8鉄風 ROCK COLUM by 8TETSU Vol.266

頑固8鉄のOSHIGOTO

OSHIGOTO NO. 15 プロジェクト契約社員(2023)
「輝く夜空に~OSHIGOTOってなんだ」




春にならんとする日、とある臨海地帯についたわたしは、
暗澹たる気持ちになった。
ガラーンとした広場の周囲をオフィスビルが取り囲むだけの場所。
これが、街といえるのか。居酒屋一軒見えないのだ。
成田の再発見をした直後だけに、落胆は大きい。

今回の仕事は、SV(スーパーヴァイザー)といわれる管理職。
説明会には、オペレーター募集のほうに行ったのだが、
個人面談でSVをやらないかと言われて、断らなかっただけのこと。
ギャラもそれほど高くはない。

研修の会議室で偶然隣に座った大柄で強面っぽい親父は、
わたしと同年配くらいだろう。
尋ねてみると、彼は66歳で私より4歳上。SV経験者らしい。
「どこにいたんですか。もしかして、去年の今頃、東銀座にいたとか。」
大量募集案件にいったら、東銀座仲間を探してみようと思っていたので、
すぐに訊いてみたのだ。
「いたいた、SVで。彼も一緒。」
となりの長髪ワンレンオヤジが、情けなさそうな笑顔でペコリと頭を下げた。

わたしがDENTSUオヤジと出会った、あの場所にいたのだ。
あまりに大人数で、部屋もたくさんあったから、出会っていても気づかない。
やっぱり、似たようなところを転々としてる連中がたくさんいる。
面白いっていえば、面白い。まだ、これから会うかもしれない。
「年金だって満額なのに、なんで働くの?」
「そりゃ、家にずっといると、ボケちまうだろ。」
「そうかなあ。」
同年配とこの手の話をすると、いつも同じやりとりになってしまう。

このオヤジは、複写機メーカーの部長クラスで、退職後、
コンサルタントをしていたらしい。それも終わって派遣仕事というわけか。
フジゼロオヤジは、いかにも豪快そうに見えるが、妙に腰が低くて、
逆に老獪さを感じさせた。只者ではないのだ。
横に座っていたワンレンオヤジは、人のよさそうな、
本当に控えめな男である。何者なのかわからない。
かつての同僚ということがわかり、
まずは、この3人で仲良くなって、研修がスタートした。

研修の中身も、仕事の中身も、実はどうでもいい。
どうせ、派遣だか委託だか雇われ仕事は、長くて数か月。

オヤジたちそれぞれの本職のスパンと比較したら、短期どころか
、ちょっと長い出張に行った程度でしかない。
毎度おなじみの会社のハウスルールだの、個人情報保護だの、
守秘義務だののつまらない話が延々続く。

こういう話というのは、自分の本職時代は、部下に説明させていた立場なので、
はじめから全部知っている。60代が中心だったらなおさらだ。誰でも知っているはず。
まるで、中学生に説明するように、こんな話を説明するってのは、
どういう気分なんだろう、とぼんやりした頭で考えるのがせいぜいと言ったところだ。

さらに、一度聴いたってさっぱりわからない業務や制度の話が続く。
延々と1週間も続いたが、どこでも同じ、毎度のことである。
興味もないし、通り一遍聴いたら適当に働いて、
とっととおさらばするタイミングを計るだけなのだ。

研修のさなか、他社の連中を見かけた中に、東銀座で同じ部屋にいた、
名物SVを見つけた。会うような気がしていたが、実際に会ってみると奇妙なものだ。
残念ながら、他社なので、今回は疎遠だ。
話をすると、DENTSUオヤジと今でもやりとりがあるらしい。
今回は、残念ながら、DENTSUオヤジは不参加らしかった。

さらに、東雲仕事時代のリーダーも発見。
なにか奇妙な気分になるくらい、つながりや再会が多い。
同年配が多く、だれと話しても、どこかで仕事がかぶっている。
要は、みんな同じような案件を転々としてきている。
逆にいえば、どんな案件ならわれわれのような年代の
引退サラリーマンが採用されるかも見て取れるのだ。

仲良しになった同僚はさらに増えた。
次に研修会場でタッグを組んだやつは、
酒造メーカーの海外醸造所所長クラスが長かったという。
退職後、一時期、都内に自分の経営するワインバーも持っていたらしい。

ソムリエオヤジとは、とにかく、ウマが合った。
なんだか、ジャック・レモンを思い出させる、いつも情けない男を演じる名優という感じだ。
私は、雑なので、ウオルター・マッソーというところか。「おかしな二人」である。
ちょっと、楽しくなってきたところで、次のステージとなる。


