい、という噂が飛び交った。
事の真偽は不明だが、オペさんたちは、もし、夜間募集があったらどうするか、
井戸端会議をしたらしい。なんだか不服そうな態度の小日向さんが、
夜間のほうが希望だと言い出したのだ。

「夜に6時間くらい働くシフトがあったら、手当もつくだろうし、
昼間にやりたいこともできるでしょ。わたしにはしたいことがあるから。」

それがなんであるのかは、語ろうとしなかったが、
小日向さんにはなにか計画があるように見えた。
昼間に主婦仕事をしたいという、単純な理由ではなさそうだった。
コビコビの片割れ、小尾夏さんによると、どうやら、小日向さんは、
学校に行こうとしているようだ、ということであった。

カルチャースクールのようなものに通う主婦というのは、
ごくありふれていて、想像がつくものだが、小日向さんにはなぜだか、しっくりこない。
彼女が、お料理教室やダンス教室に通う姿が想像できないのだ。
その点、小尾夏さんも同感だったらしい。

しかし、小日向さんが昼間になにをしたいのか、
それはなぜか不明のままであった。他人に口外したくないプライバシーもあるだろう。
小日向さんが、一時的な仕事仲間とそれほど親しく
自分のことを語る人にも見えなかった。
憮然とした態度は、「これは一時的な付き合いなんだからね。」
という意思表示にも見えるのだ。
ときどき、わたしに内緒話をしたがる小尾夏さんは、
派遣現場の付き合いということに対して、違う考えを持っていそうだった。

「わたしね、以前は、銀行に勤めてたんですよ、大昔だけどね。ほんと、大昔。」

銀行勤務のあと、お見合い結婚で主婦の道へ、というコース。
その間にあった様々な人生の機微は想像するしかないものの、
小尾夏さんは、もともと職業的にはどんな経験をしたのか、
一時的な同僚にも話すタイプの人なのがわかった。
派遣仕事では、1年ほど前の大量募集のコロナワクチン接種会場の
事務などを経てきており、その点では、わたしとも共通する、
政府系補助金審査の常連のようなものだ。

「大学生の息子がいるとほんとに大変なの。わたし、息子が卒業したら
また、ちゃんとした仕事しようと思う。
銀行のパートタイムのお仕事も見つかりそうだし。」

息子さんは、現在、大学4年生。そろそろ卒業である。
かつての同僚の紹介で、銀行復帰も近い。それでも、マンションのローンが
たくさん残っており、そんなに楽な生活ではない、
だからこれをきっかけに、働いて家計を助けるのだ、と、
すっきりした筋道で現実的な方策をとっているのだとよくわかる。

小日向さんのほうは、素性をほとんど語らないので、謎めいていた。
下手に訊ねると怒りだしそうな気配すらあった。
あるとき、チーム内メンバーの竹内さんが意外なことを言い出した。
どうやら、猪木と小日向は、終業後、飲みに行っているらしい、
誘っているのは猪木だ、という。猪木というのは、あれこれと口を出してくる、面倒くさい隣のSVだ。
おしゃべりなコビコビコンビを目の敵にしているのかと思っていたわたしは驚いた。
わたしが誘ったところで、彼女はたぶん乗ってこないだろう。
猪木も「仕事ができれば、人なんてどうでもいい。」
と言い切るわりには、やけにベタベタしたところがあるのだ。

謎の小日向さんと口先と行動があっていない猪木のふたりは、
有明で飲みながら、何を話しているのだろう。
おまけに猪木は独身者だと聞いた。別に勘ぐるほど無粋ではないし、
わたしこそ、一時の付き合いに深入りするつもりもない立場を
とっているので、それ以上はどうでもよかった。
しかし、なにかすっきりしない、他人の行動の裏表が透けて
見えるような感じである。

わたしは、とっつきにくい小日向さんではなく、
となりのおばちゃんライクな小尾夏さんに頼んで、チーム内メンバー
全員での飲み会をセットしてもらった。

夏の夜の有明は、外は閑散としているものの、
オフィスビルの中にもぐりこんだ飲み屋は、早い時間から結構満員である。
コロナが一段落しつつあるのが実感できた。
チーム中4人のおばちゃんたちが参加したチーム会は、
ほとんどコビコビコンビの独断場であった。他のふたりは、あまり職場での
付き合いをしないので、ちょっと参加してみた程度という感じである。
わたしは、小日向さんに、最近話題の夜勤話から振ってみた。

「ちょっとね、いろいろ考えがあるの。こういう派遣仕事って、
その場限りみたいなもんじゃない。
もっと継続して落ち着いて働きたいなと思う。
だから、資格でもとろうか考え中。」

やはり、小日向さんは、本格的に仕事復帰を目指しているらしい。
銀行復帰にめどがついた小尾夏さんと目指すところは
一緒、ということだ。

「大学生の息子が卒業したら、また、なにかちゃんとした仕事を始めたい。
こういう仕事は、ツナギよ。」

小尾夏さんもこれには、大いに同意した。

「わたしもわたしも!同じだね!」

ふたりが意気投合する最大のポイントは、たぶんこの点なのだろう。
ふたりは、単に家計を助けるというだけでなく、
自分のために働くという視点を共有する仲間であった。
わたしたちくらいの昭和世代の女性たちは、就職すると、お茶くみ、腰掛と言われた。
わたしも現役時代に覚えがあるが、たとえ、国家公務員の資格をとっていても、腰掛である。
20代前半までにお嫁にいかないと「なにやってんだ」という目で見られていた。

現在、50過ぎのコビコビコンビもまだそうだった世代のはずだ。
わたしは、かつての職場の同僚で仲が良かった理亜子を思い出した。
まだ生きていれば、コビコビコンビと同年配になっているはずである。
理亜子が生きていたら、同じ考えを持つだろうか。

「まわりが認めてくれない生き方は難しい。
だから、っていうわけじゃないけど、結婚して、出産して、主婦やってきた。
それってラッキーじゃんって言われるけど、主婦のつらさをわかってないよね。職場も家庭も子育ても監獄なのよ。
監獄を行き来する自由でもいいから欲しいじゃない。だから、職場を見つけるのよ。」

大胆にジョッキを飲み干した小日向さんらしい、ズバズバとした意見も、今回は的を得ている。
独身男と飲みに行くくらい、たいした自由でもない。
そんなことなどとるに足らないことだ。
こういう、「脱獄もの」は、仲間の共感も結束も強大である。
ましてや、数十年に及ぶ、人生と社会をつなぐ複雑な思いの総決算だ。

彼女たちの言い分を笑うものは、地獄行きに違いない。
コビコビコンビの職場での助け合いはその後も毎日続いていた。
ねえ、コビちゃん、このファイルってどこの階層からアクセスするの
、ねえ、コビちゃん、このチェックシートの7番目、おかしくない、
と呼び合うふたりが、脱獄を成功させるのはいつのことになるのかわからないが、
うまくいくことを願うのみである。

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