8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.271

ワンヒットワンダー 究極の一撃 ドゥーワップ編 その1

今回は、一撃シリーズ第二弾!
ドゥーワップ編をお送りします!

THE CAPRIS - "MORSE CODE OF LOVE"



57年型リンカーンカプリから名付けられたイタリア系ドゥーワップグループ、
カプリスは、典型的なワンヒットワンダーで、
馬鹿当たりした58年の、ゼアズアムーンアウトトゥナイトだけで消えてしまった。

1972年頃から始まったリチャードネイダー主催のロックンロールリバイバルにも出て活躍したが、
本当に驚くようなことが起きたのは1980年代に入ってからである。

ニューヨークドゥーワップレコードを蘇らせるアンビエントサウンドの
プロジェクトがスタートし、カプリスがアルバムをリリース。

タイトルソングでリードシンガーのニックサンタマリアが書いた新作、
恋のモールス信号は見事な傑作だったがヒットせず、
カヴァーしたマンハッタントランスファー盤がトップ40入りした。



MARCELS - "SWEET WAS THE WINE"



古典歌謡、ブルームーンを面白いロックソングにアレンジして大ヒットさせたマーセルズ。
古典的ポップを面白おかしくいじるというのがスタイルだった。

主だったヒットは、もうひとつ、ハートエイクスのみだが、
大胆すぎて、珍品になってしまっている、多くの作品
(メジャーキイに置き換えたアップテンポのサマータイム、コミックなメランコリーベイビーなど)より、
ストレートなティーンポップのほうに埋もれた傑作が多い。

スイートワズザワインは、58年のジェリーバトラーの焼き直しカバーだが、
どのカヴァーも凌ぐ、素晴らしい出来栄えだ。
グループのもうひとつの売りは、ベースボーカル(フレッド・ジョンソン)を
前面に押し出したことで、40年代レイブンズ、50年代初期のドリフターズ
(ビル・ピンクニーをフューチャア)以降、ドゥーワップの定番手法ではあるけれど、
マーセルズは実に格好良かった。なんでもこなす器用なグループだったのだ。



THE PENGUINS - "MEMORIES OF EL MONTE"



50年代に最も売れたシングルのひとつ、
アースエンジェルで知られる、ペンギンズ。

1963年、ドゥーワップマニアだった無名時代のフランク・ザッパが
アースエンジェルのコード進行を使い、ペンギンズをイメージして書いた
メモリーズオブエルモンテは本物のペンギンズリードシンガー、クリーブランドダンカンに
よって吹き込まれた。

ヒットシングルではないが、ここにはフランク・ザッパ流のドゥーワップ愛が凝縮されている。
後に、ザッパが出した架空のドゥーワップグループによる
不思議なアルバム、ルーベンアンドジェッツの先駆けにもなった。


FIVE SATINS - "I'LL REMEBER IN THE STILL OF THE NIGHT"



(アイ・リメンバー)イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイトで知られるファイブ・サテンズ。
作ったフレッド・パリスは、これを「ニューヨークの上空を漂っていた曲をつかまえたんだ」
と表現した。

街を的確に表現したその漂うようなロマンチシズムは、
アカペラだけの無名曲、「オール・マイン」で、さらにくっきりとわかる。



THE HARPTONES - ''MY MEMORIES OF YOU''



厳密にいえば、ハープトーンズはワンヒットワンダーではない。
ヒットがひとつもないからだ。

「ライフ・イズ・バット・ア・ドリーム」がどれほど有名でも、ヒット記録がない。
ドゥーワップの愛好家のナンバーワンにあげられることが多いけれど、
それは、変にマニアックな理由ではない。

ピュアなドゥーワップとして、彼ら以上のものがないことをよく知っているからだ。
このグループも、全曲素晴らしいが、なかでも「マニアが選ぶ最高傑作」ひとつ、
「マイ・メモリーズ・オブ・ユー」を挙げたい。



JIVE FIVE - "THE GIRL WITH THE WIND IN HER HAIR"



駄作がひとつもない、最高のドゥーワップグループなのに、
アワトゥルーストーリーしか目立ったヒットがなかった不遇のジャイブファイブ。

風の髪の少女のような地味な作品でも、飾らない生き生きとしたコーラスワークが堪能できる。
後に、ベンチインザパークのような大傑作でソウルグループの先駆ともなった。


ワンヒットワンダー 究極の一撃
MAURICE WILLIAMS  "MAY I"



1960年に大ヒットした、「ステイ」で知られるモリース・ウイリアムズ&ゾデイアックスは、
典型的な一発屋グループだが、この曲をウイリアムズが書いたのは、
1953年のこと。のちに、フォア・シーズンス、ジャクソン・ブラウンがカヴァーした。

ウイリアムズは、57年には当時の自身のグループ、
グラディオラスのためにリトル・ダーリンを書いて、ヒットさせている。

リトル・ダーリンはカナダのバーバーショップコーラスグループ、
ダイアモンズのカヴァーがビルボードの2位になる大ヒットになり、
のちにエルビスをはじめ、あらゆる人がカヴァーしてスタンダード化した。

もともと優れたソングライターだったウイリアムスの真価は、
ヒットこそないものの、60年代ソウル音楽期にも維持された。
「メイ・アイ」は、素晴らしい初期ソウルの隠れた名作。

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