オペレーターを俗に、オペさんという。オペさんたちは、
2週間遅れて大勢が入ってきた。彼らの研修では、SVが教える側である。
ところが、わたしは運悪く、流行していた質の悪い風邪にかかってしまい、1週間病欠した。
オペさんたちが、なにを教わったのか、知らないまま、いよいよ、業務スタートである。

ところが、始まってみると、さっぱりうまくいかない。
われわれシニアの元会社員は実際は、恐ろしいほど物知りである。
なにがおかしいとうまくいかなくなるか熟知している。
上層部はなにをしていたのか、委託元はなぜ動かないのか、など、
SV同士でやりとりはあったが、実際のところ、たいしたことはない。
つまらない話はどこにでもあるし、クソならとっとと逃げればいいのだ。
そこは、時給労働者の唯一の強みなのだ。なにが失敗しても、知ったこっちゃないのである。
でないと、こんな仕事はやってられない。

オペさんたちは、立場上、言いたい放題である。
あれがわからない、これがわからない、いわゆる、手上げのラッシュが続く。
しかも業務レベル以前の、半ば老人相手のパソコン教室みたいな毎日が続く。
わたし自身は、パソコンレベルが低いと思っていたのだが、
実際に指導する立場にたってみると、めちゃめちゃレベルが高く感じる。これもある意味、発見だった。
わたしは案外、たいしたものなのだった。

業務が本格化すると、それどころではなくなる。仕事は多忙を極めた。
どんどんやることが増えていく。そのうち、SV仲間がボヤきだした。
おまけに、フロア全体の仕切り役(派遣会社社員)が、要領を得ない。
説明が下手なうえに、自分で自分にうなづく癖があるため、どうしても足りないやつに見えてしまう。

「ぼ、ぼくは、お、おむすびが、す、すきなんだなあ、うん。」と
自己返答をする裸の大将を連想してしまうのだ。
「こりゃ、ひでえ。もう、やってらんねえ。」口々に出る言葉はみな一緒である。
そこは、あくまで、時給マンの世界。「おまえどうする」「おれは抜けるぞ」
そんな小声の話が行き来するなか、本当に契約更新をしないのが出てきた。これは重症である。

「こんなバカな職場でやってられるか。」「もうイッパイイッパイで無理。」「指揮命令者が意味不明。」
熟練の、にこやかなビジネス用笑顔をかなぐり捨てて、
目がすわったオヤジたちがつぶやく。
結局、光に群がる虫のように、そろそろバックレる段取りのオヤジたちが集まって、
飲み会をすることになった。
わたしも含め、全員、5月末で辞めることがわかったSVのオヤジたち5人組。
フジゼロオヤジもソムリエオヤジも、ワンレンオヤジもいる。
さらに、他社のやつもひとり巻き込んで、われわれはドカンと一発、遊びにいくことにした。
「飲みに行こう。」「昔、取引相手だったいい店がある。」「おい、やるのか。」「やる。」「兄貴も来るか。」


4月の終わり、そうして、5月解散会は、
わずか1時間足らずの間に、おおいに盛り上がった。
「あのバカデブ女が」「えっらそうな茶坊主が」「指令系統が役立たず」
「史上最低の派遣仕事」「研修からしてバカ」。
これまでため込んできた、あらゆる言葉が、
職業人生であらゆるOSHIGOTOを完遂してきたオヤジどもからあふれ出す。
そして、爆笑とともに、炸裂する。

久々に、ガキみたいに笑った罵詈雑言の嵐のあと、
俺たちは駅前の広場に出た。あとひと月でお別れだ。
「楽しかったぜ。ありがとな。またやろう。」
振り返りざま、軽く握手したフジゼロオヤジを先頭に、
全員60代オヤジの5月解散会は、がらーんとした春の夜の広場を行く。

人生いろいろである。様々な事情を抱えつつ、
こんな歳になっても、まだまだ働くおやじども。
最初の派遣仕事で出会ったDENTSUオヤジの言葉「ハケンってRUTSUBOなんだよ。」が
心をよぎる。

なんで、こいつら、こんな歳になっても、働くのか。
年金だってあるし、辞めたって食っていけるじゃないか。
今回に限らず、俺は仕事なんて大嫌いだ。
家でぶらぶらしてるほうが幸せに決まっている。
いったい、OSHIGOTOって何だ。


そのとき、ふと見上げると、なぜか光輝く夜空から、
長年の疑問に対する正解がひらひらと降ってきた。
そう、わたしはハジけるオヤジどもを見ながら、初めて納得したのだ。

「そうか、これだから、OSHIGOTOって止められない。」


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