8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.274

頑固8鉄のOSHIGOTO短編小説 その3

議員秘書のお嬢様




尾島さんと、ばったり再会したのは、オペさん研修が始まった3月の中頃のことで、
わたしのほうから声をかけた。
というのも、尾島さんは、昨年の職場でのリーダーで、わたしはオペさんだったからだ。
たくさんのオペさんを取りまとめ役のリーダーが覚えているかはわからない。
しかし、オペさんはみな、リーダーを知っている。
ふいに話しかけられた尾島さんは、最初きょとんとしていたが、すぐに思い出したようだ。

「あー、あの、とがった靴の人!」
靴を覚えているというのは、なんだか可笑しかった。
わたしは、ウエスタンブーツで通っていたのである。
確かに、ほかにそんな人はいなかった。

今度は、わたしがSVで尾島さんがオペさん。
派遣仕事あるあるで、しばしば、別の職場で立場が逆転する。
日本で、組織のフラット化が進んだのはいつごろからだったろうか。

これまでの非効率な縦組織を変えようと、係長だの課長だのを廃して、
リーダーだのスーパーヴァイザーだのを置くようになった。
役割が違うだけで、横並び、同待遇であることを意味していた。
しかし、日本の文化がそう簡単に変わるわけもない。
理屈でいくら改善したとて、人の習性は変わらない。
SVやリーダーは、なんとなく、オペさんより少しエライ人っぽく扱われる。

偉そうに振る舞う愚かなSVやリーダーも結構いるのだが、
なにより、オペさんがそのようにSV、リーダーを扱ってしまうのである。
だから、仕事を通じた付き合いも、オペさんはオペさん同士、SVはSV同士で親しくなる。
横並びならそんなことは関係ないのだが、派遣のような通り一遍の、
期間が決まった仕事ではとりわけ、同じ業務内容の仲間同士でないと話の糸口も掴めないのだ。

尾島さんは、バリバリ仕事をこなす、やり手の女性リーダーだった。
なんでもはっきりものを言うタイプの人で、高圧的スレスレの低空飛行が周囲から見ていてハラハラする。
派遣仕事でよく言われる「仕事ができるより人柄で採用される」というのは、嘘ではない。
周囲とトラブルになりかねない人の中には、仕事ができすぎる人が含まれるのだ。

尾島さんのそうした一面は、普段付き合いのない、オペさんから見ると、どうしても目立ってしまう。
しかしながら、その仕事ぶりの闊達さは、他を抜きんでていた。頭がいい、というのは間違いなかった。

かつてのオペさんがSVで就業していることに気づいた彼女は、
さっそく、決まり事を超えて、わたしにあれこれと要請してくるようになった。
ロッカーの周囲が混みすぎるので、なんとかすべきだ、出入り口の振り分けを再考すべきだ、
などなど、本来なら派遣チームの最上位であるフロアマスターが
考えなくてはいけないハウスルールの不備を次々に指摘する。

わたしは、適当に聞き流しつつ、むしろ、次の仕事探しの情報提供者として
連携したほうが得策だと彼女に働きかけた。
すぐに今の職場の多くの不備に気づいていた尾島さんは、これにはすぐに賛同した。
以後、彼女とは、派遣仕事情報を交換する、求職戦友になっていった。

なにしろ、優秀な頭脳の持ち主である。情報交換も的を得ていて、たいへん参考になる。
そういうコミュニケーションに不可欠な、てきぱきした、
非常に理解しやすい言葉を駆使することに長けているのだ。彼女はわたしの強力な助っ人になった。

それにしても、尾島さんは、もともと何をしていた人なのだろう。
年のころは、たぶん、わたしと大差ない。話をするうち、どうも、彼女は、
わたしとほぼ同僚に近い存在だったことが判ってきたのである。

わたしは、20代から30年以上、東京都心の平河町にある、
地方自治連合会の職員だった。
いわゆる、団体職員だが、民間ではなく、公共セクター、総務省の関係団体である。
公務員ではないものの、待遇も服務規程もすべて、国家公務員に準じていた。

「あら、よく陳情にきてたわね。どこかで会ってるかもしれないわよ。」
尾島さんは、驚いた顔もせず、そんなところだろうと見透かしていたかのように、言った。
「わたしは、第二議員会館にいたんですよ。」

