8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.277

頑固8鉄のOSHIGOTO短編小説 その5



オフィスなジャージ


「服装は、オフィスカジュアルでお願いします。」

昭和世代には、耳慣れたようでなかなか感覚がつかめない、
オフィス・カジュアルという言葉。いったい、オフィス・カジュアルって、なんだろう。

タケウチさんは、竹ノ内と書いて、タケウチと読む、割と珍しい苗字の人だ。
その逆の例は知っているが、これは初めてで、顔合わせ早々、
「違いますよ、わたし、タケウチです。よく見なさい。」と叱られた。

名札にフリガナがふってあり、たしかにタケウチと書いてある。
パソコンで印刷したものだが、ものすごく小さい字である。
わたしのような老眼にはキツい。そう言うと、いたずらっぽい目をして、
タケウチさんは笑った。その目が、実は、斜視なのだ。離れているので、
どこを見ているのか、パッと目にはわからない。
こういう人は、古い友人にもいたのだが、独特の雰囲気を持った眼である。
タケウチさんは、歳を言わなかった。

「俺の歳なんか聞いて、誰が面白がりますか。ふふふふ。」

もっともなことだ。まあ、見た目からして、たぶん、70歳に手が届くくらいだろう。
短く借り上げた白髪は職人風にも見え、その落ち着いた物腰も相まって、
わたしより、ずっと年上に見えた。
それにしても、長身である。少し、左肩が落ちていて、いつも斜めになって歩いている。
首が前に倒れている猫背だが、もともとそういう歪みがある体なのだろうか。

そのぼそぼそとしたしゃべり方と、斜めに歩く長身、
視線がわかりにくい眼という、個性的な外見を、いつも同じ、
ネイビーブルーのジャージの上下がくるんでいた。

オフィスカジュアルの指定がある職場で
、常にジャージでいる人物は、数百人もいる中で、彼一人であった。
タケウチさんは、自分を俺、と言う。それが、少しばかり奇異な印象に見えるのは、
落ち着いた老人らしい物腰と一致しないからだろう。
タケウチさんは、低音である。よく響くいい声だ。
アナウンサーのように、正確な発音というのも彼を印象付ける大きな要素だった。
私は、というのがふさわしい。

「俺は、もう、やりたくないんで。もう、俺に振らないでください。」

仕事を振らないでくれ、と、はっきり言い切る
オペさんというのも初めて見た。めったにいない。
そう言うときのタケウチさんは、どこか、いたずらっぽい、
どこを見ているかよくわからない目で私を見つめるのだ。
タケウチさんは、どうやら、池袋に住んでいるらしい。
家族がいるのか、前職はなんだったのか、
どんな暮らしをしているのか、職場で彼が語ることはなかった。

「俺の暮らしなんか知って、なにか面白いですか。」

そう、言われると返す言葉がない。
謎に包まれたジャージの男、タケウチさんは、
わたしが有明を去る直前になって、突然、飲みにいかないか、と誘ってきた。
そこで、ラスト4日前ほどに、なんとか都合をつけて、
近場の焼き鳥屋へ繰り出したのだ。

「あなたの活躍はたいしたものですよ。
いいSVはなかなかいないものだよね。」

いつものからかう調子ではない、真面目なタケウチさんは、わたしを褒めた。
褒められてありがたいと思わない人はいないだろう。
だが、わたしはタケウチさんのどこを褒めればいいのかわからなかった。

いつも、仕事では、タケウチさんは、どちらかというと、扱いづらいタイプの人である。
まず、第一に、SVからの指令をずばりと断ってくる。
そして、さらに、悪いことに、あれやこれやと質問疑問を投げつけてくる常習犯なのだ。
マニュアルのちょっとした矛盾を見つけては、これはどう読み解くのか、
どうすれば、いいのかわからない。わからないから、やらないぞ、というわけだ。
こちらがなんとか疑問に答えると、すぐに納得して、とりかかるのだが、しばらくすると、
俺はもうダメだ、もう、無理、と言い切って、本当にやらなくなる。
そして、パソコンの画面を見つめ続けて、そのまま終業となるのだ。
しかし、彼の見解は、わたしと一致していた。