永田町といえば、国会議事堂、議員以外は、
国家公務員が詰めている衆参両議院事務局、 与党の本部もある。

尾島さんは、元国会議員の秘書であった。
そのさらに前は、国家公務員であったという。

いわゆるキャリアではないが、財務省の中で活躍し、その後、
父親と親交が深かった群馬県選出国会議員の秘書に抜擢された、という。
与党第一党の中でも抜きんでた政治力を持つ、有名な政治家である。

2000年代に入ったころ、バブルの崩壊前夜、構造改革路線と相いれなかったその政治家は、
徐々にメインストリームから外れていき、2010年代、70代に差し掛かるころ、病を得て、引退した。
その後、亡くなったのは、まだ記憶に新しい。
尾島さんは、結局、秘書を辞職し、その後、数年にわたって、
議員とつながりの深い民間会社で一般事務員として働いたが、定年とともに退職したという。

実家は、東京の中央区にある食品会社である。
子供時代から青春時代にかけて、会社は羽振りがよく、都心に住むお嬢様育ちだったが、
やがて時代の移り変わりとともに、業績は悪化。

議員秘書を辞めたころ、両親が相次いで亡くなり、会社は売却された。
尾島家は、あまり採算のよくなかった会社の株はすべて売却し、
豊洲にあった自宅も売却、姉と財産を相続した彼女は、豊洲に次々と建設された、
新築の高級マンションを購入、いわゆる億ションである。

国家公務員時代からの年金、保険積立、実家の財産の残余等、
働かなくても全く困ることのない、ゆとりのある60代を迎えていた。
そんなお嬢様育ちの豊かなシニア世代の女性が、派遣仕事で苦労しているのは、なぜなのか。

「ずっと、家に独りでいるとボケちゃうでしょ。お金はたくさんあって、
生活にはまったく困らないけど、なにか仕事していないと、つまらないのよ。」

尾島さんは、独身である。死に別れたとか、離婚したとかではなく、一度も結婚したことがない。
そのあたりを詮索するわけにもいかないので、事情はわからないが、
ご近所付き合いにしてもなににしても、主婦が多い中で、独身女性は付き合いの範囲が狭くなる可能性はある。
だから、そうした環境から一歩離れた付き合いの場として
、職場というのは一番いいのかもしれない。

有明は、彼女のマンションからは、自転車で通える距離である。
ちょっとだけ頑張れば、散歩コースくらいの感覚でも大丈夫だ。
以前の職場、東雲はさらに近く、完全に徒歩圏内だ。

「仕事をバリバリこなさないといけないとは思ってないし、暇つぶしみたいなもんだから、
遠くに通おうとは、全然思いませんね。近くでそこそこの時給だったら、それでよし。
でも、この年齢だととにかく、年齢だけでハネられる。それが困るわね。」

女性のパートタイムは多いけれど、彼女はそれ以上の活躍ができる状況にあるので、
フルタイムで、ある程度やりがいを持って働きたい、しかし、
そういう仕事はなかなか得られない、ということだろう。

東雲で一緒だった、といっても、途中抜けしたわたしは、その後のいきさつを知らなかった。
しかし、尾島さんをめぐって、これまで聞いたこともない事件が起こっていたのだ。
ある日、いつもの通り、リーダーとして、オペさんたちの手上げ(質問のことだ)に
答える毎日を送っていた尾島さんは、とつぜん、オペさんのひとりに暴行を受けたらしい。
その加害者は、わたしと同じ日に入った男である。
当初から、どこか奇妙な印象の男で、事件を起こした、と言われれば、
なるほど、やはりとなる、そんなタイプだった。

よく、凶悪事件が起こると、関係者インタビューで「まさか、あんな真面目な人が。」
「あんなに親切な人が信じられない。」みたいな内容が流されるけれど、必ずしもそうではない。

やっぱりな、はあるのだ。雑多な人が、一時雇用される派遣やアルバイトでは、
そういうこともあっておかしくない。そこまで、じっくり観察して雇う暇はないだろうし、
じっくり選んだはずの正社員だって、必ず組織にひとりやふたりは、おかしいやつが出てくるものだ。

なにが、どうなったのか、伝聞でしかないが、目撃したかつての同僚の話では、
本当に恐ろしい時間であったらしい。仕事中の昼間、オフィスの衆人環視のなか、
いきなり尾島さんの首を絞めて引きずり回した、というだけで、かなりな事件であったろう。