あるとき、あまりに細かく、複雑すぎて理解しがたいマニュアル改変について、
タケウチさんは不満をもらした。わたしも同感である。
こうしたものを作るにはコツがいるのだが、これを作った人は、
精緻なつもりでなにも達成していない。どんなに完璧にできていても、
それが実行部隊に伝わらなければ、まったくの役立たずである。

これを作った人は、いわゆる専門バカ、というやつだろう。
専門バカというと、なんとなく、凄みのあるスペシャリストっぽくてかっこよく聞こえるが、
結局、バカはバカだ、という趣旨のことをわたしが述べると、タケウチさんはしばし、
にこにこしながら相槌を打った後、拍手をし始めた。
タケウチさんは、我が意を得たり、と思ったに違いない。

さて、わたしは、大好きな生のジョッキを前にして、しばし戸惑った。
そして、思い切ってあれこれと尋ねてみたのである。
しかし、彼の答えは揺るがなかった。俺はたいしたもんじゃございません、
知ったところでなにもなりはしませんよ、の一点張りである。
さすがに、語りたくないものを無理やり聞き出すのも気が引けるので、
わたしは、ジャージに話に持って行った。オフィスカジュアルなジャージについて、
面白い話題のような気がしたからだ。これには、タケウチさんも乗ってきた。

「これは、寝間着です。」

笑いながら、タケウチさんは続ける。

「嘘ですよ。だけど、ダメなのは、
色柄の派手な服とジーパンって書いてあったでしょ。これはどちらでもないですよ。」

考えてみると、おかしなものである。ジーンズは、なぜダメなのだろうか。
ここに限らない。いたるところがそうである。
日本のドレスコードでどれほどジーンズが冷遇されてきたか、枚挙にいとまがない。
アメリカのテキサスでは、ジーンズは正装である。
ラングラーのジーンズに、スーツのトラウザーのように、
アイロンで折り目をつけて履くのが一般的なのだ。

ジーンズは労務者の実用的なワークウエアとして普及したものだから、
本来、仕事着の代表のはずだ。たかが派遣仕事、安い労働者の代表みたいなものなのに、
恰好だけはジーンズご法度である。はたして、これをどう受け止めればいいものだろう。
タケウチさんのジャージは、それのアンチテーゼのようにも思える。
すなわち、彼は、ささやかながらも、反骨の人である。
ジーンズがダメというのなら、ジャージだ、それなら文句言えないだろう、と、
けっこう胸のすくようなことをやってのけているのである。

「だいたい、派遣仕事なんてのは、日雇い口入労働のなれの果てでしょ。
それに、俺、これしか持ってないんですよ。」

例によって、面白いウソだろう、と言いたそうないたずら笑顔になって、彼は言う。

「ジャージは、動きやすくて、楽です。満員電車でつらい思いをして、
ずっと、デスクで面倒くさい事務仕事で肩が凝るのに、なぜわざわざ、スーツみたいな、
疲れる格好をしなくちゃならないんかね。それに、お客もいないのに、誰が見てるというのかね。」

いちいち、もっともな意見である。わたしも、これには、全面賛成だ。
しかし、そういう人は、実は、ほとんどいない。みんな、マニュアル通りにしようとする。
規則に徹底して従わないとクビにでもなるんだろうか。それが、そんなに恐ろしいのだろうか。
タケウチさんのジャージは、それに対する答えのひとつのバージョンである。

「まあ、俺も、ひところはスーツにネクタイで仕事してたってことだけはいえるけどね、
大した仕事でもないのに。そもそも日本の風土に合ってないんだよ、洋服って。
高温多湿で革靴も合わない。」

洋服は、明治期からはじまった、帝国追従の裏返し、欧米コンプレックスだが、
それが完全に定着したことに対して、疑問を持つ人は少ない。
タケウチさんの、いなせな態度と言葉は、どこか古い日本を思わせる。
着流しが似合う人なのだ、とその時初めて気が付いた。

どこか下町の、古いタイプのやくざを思わせるタケウチさんの過去も未来もわたしは知らない。
ビール数杯を最後にタケウチさんと会うことはなくなった。
しかし、今もどこかの派遣現場で、いたずら小僧のようなくしゃくしゃの笑みをたたえた
タケウチさんに再会できそうな気がしてならないのだ。

そのとき、タケウチさんは、服装自由な現場で着流しを着ている。
そんな空想をして、わたしは不思議に落ち着いた気分になった。

GO TO TOP