警察を呼ばなかったのは、短時間にあっという間に起こった出来事だったかららしい。
なんとか事なきを得たものの、暴力被害にあえば、それが心障となって現れるのは、無理もない。
尾島さんは、会社が警察沙汰にせずに、うちうちで収めてしまったことに腹を立てた。
それももっともなことである。

管理体制の不備、その後の処理の甘さなど、海千山千の彼女らしい指摘の数々に、
会社は平身低頭であったそうだ。

しかし、その後、思わぬ報復がまっていた。
次の仕事のオファーが来なくなったのだ。
有能なリーダーであったのに、被害者側であったのにもかかわらず、
尾島さんには次期の仕事のオファーが来なかった。

会社はトラブルの当事者を責のありかを問わずに避けたがるものだ。
理が通らない社会の一面に幻滅するのは、だれでも体験するものだが、
もう我々の年齢になると、正直うんざりするだろう。
ことが大きければ、人生を破壊しかねない。理が通らないというのは、そういうものだ。

結局、彼女は他の仕事を見つけざるを得なくなり、
有明でわたしと鉢合わせすることとなったのである。

ある夏の終わり、一時的に東雲に復帰したわたしは、東雲バイトのベテラン、
坂下さんと飲みに行った。尾島さんとも親しい坂下さんと相談して、
わたしたちは、尾島さんも居酒屋に招くことにした。

すずしげなワンピースでやってきた彼女は、わたしたちに、
議員秘書であったことを初めて明かしたのだが、あのハイスピードで回転する頭脳と、
歯に異を着せぬ物言いは、そういった経歴から来ていたのだと、至極納得したのである。
有明の大混乱から一足先に抜けたわたしとこれから抜けようとする彼女は意気投合した。

そして、その後、しばらく、お互いの次の仕事選択の情報交換をする仲間になった。
「わたしは、お金に困っているわけではないのよ。だから、通勤なんてしたくない。
それなら、働かないわ。歩いて行ける程度でいいのよ。」

その後の求職活動ののち、いくつか就業先を見つけた尾島さんは、2択まで絞り込んだ。
「ひとつは、大企業の請負をしている時給の高い総務事務の仕事だけど
新宿まで通勤、契約更新でつないでいかなくちゃいけない。
もうひとつは、歩いて行ける知的障碍者の自立支援の仕事。
安いけど、契約期間更新とか面倒な手続きなしで、3年はいけるのよ。」

彼女の才能があれば、どちらに行っても仕事はこなせるに違いないが、
わたしなら近場で細く働くほうを選ぶ、と言った。なんとなく、
そっちを本人も望んでいる気がしたからだ。
「わたしもそう思っていたのよ。もう、あれこれ仕事で悩むのも、
次々仕事を変えては、失望するのも、たくさん。心静かに暮らせればそれでよい。」

そう、わたしも同じである。ちゃきちゃきに切れる頭脳で、
バリバリ仕事をこなす尾島さんでも、そういう心境になるのだな、とわたしは納得した。

「それに、わたし、社保に入るのを止めるわ。
国民年金を払い終わっているわたしたち年代にとって、
あんなに理不尽な仕組みもない。

いまさら厚生年金に入っていたところで、月3万も、
収入の2割を召し上げられて、受給時に月500円くらい上乗せになったところで、
100歳まで生きないと戻ってこない。

厚生年金は保険だというなら、自分でその分をためておいたほうがずっといい、
それが週20時間以上で強制徴収されるなんて。

国に従わざるを得ないなら、いっそ働かないほうがいいわよね。」
そうなのだ。シニア世代にとって、社会保険加入は必ずしも得策ではない。

だから、高齢者は働く意欲を失うのに、一方で、年金を減らすから、自己責任で働けという。
そんな国に暮らすわれわれ世代は、よほどうまく働かないとますますやる気をなくすだけだ。

こういった国の施策は、いつも、理が通らない。そう、国の施策そのものがそうなのだ。
「わたしは恵まれているほうよ。だって、お金には困らない、都心のお嬢様だったから。」
尾島さんは、疲れたような顔をしながらも、明るい表情をなくすことはなかった。

GO TO TOP